第107話 察する


 俺の目の前には、もし可能なら実際に会ってみたいと思っていた人物……雪花珠希がいた。病気のせいか痩せて弱っているはずなのに、今まで会った人の中で一番の覇気を纏っている気がした。



「へぇ、友達と聞いていろいろ想像していたのだけど、まさか男の子だなんてね」



 そう言ってクスリと笑う雪花のお母さん。だが、口元とは違いその目は一切笑ってはいない。まるで俺のことを試すかのような視線だ。ピリついた空気に包まれ、さすがの俺でも内心冷や汗をかいてしまった。こんなこと、今までになかったかもしれない。



「何がともあれ良かったわ。瑠璃ったら、友達の一人すら作らないでずっと翡翠に構ってばっかりだったんですもの」


「ちょ、お母さ……」


「ふふふ、あなたの表情が崩れるのは久しぶりに見たわね」



 俺から視線を外し横にいる自身の娘と話し始めたかと思いきや、人が変わったかのように優しい微笑みを浮かべる。雪花がどれくらいのスパンで母親と会っているのかはわからないが、会いに来てくれること自体は嬉しいようだ。一方の雪花も母親にからかわれて教室では見せないような子供っぽい表情を見せている。



(わかってはいたけど、これが親子か)



 雪花も極道の家系という特殊な家庭環境に置かれているが、俺もそれと同等以上に歪んだ場所に生まれた。父親や母親に限らず、いつかこんな風に誰かと笑い愛し合うことができるのだろうか。この二人を見ていて、ついそんなことを考えてしまった。



「あら、お顔が優れませんけどどうかされました?」


「……いえ、病院という慣れない場所に来た影響でしょう」


「あら、あまり病気にはならないタイプ?」


「そうですね。体調管理には気を遣っているので」



 どうやら顔に出ていたらしい。それとも、彼女の観察眼が俺の磨き上げたポーカーフェイスを貫通して露わにしたのだろうか。どちらにしろ分かるのは、雪花の母親が只者ではないということだ。



「そういえばまだお名前を伺っていなかったわね。あなたのお名前は?」


「……彼方です」


「そう、橘くん」



 俺はそう名乗った。その名乗りに雪花は怪訝な目をして俺のことを見てくるが、俺は何もリアクションをしない。彼女相手には、こう名乗った方がいい。



「それで、わざわざ会ったこともない私のお見舞いに付き添ってくれたそうだけど、私に何か御用かしら」


「個人的な用件は、特にありません」


「へぇ、なら個人的な事情以外で何かお話があるみたいね」



 聞き上手とでもいうべきか、すぐに俺の発した言葉の意図を汲み取る珠希さん。隣にいる雪花は俺たちがどんなやり取りをしているのかわからず首を傾げているようだ。自分がこの議題の張本人だということも知らずに。



「あなたの娘の話です」



 そう言って、俺はあえて珠希さんから視線を外し雪花の方を見つめた。一方の雪花はギョッとした表情で俺のことを見つめ貸してくる。その顔は戸惑いに溢れているが、とりあえず雪花が暴れだす前にこの議題を終わらせることにしよう。



「どうして、自分の娘を婚約者として提供したんですか?」



 その言葉を発した瞬間、周りの温度が一気に下がった感覚に襲われる。だが俺はそんな空気に一切怯まず。表情が険しくなった珠希さんをまっすぐ見据えた。



「……だいぶ、娘と仲良くなったみたいね」


「さあ、どうでしょう」


「ふふ、色々と嘘がお上手なのね」


 早速だが、俺と雪花が友達だという関係性について疑いだしているらしい。だが、仮に信頼性を失ったとしてもその部分だけがどうしても解せないのだ。彼女のような人が、自分の娘の理不尽な婚約を認めるはずがないのだから。



「質問に質問で返すようで悪いのだけれど、何のためにその質問を?」


「……自分の為です」


「あら、もしかして瑠璃に惚れて……るようにも見えないし、不思議な子だこと」



 だが嘘はついていない。この質問は俺自身にまつわる問題の解決にもつながることだ。だからこそ、珠希さんの真意と胸の内に秘めた思いを聞いておきたかった。隣にいる雪花は俺たちの会話に呆気に取られていたが、もうしばらく無視しておこう。



「……うちの主人とは正反対のタイプなのね、橘くんは」



 目を閉じて、何かを考え出す珠希さん。だがそんな彼女から発せられたのは旦那にまつわることだった。



「あの人は馬鹿正直でまっすぐ進むことしかできない人だけど、それでも他人を思いやれる心があった。だからこそ、惹かれたんでしょうけど」


「……」


「けど、君は違う。すべてを計算し尽くした上で、あらゆる予想外にも臨機応変に対応できるタイプ。そうよね?」


「さあ、自分も至らぬところが多々あるので」


「今この場に立っていることが、それを証明しているのではなくて?」



 そう言って、サイドテーブルに置かれていたコップの水に口をつける珠希さん。ただ水を飲むというその所作ですら、圧倒的な威厳を醸し出している。僅かだが、俺の心拍数が上がったような気がした。



「権力がある人間というのはね、無数の嘘とわずかな真実で成り立っているの。嘘をつかずに騙しきると言った方がいいかしら」


「政治家とかが良くやる手法ですね」


「そうね。それが上手くいかなかったら金に物を言わせ好き勝手したり、中途半端な権力に物言わせて脅迫をしたりするわけだけど、あなたはそれについてどう思う?」


「最初に騙される方が悪いと、常々思ってます」



 現に、俺はそういう風に騙されて自分自身を呪った。



「……君みたいな人が、主人の近くにいればよかったのにね」


「なるほど」



 俺はただ一言そう言った。だが、目の前の珠希さんはまるで俺のその言葉に呆れたかのようにふぅっと息を吐いた。そしてそのまま、困惑している雪花の方を見つめる。



「瑠璃、あなたもとんでもない人を連れて来たものね。いえ、悪運に恵まれたのかしら」


「……えっと、お母さん?」


「彼はどうやら、私の本当に僅かな言葉から答えを推理して、たった今全てを理解した所みたいよ」



 どうやら雪花にはわからなかったらしい。いや、普通の人は気付かないだろう。彼女が俺の問いに答えてくれていたということに。



「……どういう、こと?」


「橘くん、うちの娘に丁寧な説明をしてもらえるかしら? この子、まだ世渡りが下手っぴで」



 そうして珠希さんはすべての説明を俺に丸投げしてきた。正直振り返ってわざわざ説明するのは今のやり取りの主義に反すると思うが、本人にそう言われてしまえば仕方のないことだ。



「俺はどうしてお前の婚約が勝手に決まってしまったんだってお前のお母さんに質問したよな?」


「……うん、ふざけるな」


「まあ聞け。それで、俺の質問に答えるのをお前のお母さんは一度でも断ったりしたか?」


「……?」



 どうやら雪花にはまだ説明が足りなかったようだ。陰謀論とかそういうのが好きそうなので色々と濁した話し方をしてみたが失敗だった。なら、もう少しわかりやすく説明するしかない。



「つまり、お前のお母さんは俺との会話の中で徐々に俺の問いに対する答えを開示していたという訳だ。それも、物凄くわかりにくくな」



 そう、珠希さんは俺の質問にちゃんと答えてくれていたのだ。彼女との会話の中で自然と発生した単語がいくつかある。馬鹿正直、騙す、予想外、脅迫、そして……嘘をつかずに騙しきる。


 まるで世間話のようにそれらのことを話していたが、きっとそれは自分たちの身の回りで起きたことを復唱していただけ。つまり……



「お前の父親が、一番最初に騙されたって話だ」


「お父さんが?」



 そうはいったものの、これは俺があの組長を目にした時点で考えていた可能性の一つだ。


 恐らくだがあの組長は、理事長から何らかの取引を持ち掛けられた。だがそれは詐欺のような結末に陥ってしまったのだろう。そうした結果、対価として娘のことを要求された。そしてそれを断ったら、母親の方に手を出すよう脅迫したと。


 そうして組長は選んだのだ。組の存続のために娘を切り捨てる……ふりをして反撃をすることを。だが、それは失敗に終わる可能性が高いだろう。なにせ妻に馬鹿正直と言わせるくらいだ。



「でも、については考えなかったのかしら?」


「それも織り込み済みです。というより、そっちの方が本命でしょうか」


「つくづく、恐ろしい人」



 そうして俺たちは、難しい顔をする雪花を尻目にお互い張り付けたような笑みを浮かべて見つめ合うのだった。










——あとがき——


次回、とうとう……

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