第131話 人間不信
どれだけの間待っただろうか。一瞬だったのかもしれないし、数分以上経っていたのかもしれない。『元正義の味方』というフレーズが、俺にとっては時間間隔を忘れさせるくらいに重い言葉だったのだろう。一度は捨てたものを、無様にもまた拾おうとしているのだから。
だが、その歯がゆい不快感を断ち切ったのは、ゆっくりと開けられる扉の音だった。少女が顔だけをちらりと出し、こちらを覗き込むように顔を表した。
「……橋本さん」
「七瀬はここで待っててくれ」
俺は七瀬が何か喋り出そうとするのを制止し、ゆっくりと玄関の方へ足を向けた。こういう場合は、親しい人が近くにくると精神的につらくなってしまうことがある。だからこそもう少しの間後方で見守っていてほしい。
「ほぼ、初めましてになるな」
「……はい」
か細いながらも、きちんと俺の挨拶に返事を返してくれた。どうやら想定していたよりも状態は安定しているようだ。こうして顔を出してくれたことがそれを証明している。
「できれば話をしたいんだが、可能か?」
「えっと、それは……」
「後ろにいる七瀬を同席させてもいいし、逆に離席させてもいい。何ならその逆で俺が離席して七瀬だけ話を聞くということもできる」
この選択肢の中から選んでくれと俺は彼女に提案する。できれば誰とも取り合わないという選択は取らないでほしい。
「あの、その……」
「安心しろ。今日あったことは俺も七瀬も口外しない。もちろん、学校の関係者含めてだ」
彼女は今何を求めているのか。そんなことはエスパーではない俺が分かるはずもない。だが、彼女が何を恐れているのか、それだけはなんとなくわかる。
「この話が終わったら、俺とお前はまた無関係の赤の他人ってことにしてもいい。まぁ、全てが終わった後に報告くらいはするかもしれないが」
「……報告って?」
「すべての脅威が去ったという、お前にとっては喜ばしい報告の予定だ」
そして、しばらくの静寂。人と目を合わせることは苦手だが、それでも俺は彼女の弱弱しい瞳から目を離すことはなかった。それをしてしまえば、ただでさえか細い糸がプツリと切れてしまう。
「……二人とも、中へどうぞ」
そう言って、彼女は中に引っ込んでいった。信頼されているかどうかはわからないが、最低限の話をしてくれる気にはなったらしい。俺は一度七瀬のところまで戻り、中に入る許可をもらえたことを伝える。
「そ、そっスか! やったっスね!」
「ああ。だが、ここからが本番だ。道中で俺が言ったことを覚えているか?」
「はい、もちろん。学校関係のことは基本話さないで、出来るだけ笑顔を控える事っスね」
「そうだ。あと、心配する素振りをするのはいいが、クラスの友達が心配していた云々はやめろ。あくまでお前が個人的に心配していたということにしろ」
「了解っス」
不登校になりかけの人間は、学校の話をされることに強い拒否感を覚えることがある。それも心に傷を負っている若い少年少女ならなおのことだ。それに加え笑顔で明るい雰囲気を纏う相手が目の前にいたら、逆にそれがプレッシャーになって心を閉ざしてしまう恐れがある。先ほどまでは乱雑だったが、ここからは慎重に行かなければならない。
(そういう意味では、七瀬という人選はちょっと微妙だったかもな)
いっそのこと雪花翡翠の方が良かったかもしれない。協力してくれる未来はあまり見えないのが玉に瑕だが。だが七瀬は七瀬で利点があるので、そこをうまく生かしてもらいたい。
「じゃあ、行くぞ」
あまり待たせても悪いので俺たちはささっと橋本の家に入った。ぱっと見整理整頓はきちんとされているようだが、どこか重苦しい空気感が家の中を支配していた。七瀬もそれを感じたのか、ここに向かう道中よりも緊張した面持ちになっている。
俺たちは短い廊下を通り一階のリビングへと案内された。するとそこには、既にコップを用意してお茶を注ぐ橋本の姿があった。どうやら一応客としては認めてもらえているらしい。
「ここ、座っていいか?」
「どうぞ」
短いやり取りをした後、俺はソファーの下座へと座る。別にマナーなんていらないと思うが、丁寧さに事欠く理由はない。そして七瀬も俺の隣に腰を落とし、鞄を床に置いた。
「麦茶です。よろしければ」
「ああ、ありがとう」
俺は差し出された麦茶を半分ほど飲んだ。下手に口をつけないより、こうして一気に飲んでしまった方が相手の警戒も溶けやすいのだ。一方の七瀬は麦茶に口を付けず、相変わらず緊張した面持ちで俺の隣で固まっている。
「それで、私からどんな話を聞きたいんですか?」
「ああ、単刀直入に言おう。つい最近転校してきた、獅子山信也についてだ」
俺がその名前を出すと、彼女の表情は固まった。いや、むしろ不快感と憎悪を織り交ぜた複雑な感情を無理して包み隠そうとしているようにも見える。
橋本は自ら注いだ麦茶を一口分飲み、そしてグラスをテーブルに置いた。心を落ち着けようとしているのか、それとも自らの熱を冷まそうとしているのか。
「……どうして、あなたがそんなことを聞くんですか?」
「……」
「そもそも、元正義の味方とかふざけたことを言う、あなたは何者なんですか?」
俺のことを問いただすような、訝しげな視線が俺の体を貫く。やはり簡単には信じてもらえそうにない。いや、最初から信じてもらうことなど不可能だ。だからこそ俺は、彼女を睨み返すように言った。
「……そうだな、まずそこから話さなきゃだよな」
一瞬、七瀬のことを離席させようかと考えた。だがそれでは、結局何も変わらない気がする。だからこそ、俺は……
「とりあえずまずは俺の昔話を聞いて、それから判断してくれ。その話の中に、お前の疑問に対する答えがあるから」
そうして、俺は一切包み隠さずに自らの過去を語った。ほぼ初対面の女子に自分の過去を話すというのは存外恥ずかしいものだった。何せ自らの黒歴史を押し付けるようなものだからだ。いや、むしろ黒歴史を増やしているといっても過言ではない。それも隣に多少見知った後輩がいるならなおのことだ。
「そして俺は、中学二年生の時に……」
そして語る、あの日の真実。橋本はなぜか歯を食いしばるような顔をして聞いており、隣の七瀬はどこか悲痛そうな顔をして俺のことを見ていた。
そうしてすべてを話し終えた時には、グラスの中に入った氷が全て溶け切ってしまった。俺は薄くなった麦茶を飲み干し、改めて橋本のことを見る。
「以上が俺の話だ。俺が信也の情報を求める理由、理解してくれたか?」
「……一応」
そう言って橋本は、複雑そうな顔をして俺から目を逸らす。きっと彼女は、自分だけが理不尽な目に遭っていると嘆いていたのだろう。だが、世界で理不尽な目に遭っているのは自分だけではないという当たり前のことにようやく気付けた。いや、気づいてもらわなければ話が進まない。
「それで、そろそろそっちの話を聞かせてほしいんだが?」
「あ……」
「どうやらお前は、俺と同等以上の目に遭っているみたいだからな」
そうして俺は自虐めいた笑みを浮かべる。そう、俺こそが唯一の理解者だとアピールするように。俺の過去を話す前にこんなことを言ったら怒って追い返されたかもしれない。だが、俺の話で空気を凍らせてしまえば自分も話さなければならないと思ってしまう。
「それで、どうしてこんなことになったんだ?」
話しやすいように、自然と話の導入部分をフォローする。アンサー形式にしてしまえばこちらが聞きたいことを自然と話してくれるのだ。俺の隣にいる七瀬も、ギュッと表情を固くし姿勢を正した。
「……私は」
そうして、彼女はようやく語る。
——あとがき——
おそよう、、、
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