第48話 生き方


「なるほど。つまり朝ごはんをここで食べていたと」



 そう言いながら俺の隣に座り牛乳をチューチュー吸う七瀬。説明するのが面倒くさかったので買い物を忘れた云々は省き、ただただここで朝ご飯を食べていたとだけ言った。



「ふむ、センパイがお食べになっているのはどうやらあんパンのようですね。知っていたならセンパイの分の牛乳も買ってきてたっスのに」



 悔しそうにそう言いながらストローを加える七瀬。こういう風に見ると兄貴を慕う子分みたいな光景だが、俺と七瀬の間にそんな絆はない。だが七瀬は、妙に距離感が近い。もしかしたら一度信頼を置いた相手にはとことん甘くなるタイプなのかもしれない。



(ったく、昔の俺かよ)



 かく言う俺も昔はそんなものだった。今の俺が心から信頼を置いている相手など自分以外にいない。百歩譲って義姉さんくらいだ。


 とりあえず昔の自分の事など思い出したくもなかったので、俺は一度思考を無にする。このままでは七瀬がくだらないことを聞いてきそうなので、無理やり話題転換をすることにした。



「そういうお前も、なんでこんな朝っぱらから用具室に来たんだ?」


「ああ、自分この場所に荷物を置いて行くんスよ」


「は?」


 少し意味が分からなかったので、その先を離せと七瀬に目で催促する。



「いや、昔から続いている事なんスけど、自分の荷物とか私物を盗む輩がおりまして。それも、男女問わず。だから先生に許可をもらって、この場所を荷物置き場として使わせてもらってるっス」


「あっそ」


「なんかおざなりな反応っスね。まあ、その関係もあってか美化委員会に任命されてこの教室の掃除とか備品整理を任されてるっス」


「……」



 俺が改めて用具室を見てみると確かにいろいろな備品が置いてあった。いつ使うのかわからないでかめの三角定規に家庭科で使っていたと思われる大量のアイロン。他にもリレーの時に使うバトンやコーンなど、学校で使われていたであろうモノが大量に放置されていた。



「そうだ、別にセンパイには関係ないと思うっスけど」


「なんだ?」


「自分、しばらく芸能活動を休止しようかなと」



 それは、思い切った選択をしたものだ。ついこの前はモブとはいえ映画にも出演できていた。間違いなく七瀬はこれから勢いづいていくタレントの卵だ。


 俺が少なからず驚いたのを見てか、七瀬はその先を話し始める。



「周りからは止められたっスけど、正直勉強とか結構ヤバくて。スポーツとかに比重を置きすぎた分、この学校に入るのもギリギリだったっス。入っちゃえば何とかなるかなとも思ったんスけど、案外そうでもなくて……」



 確かにこの学校の授業スピードはかなりハイスピードだ。中学校までの内容はすべて理解していることが前提で、知識に綻びがあったり、勉強に慣れていないものにはとても早く感じるだろう。


 芸能活動はもとより、普通に部活動をしている生徒ですら勉強はギリギリなのだ。確かに七瀬がつらいと嘆くのも頷ける。そういう理由であれば、事務所とか七瀬を引き留めようとする大人たちも納得するだろう。



「というわけで、自分は今週さえ乗り切れば晴れて自由の身って訳っス」


「そうか。よかったな」


「むぅ、何かセンパイ、素っ気ない反応ばっかりっスね」



 いや、だって俺関係ないし。というか、そもそもどうして俺にそんなことを話すんだよ。別に友達とかじゃないのに。



「もーセンパイ、そんなんじゃ花の高校生生活を楽しめないっスよ。ほら、自分みたいに、スマイルスマイル」


「俺はそういうタイプじゃない」


「笑顔っていうのは意外と馬鹿にできないもんスよ。誰かの笑顔を見るだけで自分が嬉しくなることだってあるし、幸せが伝染するっス。それこそ、誰かの人生に影響を及ぼすくらいに」


「へぇ。独特な価値観だな」


「まあ、自分はそれができなかったからのことを……」


「?」


 最初は妙な説得力があって思わず七瀬の話に聞き入ってしまったが、最後の方は妙に自分語りをしているような気がした。まあ、俺には関係ないというのには変わらないだろうが。



「とにかく自分が言いたいのは、自分自身をもっと表現しろって事っス。アイデンティティとも言うんスかね。そういうのが発揮できれば、目の前にはきっといい光景が広がっているっすよ」


「ふーん」

(くだらない)



 心の中で俺は七瀬に問い返す。その個性を発揮しすぎた結果、全てに裏切られた俺はどうすればいいんだ……と。いや、俺が裏切ったとも言えるのかもしれないが、そんなことは関係ない。


 あの時俺の目の前に広がっていたのは、思い出しただけでも吐き気がする地獄のような光景だった。こいつの言ういい光景っていうのは、きっとご都合主義と偏見によって固められた、決して実現することのない情景だ。



「あ、そうだセンパイ。話が変わってしまうんスけど、いいスか?」


「いや、始業まで残り五分だが?」



 何気に時間ギリギリだ。そろそろ余計で不快になる話はさすがに勘弁願いたい。だが七瀬は首を振りすぐに終わる話だと俺に告げる。そして、今までとは打って変わり少しだけ緊張した表情になった。



「その、今週乗り切れば芸能活動を一時停止するとは言ったんすけど、実は今日オフなんスよ自分」


「ああ、そう」



 というか、四月はかなり不定期登校だったが最近は学校へ毎日来ている。おそらくここ最近から地盤固めを始めていたのだろう。



「それで、今日がオフだからなんだ? 自慢か?」


「いえ、せっかくのオフなのでやりたいことが。なのでセンパイ、放課後に時間を頂きたいっス」


「は?」


 なんだこいつ。



「やりたいことといっても、そう時間は取らせません。正確には、確かめてみたいこと……っスかね」


「話が全く見えないが?」


「それは次、具体的には今日の放課後にお会いした時で」


「……」



 そうして七瀬は時間が欲しいとだけ告げて用具室を出ていった。ああ見えて意外と自由奔放なのかもしれない。それとも、本当はああいう生き方をしたいとかだろうか?


俺としてはウザったるいことこの上ないが。



「とりあえず、教室行くか」



 始業まで残り数分。バックれるかどうかは今日の放課後になるまでにゆっくり考えればいいだろう。

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