第68話 不穏な開会式
俺が教室に入ったころにはいつもより多くの生徒が先に訪れており、既に体操着に着替えていた。見たところ体育会系の生徒が張り切っているようで、お互いに笑い合いながら開始時刻が訪れるのを楽しみにしている。そんな生徒が多いことを見るに、このクラスってもしかして体育会系の生徒が多かったのか?
(とりあえず、俺も着替えて来るか)
制服のまま教室にいても悪目立ちするので俺も体操着に着替えるために更衣室に行く。この学校は女子だけではなく男子の更衣室(めちゃ狭いが)を設けているあたり、さすが私立高校と行ったところだろうか。ちなみに学年兼用なので、他クラスの男子生徒もいる。
(みんな、どうしてこんなに楽しそうな顔ができるんだ?)
やはり俺にはわからない。いや、理解しようとしたことはあった。だが、やはり俺に人の感情は分からないのだ。まあ、それが分かっていれば中学校の時の悲劇はいくらでも防ぎようがあったのだが。
「お前は何の種目出んの?」
「俺は玉入れとリレー」
「えーお前がリレーって、大丈夫なのかよ」
「ちょ、どういう意味だそれぇ!?」
「ちなみに俺は棒倒しに全てをかけてる」
「いやいや、それこそ無理だってwww」
ふと耳を澄ませてみると多くの男子生徒の声が聞こえる。その中に曇っている声など一つもなく、希望や期待を声色に乗せていた。友達同士でお互いを鼓舞し合ったり、悪ふざけで挑発したりする者など様々だ。
(ん、あれは葉山か?)
棒倒しのリーダーである葉山も奥で体操着に着替えているのが見えた。その顔には一切の不安はなく、まるで勝ちを確信しているかのような晴れやかな顔だ。まあ、負けると思いながら試合に出る奴も少ないだろうが。
「おい葉山! さっき聞いたんだけど三浦さんが選手宣誓をやるらしいぜ」
「マジか! やっぱすげーなあの人」
「ああ。そしてこれは噂だけど……この体育祭が終わったら三浦さん、誰かに告白するらしいぜ!」
「え!? あの人って一年生の頃からモテモテだったのに、ずっと女子の告白を断り続けてたんだろ!?」
「ああ。けど、確かな情報らしいぜ」
三浦……まさか葉山たちからその名前を聞くとは思わなかった。いや、葉山と同じサッカー部らしいので別に不思議ということはないか。なにせこの学校でも有名人の部類に位置しているらしいし。
(そういえば、義姉さんのそっち方面の噂は聞いたことがないな)
ふと義姉のことを思い浮かべる。顔立ちは整っているからモテることに違いはないのだが、そのような噂は全く聞いたことがない。恐らく生徒会長という身分が男子生徒たちを委縮させているのだろう。かくゆう俺は恋愛感情を持つことなく理不尽に委縮させられる側の人間だ。まあ、義姉さんが容姿に気を遣うようになったのは生徒会長になるのがきっかけだったらしいし、色々タイミングに恵まれなかったのだろう。何というか、色々残念な人だ。
「お、椎名」
俺が家庭環境について考え始めていると、着替え終わり奥から歩いてきた葉山に見つかってしまった。こいつに関しては特に思うことはないため見つかっても問題はないのだが、朝からこのテンションにさらされるのは普通にしんどい。
「一緒に頑張ろうな。絶対に勝ち抜いてやろうぜ!」
「……ほどほどにがんばるよ」
俺はそう言って葉山の言葉を適当に流す。だが返答したこと自体に満足したのか葉山はそのまま笑顔で更衣室を後にした。その後ろ姿は一切の不安を感じさせない。さすがスポーツマンと言ったところだろうか。かつての俺もあんな風に……
(……)
特に、俺は何も思わない。
※
教室に戻るとすぐに七宮先生がやってきて簡単なホームルームになった。内容は簡単な諸連絡だけで、後はみんな頑張ろうといった趣旨のことを話していた。七宮先生もいつもは清楚な姿をしているのだが、この日は珍しくジャージ姿だった。彼女なりの熱意の表し方だろう。
如月は瞳をキラキラ輝かせており、雪花は複雑そうに頬をつき、葉山は威風堂々と席に座って佇んでいる。他の生徒も似たり寄ったりと言ったところだ。俺が彼らを観察していると、とうとう教室にアナウンスが入った。
『準備が整ったので、グラウンドに移動してください』
そうしてクラスごとの移動が始まり、俺たちも七宮先生の指示に従ってグラウンドに移動する。そこで開会式をすることになっており、選手宣誓など一連の流れもそこで一気に行われるのだ。
「如月さん、私は一回職員室に行くからみんなの誘導お願いね」
七宮先生は一度如月に誘導を任せ離脱する。そうして如月先導のもと俺たちはグラウンドへと出た。そこには棒倒しの棒や玉入れのかご、選手宣誓で使われる校長先生用の台など、昨日までにはなかったものが一気に用意されていた。恐らくこれが義姉さんたちが朝に行っていたことだったのだろう。
「……っ」
俺は来賓席にいるとある人物を目に入れすぐに顔を伏せる。そして次の瞬間に、マズイという感情が自身の胸中を支配する。
(見られたか? いや、あいつとの距離は遠かったし、視線も感じなかった。大丈夫だ、たぶん、きっと大丈夫……)
俺は歩を乱すことなく眼球だけでもういとど来賓席の方を見る。やはりそこにいるのは二年ぶりに姿を見る獅子山理事長だった。あの当時と全く変わらない姿で、高校の来賓席に我が物顔で座っている。まさに、支配者のような面だ。
(……あのクソ野郎)
覚えてろ。今は何もできないが、この学校を卒業したら目に物を言わせてやる。絶望なんて生ぬるいものじゃない、地獄に突き落としてやる。お前だけじゃない。お前の……
「一列に並んでください! 出席番号でも背の順でもいいので、一列に並んで下さーい!」
俺が珍しく腸が煮えくり返るような思いに包まれていると、現地で取り仕切っている生徒の指示が耳に入ってきた。とりあえず今はこの指示に従うのが優先だろう。無粋な想いは今捨て置くことにする。
(あ、義姉さん)
義姉さんは生徒会長としての威厳に満ち足りた姿で俺たちの前に立って見守っていた。時にはジェスチャーで指示を出したりもしているが、義姉さんは基本的に何もしていない。恐らく後任となる一、二年生に体育祭の運営を全面的に任せることにしたのだろう。だがそれでも忙しい当たり義姉さんの負担が変わっていないことが伺える。本当に不器用な人だ。
そして全クラスが集合するとともに、体育祭の開会式が始まる。
——あとがき——
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『記憶喪失の青年はカフェで働き学園に通う ~失った分の幸せを取り戻すまで~』
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