第12話 隣人との取引


 待ち合わせというのは友達同士や恋人などがするものだと思う。


 仲のいい友達同士で時間を決めて集合し、待ったとか待ってないなどのやり取りを繰り返すあのイベント。私には何がいいものかわからないが、そんな私でもはっきりとわかることがある。


「おーい、雪花さーん?」


 もう一度言うが待ち合わせというのは仲のいい友達同士がするもの。断じて朝から駅の近くで張り込みをして、見つけ次第近寄って一方的に話しかけてくるとか、決してそんなものではないはずだ。


 それなのに……


「もー雪花さん、朝からそんなに眠そうにしてたらダメでしょ? ほら、朝は元気が一番なんだから!」


 目を細めたり顔をむすっとさせるなど不機嫌さを全開に表現していたのだが、彼女にはそれが寝ぼけているように見えたらしい。というか、騒々しさのせいで周りからジロジロ見られている。


「……朝から、うるさい」


「それぐらいのテンションが健康にちょうどいいのよ!」


 私はなぜか昨日に引き続き如月遊に付きまとわれていた。

 私の家は駅の近くにある。その関係もあって学校に行くにはどうしても駅前を通らなければならないのだ。私がいつものように家を出て駅前を歩いていた時……


『雪花さーん! おはよー!』


 最初は幻聴だと無視しようとしたが、その声がどんどん近づいてくるにつれ現実を突きつけるように如月遊が現れた。駅前で朝から張り込んでいたらしく、朝食も朝からやっているファストフード店で済ませたらしい。


 彼女はコンビニで買ったかと思われる飲み物を片手に、私の横を並走するように歩き始めた。そして、現在に至る。


(……こんな日に限って、イヤホン忘れた)


 もしイヤホンがあれば真っ先に耳に着け音楽の世界に入り込めるのに。そうすればこの女のことを完璧に無視できたと思うと、家を出るときイヤホンを忘れた自分をぶん殴ってやりたい。


「雪花さん、今日は数学の小テストだけど自信ある?」


「……」


「ちょっと、雪花さん?」


「……大丈夫」


「あら、それは羨ましいわね!」


 ……まだ、大丈夫だ。かろうじて耐えることができている。もしここが自分の家ならこの女を怒鳴りつけてサンドバック(そこまでの筋力はないが)にして、最後には背中に刺青でも入れてやるところだ。

 朝から大声で怒鳴りつけないだけ私はまだ優しい方だと思う。そうだ、私は凄い。


 このように自分で自分を褒めなければもうやってられなかった。


「それで、昨日は佐藤さんがね……」


 そんな私の優しさに気づかず、この女はどうでもいいことばかり話す。最初の方は話を聞いてやったが、この女との会話はどこか軽いのだ。まるで、無理やり明るく振舞って自分もさして興味がないことを喋っているような。


 そして十五分ほど歩いただろうか。地獄のような通学だったが、ようやく学校についた。もちろん彼女の話など何一つ覚えていない。無駄なことを覚えていられるほど、私の記憶容量は大きくないからだ。


「あら、もう着いちゃったのね。やっぱり最近通学時間があっという間に感じちゃうな―」


(……いい、加減にっ!)


 私は拳を握りながら自分を落ち着かせる。私のことをここまでイライラさせたのはこの世で家族ぐらいだ。もういっそのことすがすがしさすら覚えてしまう。


 私は如月遊が靴を履き替えるのを待たず教室にずかずかと歩く。今日は確か数学の小テストがあったはず。昨日は購入してしまった本を夜遅くまで読んでしまいあまり勉強できなかった。まあ、たぶん大丈夫だろうが。


 そんな私の思いなどつゆ知らず、一瞬で靴を履き替えた如月遊はすぐに私に並んで歩いてくる。すれ違う知り合いの生徒とあいさつを交わすたび私まで注目されてしまうので本当に勘弁してほしい。


 そしてやっとたどり着いた教室。そしてここで


「それじゃ雪花さん、今日も一日頑張っていこー!」


「……」


 ようやく如月遊が私から離れてくれた。

 なにか言われた気がするが、私はその言葉を完全に無視して自分の机へと歩みを進める。まだ学校が始まってもいないのに肩がものすごい凝っている気がした。

 ちらりとあの女の方を見てみると別の友人たちの輪に加わり楽しそうに談笑していた。あれだけ朝から話していたのによく喉が枯れないものだと一周回って感心してしまう。


 そうして私はため息をつきながら自分の席に座った。なぜだろう、もう帰りたい。とりあえず鞄から教科書は取り出そうと疲れた頭と腕を動かす。


「大変そうだな」


「……え?」


 ここで、まだ聞き慣れない声が隣から聞こえてついビクッとしてしまう。その男は相変わらずやる気のない雰囲気で、ある意味私以上に無表情な男。


(……椎名、彼方?)


 あちらから話しかけてくるなんて一体どういう風の吹き回しだろう。昨日に至っては、授業中も含め彼と一度も会話を交わしていない。

 あの嵐のような女の後にこの男に関わるなんてもはや過労だが、私としても彼のことを知りたいところなので彼女のように無視はできない。


「……どういう意味?」


「厄介な奴に目をつけられたな」


「……」


 まさにその通りだった。この短時間でどれだけストレスが溜まってしまったかわからない。この状態が続くのは私の精神衛生上よくないというのは既に明らかだった。この状態がこの先も続くのだとしたら、家の力を使ってあの女を……


「まあ、せいぜい頑張ってくれ」


「……まるで他人事みたいに」


「実際そうだからな」


 嫌味でも言ってやろうと思ったが正論で返されてしまった。確かに私がどうなろうと、彼には何の関係もない。心配されているのかはわからないが、もしそうだとしたら本当に余計なお世話だ。

 私は、私のやり方でこの事態を乗り切って見せる。


「俺が、助けてやろうか?」

「……は?」


 私が決意を固めかけていた時。ここで、椎名彼方が予想だにしないことを言ってきた。私を、助ける?


「……なんのつもりだ」


「いやなに、隣人にそんな顔をされていると俺もネガティブになっちゃうからさ。俺でよければ如月の問題を一気に解決することができる」


「……悪いけど、私はあなたのことを信用してない」


 仮にだが、もし椎名彼方にこの事態を何とかできる能力が本当にあったとして、その見返りに何を要求される?

 きっと彼は何かを狙っているに違いない。そして案の定、彼は私に畳みかけるように提案し続けてくる。


「別に信頼関係なんていらないさ。この前はお前が用意していなかったみたいだから、わざわざ俺が今朝作ってきてやった。ほら、これを見ろ」


「……これは?」


 彼は私に一枚の紙を差し出してくる。何かを要求されるかと思ったがこの展開は予想外だ。これは……契約書?

 

 私は差し出された紙に目を通す。もしこれが私にとって利になるのならいいが、不利益が書かれている誓約書にサインすることなど論外だ。そもそも、信頼できない相手の作成した書類ほど信用できないものはない。


「俺たちが連携を取るのに友情とか同情とか、そんな目に見えないものを原動力にするのは無理だろ。それならいっそ、一時的な契約関係を結んでしまえばいい」


「……まあ」


 確かに彼の言っていることにも一理ある。それに制御できるかわからない相手と一定の関係を築けるのならある意味メリットかもしれない。少なくとも、彼は如月遊のような頭に脳みそが詰まっていない人間とは違う。今のところは、だが。


「とりあえず、最後まできちんと読め」


「……」


 少し時間をかけて、私は渡された契約書を読み終え椎名彼方の方を見る。きっと私の目は過去最高レベルで鋭いものになっていただろう。なにせこの契約書には、こんなのがまかり通るのかと思ってしまう内容が記載されていた。というより、明らかに不可能で意味不明な内容だ。


「……これって、どういう意味?」


 見かけは普通の契約書なのだが、それに混じっていくつか謎の誓約が記載されていた。私はもう一度疑問に思った誓約をピックアップして見てみる。




・期間中に限り、椎名彼方は有する能力全てを使って雪花瑠璃を支援する。但し、場合によってはその逆もあり得る。


・今日の数学の小テストで雪花瑠璃は満点かそれに近い点数を取ること。


・椎名彼方は如月遊が雪花瑠璃へ一方的に迷惑をかけるような行いを瞬時に解決する。


・最終的に雪花瑠璃がクラスの意思決定を担い実質的なクラスのリーダー、またはそれと同等の立場になること。


・この契約書に記載されている協力関係は雪花瑠璃がクラスのリーダー、またはそれと同等の立場になる瞬間までとする。それ以降はこの契約書の契約は自動的に破棄される。




(……)


 何度読んでも意味不明だ。一応この契約書の中には敵対行動の禁止や契約の守秘に関するものもあるがそんなものはどうでもいい。

このクラスのリーダーはもう如月遊で決まっているようなもの。今から学級委員長の座を奪えとでも言うのだろうか。だとしたら、あまりにも馬鹿げている。そもそも私は学級委員長とかクラスのリーダーとかそんな面倒なものにはなりたくない。それに小テストのくだりに関しては完全に意味不明だ。

 この男が、私で遊んでいるようにしか思えない。


「……悪いけど、こんな意味不明なものを受ける意味はない」


「いや、判断するのはまだ早いぞ」


「……まだ何かあるの?」


 そうして彼は鞄からまた紙を取り出す。先ほどの契約書はパソコンで入力されたものだったがこちらは手書きだ。そしてそれをよく見てみると、見覚えがある数式が並んでいた。これは……


「これは今日の小テストの予想問題だ。数字や問題文は多少違うかもしれないが問題の形式と内容はこれでほぼ間違いないはず。これさえやっとけば、九割以上の点数は手堅い」


「……」


「契約書に記述してある通り、契約期間中は全力でお前の支援をする。これは、お試し期間だと思ってくれていい」


 そうして彼は私に数式や図が書かれた紙を手渡してきた。目を通してみるが、とても綺麗な字で要点ばかりが抑えられていた。それどころか、今日行われる小テストの解答を見ているみたいだった。引っかけ問題だって、丁寧な説明付きで記載されている。


「……あなたを、試せってこと?」


「ああ。契約を結ぶのは後にして、まずは俺がどれくらい有能なのかを試してくれればいい。それを踏まえたうえで、お前の意見を尊重する」


「……」


 契約書の内容に記載されている数学で満点を取れという内容。これはもしかして、この交渉に持ち込むためにわざと?


 完全に、彼のペースに飲まれてしまった。まるで私の心の内を知り尽くしているかのような言葉の選び方。だが、もしかして彼なら……


「……わかった。別に必要ないけど、あなたのことを試してあげる」


「お手柔らかにな」


「……そんなつもりはない」


 仮に契約を結ぶのなら、それくらいのことはしてしかるべき。そうして私が彼の予想問題に目を通していると、あっという間に朝のホームルームが終わってしまう。


 そしてそのまま一時間目へ突入する。小テストがある数学は今日の四時間目だ。如月遊も自分の勉強と友人との会話で忙しそうだから昼休みまで話しかけてくることはないだろう。私にとってはまさに理想的な勉強環境を維持できた。


 そして時間が流れ、ついに四時間目へと突入し……

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