第106話 関係


 俺たちは受付でやり取りを済ませた後エレベーターに乗って目的の階に向かっていた。道中で周りを見渡していたが、少なくとも雪花のことを特別意識している職員はいなかった。やはり、脅迫まがいの件に絡んでいるのはもっと一部の上層部ということだろう。



「それで、俺は中に入らず待機か?」


「当たり前。もし勝手に病室に入ってきたら……コロス」


「わかってるさ」



 俺は病室の中に入らず廊下で待機、もしくは病院内を回って雰囲気を探るということで話が纏まった。俺としては雪花の母親と少し話してみたかったのだが、当然雪花が許さず絶対に入らず外で待つことが妥協点となった。



「それで、母親とは何を話すつもりだ?」


「……なんでお前にそんなことを話さなきゃならない」


「いや、興味本位というのもあるが、なにか聞き出せそうな情報があったら引き出しておいてほしいと思ってな」


「……わかってる」



 雪花の母親……雪花珠希はこの一連の騒動についてどこまで知っているのだろうか?


 雪花が無理やり婚約を迫られている件を病人に相談する人物がいるかどうかはわからないが、知っているとしたら彼女もこの病院に何かしらのアプローチを仕掛けていてもおかしくはない。雪花の母親がどれだけの人物かで今後の流れが左右されるだろう。


 ピンポーン!



 そうして無機質な機械音と共にエレベーターが停まる。どうやら目的の階についたようで、雪花が出た数テンポ後に俺もそれに続いてエレベーターを出る。今のところ、誰かに見られているとかそんな雰囲気はない。



 そうして廊下をしばらく歩くと雪花がとある一室の前で止まった。名札が掛かっている部分を見ると、そこには雪花の母親一人の名前しか書かれていない。もしかしたら、病室は優遇して一人部屋にしてもらっているのかもしれない。それとも家柄的に隔離した方がいいと病院が判断したのだろうか?



「それじゃ、私はお母さんに会ってくるから。お前はここで待つかそこら辺をうろついておけ」


「わかってる。それじゃ、そっちは任せた」


「言われるまでもない」



 そう言い残して、雪花は病室の中へと入って行って。とりあえず、これで俺は明確にやるべきことが無くなってしまった。病院内の雰囲気を探るとは言ったものの、今のところ違和感を感じたところはない。



「雪花の付き添いとは言ったものの、怪しまれても困るからな」



 病室の前で入らずに待機しているというのも何気に目立つ。そういう訳で俺は先ほどのエレベーターがあったところとは逆方向へ廊下を歩いていくことにした。フロアマップによると、あちらには自販機とベンチがあるらしい。とりあえずそこで腰を落ち着けることにした。



「人は……いないな」



 平日の夕方近くだからか、休憩スペースのようなところには誰の姿もなかった。俺は自販機でコーヒーを購入しベンチに座って飲みながらひとまず時間が過ぎるのを待つことにした。



「そういえば病院なんて、あんまり縁がなかったからな」



 俺は物心ついた時から病気になったことがない。体調管理を気を付けているというのもあるが、体の免疫力そのものが強いのだ。大抵のことでは俺は体調を崩さない。



「ああ、でも。心は別か」



 そういえば一度体調……心が挫けてしまったことはあったか。だが、ようやく俺も立ち上がれてきたのだ。願わくばこのまま突っ走ってすべての因縁を断ち切ってしまいたい。



「……ん?」



 そうしてコーヒーに口をつけていると、誰かがこちらに話しながら歩いて来る声が聞こえた。ここで逃げたり隠れたりするのも不自然なので俺はお見舞いに来た高校生として振舞うことにした。



「はぁ、やっぱ病院食は薄いよなー。そろそろポテチとか食べたいぜ」


「お前、自分がどうして入院しているのかわかってんのか?」


「はいはい、わーってますよ」



 二人の男性患者がこちらとは対角上にあるベンチに腰を下ろした。一人は会話の内容からして生活習慣病に類する症状での入院だろう。そしてもう一人は点滴スタンドを引きずって歩いているため具体的な入院理由はわからない。



「そういやさ、最近看護師のねーちゃんが言ってたんだけどよ、給料が大幅にカットされたんだって」


「まあ、最近の医療従事者はひっきりなしに働いているらしいからな。気の毒としか言えねーよ」


「しかも休日出勤が当たり前になってるって言ってたさ。俺が今働いてるとこもブラックだけど、やっぱ病院とかもやべーよな。俺はそのねーちゃんに転職を薦めといたよ」



 そうして男たちはここ最近のことについて話に花を咲かせていた。今ドラマに出ている俳優はどうだのあの業界はどうだの向こうの政治家はどうだの、俗世的なことから社会的なことまで次々と話題が転がっていた。


 どうやらこの二人はこの病院に入院してから親交を深めたようだ。学校や会社とは違い、こういうところでの出会いもあるんだなと少し感心してしまう。



(とりあえず実りのありそうな情報は……少なそうだな)



 最初にあった給料カットという話は今の日本の情勢的にあまり珍しい話ではない。それに見た限りだがこの病院がそこまで経営難という訳でもなさそうだ。理事長が関わっているのか、それとも一般の会計士などが関わっているのか、断定するにはまだ早すぎるだろう。



(……そろそろか)



 俺は立ち上がって飲んでいたコーヒーの缶をごみ箱に捨てると二人の男性患者の前を通り過ぎもと来た道を引き返す。まあまあ時間が経ったし雪花親子の会話もひと段落付いた頃合いだろう。雪花からメッセージが届いていないかを確認しつつ、先程の廊下をゆっくりと歩く。



 ブーッ!



 そうして歩いていると持っていたスマホがバイブレーションで震えたので画面を付けてスマホに目を落とした。すると、案の定雪花からのメッセージが映し出されていた。



『きて』



「……?」



 恐らく母親との話が終わったのだと思うが、それにしては随分とぶっきらぼうで簡易的なメッセージだ。だが、とりあえず合流を求めていることは流れから察することができる。とりあえず、さっきのところに戻るか。



「……っと」



 そういえば、ここに来るまでに雪花はかなりの距離を歩いたことで体力を消費していた。今はまだ暑いし、熱中症で倒れられても困る。恩を着せるという意味でも自販機で水を買ってやるか。いらないなら、俺が飲んでしまえばいい。



「……」



 戻って購入した後に気が付く。俺の柄ではないということに。これはどちらかと言えば、以前の俺……


 戻っている? いや、変わっているのか。


 どうしてだろう。雪花とは、そもそも友達だなんて大層な関係ではないというのに。



「……早く行こ」



 俺は片手で水を持ちながら、雪花と同じくらいぶっきらぼうにそう呟くのだった。























(……なんだこれ)



 雪花と合流した俺は思わずそう呟いてしまった。俺が今いる場所は廊下でも病院の外でもない、病室の中だ。そして右奥にあるベッドには、雪花と似た女性が上半身を起こしてこちらを見ていた。



(……余計なことは、絶対に言うな)


(ああ、わかってる)



 どうして俺が病室の中に入っていったのか。それは数分ほど前に遡る。



 雪花と合流した俺は手土産に自販機で購入した水を渡した。訝しんでいた雪花だが、自分が脱水症状一歩手前ということに気が付いたのか、こちらを睨みながらペットボトルを受け取った。



「それで、もう帰るのか?」


「……いや、まだ帰れない」


「ん? まだやることが何かあったか?」


「……この中に、入れ」


「は?」



 思わず耳を疑った。だが雪花は指を差して、先ほどまで自分が入っていた病室に入れと言っている。心変わりにしても、明らかに何かが変だ。



「……受付の人が、お母さんにチクってた」


「へぇ」



 もしかしたら雪花の母親はこの病院の中では俺が想像していたよりもVIP扱いなのかもしれない。おそらく俺たちがエレベーターに乗ってこのフロアに移動している間に来客があると受付の人が知らせたのだ。それとも、雪花家に親しい何者かが既にこの病院に潜り込んでいたのかもしれない。



「誤魔化せなかったのか?」


「……お母さん、喜んでる。私に友達ができたって」


「なるほど」



 確かにそれは誤魔化そうにも誤魔化せない。いや、むしろ誤魔化さなければいけないのはこちらだろう。


 もしこのまま雪花の母親と会わずに立ち去れば、不信感を覚えた母親が病院の職員に言って調査が始まるかもしれない。逆に面会を受け入れたとしても、相応の振る舞いをしなければすぐに違和感を与えてしまうだろう。


 なにせ俺と雪花は、傍から見れば到底友達という関係には見えないのだから。



「それで、俺のことは何て紹介するつもりだ?」


「……友達って、言うしかないでしょう?」



 歯を食いしばるように嫌な顔をしながら雪花はそう言った。とりあえず、俺という異分子がここにいるという状況が良くないということは理解しているらしい。それなら十分だ。



「俺は完璧に演技するが、お前は?」


「……できる」


「不安がるなよ。お前、いつもアニメ見まくってるだろ。ああいうのに出てくるキャラになり切ればいいんだ」


「っ、誰がオタクだ!」



 そうして俺たちは時間をかけても逆に怪しまれると判断しすぐにその扉を開ける。ベッドに座りながら俺のことを出迎えたのは、痩せているがどこか強者のような雰囲気を纏う女性。


 雪花の母親だ。

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