第117話 帰路とそれから


 雪花家の事情に突っ込み、信也と邂逅し、果てには自分の過去を語る。激動といってもいい一日を送ったせいか、俺は珍しく精神的に疲れていた。ここまで深淵に触れるような会話をしたのはおそらく初めてだし、こんな大胆な行動を立て続けにとったのもそうだ。



「……ふぅ、できれば落ち着きたいんだけどなぁ」



 そう呟きながらすっかり暗くなった夜道を歩く俺。抱えている問題が多すぎるがゆえに、どれから手を付ければいいのか俺でも判断に迷ってしまう。だがしばらくは動くつもりがない。そう考えながら俺は家の玄関をくぐった。



(姉さんは……もう帰ってるか)



 姉さんより遅く帰ってくるのはいつぶりだろうか。キッチンの方角から漂ってくる匂いからして、今日の夕飯は恐らくカレーだ。相変わらず義父さんや母さんは帰ってきていない。今日も姉さんと二人での食卓になりそうだ。



「……まっ、別にいいけど」



 雪花に家族のことを話したせいで妙に意識してしまった。そういえば俺はこの家の住民にとっては他人に過ぎないのだと。母親と呼んでいる人物が本当の母親ではない時点で、俺や姉さんたちの関係はよくわからないものとなっている。一応戸籍上はこの家の養子になっているらしいが、そんなものはただ与えられた肩書だ。



「おかえり、ずいぶん遅かったじゃない」



 俺が荷物を置いてリビングに行くとエプロン姿の姉さんがカレーを煮込みながらかき混ぜているところだった。ああいう風にかき混ぜると具材が崩れてしまうのでやめた方がいいと思うのだが。



「ちょっと寄り道してただけ」


「ふーん、そう」



 あっけからんに特に目も合わせず会話をする俺たち。思えばこんな会話をするようになったのもある種の奇跡だ。もし俺が本当の意味で諦めていたら、姉さんが俺に声を掛け続けてくれていなかったら。そう思うとこの何でもないやり取りにも不思議と感傷が宿ってしまう。






 ——所詮は他人だが



「ほら、カレーできたからとっとと座んなさい」


「隠し味は生姜とはちみつ?」


「……匂いだけで当てるのはやめてよ」



 憎まれ口のようなことを叩かれながら俺は大人しく席に座る。そういえば中途半端に紅茶を飲んでしまったためそこまでお腹は空いていないのだが残してしまえば目の前に鬼が現れてしまうので大人しく食べるしかない。


 そうしていつも通りの夕食が始まる。時折姉さんが話題を振ってくれるがそれに適当に答えて規則的な動作で口に食べ物を放り込む。だが、今日はいつもと違った。



「ねぇ、母さんから聞いたんだけど」


「なに?」


「あんたのお父さん、もうすぐ出所するんだって」


「……」



 姉さんは少し言いにくそうにあまり話したくないであろう話を切り出してきた。どうやら母さんが姉さんにポロっと口を溢してしまったらしい。まあ俺としては別にどうでもいいのだが。



「……そう」


「会わなくていいの?」


「必要ないし」



 姉さんは俺がどのような幼少期を過ごしていたかを知らされていない。いや、母さんも詳しくは知らないだろう。だからこそ、こう踏み入った質問をすることができる。それが良いことなのか悪いことなのかは俺にもわからないが。



「そう、あんたが良いならいいんだけど」


「なんでそんなこと聞いたの?」


「母さんが気にしてたから。もしかしてあんた、父親と会ってみたいんじゃないかって」



 犯罪者とはいえ俺の実の父親だ。俺が興味を抱き会ってみたいと思ってもおかしくはないと考えたのかもしれない。だが素性が素上なだけに、俺が万が一会いたいと言った場合にどうすればいいのか対応を考えているのだろう。



「会うも何も、ほとんど覚えてない人だし」


「そうなの。まぁ、その辺はアンタが直接母さんと話しておきなさい」


「わかった」



 改めて昔のことを思い出してみるが、やはり俺の中には父親の記憶は微かにしか残っていない。顔や声は覚えているが、どんな言葉を投げかけられたか、どんな風に育てられたかをよく覚えていない。



(不思議だよな。こんな風に色々教わったはずなのに)



 俺は父親から様々なことを教わったはずなのに彼がどんな人物なのか一切記憶に残っていないのだ。これは明らかな異常だ。俺には想像もつかない、特殊な訓練を受けたのだと思う。それか、忘れたいほどのストレスを短期間で受けてしまったか。



「ごちそうさま」


「もういいの?」


「うん、外で少し飲み食いしたからもうお腹いっぱい」


「……それを先に言いなさいよ」



 皿を片付けた後、姉さんに呆られながら俺は二階の自室へと向かった。そしてそのまま自然な流れでベッドへと倒れ込んだ。無理をしていたわけではないが、食事をしてお腹いっぱいになったこともあり精神的な疲れが襲い掛かってきた。


 俺は無意識にスマホに視線を落とす。当然ながら通知は一切来ていない。それを確認するとスマホを放り投げゆっくりと目を閉じた。


 また明日から始まるであろう、面倒な日々に目を逸らすように。




















 同時刻、雪花家にて


「……これで、よかったの?」



 私は一人、ベッドに横たわりながら無機質なスマホの画面を見ていた。そこには先ほどまで通話していた人物の名前と番号が写っている。先ほどまでの会話がずっと胸の中を木霊しているのだ。


 そして、は言っていた。



『彼はきっと、友達というものが……』



 友達というものが、わからない。



「……いや、私も友達あんまりいないんだけど」



 あんまりどころかほぼいない。友達作りという点に関しては彼女の方が秀でているだろう。私だって別に友達がいらないという訳ではない。だが、友達の作り方がわからないのだ。そんな面倒な性格を抱えて今に至ってしまった。私では、彼の力に……



「いや、なんで私が気にしてんだし」



 私が別に気にする必要はない。知らないところで勝手に野垂れ死ねばいいし、私の人生に一切関係がない。けど、それが気持ち悪いと思ってしまう自分が居る。



「……寝よ」



 先ほど聞かされた話を忘れようと、私はスマホを放り投げて目を瞑る。だが、頭痛のように頭の中で先ほどの話が木霊する。


 そして私はいつもより早めに床に就くのだった。起きた時、何かが変わればいいなという幻想じみた妄想を抱きながら。










——あとがき——

短いけど更新です

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