第137話 因縁の決着


 吹き飛ばされた襖や気絶した男たち。さらには複数の乱入者の登場により部屋の中は混沌を究めていた。この家の中にいる他の組員には翡翠が部屋に近寄らないように言い伏せているため誰かの邪魔が入ることはない。だからこそ、俺たちは俺たちの目的を遂行できる。



「だっ、誰だ!?」



 俺たち三人を見て開口一番にそう漏らしたのは誰あろう理事長その人だ。普段は学校に来ない人間のため俺や三浦のことはまだしも、翡翠にも誰だと問いかけるとは。いや、気が動転してそこまで気が回っていないのかもしれない。どうやらそこにいる組長は、比較的温厚に接していたのだろう。だからこそ、それとは正反対の翡翠の歓迎に驚いているのだと思う。



「……」



 俺は改めて、自分の人生を狂わせた一端である理事長を見る。怒りや憎悪が溢れ出てくるかと思ったが、俺の心は思っていたよりも冷めていた。緊張や怯えなどではない。ただ単に、目の前にいる醜悪な生き物に心のリソースを割きたくなかったからだ。長い間、同じ空間に居たくないという拒絶感がそれに拍車をかけている。



「いや、違う。君は確か、翡翠くんか」


「今更気づいたのかよ。随分温和な脳みそしてやがんな」



 なんとなく温和の使い方が違う気がするが、言いたいことはなんとなく伝わってくる。そして翡翠から視線を外した理事長は俺と三浦のことを見てくる。そして怪訝そうな顔でぶつぶつと呟く。



「彼らは……いや、違うな。とすると……」



 そう口元で一人囁き自分だけの世界に入ってしまった。これ以上不毛なやり取りに時間を割きたくないので、話を進めてもらおう。俺はそう思い三浦の方へと視線を向ける。すると彼は静かに頷き俺と翡翠の一歩前に出た。



「こんにちは、理事長。三年の三浦といいます」


「三浦くん……ああ、確か元副生徒会長の」


「ええ。ご存じだったんですね」


「こう見えても、自分の学校に通う生徒で何かしら役職を持っている人には、教師生徒問わず覚えておくことにしているんだ」



 確かに、あいつは印象に残った生徒のことは覚えておく奴だった。そしてどうやってかそいつらの人間関係を暴き利用しようとする。大人だけではなく、まだ子供と言ってもいい中学生や高校生まで。



「では理事長、残念ですがここで引導を渡します。この写真をどうぞ」


「こっ、これは!?」



 そう言って三浦が理事長の方へ写真を向ける。事前に見せてもらったが、あれは理事長が雪花組の組員たちを買収しているときの写真だ。どうやらご丁寧に人目のつかないバーを利用して密会していたようだが、優秀な探偵事務所はその瞬間を抑えていたらしい。



「あれは、どういうことだ!?」



 そしてその写真を見て声を上げたのは組長だ。家族同然と言ってもいい自分の部下が目の前の下劣な男と酒を飲み交わしている。それを見て驚愕し目を見開きつつ、ふつふつとやるせない怒りがこみ上げているようだった。



「他にもこちらはいろんな写真や資料を持っています。学校関係者とは思えない人と関わる瞬間や、学校の口座から不自然に動いている資金。学校内部の問題事をいくつか揉み消している痕跡。さらに極めつけは、病院と結託し特定の患者へ脅しをかけていること。そのすべてを、こちらは把握しています」


「……」



 すぐに言葉が紡げないのか、呆気に取られている理事長。普段は口が回りどこか知性的な印象があったのだが、想定外のことが起こると無様にも固まってしまうタイプらしい。



(……さて、ここからどう言い訳してくるやら)



 俺はそう呆れつつも、胸元のポケットに目を向ける。俺の胸ポケットには小型のカメラを見えないように忍び込ませており、今この瞬間起きていることを音声付きでバッチリ録画している。証拠がないにしろ、この映像が世に出回った時点で理事長のキャリアに傷がつくことは確定だ。



「……どうやら、君は妄想癖があるらしいね」


「妄想、ですか?」


「ああ、そうさ。その写真はたまたま出会った気のいい飲み仲間と酒を飲み交わしていただけさ。その口座の資料は、うちの学校のものかな? だとしたら、その資金は今年度の二年生の修学旅行に充てられるお金さ。今年の修学旅行は海外を検討しているのでね。それだけお金が飛ぶのは不思議じゃないだろう?」



 そう言って写真や資料の疑惑について詳細に説明をする理事長。一見どれも理にかなっているように聞こえるが、彼が内心焦っているのを俺は見逃さなかった。きっと彼も無理があると思っているのだろう。今はそう言い訳していても、裏を取ればボロが出ることは明白。きっとここを逃せば、理事長は今言ったことを事実にするべく行動を起こす。


 だからここで、二の矢を放つ。



 三浦もそれは織り込み済みで、俺に確認を取るようにこちらを見た後すぐに口を開く。



「話が少し変わりますが、今停学になっている女子生徒のことを知っていますか? ご子息が関わっているのできっと印象に残っていると思いますが」


「ああ、確かにいたね。あの事件のことは私も心が痛むよ。何せ愛する息子が襲われそうになったんだからね」



 どうやら理事長は息子の行動についてもしらを切り通すつもりらしい。きっと周辺情報を調べ上げたうえで、そう言えてしまうくらいの事実を捏造したのだろう。だが、絶対に綻びはある。特にこんな風に私利私欲にかられるタイプの人間なら、なおのことだ。



「彼女に改めて事実の確認をしたところ、やはり自分はそんなことしていないと証言してくれたそうですよ」


「おやおや、それはいけませんね。また保護者を交えて話し合いをしなければいけないようだ」


「いえ、その必要はありません」



 そう、理事長は高を括っている。あの少女は何もすることができないと。恐怖に怯え自分の部屋に閉じこもるしかできないただの弱い子供だと。だからこそ、俺は橋本に会った時、彼女に発破をかけた。いや、かつて自分ができたかもしれない唯一の手段を伝えた。



「どうやら、彼女は自分が置かれている現状に耐えかねて、両親と話し合い警察に相談したらしいです」


「なっ!?」


「彼女と信也は、事件が起きる前にファミレスに寄っていた。当然、防犯カメラが店内にありますよね? もしかしたら、何か面白いものが映っているかもしれませんよ。例えば、加害者だったはずの女子生徒が眠っているところを介抱している誰かの姿が」



 そう、結局そうするのが一番早かったのだ。理事長が好き勝手出来るのは自分の支配下にある領域だけ。すなわち、学校や関係組織などだ。ならば俺たちは法律に訴えればいい。俺もあの時、いや中学校に入る前にもそうしていたら……そう、自分で全てを解決しようとするのではなく、誰かに助けを求めることができていたら。


 もしかしたら、何かが違っていたかもしれない。



「きっと今週中には、警察の方から連絡があると思いますよ。なにせあの時実際にファミレスに足を運んで確認しましたからね。監視カメラがきちんと作動しているのを」



 俺たちがあの時集結したファミレスこそ、橋本と信也が訪れたというファミレスそのものだ。監視カメラが店内のほぼすべてを見渡せる位置にあったのは俺も確認した。確実に彼らの姿が映っているだろう。


 通常監視カメラの映像は一か月程度保存されていることが多い。彼女が停学になってからまだ二週間も経っていない。ギリギリ映像が保存されているはずだ。


 そこから、全てが綻んでいく。



「今からでも帰って信也くんと話し合った方がいいのでは? まあ、どれだけ作戦会議しても揉み消せないものはあるでしょうけど。ああそれと、もしかしたら私の手元にある写真や資料がうっかりマスコミの方に漏れちゃうかも」


「……すべて妄想と捏造に過ぎないが、確かに信也とはもう一度話した方が良いようだ。どれ、私はそろそろお暇し……」



 理事長はそう言って立ち上がり俺たちの横を通ろうとする。だが、俺がそれを遮った。急に飛び出て来た俺に驚きよろけつつも、しっかりと俺のことを睨みつける。先ほどの温厚な顔が三浦とのやり取りを通して険しいものとなっている。



「そういえば、さっきからこの二人と一緒にいる君は誰なのかな? うちの制服を着ているからうちの生徒だということは分かるんだけどね。今後のために覚えておきたいから、是非名前を聞いておきたいんだ。」


「……俺のことを」



 覚えていないか。俺は理事長に聞こえない声量でそう呟く。俺みたいな敗北者の記憶は思い出す必要がないということで既に理事長の記憶の奥に葬り去られているのだろう。信也は覚えていたというのに、皮肉なものだ。


 けど、なんとなくそんな気はしていた。もし俺のことを覚えていたのであれば、あの体育祭の時に接触を図り、俺に何かしら仕掛けてくるはずだ。そして全力で過去の因縁を知る俺のことを貶めようとしていただろう。



「ふん、さっさと名乗りなさい。ああ、それとも写真を撮られたいのかな? 私とのツーショットにしておこうか」



 そう言ってスマホを取り出し俺のことを撮影しようとする理事長。確かに顔の写真さえあれば、後は教師陣に話を聞くだけですぐに俺の情報を特定することは可能だ。さすがに担任や授業を受け持っている教師であれば俺の顔を見れば一発で特定できる。生徒の情報が分かれば、後はそれらしい理由を付けて退学させればいい。この男なら、涼しい顔で退学届けに印を押す。



「獅子山理事長」


「ん?」


「ありがとうございます」



 あの時から、その醜い人間性が一切不変でいてくれて。



 俺はその瞬間、身体を前に倒れこませるように理事長の方へと距離を詰めた。危機を察知した理事長が体を強張らせて身を守るため手を前に出すがもう遅い。俺は理事長が右手に携えていたスマホをそのまま左手で握る。同時に右手で理事長のスーツの胸倉をつかむ。少し押してやると、彼は一気に倒れかけこちらが引っ張って支える形となった。



「なっ、何を!?」


「……」



 俺は何も言わず、ただ両手に力を込める。右手はただ布を握っているので何の変哲もないが、左手からはミシミシと鈍い音がした。やがて、パキリと何かが割れるような音へと変わる。



「リンゴを握りつぶすのには握力が80キロ以上必要だって言いますが、正確にはちょっと違うんですよ」



 立ったまま肘をやや伸ばした状態で、握った物体全体に圧力をかけるのではなく一点に集中するイメージで指を立て食い込ませる。ある程度の握力が必要なのは大前提だが、逆にその条件さえクリアしてしまえば……



「ス、スマホが……」



 スマホを使用できない状態にすることも可能になる。正確には画面を割って使えない状態にしただけで、スマホ全体をぐしゃりと潰すことは俺にもできない。だが、画面はもう映らないようで、機械としては完全に再起不能だ。

本当はカメラ部分を潰したりするなどもっと簡単な手段を取れたのだが、そんな姑息なことをしてもこいつが増長する理由が増えるだけだと判断しあえて思い切った行動をした。



 俺の行動には組長はもちろん、雪花や翡翠も目を見開いて驚いていた。三浦に関しては「せっかくの証拠が……」と呟いていたが、中に入っているSDカードはまだ潰れていないし、その気になれば警察は簡単にデータの履歴などを調べることができるはずだ。



「き、君は何を……」


「すいません、うっかり転んでしまって。理事長が目の前にいたので、つい手を伸ばしてしまいました。その時、強めにスマホを握ってしまったようです」



 俺はそう言って理事長から両手を放す。俺に引っ張るように支えられていた理事長は背中から床に倒れ込み、呻き声のような声を上げた。同時に、左手の指に鈍い痛みが走る。どうやら画面のガラス片が指に刺さって出血しているようだ。



 俺は呆気に取られている雪花に目線を送る。すると彼女はハッとし、俺が何をやろうとしているのかを察したようで静かに頷いた。そう、三浦はあくまで理事長を追い詰めただけ。彼の悪行はもう少し後で世に明るみに出るだろうが、その前にいくつか確約しなければいけない。



「理事長。さきほどあなたの息子が犯罪行為を犯している可能性があるとのことでしたが、もしそれが真実だった場合、この雪花家との縁談は解消するべきでは?」


「っ!? そ、そうか!」



 どうやらずっと呆気に取られていた雪花の父親である組長は気がついたらしい。もし理事長がこの後世間からバッシングを受け法の裁きを受けることがあれば、それが昔交わした約束を反故にする大義名分になるということを。



「そして縁談が解消されれば、雪花組と縁を切ることになる。つまりすべてが白紙になるんだ。残念だったな」


「なっ、何を言って……」


「雪花組を取り込んで、自分の悪事をすべてそこの組長に押し付けるつもりだったんだろう?」


「なっ、なんだと!?」



 組長はそこまでは気が付いていなかったか。未だに倒れ込んだままの理事長に目を向けると、驚いた顔が真顔へと変化している。ただの推測に過ぎなかったが、どうやら事実だったか。



「あんたを陥れるほどのネタを探偵事務所が握っていたが、明らかに証拠が揃いすぎていて少し不自然だった。そしてそのほとんどに雪花組の組員が関わっていた。まるで、自分は雪花組の人間に脅されてやっていたと言わんばかりにな」



 そうして被害者を演じ証拠をでっちあげれば、すべては雪花組を統括する組長の責任になってしまう。そうなれば、今までの悪事を追及されたとしても雪花組の人間に脅されたと証言するだけで、全て組長に責任転嫁することを狙える。きっとこの縁談も、理事長側が無理やり交わされたと言い出すつもりだったんだろうな。



「あくまで想像に過ぎないが、お前自身自分がやってきたことを全て包み隠せるとは思っていなかったんだろう? だから反社の組長というある意味で最高の捨て駒を手に入れるつもりだった」



 三浦の突き出した証拠にはそこまで大きな反応を示していなかったが、きっとそれは理事長の責任にするという手段があったからだ。だが、自分の息子が犯罪行為に手を染める決定的瞬間が映っていれば話は別。だから理事長は焦り始めているのだ。



「怖いよな、人間の一生って言うのは権力と狡猾さをもつ他人によってこうも簡単に狂わされてしまうんだ」


「君は……おまえは一体なんなんだ!」



 とうとう理事長が語気を荒げ俺に掴みかかってこようとする。翡翠や三浦が介入しようとしていたが、俺はそれを制止し、立ち上がった理事長に首元を掴まれる。自分の計算が狂わされたことで激高しているのか、顔が真っ赤になっている。



「彼方!」



 雪花が焦燥にかられたような声で俺の名前を叫ぶように呼ぶ。きっと本気で心配してくれているのだろう。こんなタイミングだが、何だがそれが無性に嬉しかった。徐々に首が締まって、揺さぶられることで視界がブレてくる。命に関わる事態だが、他人を軽んじる理事長にはそれが分からないのか尚も力を強めて俺に怒鳴りつけてくる。



 ああ、本当によかった。こいつが救いようのないほど自己中心主義な人間で。



 俺も思いっきりやれる。ある意味年相応に。あるいは、今までの雪辱を腫らすかのように。



それか、友達かもわからないやつらの苦しみを乗せて。




「惨め、だな」


「黙れぇっ! お前みたいな奴が、大人の話に口を……」


「お前がっ、本当の意味でっ……息子に愛を注げていたら、何か変わっていただろうっ……さっ!!」


「がぁっ!?」



 俺は理事長の手首を思いっきり掴み、これまでのしがらみを振り払うような勢いで理事長の腕を払いのけた。今のやり取りを経て思ったが、どうやらこの理事長は荒事には慣れていないらしい。ちょっと凄むだけで、急に威勢が弱くなる。



「もう、二度と……」



 俺は右手を思いっきり握り締め振り上げる。今までの因縁と苦しみを全て込め、今まで心の奥底でひしひしと燃えていた憎悪を、かつて持っていた情熱へと変える。不思議と涙が出そうだったが、それを歯を食いしばってぐっと堪えて……




「もう二度と、勝手に他人ひとの人生を荒らすんじゃねえぇぇぇっっ!!」



 理事長の顔面目掛けて拳を振りかぶる。見事な右ストレートが決まり、理事長の体が数瞬だけ宙を舞う。僅かな浮遊の後、カエルのような声を上げて理事長は気を失った。口の中が出血しているだろうが、命に影響がないようにしておいた。過剰防衛ということで面倒なことになるかもしれないが、そんなことはもうどうでもよかった。



「はぁ……はぁ……」



 俺は息を荒げ、気絶した理事長を見下ろす。まだ信也が残っている。だがそれでも、俺は目標の一つを果たすことができたのだ。そのことで胸がいっぱいだった。あの悔しさと虚しさで溢れた日々にようやく意味を見出すことができる。それを祝福するかのように、両手が鈍い痛みを脳に送りつけてきた。



「これで、やっと……」



 少しは、楽になれるのかな?



「……彼方」



 いつの間にか隣に雪花が立って俺のことを覗き込んできた。ふと周りを見ると家全体が騒がしくなっているようで、翡翠と組長が家にいる組員たちに指示を飛ばしていた。そして三浦はしれっといなくなっており、指示を出す組長に横で何かを話しているようだった。



 俺はその光景を見て思わず膝をついて脱力する。もう俺の役目は終わった。あれほど苦しんだ悪夢が、一瞬にして消え去ったのだ。どこか虚しい気持ちがあるが、きっとこの感情とは長い年月をかけて付き合っていくことになるのだろう。


 すると、雪花が俺の背中に手を回してさするように撫でてくる。そして、いつもは無表情で無愛想な顔に、僅かながら笑みを浮かべて……



「……お疲れ様」


「ああ、そうだな“」



 俺の頬に、一筋の雫が伝った。










——あとがき——

お久しぶりです。ようやく山場を終えてホッと一息ついている在原です。更新が滞っていた理由は近況ノートでも見ていただければ……

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