第112話 橘彼方→椎名彼方②
いつからだっただろうか。僕が家族のことを話題に出さなくなったのは。
父親は文字通り檻の中。母親はお金を入れるだけで僕に構うことはない。僕は実の両親から『愛』というものを注いでもらったことがなかった。授業参観の時も僕だけ親が来なかったし、休日に一緒に出掛けるなんて夢のまた夢。祖父母も既に他界しており、僕には家族として甘えられる人が一人としていなかった。
だからだろうか。周りに友情というものを求めるようになったのは。みんなと仲良くしていればそれだけ友愛というものを向けてもらえる。寂しさを紛らわせることができる唯一の手段だった。
正義の味方になりたいと幼いながらに思ったのは何も平和というものを願ったからでも、誰かを助けたいと思ったからでもない。ただ単に、一人でいるのが寂しかったからだ。誰かを助けるという手段が、唯一縋れるものだったのだろう。
ふと、祖母との会話を思い出す。
『いいかい彼方? 困っている人がいたら歩み寄って助けておやり。巡り巡って、自分のためになるから』
『なんで自分のためになるの?』
『世の中っていうのはね、結局は人と人との助け合いなんだ。彼方が誰かを助ければ、きっと彼方が困ったときにその誰かが助けてくれるよ』
『うん、わかった!』
そうして笑顔で返事をする僕の頭を撫でる祖母。僕にとっては太陽のような人で、いつも痛いことをしてくるお父さんと違い素直に大好きだった。だが歳のせいもありその後祖母はあっけなく他界。まもなく父さんも刑務所に入ることになった。
怒涛の日々を過ごし疲れ果てた母さん。義母と葬式や夫との離婚手続きを仕事をしながら同時に進めていたのだ。その苦労は幼い僕には計り知れなかった。美人だったその顔は一気に老け、力ない言葉で母さんは僕に言った。
『いい彼方? あんたは……』
そして僕は、その後母さんと二人きりで……
「……んんっ」
懐かしい夢を見た僕はあくびを噛み殺しながら起床した。今は朝の四時半でいつもと寸分たがわない早起きだ。だがいつもと違うのは少し頭痛がするという点。寝不足ということではなく、きっと昔の夢を見てしまったからだろう。今となってはもう届かない昔の情景。
「よいしょと。早く出ないと」
僕は寝間着を使い古した洗濯機に入れてすぐにジャージに着替える。今日は平日で学校があるのだが、その前に毎朝行っているルーティーンがある。ボロアパートを出た僕はすぐにとあるお店へと向かう。そこはこの近所で唯一の新聞販売店だ。
「おはようございまーす」
そうして僕はエコバックに新聞を詰め込み町中を走り出す。そう、新聞配達のアルバイトだ。中学生がアルバイトをすることは法律上できないが、店長に交渉を重ねた結果なんとか秘密裏に許してもらえた。ちなみに本来は時給1000円を超える仕事内容なのだが、口止め料と言うことで僕の時給は500円という労働省激怒間違いなしの激安な価格設定となっている。
自転車の使用は許してもらえていない。万が一事故を起こして警察沙汰になってしまった際に15歳未満の子供を不当に働かせていたと露呈してしまうためだ。それに会社のロゴが張ってあるため、僕のような子供がそんな自転車に乗っていると嫌でも目立ってしまう。早朝で人通りはあまり多くないが、念には念をということだ。
「まぁ、運動になるからいいんだけど」
そうして最短距離で町を駆け抜け、今日のノルマを次々とこなしていく。警察の巡回ルートは事前に把握しているので途中でかち合うことはない。アルバイトをボランティア、給料はお小遣いと言い訳することもできるだろうが、少しでもリスクを排除しなければ二度と働けなくなるため常に慎重を期している。
なぜ僕がこんなことをやっているかと言うと、理由は至極単純だ。お金が足りないのである。母さんが家に入れてくれるお金は家賃と光熱費のみで、僕の食費は一切考慮されていない。なにせ、一日の食費として母さんが置いてくれるのは僅か100円玉一枚なのだから。しかも最近は三日に一度ほどの確率になってきている。だから、自分で稼がなければいけないのだ。
「よっ、ほっ、どっこいしょっと!」
ただ配達するだけではつまらないことこの上ないので、僕はルートを開拓しパルクールなようなことをしている。塀に上ったり、まだ寝ている住民の庭をこっそり通ったりと場所は様々。時折猫の集会にお邪魔したり、気配を消して交番の傍を通ったりと暇をつぶしながら仕事をしていた。
「ふぅ、終わった」
そうしてひと仕事を終えて家に帰るころには六時を回っていた。食パン一枚を一人で食べるという悲しい食事を終えて、ゆっくりと朝を過ごしたのちに僕は学校へと向かう。これが僕のモーニングルーティーンだ。
「……せめてパソコンがあればな」
パソコンがあればネット上での活動ができるのだが、家にあったものは母さんがいつの間にか売ってしまい生活費へと消えていた。小学生の頃は自由に使えていた分、僕の落胆度合いは地味に大きかった。買おうにもそんなお金は何処にもない。だから結局肉体労働をするしかないのだ。
そんな妄想をしながら僕は学校に登校した。そしてそこでは既に学習済みのことをわかりにくく長々と説明され、無駄に時間を浪費してしまう日々。だが出席を稼ぐためにも仕方のないことだと割り切って僕はその生活に身を置いていた。
「ねぇ、信也くんは結局部長になるの?」
「いや、やっぱり断らせてもらったよ。俺には荷が勝ちすぎるって」
「そんなことないと思うけどなぁ」
「あはは、俺は橘くんと違うから」
そうして僕は学校の友達とできる限り交流をする。祖母の言う通りいろんな人を助けたし、父から受け継いだ技術をフル活用した。けど表立って正義の味方を張るのはさすがに気恥ずかしかったので今では落ち着いた少年を装っている。
「そういえば今度球技大会があるけど、橘くんは何に出るの?」
「うーん、卓球かな」
「あれ、てっきりバスケとかサッカーとか、そういう動き回る方に行くと思ってたんだけど」
「やりたい気持ちはあるけど、僕が混ざると試合の意味が無くなっちゃうから」
「あ、相変わらずだね」
だが事実なので謙遜はしない。僕は大抵のスポーツをそつなくこなし、それこそ経験者を上回るほどの才覚を短時間で発揮できる。才能というのもあるが、かつて父に叩き込まれた『勝つための戦い方』が身に染みているのだ。
「あっ、次の時間小テストじゃん。そういえば勉強するの忘れてた」
「えっ、大丈夫なの?」
「まぁ、たぶん大丈夫だと思う」
そして宣言通り満点で小テストをこなし、つまらない日々に無理やり意味を見出して過ごしていく。特に信也君と一緒に過ごす時間が多かったが、親友というほどには浅く絶妙な距離感を築いていた。
だがそんな折、ふと教室で違和感を覚えた。あれはたしか、夏休みが明けてしばらくした頃だっただろうか。クラスの皆が僕のことを変な目で見るようになったのだ。
変な目と言うのはマジマジ見られるといったものではなく、チラチラとみられる程度の物。だがその視線が奇怪なものを見る目であるということはすぐに理解できた。しかも僕には聞こえないようにひそひそと何かを話している。今のところ異変が起きているのはこのクラスだけで、学校全体はいつも通りだ。
(えっと、あれは盗み聞いていいのかな?)
僕は読唇術の心得があるので正直唇の動きだけで何を言っているのかが分かるのだが、プライベートに関わることだからとそこに踏み込むのを躊躇っていた。そしてその視線を浴びる日々がしばらく続いたかと思うと、今度はほとんどの友達から距離を置かれるという明らかにおかしい現象が起きていた。
「ねぇ、信也くん」
「どうしたの?」
「……いや、やっぱ何でもない」
信也くんに聞いてみようかと思ったが、彼を巻き込んでしまうのは申し訳ないと思いこの現象について聞くのを踏みとどまった。一方の信也君は何食わぬ顔で僕と接してくれる。少し離れているときでも僕のことをチラチラ見たり陰口を叩いたりなど変な様子はなかった。一体、この教室で何が起きているというのだろうか。
(でも、別に誰かが嫌な目に遭ってるってわけじゃないみたいだしなぁ)
仮にこの現象が信也くんに起きていたら僕はすぐに解決するために行動をしただろう。だが別に自分が他人からどう見られていようと興味はないし、特に実害を受けているわけでもないので放置で構わないだろう。
その結果、このおかしな現象は学校中へと伝染していった。
そして本当の意味で一人で過ごすことが多くなったときに、痺れを切らしたのかあまり話したことのない男子生徒数人が僕の元へとやってきた。彼らの表情は興味半分、恐れ半分。少なくとも友人に抱いていい表情ではない。
「ね、ねぇ、橘くん」
「えっと、どうしたのかな?」
そして……
「橘くんの家が犯罪者の家系って、本当なの?」
——あとがき——
主人公の過去(真実)編はここで折り返しくらい?
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