第132話 融解
「それじゃあ、邪魔した」
「お邪魔したっス」
橋本の家を出ると、焼けるように強い夕日が俺の顔を照らす。どうやらかなり長い時間話し込んでしまったようだ。俺と七瀬は玄関の扉を閉め、来るときに訪れた駅へと戻る。
「……センパイ。自分、許せないっス」
「わかったから落ち着け。とりあえず、今日のことは誰にも話すなよ」
「……はいっス」
俺は七瀬を宥めながら得られた情報を整理する。情報が有益だったことには違いないが、それを活かすにも改めて自分なりに推測しなければ。
(まぁ、だいたい想像通りだったな)
橋本の話を要約するとこうだ。
転校生としてやってきた男子の先輩に声をかけられ、校内を案内してほしいとお願いされた。生徒会所属という肩書があったためか、橋本は快く引き受け校内を軽く案内することになったらしい。そうして一通り校内の案内が終わったところで、その男子生徒はお礼を言いその日は橋本と別れたらしい。
(その時点で信也は、橋本の好感度を稼いで情報を引き出そうとしていたんだろうな)
橋本は偶然選ばれたわけではない。きっと生徒会に所属しており桜と最も親しい間柄かつ、声を掛けやすい後輩という立場だから目を付けられたのだろう。現に、橋本が追い込まれたことで桜にも多少の精神的なダメージを受けている。
そして、本題はここからだ。
『あの日、生徒会の作業が終わって帰路に就こうとしとき、前日に校内を案内した先輩とばったり出くわしたんです。そして先輩が、お礼をさせてほしいと言ったので近くのファミレスで奢ってもらうことになったんです』
そして橋本は特に疑うことなくファミレスについて行ってしまったらしい。そこで橋本は母親が夕飯を作って待ってくれているからと控えめにアイスクリームとドリンクバーを注文。信也もそれと同じ注文をしたらしい。
『それで、アイスが届いてしばらく話していた時、飲み物が切れたので取ってこようとしたんです。けど先輩が、代わりに持ってくるって言って。そして渡されたジュースを飲んだら、急に意識が朦朧として……』
気が付いたら意識が無くなっていたと。睡眠薬の類を飲み物に混ぜたのだろうが、まさかそこまでのことをしているとは思わなかった。このくだりを話している時、隣で話を聞いていた七瀬は怒りに身を震わせ拳をぎゅっと握っていた。
『目を覚ましたら、私は路地裏のゴミ袋の上に横になってました。もしかしてイヤらしいことされたのかなって思ったけど、服や身体に異常はなくて』
そして体を起こして目の前を見ると、先程とはまるで別人のように冷めた顔をした信也がいたらしい。そして信也は急に醜悪な笑みを浮かべ、橋本の方へと迫ったそうだ。
『この写真、あげる』
『え、えっ……えっ!?』
そうして橋本が見たのは、信也に覆いかぶさるように手を掛けている自分自身の写真だった。
『いやーびっくりしたな。まさか橋本ちゃんがあんな情熱的に迫ってくるなんて。肉食系だったんだね』
『な、なにを……』
『あっ、この写真はもう先生に送っちゃったから。多分今夜か明日の朝くらいには担任から連絡がくるんじゃないかな』
『い、意味が分からないです!』
『ほら、だって僕は危うく性被害に遭うところだったじゃん? 加害者には、それ相応の制裁を受けてもらわないと』
一方的にそう言い放って、橋本は夜の街へと消えたそうだ。だが彼女にとっての災難はそこからだった。家に帰ると本当に担任から電話がかかってきたらしく、両親から激しく叱責を受けた。最初は自分の事を信じてくれていたらしいが、決定的な証拠画像が送られてきてしまったために両親は橋本のことを激しく叱責。言い返そうにも証拠がなかった橋本は何も言い返せなかったそうだ。
『しかもその後、嫌がらせの電話やメールが私や両親に届くようになってしまって。聞くところによると、私の悪口をSNSに書き込んでる人も何人かいるみたいで』
それ以降、橋本はスマホを見るのをやめずっと家に引きこもってしまったそうだ。警察沙汰にならないのかと思ったが、どうやら学校側の判断で加害者と被害者同士の言い分を聞くらしく保留ということにしてあるらしい。まちがいなく、誰かさんの鶴の一声が掛かっているであろう仕打ちだ。
そうして事態がもつれた結果、橋本は学校から処分が下されるのを待つ立場になってしまっていた。
「ねぇ、センパイ」
「なんだ?」
「自分、一生懸命考えたけどわからないんス。一体どうすれば橋本さんがまた元気に登校してくれるのかって」
「……」
確かに、一生徒にどうこうできる問題ではない。彼女に対して処分を下すのは学校側。そしてその学校側に悪意ある人物がついている以上、どう足搔いても理不尽な決定を突き付けられてしまう。
過程がどうであれ、いつの時代でも事実を決めるのは強者なのだ。だからこそ、余計なことをするべきではないし、させるべきではない。
「お前が何をどう思おうと勝手だが、余計な真似……」
「あと、センパイのこともっス」
「あ?」
「センパイが困っているなら、自分も力になりたいっス」
先ほど余計な過去を話してしまったせいだろうか、七瀬は俺のことを悲し気に見上げてくる。同情か憐れみか、変な方向へ感情がブレ始めているらしい。
「俺はもう割り切っている。今更どうこう言われる筋合いはないし、とっくに過ぎたことだ。今更掘り返すな。そして、聞かなかったことにして忘れろ」
「忘れるなんて、出来ないっス」
本当に余計なお節介を焼かれそうだったので、俺は若干苛立ちながら足を止めた。俺にとっては本当に過ぎたことだし、桜とだって和解できたのだ。先ほどは仕方なく話しただけで、これ以上他人に土足で踏み入られるのは遠慮願いたい。
「いいか、お前は……」
だが、俺はその先の言葉を紡ぐことができなかった。体に大きな振動が伝わってきたからだ。だがその振動はどこか優しい衝撃で、身体に柔らかい感触が伝わってくる。
「七瀬、お前……」
「これ以上、お世話になった人たちが不幸になるの……見たくないんスよ」
ぎゅっと、俺は七瀬に正面から抱きしめられる。あまりに唐突だったため避けることができず、そもそも七瀬がこんなことをするなんて予測することすらできなかった。そうして七瀬は俺のことを見上げる。彼女は涙目になってどこか諭すような表情で俺のことを見ていた。
「つらい過去を抱えたなら、今くらい楽しみましょうよ。私も目一杯協力したいっス」
「そんなもの、俺には必要ない」
「今は必要なくても、輝くような思い出がないと将来寂しくなっちゃうっスよ。それに自分は、まだセンパイが心から笑ってるの、見たことないっス」
そう言って、七瀬は俺の体から離れた。説教じみたことを言ったわりには、徐々に顔を赤らめ体をモジモジさせて……
「……自分もしかして、ちょっと大胆なことしてたっスかね?」
「ちょっと、どころではない気がするがな」
「びゃーー!? 忘れてくださいっス! あっ、でも言ったことは忘れないでほしいっス。でも忘れてください」
「どっちだよ」
俺は大きなため息を吐きながら七瀬と共に駅の方角へと歩く。こういうことがあると普通は気まずくなるものだろうが、先ほどまでの切羽詰まった空気感から解放されるきっかけになったからか七瀬はいつもの調子に戻っていた。
(輝くような思い出、か)
そんなもの、自分に作ることができるのかわからない。いや、そもそもそんな思い出は記憶を掘り起こす限り一つもない。その点に関しては、存外七瀬の言う通りなのかもな。このままでは俺は誇れるような思い出を一つも持たない惨めな人間になり果ててしまう。
(そんな思い出を作るために、今は障害が多すぎる)
……少しだけ頑張るか。
——あとがき——
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