第136話 雪花亭にて


 雪花家にて


 屋敷の中はどこも重苦しい雰囲気に包まれていた。いつもは気の抜けている組員たちも、この日ばかりは慌ただしく動いており、生唾を飲む者や新人に怒鳴り散らかす者などもいた。そして家の中で一番広い今にて、堂々と座りつつもどこか落ち着かない男がいた。



「瑠璃、本当にいいのか?」


「ん、別に構わない」


「もし、もしもだぞ? お前がこの婚約を嫌だと一言でも言ってくれれば、オレはすぐに行動に移る。お前の婚約が破棄されるようにな」


「お母さんはどうするの?」


「案ずるな。珠希には一切危害を加えさせない。正面から実力でねじ伏せてやる」



 雪花組の組長であり、二人の子を持つ父親でもある雪花琥志郎が自身の娘と話をしていた。以前は家の面子を保つといった手前、軽率に昔から決められていた約束を違えることはできない。だが、それでも最大限娘の思いを尊重したいと思う親心が最後の最後で琥志郎の意志に陰りを見せていた。



「お母さんと何か話したの?」


「……ああ。もし瑠璃がこの婚約を嫌だというのならその意思を最大限尊重してやれとな。もともとオレもそのつもりだった」


「……でも」


「古い取り決めなど、くそくらえだ。オレは……いや雪花組は、姑息な野郎を断じて認めない!」



 そうして琥志郎は目の前にあった湯飲みの茶を飲み干し、割れそうな勢いで湯飲みを叩きつけた。普段は温厚に努めている雪花組の組長も、この時ばかりは荒ぶっていた。


 そしてそんな中、慌ただしくこちらへと組長たちの元へと駆け寄ってくる足音が聞こえた。そして「失礼します!」という声の後、雪花組の中でも位の高い者が二人の元へと寄ってきた。



「相手さんがご到着しました。どうしやすか?」


「……通せ」


「はっ!」



 彼が部屋を出た後、先ほどまで慌ただしい喧騒に包まれていたこの屋敷が一気に静まり返った。きっと総出で相手の出迎えに行っているのだろう。目的としては相手に威圧を与えるということが挙げられるが、それが意味を成す相手なのかどうかは定かではない。



「ところで瑠璃、翡翠はどこだ?」


「なんか用事があるらしくて、出掛けてる」


「くっ、あいつめ。姉の婚約に最後まで反対していたくせに、こんな時に限っていなくなりよってからに」



 ギリリと歯を軋ませる勢いで顔を歪める琥志郎。翡翠がいれば自分にとってもいい発破になると考えていた分、かえって冷静になってしまった。



「……ふぅ、オレがあと二十ほど若ければ、こんなことで迷いはしなかった」


「お父さん、無理しなくても大丈夫」


「しかし瑠璃よ……」


「もう来る」



 彼女がそう言うと、障子の向かいにシルエットが浮かび、扉の口へと近づいていく誰かが見えた。それを見た琥志郎たちは佇まいをただし、改めて相手を向かい入れる体制を作る。そしてすぐに父親から組長へとモードを切り替えた琥志郎は、睨みつけるように入室を促す。


 そうして、重圧があるのにどこか軽い声と共に一人の男が入室する。



「いやいや、タクシーが渋滞にはまって少し遅れてしまいました。お待たせしてしまい申し訳ございません」


「いや、構わない。好きなところに座ってくれ」



 そうしてお土産と称する菓子折りを組員に渡し、琥志郎と向かい合うように男は座る。瑠璃は父親の横にちょこんと座り、ゆっくりと目の前の男を見た。



(この人が、私の学校の理事長)



 婚約の約束をしていて何度か会っているのだが、未だにその実感がない瑠璃。そもそも理事長がどんな仕事をしているのかよくわかっていないが、自身の父親と臆せず対等に話している時点でそれなりの権威を持っているのはわかっている。


 そして事前に連絡があった通り、息子で当事者であるはずの信也が来ていない。これは今回の顔合わせで良い事なのか悪い事なのか、それはこれから判断することになりそうだ。



(……私は余計なこと言わないで黙っとこ)



 そうして瑠璃はこの時間を虚空を眺め徹することにした。どうせ自分が何か意見を言ったところで、この大きな流れに影響を及ぼすとは思えない。だからこそ、このまま成り行きを見守ろうと姿勢を正す。



「本日はお招きいただきありがとうございます」


「ふん、そちらのご子息に改めて挨拶をしたいと思ったが、今日は来ていないのか」


「ははっ、どうかご容赦を。うちの息子は塾で勉強中です。それにこのような場に慣れていないので、連れてきて誤ったマナーを披露してしまえば逆に失礼に当たると思いまして」



 聞いていた通り、威厳がある割にのらりくらりとした人だ。桜から少しだけ話を聞いていた手前、以前よりも警戒度が上がっていた。しかし、目の前の相手はそんな私のレーダーをかいくぐるような気軽さと雰囲気を纏い、どうも自分の中の認識と目の前の理事長の態度が嚙み合わず気味が悪い。


 それが顔に出てしまっていたのだろうか、理事長は瑠璃に目を付けニッコリとした笑顔で話しかける。



「雪花さんも、そんなに固くならなくて大丈夫ですよ」


「……お気遣い、どうも」


「ええ。これからは正真正銘、身内になるので」


「……」



 思わす背筋に寒気が走ってしまったが、顔に出してしまった瞬間どんな反応をされるかわからないので太ももをつねって何とか誤魔化す。どうやらこの男にとって、私が自身の息子と婚約することは既に決定事項のようだ。



(でも、いったいどうしてそこまで)



 こう言っては何だが、自分自身に女としての魅力はあまりないと思っている。態度は悪いし背もちっこいし、おまけに初対面に関わらず愛想のない受け答えをしてしまうせいで交友関係が壊滅的。


 それでも婚約を積極的に押し出してくるのはそれ以外の目的があるということ。だが、大方の察しはつく。この雪花組を取り込むことだ。


 良くも悪くも、雪花組は地元を始めとし日本全国に独自のネットワークを持っている。私はあまりよく思っていないが、裏社会の人間の売買の仲介など、悪行に手を染めている者も少なからずいると聞き及んでいる。もしかしたら理事長は、その伝手が狙いなのかもしれない。雪花組を支配することができれば、これまで以上にビジネスの幅が広がることは明白だ。



「そういえば、お聞きしましたよ。先日フィリピンの方へ旅行に行かれていたとか。いやぁ、羨ましい限りです」


「オレはその話を、お前にした覚えはないが?」


「ははっ、私もどこで聞いたか忘れてしまいました。風の噂、だったような気がします」


「そうか、風の噂か。嫌な風を吹かせている者がいるみたいだな」


「ええ、まったくです。フフフ」



 バチバチと火花を散らすような舌戦を繰り広げている二人。私としてはお父さんが旅行に行っていたという事実に衝撃だが、その行動を把握している理事長の方にも恐ろしさを感じる。きっとこの男はこの男で独自のネットワークがあるのだろう。



「フィリピンの方では、日本の財政界に食い込んでいるドンと酒の席を嗜んでいたとか。私にはそのような真似、とてもとても」


「ふっ、消されたくなければこれ以上その話をこの場で蒸し返さぬことだな。今どきはどこで誰が聞いているかわからんぞ?」


「おお、それは怖い怖い」



 次々とこちらの情報の答え合わせのようなことをする理事長の狙いは揺さぶり……なのだろうか。瑠璃自身も知らなかった情報を当たり前のように披露する目の前の男が不気味に映る。


 だが、琥志郎のほうはすぐにその情報源について心当たりを付けていた。



(こりゃ……うちの組から何人か買収されてやがんな)



 自分たち以外知るはずもない情報を相手が知っている。つまりは雪花組の内部に情報提供者がいるということに琥志郎は気付く。そして内心頭を抱え沸々と湧き上がる怒りを顔に出さぬよう努めていた。



(誰だ。この期に及んでこんなふざけた奴に心売ったのは?)



 自分たちはそれこそ家族のように固い結束で結ばれている。琥志郎はそう信じていたし、そうなるように全力で組員たちのことを気にかけていた。組員一人一人の名前だって覚えているし、なぜ雪花組に入ったのかもきちんと話してもらっている。それでも、裏切り者がいるという漫然とした推測に琥志郎は少なからずショックを受けた。



「そういえばご存じですか? 学校の近くにある図書館が老朽化で取り壊されてしまうことになったんですよ。あの図書館は蔵書数が多いので、私としてはとても残ね……」


「随分と、無駄な話が多いな」


「おや、もともとそういう親睦会だったと記憶していますが?」


「ふん、オレが親睦を深めたかったのは息子のほうだ。一回挨拶したきり会いに来ねぇから、そろそろもう一度会っておかなければと思ってな」



 そう言って目の前に置かれたお茶を先ほど同様飲み干す勢いで流し込む琥志郎。その様子を見て相変わらず表情を変えず笑みを浮かべる理事長。二人の様子と気迫を肌で感じて瑠璃は息が詰まりそうになっていた。


 お互いに腹の探り合い。もしこのやり取りの優劣をつけるのであれば、こちらが話の主導権を握っている。だが、それを感じさせず威圧に自信で返してくる理事長。一体どれだけの修羅場を潜り抜ければ組長を務める父親相手にこれだけ大きな態度でいられるのか、瑠璃には理解ができなかった。



「ああそうだ、私から提案がありまして……」



 しばらく当たり障りのない会話をしていた二人だったが、急に学園長が会話の流れを切って新たな話題を出してくる。心なしか、少しだけ纏う雰囲気と空気感が変わった。貼り付けていたような笑みが微笑に代わり、こちらを諭すような口調で言って来た。




「雪花組、解散しません?」


「ア“ァ”!?」



 まるで呼吸をするがごとく当たり前のように、理事長は琥志郎に向かって唐突にそう言って来た。そしてそれを聞いた瞬間、琥志郎の纏う雰囲気が一変し怒りの形相に包まれ、握っていた湯飲みを粉々に粉砕した。



「そう怒らないでください。きちんと理由がありますので」



 そう言って理事長は口早に捲し立てるようにそう言ってくる。すぐに黙らせようと立ち上がりかけた琥志郎だったが、それより早く理事長が理由をつらつらと述べた。



「ほら、この場所って少なくとも五つの学校が学区に指定しているんですよ。当然、まだ幼い小学生なんかもこの家の前を通ります。保護者は心配しているんですよ。自分の子供が社会の底辺に理不尽な暴力を振るわれないか」


「……」



 立ち上がろうとしていた琥志郎だったが、その話を聞いて思わず二の足を踏んでしまう。その話は以前から琥志郎も把握しており、組を完全に統制することで子供相手に間違ったことが起こらないように気を配っていた。


 しかし、それでも学校や教育委員会から苦情が入っているのは事実。そして目の前にいるのは、その中でも特に権力を持っている人間だ。そんな人間にこの話をされた後で乱暴を働いてしまえば、雪花組の存続が本気で危うくなってしまう。


 琥志郎が怒りと理性を天秤に掛けている間、矢継ぎ早に次々と理事長は言葉を重ねてくる。



「それにあなたのご子息たち。もし父親がこのような組織で長を務めていると知れ渡ってしまったら、いったいどんな扱いを受けるでしょうねぇ? いや、もしかしたら既に受けているかもしれない」


「っ……」


「それに、入院しているあなたの奥様にも影響を及ぼしてしまうかもしれませんよ? ほら、もしかしたら明日にでも病院を追い出されてしまうかもしれませんよ?」


「貴様ッ!」



 今すぐ飛び掛かってその口を黙らせたいが、家族のことを話題に出された影響で琥志郎の中に留まっていた僅かな理性が息を吹き返す。ここで下手に攻撃してしまえば、組だけでなく家族にまで影響が及んでしまう。



(くっ、わかってはいた。やはり、権力を持ち教育機関に身を置いている人間は強い)



 教育機関に関わっているというだけで、その人物に一定の信頼性が生じる。だからこそ、このような組織を立ち上げている自分たちとはこれ以上ないほどに相性が悪い。琥志郎は改めてそう痛感していた。



(この男なら、瑠璃や翡翠の進路を路頭に迷わせることが本当に出来てしまう。そして、珠希の入院している病院にすら、どうやってか影響力を持っている……)



 琥志郎の行動は完全に封殺されてしまっている。固まっている琥志郎を見て笑みを浮かべる理事長。その様子を見て満足したのか、琥志郎に落ち着き座るように言った。



「これは、あなたたちの立場を改善するためのものでもあるんです。組という形態が無くなれば、あなたたちの社会的立場は保障される」


「どこにそんな保証がある?」


「私が保証しますよ。あなたが協力してくれるなら、いくらでも」



 何に対しての協力か。それを一切述べていない理事長。だが、それが自分たちにとって良くないものだとすぐに察する瑠璃。そしてそれは琥志郎も同じだった。


 琥志郎は、ふと瑠璃のことを見た。その瞳は瑠璃にすまないと語り掛けているようであった。他人が見れば、琥志郎が全てを諦めたように見えるだろう。だが、瑠璃には違った。



(お父さん、ヤる気だっ!)



 あと数秒すれば、琥志郎は理事長に飛びかかって殺すような勢いで暴力を振るうだろう。だが瑠璃にはそれを止められないし、止める理由がない。しかし、それをすれば雪花組……家族の何かが終わってしまう。そんな気がした。



「っ、お父さ……」



 瑠璃は父親を止めようとすぐに手を伸ばすも、琥志郎は理事長に向かって一歩を踏み出していた。それを見て理事長は驚き思わず後ずさる。理事長に武術の経験はないため、暴力団の組長を務める人物に襲われてしまえばひとたまりもない。



「ちょ、本気ですか!?」



 さすがの理事長も、琥志郎の鬼気迫る顔を見て顔を青ざめる。家族のことを暗に脅せば、琥志郎はここで落ちるはずだと踏んでいた。だからこそ、計算外のことが起こったことに理事長は焦る。



(っ、ここは全力で逃げて……)



 だが、組員が蔓延るこの屋敷を抜け出すことは難しいとすぐに気が付く。そして、気が付けば組長の手が理事長に迫って……










 バァンッッッッッッ!!!!




 理事長の後ろに位置する襖が、はじけるように思い切り部屋の中へと飛んできた。



「「「っ!?」」」



 想定外の事態に、部屋の中にいた三人は思わず身をすくめる。飛びかかろうとしていた琥志郎は出鼻をくじかれ思わずその場でよろけ、すかさず瑠璃の身を守ろうと娘の近くに駆け寄った。そして先ほどまで窮地にいた理事長も、すぐに振り返り一体何事かと目を見開く。



 そして、そこから現れた人物たちは……




「ギリギリ間に合ったみたいだな」


「おいクソ探偵、てめぇのせいで余計に遅れたぞ、ア“ァ”!?」


「ほ、ほら、二人とも落ち着いて。ここからが正念場だから」



 がやがやと言い争いながら、ボコボコにされた大人数人を引きずってきた彼方たちの姿があった。彼方と翡翠の二人が大人数人を引きずり、それを横で見ながら苦笑いする三浦。

 この空間で一番驚いていたのは瑠璃だった。先日桜にこの親睦会のことを相談したが、まさかこの三人がここまで派手な登場をするとは思っていなかった。


 そして二人は理事長の前に引きずって連れて来たその人物たちを寝転がす。琥志郎と理事長は、お互いにその人物を見て驚いた。



「なっ、どうしたお前たち!?」


「よぉ親父。どうもこいつら、そこのふざけたオッサンとやり取りしてたらしいぜ。少し圧かけて脅したら、すぐにボロ出しやがったよ」


「っ!?」



 息子から明かされる事実に、琥志郎は目を見開いて驚いた。今までどこに、横の二人は誰なのか。聞きたいことが多すぎて、すぐに言葉を紡げない。


 そうして、場が混沌に包まれてきたところで……



「……終わらせるぞ、全ての因縁を」



 彼方の復讐劇がようやく幕を開けた。

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