第52話 七瀬ナツメ③
私と雪花君は変わった。いや、変わるための努力をすることを決めた。それだけでも大きな進歩だったのかもしれない。
次の日、雪花君は雰囲気が少しだけ変わっていた。よくわからないが、あれは覚悟を決めた男がする表情だった。
今は朝礼前だから担任の先生は来ていない。だからこそ、クラスメイト達にとって雪花君を囲い込める絶好の時間帯なのだ。そして、いつもの光景が始まった。
『また来たのかよ雪花。言っただろ、お前みたいな奴が学校に来るなって』
『そうだそうだ!』
『おら、どうなんだよ?』
彼の机をたたいたりゆすったりして脅しにかかる男子生徒たち。女子はそれを見てゲラゲラ笑っている。そして無視を貫く雪花君に何かをするというのがいつもの流れだ。
そしてリーダー格の男子は、雪花君の筆箱を掴み上げ、ごみ箱の方へと照準を合わせた。
『おい、バスケしようぜ。遠くから決めた奴が優勝ってことで……』
一瞬だけ笑いが起こり席を離れようとする男子たちだが、いつもとは違う光景になる。リーダー格の男子の腕を、雪花君が掴んだのだ。
『なっ、なんだよ』
いつもとは違う雪花君の行動に驚いたのか、筆箱を握る男子は少しだけ尻ごみをする。そして、雪花君は……
『いい加減にしろよ。クズ』
『あん?』
『早くその筆箱を返せ。もうすぐ先生が来るぞ』
雪花君が言い返したことに、クラス中が驚く。しかし威圧が足りなかったのか、周りにいた男子たちはヘラヘラと笑いだす。対する私はいつでも動けるように準備を整えていた。
『おい、調子乗んなよ。お前の家がどんだけ社会に迷惑かけてんのかわかってんのか?』
『そっちこそ、朝から大声を出すのはやめたら。君って息が臭いから教室中に汚臭を撒き散らかして迷惑だよ』
『お、お前っ……』
激高したのか、筆箱を強く握りしめるリーダー格の男子。その様子にビビって逃げるわけでもなく正面から立ち向かう雪花君。そして、次の瞬間にはもう火蓋が切られていた。
『ボコボコにして泣かせてやるよ。謝っても遅いからな!』
『かかって来いよ、クズ!』
そしてそこからは教室全体を巻き込む喧嘩に発展した。雪花君と喧嘩したのはあのリーダー格の子で他の男子たちは震えて隅っこに行っていた。彼らには喧嘩をするだけの度胸はなかったのだろう。だが机などが押し出されたり椅子が投げ飛ばされたりといつこちらに被害が来てもおかしくはない。
(私は……)
このまま彼らの喧嘩を眺めているだけでいいのだろうか。正直、ここからの行動は自分の生き方そのものを左右する気がする。
そうこう考えていると、目の前では決着が着きかけていた。雪花君は教室の壁に背中をぶつけ、そのまま追撃を受け首元を掴まれていた。あれはさすがにやりすぎだ。
(私、はっ……)
あの時の光景を、あの時の情景を再び脳裏によみがえらせる。
『自分に嘘をついちゃダメだよ』
あのお兄さんの言葉が、私の胸を木霊する。次の瞬間、私は走り出していた。この行動が正しいのかどうかはわからない。けれど、今は自分の行動を全力で肯定し、信じてみることを許してほしい。
(あ、そうか。私……)
何もできない自分が嫌だったんだ。両親の口喧嘩を止められず、何も行動を起こすことがないまま離婚という結末を迎えてしまった。あの時、「何もしなかった自分」という存在が嫌いだったんだ。
そしてそのまま私は加速し、リーダー格の男の子に思いっきりぶつかる。タックル!……と呼べるほどのものではない、不格好な体当たりだ。
『なっ!?』
予想外の方向からの衝撃に、思わず男子は転んでしまった。私は何とか踏みとどまり、震える腕を隠す。
一方の雪花君も無事だったようで、首元をさすりながら私のことを見ていた。何故? という顔が間抜け面だったが、そんなことも気にならないくらい私は高揚していた。
『ちょ、七瀬。お前何するんだよ!』
リーダー格の男子だけではない、多くのクラスメイトがそう思っていた。壁にもたれかかる雪花君だってそうだろう。どうせ卒業までもう半年とちょっとしかないのだ。だったら、自分に嘘なんてつかず思いのたけを綴ってやる。
『誰も止めようとしないから、私が止めました。もう、こんなクラスは嫌なんです!』
『な、なにを言って……』
『雪花君だけじゃない。私の体育帽やリコーダーがなくなってるし、男子の告白を断るたびに女子からは悪口を言われるし、もうこんな思いあんまりです!』
この数年間、実は私自身も色々な嫌がらせを受けて黙認していた。心が折れそうになったこともあったし、母や先生に相談しようかとも思った。しかし、私よりもっと酷いことをされている人が目の前にいて行動に移すことができずにいた。けど、それも今日でおしまいだ。
『雪花君をこれ以上傷つけるなら、私は彼を守ります。これ以上、不快なものを目に入れたくありません!』
『な、お前まで』
そして私が決意表明をしたタイミングで、数名の男性教師が駆け付けた。どうやらクラスの騒ぎを聞きつけた他クラスの人たちが職員室に駆け込んで報告したらしい。
『お前たち、何やってるんだ!』
『喧嘩してたって奴は、全員廊下に出ろ!』
そうして事態は一時的に収束した。先生に強く言われたことで何も言えなくなる私たちクラスメイト。先ほどまで激高していた男子もいつの間にか借りてきた猫のように大人しくなっている。
そして私と雪花君、そして数名の男子生徒たちは別々に職員室で話をすることになった。私はもちろん今まで自分が見てきたことを正直に話したし、雪花君も同じだと思う。なにより雪花君はボロボロになった教科書などを持っているので、ある程度の信憑性は確保できていると思う。
『……』
私が職員室を出て教室に戻る道中、雪花君が私のことを待っていた。いつものように無表情だが、どこか不安げな目が私の方へと向けられる。
『どうして』
『ん?』
『どうして、助けた?』
やはり、疑問に思うのは当然だろう。雪花君にとってクラスの人たちは全員敵。私は今日味方したが、いつも黙認していたことには変わりない。だが、そのちょっとの行動が雪花君に心に僅かながら届いたらしい。いや、揺らしたともいうべきか。
『私が、気に食わなかったのでやっただけです。後悔はしていません』
『……そう、か』
『……そうです』
そうして私たちは授業を受けることなくその日はそのまま帰宅することになった。当然親に連絡が行き叱られたりしたが、最後には泣きながら抱きしめてくれた。雪花君も、暖かい家族に抱きしめられていればいいのだが。
そして学校は保護者会を開いて謝罪をしたが、加害者となった生徒が多すぎて結局うやむやになってしまった。私は負けじと次の日からも学校へ行ったのだが、そこに雪花君の姿はなかった。
クラスメイト達の雰囲気は悪くなったが、嫌がらせやイジメがなくなっただけマシだ。唯一気がかりなのは担任の先生がとてもゲッソリしていた事だ。新人の彼なりに病んでしまっていたのだと今になってわかる。申し訳ないとは思ったが、これからに生かしてほしい。
『それにしても……』
運動神経には自信があるが、あの時私は不格好な体当たりしかできなかった。しかも、すぐにあの男子生徒は起き上がってきたし。
(何か習い事、始めようかなぁ)
そんなことを思いながら、適当に少年誌を読み漁っていた。そこには様々なキャラクターが数々の技を繰り出している。しかし自分には握力や腕力はないし、暴力を振るったりする必要もない。しかし
(キックとか、それくらいならできそう)
ちょうどいま開いているページに、足技を使って戦っているキャラクターがいた。仲間を助けるために敵の拠点に乗り込み、最後には摩擦による炎を足に纏い攻撃している。
キックはパンチの二倍の威力があるというし、動画でも見て練習してみるのもいいかもしれない。そして私は家で軽い筋トレをし、枕を使って蹴りの練習を始めた。
そして私はそのまま卒業し、少し離れた公立中学校へと進学する。結局雪花君は卒業式の日も学校に来ることはなく二度と会うことはないのだろうなと思っていたが、案外早い再会を果たす。そう、彼は同じ中学校へと進学していたのだ。しかも同じクラスで
『『……あ』』
というか隣の席だった。久しぶりに会った雪花君は何というか雰囲気が全然違った。もともと小さかった体に肉が付き、すごく引き締まっている気がする。今ならボクサーの卵といわれても不思議ではない。
そして一年ほど時間が過ぎ、私たちは徐々に仲を深めていった。小学校でお互いにいろいろな経験をしたからこそ、通じ合うものがあったのかもしれない。
しかも私なんて街中を歩いていたらモデルとしてスカウトされた。最初は断ったが、母の勧めもあり芸能活動を始めてみることにした。ぶっちゃけこの当時はうまくいってなかったが。
ちなみに翡翠と付き合ったりするということはなく、顔が合えば話すだけという関係性だ。というか、翡翠には意外と隙があるので話していて面白い。
『オレもお前も変わったな』
『そうっスよね。翡翠は泣き虫でしたし』
『は? 泣いてねーし』
『フフフっ、まあそういうことにしておいてあげるっスよ』
そうしてほんの少し談笑し、後は自分の事に没頭する。どうやら翡翠は家で大人の人たちに武術を習っているらしい。なんでも、素手で凶器を持った人に対応できる訓練なのだとか。
私は彼と違い習い事はしていないが、蹴りで男の人を一撃でのせるくらいにはなったと思う。
『というか、何だよその喋り方?』
『ああ。今読んでる漫画に影響されて。かっこいいでしょ?』
『オレ、やっぱりお前の感性を理解できない』
そうして私たちは小学校の頃よりは穏やかに中学校生活を楽しんでいく。あの時はくだらないしがらみに囚われていたが、今は本当の意味で多くの友人ができた。そしてそれは、翡翠も同じだったらしい。彼の中学校生活はいじめや嫌がらせを受けることなく、最後の卒業式まできちんと登校することができた。
ちなみに七瀬と翡翠は中学校生活を楽しんだ後、二人そろって同じ高校に進学するのだが、当人たちがそれを知るのは高校に入った後で、隣の席になってからである。
そして、私たちの奥底に刻まれているのはあの公園の夕日の景色。そしてあのお兄さんの言葉。
あの情景が私たちを動かした。
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