第29話 破滅の歌


 学校がすっかり静まり返った時間帯。とはいっても完全に真っ暗というわけではなく窓から夕焼けが見えるくらいには明るかった。しかし、他の生徒は完全に帰宅しているだろう。


「さて、今日も帰りますかね……」


 私は長時間の作業で固くなった背中を伸ばし、ほんのり欠伸をする。最近事務作業続きでさすがに疲れてしまった。


「……遥会長も、よくこんなことを一年近く続けられてますねぇ」


 このままでは社畜コースまっしぐらだ。SNSで副生徒会長な女子高生の一日のルーティン動画でもアップしてみようか。なんとなく再生数をとれる気がしなくもない。


「それにしても……」


 私が遥会長に代わって確認した生徒会への意見ボックス。所属直後は膨大な届け出が出されていたもののここ最近で数はかなり減った。だが、その中にいくつか気になる記載が投稿されていた。


『七瀬ナツメが放課後の図書館で恐喝を受けている』


 さすがにこれだけですべてを決めつけて判断することはできない。だが、これを見てしまった以上確認しないわけにはいかないだろう。報告ならすべてが終わった後でも問題ない。


「ふぅ、少し見に行ってみますか」


 ここから図書館までそう距離はない。凝り固まった体をほぐすついでに足を運んでみよう。閉館時間まであと十五分ほどだしもしかしたら本を借りられるかもしれない。


「それじゃ、行きますか」


 私は荷物を生徒会室において図書室へと向かう。学校が閉まるまでまだ一時間くらいの余裕があり、今日は暗くなる前に帰れそうだった。そしてやたらと分厚い図書室の扉を開けて中に入る。


「あれ、誰もいない……」


 いつもなら図書委員か司書の方がいるのだが、どうやら今日は留守のようだ。もしかしてもう帰ってしまったのだろうか。


「いやでも、鍵はかかっていませんでしたし……」


 図書委員が鍵をかけ忘れてしまったのだろうか。だが普通そんなことは絶対にあり得ない。それに、ここには勉強するために残っている生徒たちもいたはず。誰もいないのは明らかに異常だ。


それならばどうして……


「お、本当に来やがったぞ!」


「……待った甲斐があったな」


 カチャリ


「……!?」


 私がボーっとしていると、扉の鍵が閉まる音が鳴り響いた。驚き振り返ると見知らぬ二人の男が現れる。この学校の生徒のようだが私は見たことがない。風貌は三年生のようだが、学校指定のシューズの色からして一年生だということが分かる。


(本棚の影に隠れていた?)


 人の気配まではさすがにわからなかったため、私は素直に驚いてしまう。だが、一体何のために……


「よぉセンパイ。ちょっとお茶でもどうだよ」


「……ふざけた誘い方と、その気色悪い笑みを直したら考えてあげなくもなくもないですよ」


「どっちも無理だよ……しかしまあ、見た目通りお堅そうな女だな」


 私のことを舐め回すような視線で見てくる二人の男。こんな風に見られるのは一体いつぶりだろうか。いや、あの頃は色欲なんてなかった気がするのでこれが初めてかもしれない。


 とにかく私は自分が身の危険にさらされていると直感しすぐに意識を切り替える。


(……けれど)


 私は二人の男を観察する。否、それだけではない。相手との距離感や周りの環境に扉の位置。目に入る情報すべてを総合して観察する。相手との駆け引きは何事も場の掌握から始まるのだ。


(問題、ありませんね)


 あの二人程度なら余裕で攻撃をいなして逃げ切れる。やろうと思えば互角以上に渡り合えると思う。ただ、最近運動不足なこの体で激しく動き回るのは極力避けたい。


(最終的に、隙を作るしかありませんね)


 ちょうど三歩下がったところに図書委員が座るカウンターがある。そしてその上には図書館の様々な備品が置いてあるはず。それを使えばうまいこと隙を作ることができるかもしれない。役に立ちそうなものがないなら自分の体を最大限に動かして打開するだけ。とりあえず、まずはそこを目指そう。


「私を閉じ込めて、一体何のつもりですか?」


 怯える表情を見せながら私は一歩後退する。できるだけ自然を装い、カウンターまで近づくためだ。


「あ? 決まってんだろーが。手に入らない女でイライラしてるより、ちょっと脅せばヤレそうな女に手を出すのは当たり前だろ?」


「へぇ、脅せばヤレそう……ですか」


「ああ、その怯え切った表情がすべてを物語っているぜ?」


 もう一歩、私は後ろへ後退する。すると目の前の二人も私の方へ距離を詰めてきた。だが焦りの表情は見られないので、私ももう少し落ち着いていいだろう。

 きっとこの二人は私が女ということで油断しているはず。ならばできる限り油断し続けてもらおう。


「ここでそんなことをすればどうなるか……進学校に入学してきたはずのあなたたちは、それがわからないほどバカなんですか?」


「はっ、学力なんて努力すればどうにでもなんだろ。俺らは退屈すぎてうんざりしてんだよ。どいつもこいつもいい子ちゃんばっかでよ」


「それだけ頭がいいのに……残念です」


 あと一歩……私はとうとう辿り着く。そして追い詰められてふりをしながら後ろをまさぐる仕草をする。もちろん、カウンターの上に何があるか物色するためだ。


(……ハンコと朱肉のセット……あとはハサミにボールペン)


 普通の文房具が並ぶカウンターだが、使えそうなものはいくつかあったのでとりあえず作戦は整った。あとは私のタイミング次第だ。


「おいおい、そんなこと言ってていいのか? 俺らはあんたに関するネタを……」


「そろそろ、小言はやめたらどうですか?」


「ア?」


「あなたたちのような生徒はこの学校にふさわしくありません。私に手を出す時点でおつむが弱いのは十分わかりました」


 私はこの二人をあえて挑発する。今までは感情を込めていなかったが、この言葉には煽りとわずかな殺意を込める。あまりやることはなかったのだが、私は殺気を飛ばす才能があるとかなんとか。


「へぇ、女のくせに言うねぇ」


 落ち着いている風を装っているが、血管がピクピクしていた。多分、馬鹿にされることに慣れていないのだろう。今までお山の大将だったみたいだが、私はそんな人物を大勢見てきた。この男たちも、それと同じだ。


「リク、とりあえず顔を避けて腹を狙うぞ」


「へーい、じゃ、恨むなよ?」


 男の一人がそう言うと二人が私を囲むように迫ってきた。リクと呼ばれた背が高い男は左、もう一人の体格がいい男は右に回る。そしてリクと呼ばれた男が私の腕をめがけて手を伸ばしてきた。きっとつかむつもりなのだろう。


「……」


 私はあえてそのまま動かず、リクと呼ばれた男に腕を掴ませる。こうすることで彼の皮膚のDNAが私の衣服に残り、物的な証拠が出来上がる。仮に大事になったとしても私がきちんとした声を上げれば襲われたと証明できるだろう。ひ弱そうな女ということがここで役に立つのだ。使えるものは、何でも武器にしてしまう。この泥臭いやり方が私の戦い方だ。


「ん? お前、手に何を持って……」


(さて、やりますか)


 私は空いている右手に印鑑用の朱肉ケースを隠し持っていた。そしてケースをパカリと開けリクと呼ばれた男の顔面に勢いよく押し付ける。


「うあっ、な、何だ!?」


「リク!? て、てめ……」


 リクは慌てふためき完全に視界を閉ざされていた。恐らく再び立ち上がるまでに十数秒はかかるだろう。リクが膝から崩れるのと同時に、動揺したもう一人の男は慌てて私にとびかかってくる。だが、私のステップの方が僅かに早かった。


「そこっ!」

「グオッ!?」


 私は男と一気に距離を詰め、鳩尾に勢いよく自分の膝をめり込ませた。俗にいう、飛び膝蹴りだ。そして間髪入れず彼の顎に肘をぶつけた。回転力を加えたので、かなりの威力になったはず。

 案の定男はよろけながら後ずさる。


「て、めぇっ!」


 男は顎を押さえ悶絶しながらも私から距離を取った。私に怪我はなかったものの、少しだけ肘が痛む。恐らく青あざができているだろう。


(この男、かなりケンカ慣れしてますねっ……)


 まさか今の一撃を食らって倒れないとは思わなかった。巨漢の酔っぱらった男もこの戦法で倒したというのに。

 私に切れる手札は割と少ない。カウンターまで走りハサミを手に取るという手段もあるが、恐らく彼は何かしらの武術経験者だ。刃物を使っても正確に対応される可能性が高い。そして……


(迂闊でした……)


 先ほど崩れ落ちたリクが今のやり取りの間に顔を拭って回復し、私と出入り口の間に割り込むように仁王立ちしていた。彼の顎を殴った直後に、すかさずドアの方へ逃げるべきだったのだ。私は選ぶことができたであろう最適解を逃してしまった。


(やはり、衰えてますか……)


 少し前の私ならあの男に間髪入れず追撃を加えていた。だが体がうまくついていかず、すっかりその隙を逃してしまったのだ。これはさすがに間抜けすぎる。


「カイ、大丈夫か!?」


「問題ねぇ。ったく、完全に油断したぜセンパイよぉっ!」


 カイと呼ばれた男は完全に沸点を越えていた。歯を食いしばり今にでもとびかかってくるような剣幕だ。正直、勝てるかどうか怪しい。


(あのリクと呼ばれた子はともかく、カイという子が厄介すぎます)


 恐らく彼が率先して喧嘩をしていたのだろう。リクは彼の腰巾着兼特攻隊みたいなポジションなのだろうか。どちらにしろ、隙を見て私に襲い掛かってくるつもりだろう。


「……」


 正直、あれほどの相手に会うのは久しぶりだ。というより、橘彼方を除けば私が戦った中で最強かもしれない。まあ、私が本当に対人戦をした機会なんて二、三回くらいだったのだが。


「とにかく、あんたが割と油断ならねぇってことは分かった。それならこっちにも考えがある」


「おや、勝てないと見越したうえでの予防線ですか? 意外と女々しいのですね」


「……安心しろや。てめぇとはここできっちりケリ着けてやるからよぉ!」


 この手の相手は怒らせるほど有利になるというが、彼の場合怒りが直接パワーに代わっている気がするので、やりすぎるのも悪手かもしれない。だが、今のやり取りで確信した。


(これなら、私でもなんとかなるかもしれない)


 さすがに橘彼方ほどの相手は無理だが、この男くらいなら何とかして倒せそうだ。体つきは完全に負けているが技術なら恐らく私が勝っている。リクという男のことは少しの間無視をして構わないだろう。


(……明日の筋肉痛が怖いですね)


 逃げるのが無理そうなら堂々と向かい合うまで。こんなふざけた奴に、私は絶対に屈したりはしない。


 そう覚悟を決めた私だったが、次の瞬間それを挫かれることになる。


「お前、中学校の時イジメられてたらしいなぁ?」


「……っ!?」


 私の心臓が、抉られた気がした。

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