第81話 リレー~姉弟の絆~
レーンの上に立った俺。ちょうど3走目の女子の先輩が走り出したところでトラックの反対側には義姉さんがレーンの上に立っている姿が見えた。そしてその隣にワクワクしながら準備運動をしている七瀬の姿も確認した。
追い抜かれる
この時俺はそう確信した。今は3年1組が先頭を走って徐々に差を広げているものの、あいつが出てきてしまえば状況が一変する。他にも如月や新海のような生徒もいるのだ。そして極めつけは
「……」
今俺の隣で俺のことをじぃっと見つめてくる雪花翡翠。もうすぐこいつにバトンが渡ってしまう。今の俺に、果たしてこいつに追いつくほどの膂力があるかどうか……
すると
「おい、兎野郎」
「……」
「これ、どういう意味だコラ」
そう言って喧嘩腰で俺に話しかけてくる。その手にはひらひらと風になびく一枚の紙が握られており、俺が振り向いた瞬間にそれをくしゃりと潰した。どうやらお気に召さなかったらしい。だが、これできっかけは作った。
「……覚えとけよ」
そう言って自分一人の世界に入る雪花翡翠の姿は、さながらこれから狩りに出る狼のようだった。
孤高。そんな一言が脳裏を過るが、その本質は俺とは違う。手段を選ばない俺とは違い、常に自分という我を貫き通す。俺とは全く違う生き方だ。なぜこんな風になったのか、理由は複数あるだろうし俺には想像もつかないが一つだけわかることがある。
姉の……雪花瑠璃の存在だ。こいつは常に姉のことを最優先しており、それ以外はどうなっても構わない。そういう風に生きてきた結果今のような性格に落ち着いたのだろう。
対する昔の俺は目に入るものすべてに寄り添おうとした。本当に我ながらバカだったとは思うが、ふと思ってしまうのだ。もし、俺に本当の意味で家族がいてくれたら? 一緒に成長し、肩を並べて歩いていける兄弟姉妹がいたら? 俺は一体どうなっていたのだろう……と。
(今更過ぎるよな)
そんなことを考えても意味がないことは分かっているのに、なぜか心に纏わりついてくる。あり得たかもしれない俺の生き方。無限に分岐するIFの世界。
だが俺は選ぶことを許されなかった。いや、安請負をしすぎてしまったのだ。幼い頃から大人の都合に振り回されて、挙句の果てに自ら身を滅ぼして……
「ちっ、あのバカ女。何はしゃいでやがんだ」
隣の雪花が憤っていたのでふと向かい側のレーンを見るとちょうど義姉さんにバトンが渡った姿が見えた。一生懸命こちらに向かってきており、どこか鬼気迫るような迫力さえある。
そしてまだバトンを受け取っていない七瀬も走ることを楽しみにしているのか劣化版マサイ族のような垂直ジャンプをし、目を輝かせてバトンを待ちわびている。きっと先輩に追いつく自分の姿とかを妄想しているのだろう。ま、それは間違いなく現実になるのだろうがな。
そして七瀬にバトンが渡った瞬間に歓声が上がる。やはり彼女はこの学校でもスターのような存在なのでただでさえ目立つし、たぶんこの学校の女子で一番足が速いときた。きっとこの瞬間にもあいつのファンが誕生してんだろうな。
(というか……)
今気づいたのだが、雪花弟は七瀬とも仲が良いんだな。冷静に考えれば性格的にあり得ないコンビだが、どこか相棒を待ちわびているような雰囲気を彼から感じる。
(姉がいて、相棒みたいな友がいて……どこかの誰かさんみたいだな)
もっともその誰かさんは気にかけてくれていた姉に心を開かず、相棒的な少女を傷つけて幕を下ろした。まったく、皮肉にもほどがある。
俺がそんなことを考えていると、すぐ後ろから足音が聞こえて来た。振り向いて確認するもそれは案の定義姉さんを追い抜いて先頭に躍り出た七瀬だった。義姉さんも一生懸命走っているからかそれほどまで差は開いていない。というか義姉さん、俺と出会ってから一番必死な顔をしてる。あんな顔もするんだな。
「早くしろバカナツ!」
「うるさいっスよバカ翡翠!」
一方俺の隣では雪花が七瀬を急かし、それを聞いた七瀬も反抗するように声を荒げて罵倒していた。もっともお互いが軽口だと分かっているようだったが。
しかしそれが調子を整えることに繋がったのか雪花は幸先のいいスタートを決める。ロケットスタートといってもいいくらいの速度で助走という工程を省いた全力疾走だ。最初から最後までクライマックス、ってやつか?
そして
「はぁ……はぁ……」
義姉さんが俺の元へと走ってきた。その距離はおよそ3メートル。全力を振り絞ったのかこの距離でもその荒い吐息が聞こえてくる。それを見届けた俺は前を向いて助走に入る。後ろに手を振りだしての軽い前進。
俺は自分だけの世界に入ろうとする。昔は何かを成す前によくこのような瞑想方法をとっていた。外部全ての情報をシャットアウトし極限の集中状態に突入する。その間は騒がしい観客の声や視線も感じない。ただひたすらに自分と向き合うための時間。
だがその時、確かに聞こえたのだ。
「勝って!」
願いを込めて想いを伝える、儚くも力強い凛とした声が。
そして最後は俺以外には聞こえない小さな声で
「彼方!」
通常バトンの受け渡しをする際に多少のタイムラグが発生する。先ほどの雪花と七瀬だって一瞬とはいえ位置を調整していた。だが、俺たちは、俺と義姉さんがバトンを受け渡す際に生じたタイムラグはゼロだった。俺の左手に、義姉さんの右手から願いという名のバトンが手渡される。
「っ!」
その瞬間、俺は駆けだした。
理事長たち? 体育祭の裏? 俺の正体? 先ほどまではいくつもの思惑を一気に引き受け考えていたため頭がパンクしそうだったが、今この瞬間はそんなこともう考えていなかった。なんだか色々なしがらみから解放された気分だ。身体が……心が軽い。
ざわざわ……
俺が走り出した瞬間に観客がざわつき始めるが俺はそれに気がついていなかった。何故なら、自分の身体に驚いていたからだ。
ここ数年は最低限の動きしかしていないため無理な動きをして体が壊れないかと心配があったが、今は燃えるように体が火照っている。いや、奥底から長年溜め続けていたかのようにエネルギーが溢れてくるのだ。最低限の筋トレをしていたというのもあるが、久しぶりの晴れ舞台。もしかしたら俺は心の奥底で舞い上がっているのかもしれない。
『ほら、もっと!』
いつもは耳鳴りになって響いてくるその声も、この時だけは心地よい。まるで俺の背中を追い風として叩き、推し進めてくれるようだった。
駆けて、駆けて、駆け抜ける。俺は走り方のプロではないし陸上選手でもない。だが、昔は、あの頃は、朝から晩まで色々なところを走り回っていたのだ。本当に懐かしい。
「……っそ、だろ!?」
その声は俺の後方から聞こえて来た。どうやら俺は自分でも気が付かないうちに雪花翡翠のことを追い抜いていたらしい。だが、俺は留まることを知らずに進み続ける。まるで自分自身が自由だと証明するかのように。あるいはもうくだらないしがらみに縛られるのを嫌うかのように。
「……すご」
「あれって、代理って言われてた人だよね?」
「人間って、あんな風に走れるの?」
そして俺と雪花の差は開き続ける。土を蹴る音が聞こえてくるのと同時に、最初は驚き戸惑っていた学校中の観客が一気に俺に対して歓声を上げた。その声にこたえるかのように、俺はまだまだ速度を加速する。
「ちょ、おいおいおいおい!」
「これってマジかよ!?」
「あの雪花が、負けてる?」
今聞こえてきたのは恐らく雪花たちの1年2組の声だろう。自分たちの勝ちを確信していたため高みの見物気分で見ていたのだろうが、一気に血の気が引いたかのような顔をして呆気に取られていた。
そしてそのすぐ近くには俺のクラスである2年1組の面々も見えた。さすがに俺だということには気づかれていないだろうが、彼らの呆けた顔を見れた俺はちょっと気分が良くなった。子供っぽいだろうか? だが俺はそんなこと気にしない。今日だけは自重を取っ払う。
義姉さんにも、見せつけてやりたいしな。今の俺の姿を。本気を。
さあ、ギアを上げよう。もっと……もっと!
『リレー優勝は、3年1組! 途中逆転に次ぐ逆転と、素晴らしい試合を見せてくれました!』
リレーの結果は優勝。あの戦いに勝利したことで一回戦を勝ち抜いたことになり、晴れてその後決勝戦となったのだが俺はその時には姿を消した。あのクラスのポテンシャルは高いし、決勝戦の2クラスなら余裕で勝てると確信したからだ。その時は怪我が治ったと都合をつけ代わりに三浦に出場してもらった。一回戦で全力を出し切っていた義姉さんが色々と苦しそうではあったが。
「……体は、特に問題ないな」
兎の仮面を用具室に戻してきた俺は自分の体の調子を確認する。筋肉痛くらいは覚悟していたが思ったよりも自分の体が頑丈だったことに感謝する。
その後はリレーの決勝戦が終わるタイミングで自クラスへ自然に合流し、そのまま結果発表まで待機。そうしているとリレーに参加していたうちのクラスの面々も帰ってくる。どうやら敗退した後もあいつらだけで近いところからリレーの決勝戦を見ていたらしい。如月などは頬を膨らませてずっと唸っていた。
「もう、色々と訳が分からないわ! 何なの、あの人」
「三浦先輩の代理っていうから凄いんだろうなと思ってたけど、あんな人がいたんだな。どんな先輩なんだろう?」
「……」
もちろん俺の話題で持ちきりだった。というか、さっきまで待機してた時もちらほら話題になっていたし。とりあえずこれから動くときは気をつけようと心に誓う。その証拠に
「……裏切者」
雪花(姉)が俺にしか聞こえない声でそう言って来た。どうやら彼女の中で先ほどの兎面の男が俺だという結論に至っているらしい。否定することもできるにはできるだろうが、最終的には信じないだろう。
けど、俺を問いただそうとしようとする様子はなく
「……まぁ、久しぶりに翡翠の可愛い顔が見れたから黙っといてやる」
こんなことを言ってきやがった。どうやら本人は弟の珍しい姿が見れたとご満悦のようだ。確かに表情こそ見えなかったものの驚いた声色をしていたからな。なんだか俺も気になってきてしまった。というか弟の負ける姿を見て胸をときめかせるって、性癖が独特すぎるような気がしなくもない。これがこいつらなりの絆なのだろうか? 少なくとも俺には理解できそうにない。
「ううぅ、頑張ったのにぃ~」
「俺たちはベストを尽くしたって。来年また頑張ろうぜ」
「いや、まだMVPとかがあるし、それに期待しようぜー」
諦めているものやまだワンチャンあるかもしれないとクラスは二極化している。一度も優勝できていないこのクラスにMVPのチャンスがあるかどうかは甚だ疑問ではあるが、夢を持つのは自由なので俺は何も思わないことにする。
そして
『お待たせいたしました。只今集計が終わったため、体育祭の結果を発表します』
アナウンスが鳴り響き、結果の集計が終わったとの報告があった。どうやらMVPなどを含んでおり、それらも同時に発表するらしい。負けていると半ばわかっている2年1組も静かに耳を傾ける。
『それでは、優勝したクラスを発表します。優勝は……』
——あとがき——
めちゃくちゃ久しぶりな二日連続更新です。フハハ、油断していたな?
余談ですが、この話と前話は本当は1つのエピソードとして投稿しようと思ってました。けど彼方と遥、二人のことをもう少し掘り下げて感情的な文面を書きたいと思いあえて2話に分けてみました。いつもより表現技法が幼稚だと感じさせてしまっていたらごめんなさい。
さて、第4章も終盤ですので是非フォローやコメント、レビューがいただけたら幸いです。
追伸:前話のコメント欄でたくさんコメントをいただき、どう返信するか迷いに迷って絵文字を多用しすぎましたごめんなさい、てへっ(>人<;)
気になる人は前話のコメント欄を覗いてみてくださいw(゚Д゚)w
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