第116話 語らいを終えて


 過去を語り終えるころにはすでに日が落ちて、温かい紅茶の入っていたカップも冷え切っていた。雪花は俺の話を遮ることなくずっと真剣に聞いていた。現実らしくない話に怪訝な顔をすると思っていたのだが、彼女はずっと俺の話を疑わずに聞いていたのだと思う。



「それで、何か質問は?」


「……」



 雪花は机の上で手を組み、押し黙っていた。彼女の今の心境を今の俺に推し量ることはできない。俺の話を聞いて何を思ったのか。それとも俺についてますますわからなくなったのか。俺にとってはどうでもいいことだ。何せ俺は、端から他人に興味がない。



「……途中、なんか不自然な綻びがあった気がする」


「気のせいだ。恐らくだがお前の想像力が欠けているだけだ」


「……あっそ」



 今回雪花に過去のことを話すにあたり『新海桜』の存在には一切触れなかった。俺は心の中で少し懐かしんだが、彼女の存在は俺と雪花にとってある意味ジョーカーのようなものになってしまう。だから俺と信也にスポットを当てて過去を話したせいで少し矛盾のようなものが生じてしまった。だが誤魔化せる範囲だ。恐らく問題ないだろう。


 誤魔化すという意味を兼ねて、少し違う方向に話を飛躍させておこう。



「ちなみに、俺の実の父親はもうすぐ出所するそうだ」


「……会うの?」


「いや、特に興味ない」



 実の両親への興味なんて中学生の時点ですでに無くなった。二人がどうして別れ、どうしてあんな結末を辿ったのか。俺には想像もつかないし、もしかしたら些細なことなのかもしれない。だが、とうの昔のことを気にしても無意味だ。



「それで、俺のことを少しは理解できたのか?」



 俺は今回過去を話した根本的な目的について雪花に尋ねる。すると雪花は俺のことを怪訝な目で見つつ、目を細めて



「……わかるかボケ」



 そう言いながら氷で薄くなったオレンジジュースを啜っていた。まあ大方予想通りの結果だ。だが俺と信也が敵対関係にあることは理解してもらえたと思う。それだけでも俺の過去を部分的に打ち明けたのは良いことだろう。


 だが雪花もさすがに自分から俺の過去を聞いておいて少し気まずいと思ったのか、改めてボソッと呟いた。



「……別に、同情とかはしてない」


「されても困るんだが」


「困れ」


「どっちなんだよお前」



 そう言いつつどこか俺のことを気遣うようなそぶりを見せる雪花。俺としては本当に同情されていたとしても困るだけだが、これはこれで利用できそうなのであえてこれ以上の追及はしない。


 そして俺も冷めた紅茶を飲み終えたところで、改めて雪花が切り出してきた。



「……復讐、するの? あの男に?」


「そうだな。できるものならしてみたいな」


「……そう」



 実はもう水面下で動いているのだが、そのことをこちらから打ち明けるつもりはない。理由は明白で、まだ時期ではないからだ。少なくとも俺が動くのは、この雪花の一件が解決した後。今動いてしまうと、余計な問題がおまけでついてきてしまう。



「……その復讐、協力者はいる?」



 雪花がそう切り出してくるのは予想していた。俺と雪花にとって信也は共通の敵。だからこそここは手を取り合ってともに戦うというのが王道的な展開だ。だが、俺はその申し出を首を横に振って拒否する。



「悪いが、俺は俺だけで動く。そこには関わってくれるな」


「……けど」


「そのために、お前にあのメモ用紙を渡したつもりだが?」


「……!」



 そうして俺は以前雪花の部屋に置いてきたメモのことについて触れる。ここまで来てなんだが、俺はこれ以上雪花と信也の件について引っ搔き回すつもりはない。だから雪花が頼るべきは俺ではなく、別の人物に任せる。そもそも俺は雪花がどんな結末を辿ろうとも知ったことではない。



「……やっぱり、お前のこと気に入らない」


「なんだ急に?」


「知るか」



 そう言って雪花は席を立ってテーブルの上に五百円玉を置く。そしてそのまま荷物をまとめて席を離れようとした。



「……残額はお前が払え」


「なんだ、景気よく全額は奢ってくれないのか?」


「しね」



 そう言って雪花は店を出ていった。そうして俺は残された雪花のグラスと五百円玉を眺めて、ふと思い出す。



「そういえば、新海とも前に喫茶店に行ったことがあったっけ」



 そんなに昔のことではないはずなのに、ずいぶん懐かしく感じてしまう。姉さんとのあれこれは別にして、こういう風に誰かとお茶をしたのは本当に久しぶりだった。だからと言って別に何もないのだが、不思議と感傷に浸ってしまった。



「……俺は、俺がやるべきことをこなすだけさ」



 そうしてすべてが終わった後には、別に自分がどうなってしまっても構わない。俺は、自分の人生を諦めているのだから。

























「……ばーーーーーーーーーーかっ」



 店を出て一人になった私は深呼吸をするかように大きく息を吸い込んで思いっきりそう呟いた。周りに人がいないことは確認済み。こんな風に外で思いっきり叫ぶようにつぶやくなんて、今までの私はあまりしたことがなかった。



「……想像より、重たいこと話してくれて」



 彼の人生に思わないことがなかったわけではない。自分だって、弟がいなかったら自分の家庭を悲観して不貞腐れていたかもしれない。父や母が自分に愛情を注いでくれていなかったら、今頃どんな人生を送っていてかわからない。



 自分の事を愛してくれる家族がいたかどうか。私と彼の差はきっとそれだけだ。まああの男にも今は自分の事を見てくれる家族がいるようだが、本人がどう思っているかは定かではない。



「でもあの男、初めて……私に



 私は自分のポケットからスマートフォンを取り出す。その画面には通話中の文字が浮かび上がり、長時間にもかかわらずずっと通話を続けてくれていたことがわかる。


 私は彼が喫茶店に入った時にとある人物へと通話を繋げていた。それは誰あろうあの男がメモ書きで電話番号を記していた人物で、私にとっても正直どう接していいのかよくわからない人。


 けど以前電話をした時に何でも相談に乗ると言ってくれた。だから今こそ彼の隙をついて通話を繋げ、全ての会話を聞いてもらった。



「……あの、もしもし」


『……』



 向こうからは何も聞こえない。押し黙っているのか、それともスマホから離れているのか。この人に通話を繋げれば何か事態が変わると、そう信じてのことだったがこの判断は正しかったのだろうか。


 だが、彼がこの番号を知っている以上二人の間に何か関係があることは疑いようがない。正直それについても問いただしてみたかったが、これ以上彼の口から自分自身の過去を語らせるべきではないと判断した。きっとそれ以上を求めてしまえば、私自身どんなしっぺ返しを食らうかわかった物でもない。



「……えっと、きこえて、ますか?」



 私は勇気を出してもう一で電話口の向こうに話しかけてみる。長時間通話を繋ぎっぱなしにした時点で既に気まずいのだが、こちらから話しかけない異常には事態が進展しそうもない。


 だから私は待った。彼女が口を開いてくれるその瞬間を。



 やがて……





『……嘘つき』



 今まで聞いたこともない、弱弱しい少女の声がスマホの向こうから聞こえてくるのだった。

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