第80話 リレー~姉から弟へ~


『それでは最終競技、リレーを開始します!』



 軽やかなアナウンスと反比例するようにけたたましい歓声が入り乱れるグラウンド。俺はそこで三年生の列に交じり高鳴る鼓動と共に地面に腰を下ろした。順番が回ってくるまではここに座って待機するらしい。



(……)



 俺の斜め前には如月、雪花、新海と見知った面々が腰を下ろしている。そして、俺の隣には……



「……」


「……」



 こちらをチラチラ見て様子をうかがっている雪花の弟、雪花翡翠がいた。どうやら同じレーンで走ることになるらしい。もっとも、スタートのタイミングが同じになるかどうかは前方の走力にかかっているのだが。


 というか、弟とはいえ雪花翡翠の隣に座るというのは不思議な気分だ。まさか姉に続き弟とも一時的とはいえ隣人になるとは。

これが縁ってやつか。信じてなかったがもしかしたらほんとにあるのかもしれない。



 すると、ここで再びアナウンスが入る。



『えー、たった今入った情報なのですが、3年1組の男子が一名怪我をしてしまったため、違う生徒が代理での出場となるそうです。なお、公平性を期すために素性を隠したいとのことなので仮面をつけての出場となります』



 どうやら俺のことについてのアナウンスが響き渡った。そのアナウンスによって俺に大量の視線が向く。かなり不快になったが俺はそれを何とか堪えて平静を装う。こんなところで消耗しては肝心なところで全力を出せない。まあ、経験則ってやつだ。


 ちらりと、俺はこことは反対の場所で待機している義姉さんの方を見る。彼女が今何を思っているのかはわからない。だが、ここは義姉さんを信じよう。きっとベストを尽くしてくれるはずだと。



(って、その前に用事を済ませておかないとな)



 俺はリレーが始まる直前に、隣に紙を差し出した。















『それでは最終競技、リレーを開始します!』



(どうしよう、アイツにあんなこと言っておいて凄い緊張してきちゃったっ……)



 弟も知らぬところでドキドキしているのだが、それと同じくらいドキドキしている姉。なんであの子があんなことをしているのかはわからないが、とりあえずは黙認することに決めた。


 最初は姉としてではなく、生徒会長として彼方に注意をしようとした。どうして他の学年に混ざって出場しようとしているのか。どうして三浦君と一緒につるんでいたのか。そもそも、あの子は何のために私のクラスで……



 疑問は尽きない。尽きるわけがない。



 本来なら私は立場上注意するべきなのだ。退場させるまではいかないまでも、厳重注意するべき。だが、今回それをしなかった。いや、できなかったのだ。

 なぜできなかったのか。それは私にもわからない。けど、なんだか今のあの子を縛ってはいけない気がして……



『それでは……スタート!』


「っ!?」



 この緊急事態について考えこんでいたら、いつの間にかリレーが始まっていた。後方を見ると、第一走者である友人の女子が走り去った後だった。ふと彼女の姿を見ると、6クラス中3位に浮上している。決して速くはないが、遅くもない。十分逆転ができる距離感だ。



(今はリレーに集中しないと。今までみんな頑張ってきたんだもの。私がここでナヨナヨしててどうするの)



 私は頑張って気持ちを切り替えリレーに集中する。だが……



「あれ、もしかして……遥センパイ?」


「あなたは……七瀬さん?」



 隣から肩を指でつつかれ何事かと横を見ると、一年生である七瀬ナツメさんが私の隣に座っていた。自分の事が手一杯すぎて気づかなかったようだ。しかも彼女、どうやら自分と同じ走順で走るらしい。



「このまえはドリンクどうも。けど、容赦しないっスよ」


「ええ、もちろんよ」


「ふふふ、一気に駆け抜けるっス♪」



 七瀬さんは私と違ってノリノリで、自分の番が回ってくるのをワクワクと待ちわびているらしい。私なんて、緊張のせいで体が鈍りのように重くなっているのに。いや、重くなっているのは私の心だ。



「センパイ、浮かない顔っスね」


「ふふっ、そう見えるかしら?」


「はい。自分、そういうの見抜くのマジで得意なんスよ」



 長い期間芸能界で大人に揉まれたからか、七瀬さんには人の本質を見抜く力があるらしい。そして案外、それは間違っていないのかもしれない。いや、自分でさえどうしてこんな気持ちになっているのかわからないのだ。



(私はどうしたいの? いや、何をするべきなの?)



 私の目の前では、第一走者の子が次の子にバトンを渡していた。次の子にバトンが渡ればその次はすぐ私の番だ。



「あ、センパイセンパイ、次自分たちの番っスよ」


「ええ、そうね。行きましょう」


「おっしゃー、気張るっスよ!」



 私と七瀬さんは立ち上がり、レーンの上へと移動する。だが一歩足を踏み出すたびに私の胸のモヤモヤは大きくなる。そしてそんな最悪のタイミングで三人目の子にバトンが渡ってしまった。その子はこっちに向かって必死に走ってきている。



(七瀬さんのことは今はいい。今は……)



 私は向かい側のレーンを見る。するとそこにはふざけた兎のお面をした人物がレーンの上へと立っていた。あれ、なんかストレッチをしているような……



(……)



 あと数秒。



 私は、目を瞑っていつかのことを思い出す。



『えっと、その……』


『……??』


『ありが、とう』





「っ!?」



 そうだ、そうだった!


 私は……私は……



 あの子に、伝えたいことがあったんだ!



(……行かないと、あの子のところまで)



 気が付けば、足の震えが止まっていた。反比例するように心臓の鼓動が高鳴っていたが、なぜか全身に力が入る。心が温かい炎に包まれているようだ。

 雪解け。そんな言葉が私の脳裏をよぎる。


 そうだ、簡単なことだったのだ。簡単なことが言えなかった。



「遥ちゃん!!」



 目を開くと、すぐ背後からクラスメイトの声。そして隣には不敵な笑顔を浮かべる七瀬さん。どうやら私のクラスが現在一位で先頭を走っているらしい。私は後ろを振り向き、全力でこちらへ来てくれているクラスメイトの方を見る。あと……2秒ほど。



 私は軽く助走した。その瞬間



「すぐに追いついて見せるっスよ~」



 七瀬さんの挑戦的な発言が聞こえたが、今はそれすらもバネにする。今の私にできること。しなければいけないこと。それは……



「遥ちゃん、お願い!」


「っ!」



 私はバトンを受け取った瞬間、全力で駆け出した。私は決して速くない。けど、一刻も早くバトンをあの子へ……



「はぁ……はぁ……」



 ずっとデスクワークをしていたからか、それとも元々なのかわからないが私はもう息が切れていた。ほんと私、運動音痴だな。まさかこんなに走るのが遅くなってるなんて。最近体力テストとかもご無沙汰だったからわからなかった。



「よし、行くっスよ!」


「「「七瀬さん頑張れー」」」



 私がそんな後悔に陥ると同時に、七瀬さんのクラスの歓声が響き渡る。どうやら彼女にバトンが渡ったようだ。七瀬さんは陸上部であるはずの如月さんに一瞬で追いついていた。きっとこのままでは、私も……



(っ、ダメ。どうせ追いつかれるなら、せめて出来るだけ差を開かれないように全力でっ……)



 そう考えている傍から、後ろで物凄い駆け足の音が聞こえて来た。だが、ここで同時にゴール地点にいるあの子の姿が見えた。あとはこのバトンをあの子に……



「ぁ」



 その時、一陣の風が私の隣を駆け抜ける。そして私の右前に七瀬さんの背中が見えた。とうとう追い抜かれてしまったのだ。これじゃ、私たちのクラスは……



(いいえ、もう勝敗なんてどうでもいい)



 私は走るペースをさらに上げギア一段階引き上げる。あの七瀬さんに比べれば大したことはないが、これが私が今出すことができるスピードの限界を突破した速度。だが、それでも追いつくどころか引き離される。



「はぁ……はぁ……」



 そして七瀬さんは私よりはるか前に出て次の走者へバトンを渡した。そしてその子も七瀬さんに引けを取らない速度で走り去ってしまう。あれに、追いつくなんて……



(いえ、今はそんなことどうでもいい)



 そして私もようやくふざけた兎のお面をつけたこの子の元へと走りつく。本当なら別で伝えるべきことがあったのだが、それはこの体育祭が終わってからにしよう。


 私はこの子に……彼方にバトンを渡す。助走とかそういうのを含めても、寸分の狂いなくタイミングよくバトンを繋げた。あたかも私の想いを繋ぐかのように。いや、彼方が繋いでくれたのかもしれない。



 伝えたいことは今言えない。だから代わりに今は、ただ一言。



「勝って!」

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