第130話 鏡写し


「この家です、センパイ」



 俺たちは目的である橋本の家の前へと到着した。彼女の家は二階建ての一軒家で、二階の部屋はカーテンで占められており中を覗き見ることはできない。



「人の気配は……見たところないな」


「ええ。恐らくご両親はお仕事中なんでしょう」



 だがいつ両親が帰ってくるかわからない。できるだけ早いうちに彼女に接触する必要がある。ここは正攻法として正面から堂々と行ってみることにしよう。



「七瀬、インターホンを押してもらってもいいか?」


「ええ、わかりました」



 俺がそう言うと七瀬はすぐにインターホンのボタンを人差し指で押した。二回ほど家の中のベルが鳴り響いた後、静寂に包まれた家の中から応答が返ってくることはない。



「うーん、やっぱ出てくれないっスね。眠っちゃってるのかな?」


「とりあえずもう一回押してみて、次に出なかったら別の策を考えよう」


「はいっス」



 そうして七瀬は再度インターホンを押した。だが、先ほどと同じでインターホンから声が聞こえてくることはない。


 七瀬は溜息をつき、視線を俺の方へと向ける。



「センパイ、やっぱり日を改めて……」



 俺は諦めムードだった七瀬を手で制す。俺は七瀬に視線を向けることなく、インターホンのカメラとその右下で点灯している赤いランプを注視した。



(このインターホン、まだ通話中だ)



 通常、インターホンは一定時間が経つか家の中から通話終了のボタンを押すとランプが消灯するようになっている。だが、そこそこの時間が経ってもまだ赤いランプは点灯している。

つまり、誰かがモニター越しに通話を切らずこちらの様子を伺っているということなのだろう。通話を切ってしまえば、こちらの会話も聞こえなくなってしまう。



「喋らなくてもいいから、聞くだけ聞いてほしい」



 俺は一方的に、ただ愚直にインターホンのカメラとマイクに向かって話し始める。



「俺と横にいるこいつは、お前の敵じゃない」



 俺たちに危険性がないということを強調する。人間不信になりかけているのだとすれば、そもそも話をまともに聞き入れてくれない場合が多い。七瀬と一緒にいることがどれだけの効果をもたらすのかは未知数だが、彼女の存在をアピールしておくことも重要だろう。



「生徒会長が、お前のことを心配していた」


『……』


「俺はまだしも、横にいるこいつは深刻そうに悩んでいたぞ」



 嘘と本当を織り交ぜることを得意とする俺だが、今回ばかりはできる限り言葉を選んで彼女に語り掛ける。


 そして俺は想像する。彼女が今欲しい言葉は何なのか。本当に追い詰められているとするならば、どんな言葉をかけてやるべきなのか。



(……まるで、いつかの誰かさんみたいだな)



 仲良くしていたはずの友人たちが、いつの間にか自分のことを腫れものを見るような目で見つめてくる。その視線の痛さが、居心地の悪さが、忘れようとしても忘れられない。


 そして、少しだけ心を締め付けられた俺が絞り出した言葉が……



「逃げたいのなら、別に逃げても構わない」



 かつての自分が、追い詰められて至ってしまった結末を思い出してそう言った。



「素敵な言葉だよな、逃げるが勝ちって。運が良ければ逃げた先で今までの過去を切り捨てて新しい人生を始めることができるから。お前がその道を選ぶのなら、止める権利は誰にもない」



 けれど、そう言って俺は言葉を続ける。



「もしその道を選ぶのなら、今までの過去と決別する覚悟が必要だ。少なくとも、前の生活にはもう戻れない。わかりやすく言うなら、都合の悪い記憶を持つ人たちと完全に縁を切らなければならない」



 昔の自分は、その道を選んだ。本当は誰かに縋りたかったがそんな相手は一人もおらず、すべてがどうでもよくなって、最低限の事だけを考えてひたすらに無気力な毎日を過ごすことになったのだ。


 だがその結果、俺の心にはぽっかりと穴が開いてしまった。


 今の俺と彼女は、まさに鏡写しのような存在になりかけている。そして逃げるという選択肢を選んでしまえば、あの時の俺と同じ道を歩むことになってしまう。

 すなわち破滅という虚無感あふれるエピローグだ。



「だが俺が断言する、その道は確実に破滅する。なぜなら……人間は一人じゃ生きていけないからだ」



 俺が破滅しなかったのは、それでも気にかけて話しかけてくれた人ができたからだ。あれがなかったら、俺は本当の意味で廃人になっていたかもしれない。


 対して彼女はどうだろうか?



「それで聞きたいんだが、お前のことを気にかけてくれる人は一人もいないのか?」


『……』


「家族に限らなくても、本当にいないと思うか? 言っておくが『頼ってはいけない』はなしだ」


『……っ』



 小さく息を吸う音がかすかに聞こえた。きっと俺の言葉に何か思うことがあったのだろう。そして俺が決して虚空に語り掛けていたわけではないと察した七瀬は先程から真剣な表情をしてカメラの方へ顔を向けていた。



(彼女が、友人たちと会わずメッセージに既読をつけない理由)



 考えた結果、理由は二つくらいしか思いつかなかった。


 自分には頼る資格はないと思っているか、友人を巻き込むのを恐れているかだ。そして彼女の人物像を聞いてみた限り、おそらくその両方に該当する。



「友人を巻き込むのが怖いなら、友人ですらない俺に情報をくれないか? 俺は、実際に話したことのないお前が、俺を助けてくれるお人よしだって可能性に賭けるよ」



 そして、再び訪れる沈黙。だが、今度はスピーカーから音が聞こえるまで数秒とかからなかった。



『……あなたは、誰ですか?』



 弱弱しい声が、スピーカー越しに聞こえてきた。念のために七瀬の方を向き過度な反応をしていないことを確認する。ここで彼女が変に表情を変えてしまえば、一気に話す気が失せてしまうかもしれないからだ。


 だが幸いに七瀬も空気を読んでいるのか、それとも俺にすべてを委ねてくれているのか表情を変えずひたすら真剣な表情を貫いていた。



「……俺は」



 なんて名乗るべきだろうか。俺は決して正義の味方でもないし、本来なら彼女とは全く面識もない。もしかしたら、俺の子の返答次第ですべてが終わってしまうということだってあり得る。


 ここはやはり、無難な身分を言って嘘で乗り切ろう。



「俺は……」



 学校の先輩? 桜の友人? 七瀬に頼りにされている人?


 浮かんでは消えていき、そして最後に残ったものは……





「俺は……元正義の味方、だ」



 俺はそう名乗り、カメラの方へと顔を向け彼女の返事を待った。










——あとがき——

お久しぶりです

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る