第33話 紛い物の平穏


 あれから数日が過ぎた。


 久しぶりに非日常的な時間を過ごした俺だったが、いつもの調子に戻るまでにそう時間はかからなかった。俺の感情が凍っているのか、それとも人を貶めることに何も思っていないのか。それは俺自身にすらもうわからない。


 少し、あの後の出来事について振り返ってみることにしよう。



 まず、大勢の教師が図書室へと駆けつけ俺たちの身の安全を確認した。その中には担任である七宮先生の姿もあり、いつもとは違う真剣な顔を覗かせていた。


 新海たちが暴れたせいで図書室中の本が散乱しており、まるで台風が通ったような惨状が広がり駆け付けた先生たちは驚愕した。中には破れていたり新海たちの足跡がついている本もあったため、予算を使い新しく買い替える必要があるだろう。とはいっても、しばらく図書室は立ち入り禁止だろうが。


 現場で軽い事情聴取があった後、新海は真っすぐ帰宅した。というより、教師に対して疲れが隠しきれていなかったのだ。だから彼女のストレス面を考慮してできる限り早く帰宅させたのだ。


 ちなみに、新海の保護者を呼ぶかどうかの議論になった時、新海がそれを真っ先に拒否した。


『これ以上、親に迷惑はかけられないので……』


 新海はそう言って真っすぐバスに乗り帰宅したそうだ。だが疲労が少なそうだと判断された俺はしばらく現場に残り、さらに詳しい事情聴取を受けることとなった。事情聴取が終わるとそのまま職員室に行くことになる。付き添いは七宮先生だ。


「大丈夫ですか椎名くん? 頬、青くなってますよ」


「ええ。むしろ、これくらいで済んでよかったですよ」


 七宮先生の言う通り、カイに殴られた頬が赤を通り越して青色に染まっていた。やはり、下手に攻撃を受けようとしない方がいいな。思っていたよりくそ痛い。いくら訓練しても人間の痛覚感覚を遮断することは不可能だ。病院に行くほどでもないので家にある湿布を拝借するとしよう。


「えっと、とりあえずここに座って待ってて」


「はい」


 ほかの職員の椅子だろうか。適当な所から持ってきた椅子を俺に差し出して待機を指示する。うん、なかなかいい椅子に座っているなこの学校の教員は。


 程なくしてレポート用紙を持った七宮先生が戻ってくる。一日の疲れがたまっているのか、疲労を隠そうともせず俺に話しかけてくる。その内容は先程何度も聞かれたことだ。


「えっと、それじゃ一年生の子たちが新海さんのことを襲っていたんだね」


「はい、そして……」


「図書室で眠りこけちゃった椎名くんはそれに巻き込まれたと……」


 難しい顔をしながら唸る先生。少し都合がいい話のような気がするが、俺の誤魔化し方次第でいくらでもどうにかなる。何せ、嘘は一つもついていないのだから。


「えーっと、とりあえず事情は分かったよ。一年生の名前はリクとカイって言うんだよね?」


「少なくとも、あの二人はそう呼び合っていました」


「オーケー。そこまで分かれば他の先……ううん、なんとか特定できそうかな」


 今一瞬、他の先生にすべてを丸投げようとしていたような。ふと先生のポーチが開いているのが見え、紙きれのようなものが顔を出していた。そこにあったのは、近所の居酒屋のクーポン券×3。なるほど、先生は酒豪だったか。


「それじゃ、椎名くんはこのまま帰っちゃっていいよ。一応、お姉さんには連絡を入れておくね」


「義姉さんに?」


「うん。私、ちょっとした縁があってあの子の番号を偶然知ってるんだよねー」


 面倒くさがりな七宮先生と几帳面な義姉さん……一体どんな組み合わせだよ。少なくともこの二人が仲良くしているビジョンが見えない。良くも悪くもこの二人の性格は俺以上に正反対な気がする。だが、どうしてここで義姉さんの名前を出したのかは予想がつく。

きっと俺がストレスを抱えていた場合のアフターケアを義姉さんに任せるつもりだろう。なかなかに大胆な先生だ。もしかしたら今までも業務的なものを任せたりする機会があったのかもしれない。


まったく、義姉さんも苦労しているな。七宮先生には義姉さんを気遣う俺を見習ってほしいものだ!(←遥が苦労する原因の八割を抱えた男)


「暗くなってるから、気を付けて帰ってねー」


「はい、さようなら」



ここまでが、あの日あった出来事だ。俺が帰る頃にはすっかり日が暮れていたし、リクとカイがどこに逃げたのかもわからない。だが夜襲されることを想定して普段より警戒して家に帰った。とりあえず怪しげな視線は感じなかったので大丈夫だとは思う。


もしかしたら今頃八つ当たりで他の誰かに襲い掛かっているかもしれないが、さすがにそこまでは俺も知ったことじゃない。まあ、俺が嘘を書いた紙切れはカイに殴られたときにこっそり回収しておいたので、俺が関与していた証拠が出ることはないだろう。


帰宅してから、義姉さんからしつこい事情聴取(ほぼ強制尋問)を受けた。俺がリビングに入って開口一番


「あんた、また何か厄介ごとに巻き込まれたの?」


 ジト目と共に俺のことを睨みつける義姉さん。あれ、なぜかデジャヴが……


 そのまま義姉さんと向かい合わせになって一時間半ほど今日あったことを説明した。すべてを語り終えた時、義姉さんは呆れながら俺に言った。


「あんたって、厄介ごとばっかり巻き込まれるわね。怪我をしている分、昔より酷くなっているわよ。そろそろ除霊にでも行った方がいいんじゃない?」


 どうやら義姉さんは俺に悪霊か何かが憑りついていると思ったのか、僅かに椅子をずらして距離を取った。うん、毎度のことながらさすがに酷すぎやしないだろうか?


 ……まあ、これが俺と義姉さんの距離感なのだが


 そしてその日は頬に湿布(肩用しかなかった)を貼って一晩を過ごした。こんな風に怪我をするのは小学生の時以来なので少しだけ新鮮な気がする。とりあえず明日は早起きしてストレッチでもしてみようと軽い決意を交えて就寝する。


そして宣言通り軽いストレッチをした次の日の朝。俺が学校に向かうと昨日の事件がすでに学校中の話題となっており、クラスの中もいつも以上に騒がしかった。


「……ねぇ」


 俺が治りかけの頬(回復力は高い)をさすっていると、隣人である雪花が俺の方を見てきた。俺の頬が気になるのか、それともほかの要件なのか。


「……昨日、何があったか知ってる?」


「今学校に着いたばかりの俺が、何を知っていると思う?」


「……そう。友達がいないあなたに聞いても無駄だった」


 いちいち棘があることを言ってくるな、俺の隣人は。なんだろう、どことなくうちの義姉さんに似ている気がする。自分が心を痛めずに相手が傷つくことを言えるのは、ある意味才能だ。


「……」


 だが、なぜだろう。俺から目線を外した雪花の表情がどこか引っかかる。いつも無表情なその顔に、今日だけ曇りのような靄があった。



 まるで、何かを酷く心配しているような……



 一年位前、俺が危ない目にあった時の義姉さんそっくりの顔だ。あの時は義姉さんもまだ砂糖のような甘さがあった。もう随分前のことで忘れてしまっていたが、義姉さんの中にも優しさはあったのだ。そうでもなければ生徒会長になんてなることができないだろうが。


 そしてその日の朝のホームルームは、昨日の事件のことについて軽い説明があった。もちろん被害者と加害者が誰なのかは明かされることはなかったし、目撃情報などがあれば申し出るようにとの注意があった。まあ、これからあの二人は絞られることになるだろう。


 そしてその日は何事もなく一日を終えた。



   ※



 そして事件から一週間。学校にはいくつか変化が見えていた。


 それは朝の出来事。


(……おっ)


 俺が登校していると、眩しい金髪をなびかせる七瀬ナツメがいた。以前は周りの生徒のプレッシャーでビクビクしながら歩いていたが、ここ数日でそれは非常に落ち着いた。


あの二人の一件があったおかげで、七瀬に付きまとう人が一気に減ったのだ。もし女子に手を出してしまうとどうなるか、良くも悪くもそれが明確になった事件だった。というより、何名かの生徒は事情聴取がてら直接指導されたらしい。


うちの生徒指導はなかなかに厳しいことで有名だ。七瀬に付きまとっていた男子生徒たちには壮絶な説教が待ち受けていたようだ。まあ、自業自得なので手を合わせたり哀れんだりすることもなかったが。


 俺が引き起こしたあの事件は良くも悪くも、この学校に通う生徒にいくつかの恩恵と不運を呼び込んだらしい。



そしてここからだろうか、俺でも予想できていなかった点は。


(リクとカイの姿は……やはりないか)


 俺は昼休みを見計らい一年生の教室を巡回していた。もちろんあの二人の姿がないかと確認をするためだ。


 ちなみに風紀委員会と生徒会の合同プロジェクトは俺の計画通り凍結した。さすがの学校も生徒に被害が出るとは思っていなかったようで、すぐに計画を白紙に。手が空いた先生が校内を巡回するということで会議は落ち着いたようだ。


 だが、そのプロジェクトのある意味ターゲット的な存在であるリクとカイの姿はあれからすっかり見なくなってしまった。噂によると学校に郵送で退学届けが届いたとかなんとか。さすがの俺もこの展開までは予想できていなかった。


(あの二人が自分の意志で素直にこの学校を退学するとは思えない。もしかして、他にも何かの介入があったのか?)


 だがもうすでに過ぎ去ってしまった出来事。今さら真相を知るのは非常に難しいだろう。あの時簡単に逃がしてしまったことがここにきて仇となり、俺にとって唯一の不安要素を残した。

 だが俺はあの二人のことを一度忘れることにした。これ以上存在しない人間にリソースを割いてもしょうがない。もし目の前に現れたらその時はその時だ。あの二人程度に俺が負けることはない。


「……ぁ」


 俺が二年生の廊下に戻ると、ふと目が合う人物。誰あろう今回一番の被害者である新海桜だ。


 だが俺が彼女に話しかけることはない。そして彼女も、俺に話しかける勇気を持っていなかった。俺はそのまま彼女を無視して歩き出す。



—もしかしたら、彼の気まぐれで私の過去が暴露されるかもしれない



 新海はそう思い込んでくれているだろう。面倒なのでそんなことをする予定はないが、脅しの材料としは随分効果的なものを入手できた。

 きっと新海は、俺と極力関わらないようにするだろう。そうすれば、下手に脅されることもないからだ。

 ぶっちゃけここまでうまくいくとは思っていなかった。俺の正体を悟らせず、あいつを縛る枷を作る。これでしばらくは新海桜にビクビクしなくて済むだろう。


(ま、こんな状況がいつまでも続くことはないだろうがな)


 きっとまた、厄介なことに巻き込まれてしまうかもしれない。俺はそういう星のもとに生まれたと父さんが言っていた。

 いくら平穏を作り出しても、自分がきっかけとなりそれが壊れてしまう。それならば、最初から平穏など訪れなければいい。


 俺は新海桜の方へと歩き出し、彼女の横を通り過ぎる。


「……」


「……」


 俺たちの間に会話はない。何も、話す必要がないからだ。それとも、お互いに会話を避けていたのかもしれない。だが、それでいい。俺の人生に、あいつはもはや障害でしかない。


 そして、これからもずっと同じだ。雪花も、如月も、七瀬も……俺にはあいつらの感情が分からないし、向こうも俺の感情を理解することはできない。俺は、誰もが平等に持っている人の心を持ち合わせていないのだから。


(……あ)


 だが、とりあえずこれだけは心の中で言っておこう。あの日は自分の事に必死で、きちんと決別できていなかった。



 さようなら、俺の片翼相棒




第2章 片翼の旅路 完










——あとがき——

とりあえずこれで第2章は終了です。予告通り幕間を挟んで第3章に行こうかなと。

第3章はどちらかというと伏線回収がメインになる感じかなと。今まで出てきた謎の部分が少しずつ明らかになっていく予定です。そして次回スポットライトを当てるヒロインキャラは、目立つ金髪という噂が? そしてこの物語に欠けているあの要素がとうとう!?


なんやかんやで忙しいですが、次章をお楽しみに!

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