第46話 それぞれの夜


「それで、言い訳はある?」


「忘れてた。以上」


「……ああ、アンタを信用した私がバカだった」


 俺が家に帰ってしばらくすると、義姉さんが遅れて帰宅してきた。義姉さんと目を合わせた瞬間、俺はどうして自分が駅の方向へと向かっていったのかを思い出した。



『あんた、駅前に行って限定マカロンを買ってきてくれない? 期間限定のチェリー味が食べてみたいの。ああ、後ついでに駅に行くなら買い物もよろしくね。駅中のモールで生鮮食品が安くなってきたから、あんたの目利きで適当にいいやつ買ってきて。あ、もしサボったら夕飯抜きだから。二人そろってね』



 うん、七瀬の尾行や雪花の家事情せいで完全におつかいのことを忘れていた。どうやら家の冷蔵庫の中は給料日前のような状態になっていたらしく、まともに使えそうなのは冷蔵庫の奥底に眠っていたもやしと海苔くらいだ。冷凍品はあまりない。



「マカロンに関してはまだいいわよ。期間限定ものだったし、ぶっちゃけ高いから。それでも……それでもっ、どうしてちょうど今日セールで安くなってたモールの食品たちを買い逃すの!」


「……忘れてた」


「それはもう聞いたわよ! もうっ」



 いつもは責任を感じたりしない俺だが、これに関してはさすがに悪かったと反省している。今夜はともかく、明日の朝食は抜きかコンビニの二択で確定だ。俺はともかく、義姉さんは朝からやるべき手間が増えてしまうとこの段階でイラついていた。


「とりあえず義姉さん落ち着いて。インスタントの袋麺がちょうど二人分あるから、さっき発掘したもやしと海苔をトッピングして食べよう」


「……そうね。過ぎたことを嘆いても仕方がないし、イライラしてお腹が空いたわ。というか、アンタが作って持ってきて」


「……はい」


「はぁ、毎日意識していた栄養バランスが……」


 もはや拒否権はなかった。俺がここまで義姉さんにかしこまるのはそれこそ初めて出会った数日間以来だ。というか、栄養バランスを気にしている割にはこの前スイーツバイキングでとんでもない量を食べていたような……



「……義姉さんの方に多めに麺入れとくか」



 今は分業が意識される時代になっている。男女ともに平等に家事や仕事を行いそれぞれの負担を補い合っていくのが当たり前……とかそういう方便で許してもらう方向に努めてみようか。


「……恨むぞ、七瀬」


 とりあえず、あの後輩のせいだと思うことにしておこう。




   ※※※




「はぁ。また、聞きそびれちゃったっスね」


 女の子らしい部屋の中でうなだれる少女が一人。誰あろう七瀬ナツメだ。もしかしたら危ない目に遭っていたかもしれないという自分の行動に反省しつつ、目的を果たせなかったことに溜息をつく。



「絶対に、あの人だと思うんスけど」



 かつて、自分が見たあの光景。そして、その中心にいた憧れの人。その姿とあのセンパイの姿が、七瀬の中で少しずつ一体化していく。そしてそれを、七瀬は自然と受け入れることができていた。



「あれを見てから、私も体を鍛え始めたのに」



 思い切ってキックボクシングに入門したのはいい思い出だ。入門といっても指南書を見た独学だったが、順調に技を覚えていった。それのせいかわからないが、もともとよかったスタイルにも磨きがかかって、雑誌のモデルにスカウトされる結果となった。


 意外と波乱万丈で愉快な人生だが、それもこれもあの光景を見たのが自分の中の原点であり始まり。



「次センパイに会ったら、勇気を出して聞いてみよ」



 七瀬は静かな覚悟を決める。どのような形になるかわからないが、もう一度センパイに会って直接確認したい。



 そして……今の自分という存在を証明するのだ。






   ※※※






 珍しく来客があった雪花家では、まだ一つのイベントが残っていた。雪花瑠璃は時間を見計らい、玄関の方へと移動する。すると、正門が開かれる音が家の中から聞こえてきた。するとすぐに、取り巻き達の大きな声が聞こえ始める。


「「「「「「「「「「「「「「「おかえりなさいませ、坊ちゃん!」」」」」」」」」」」」」」」


「だーかーら、もう少し静かにしろ。近所迷惑だろてめぇら」


「「「「「「「「「「「「「「「すいませんでした!」」」」」」」」」」」」」」」


「ったく、てめぇらは」


 騒々しい声と、文句を垂れる一人の男の声が聞こえる。その声を聞いた瞬間、雪花瑠璃は呆れ笑いをしてしまう。やはり、いつも通りの和む光景だ。そうして彼女はちょうど今帰ってきた彼を玄関で出迎える。



「よぉ、ただいま姉貴」


「おかえり、翡翠ひすい



 彼、雪花翡翠は雪花瑠璃と一つ違いの弟だ。同年代の男子と比べて小柄で整った顔立ち。二人は彼方たちのような義理の姉弟と違いきちんと血の繋がった姉弟だ。仲がいいと取り巻き達の間でも有名で二人が喧嘩をしているところは一度も見たことがないらしい。



「ごはんは?」


「まだ食べてない。というか、どーせ姉貴も食べてねぇんだろ? 今作ってやるから、少し待ってな」


「手伝おうか?」


「姉貴は二度と厨房に入らないでくれ。オレが居なかったらこの前火事になってたんだぞ。あの時からオレのお気に入りのミトンが焦げたままなんだが?」


「あ、あれは、翡翠が誕生日だったから何か作ろうって」


「映画に連れてってくれただけで十分つってんのに。とりあえず、居間で待ってな」



 普段は間をおいて返答をしたりする雪花だが、弟との会話に関してはハキハキと答える。気心がすっかり知れているというのもあるが、それだけ家族を愛しているという裏付けだろう。


 そしてしばらく時間が経ち、翡翠が食事を持って姉の待つ居間へと足を運ぶ。翡翠は和食専門で、学校へ出かける前に必ず夕飯の仕込みをしてから登校する。だからこそすぐに食事を準備することができるのだ。ちなみに、姉を起こすのも早起きな翡翠の役割だったりする。



「ほらよ」


「相変わらず本格的」


「そりゃ、人に食ってもらうんだからな」


「今度、また料理教えて」


「そう言い続けて、ほぼ毎日夜更かしするせいで早起きできた試しがねーだろ」


「むしろ、翡翠はもっと寝るべき」


「ったく、ブラコン姉貴が」


「何か言った? シスコン翡翠」



 二人はいつもこんな感じだ。両親を信用できなくなった二人にとって、お互いはかけがえのない家族であった。だからこそ二人はお互いを害するものに容赦しない。



 例えば、将来的に有害そうな女子生徒がいたら弟を心配させないために排除しようとする姉。


 例えば、明らかに危険な男子生徒がいたら姉に害が及ばぬようにあらゆる手段を使って排除しようとする弟。



 どちらもお互いのことを大切に思っているからこそできる行動である。二人の行動理由で真っ先に挙げられるのは自分の事よりお互いの事だろう。



「そういや、オレが姉貴と一緒に食おうと思って買っといた和菓子がねーんだけど?」


 ひょっとして二人分を一人で食べたのか? 遠回しにそんなことを聞いてきた弟に姉は笑いながら答える。



「今日、珍しく来客があったからその人たちにお出しした。えっと、勝手に判断して悪かった」



 バツが悪そうに答える雪花。弟の気遣いを台無しにしてしまったことに心を痛めているのだろう。そんな姉の心情を推し量ったのか、翡翠はお茶を飲み息をつきながら答える。



「ま、そういうことなら別にいいさ。てか、姉貴が対応したということは姉貴の客か?」


「そう、同じ学校の人。二人来た」


「へぇ、姉貴のダチか?」


「一人はそうだけど、一人は違う」


「? 意味がよくわかんねぇけど、姉貴がいいならそれでいいさ」



 とりあえず姉が満足しているならいいかと思うことにする翡翠。この姉は友達が少なすぎるということが翡翠の中で不安になっていた。だが、それが解消できていそうなら良かったと一安心する。



「翡翠こそ、うちに入学して結構経ったけど、友達はできた?」


「できるわけねぇだろ。気が付けばこの家のことが噂で広がってやがったんだ。それも、性悪な奴らのいたずらでな。おかげでオレのイメージは滅茶苦茶だ」


「ダレ、ソレヤッタヤツ?」


「もういねぇよ。オレに姉貴がいるってことがバレる前に手を打とうとしたんだが、どうやらそいつら別で事件を起こしていたらしくてな。それを利用してもうとっくに退学させたよ、二人ともな」



 人を殺しそうな顔をする姉を宥めるため、翡翠は簡潔に事実だけを伝える。


 そう、翡翠が行動に移そうと思った当日、その人物たちは別の事件を起こしていたのだ。真相はさすがにわからないが、副生徒会長である新海桜を襲おうとしたとかなんとか。目的は分からないが、運よく学校の近くに潜伏していたのを発見したのでそのまま適度にシバいた。そいつらのせいで一人も友達ができなかったという恨みを込めて。あとは強面な取り巻き達を呼んで一緒に退学を迫るだけ。奴らが簡単に折れてしまったのが拍子抜けだったが。



「ま、今となってはどうでもいい話だ。あと姉貴、食べ終わったら食器はシンクに置いといてくれ。あとで片づける」


「急いで食べてるけど、何かあった?」


「さっきゲーム買って来たんだよ。ほら見ろ、ちょうど今日リメイクで発売したポケ〇ンのダイヤの方だ。俺はこれからポケ〇ンの世界に行ってくる」


「ずるい。私のパールが届くのは明日なのに」


「今のうちにパーティー構成でも考えておくんだな」


「……ちっ」


「というか、今日は姉貴が読んでるラノベの新刊の発売日だったんだろ。読み切れるといいな、明日までに」


「余裕」



 そうして二人は一度別れ、それぞれの部屋へと足を進める。これが雪花家での二人の距離で、生まれてからほぼずっと一緒にいる二人のやり取りだ。



「そういえば……」



 シンクに食器を置き自分の部屋へと足を進める雪花は、今更ながらに思い出す。そうだ、確か翡翠と今日来たあの七瀬って子は……



「同じクラス、なんだっけ」











——あとがき——

翡翠が初登場したのは第32話なので、気になる方はぜひ振り返っていただければ。

それと、地道に行っていた全話の修正(読みやすくするための文字の配列などの変更)が完了したので一応ご報告しておきます。

それと共通テストを受けてきた皆様、お疲れさまでした。努力した分だけ報われるはずです。根拠のない自信でもいいので、メンタルを保ち続けてください!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る