第138話 裁き
蓋を開ければ案外呆気ないものだった。いや、きっと俺が抱えた数年にわたる怨念と周りの協力があってこそこんなにあっさりと事が運んだのだろう。あの後、雪花家はこれまでにないほど慌ただしいこととなった。
まず、俺に殴られ気絶した理事長だ。さすがにそのまま放置するわけにはいかないので組長が組員たちに指示を出し別の部屋で寝かせているそうだ。もっとも、理事長はかなり雑に運ばれたようで綺麗なスーツに畳の棘が刺さっているようだったが。
そしてその後は翡翠を中心に裏切者の洗い出しが行われることになった。金を受け取った者や酒を交わした者など、三浦の協力もあり合計で十名弱の組員たちを拘束することとなった。もっとも、拘束というほど厳しいものではなく別室に隔離して他の組員に監視の目を光らせてもらっているだけらしいが。
ちなみに三浦はもうすでに帰ったらしく、バイト先である探偵事務所の上司たちとしばらく会議になるそうだ。一体どのような議題が話し合われるのか、復讐の一つを終えた俺には関係のない話題だろう。
そして、そんな騒動を引き起こした中心である俺はというと……
「「……」」
二人しかいない部屋はひっくり返るほど騒がしい家の中とは反対に気まずいほど静かだった。俺は他人のベッドの上に足を組みながら座っていたが、特になにも考えるわけでもなくボーっとして過ごしていた。
「……お水、飲んだら?」
「生憎と、喉は乾いていない」
「……そう」
短いやり取りをした後に、再び部屋の中は静寂へと逆戻りする。俺の扱いにはさすがの組長も困ったらしく、とりあえず別室でしばらく待機していた欲しいとお願いされた。そこに雪花がそれなら自分の部屋を貸すと父親に提案したのだ。そして父親である組長はそれを承諾して雪花に俺のことを任せた。
「「……」」
しかし、あんなことがあった後に何を話せばいいというのだろう。きっと雪花も同じようなことで悩んでいるのだろうし、そもそも無理に会話をする必要もないのだろう。だからこそ、刻一刻と時間だけが過ぎていく。
「……そういえば、一つ聞いてもいい?」
「なんだ?」
「……まだ、彼方の復讐は終わってないの?」
どうやら雪花は以前軽く過去を話した手前、俺の心情にとっくに気が付いていたらしい。それとも、桜に事前に何かを言われていたのだろうか。雪花は俺の顔を覗き込むくらい真剣な瞳で俺にそう語りかけてくる。
「……そうだな」
「……そう」
顔を伏せまるでどこか俺のことを哀れむような、あるいは心配するかのような声を漏らす雪花。凍り付くようなその顔が、今の俺にはどこか印象的だった。だが、次の瞬間には何か覚悟を決めたように再び顔を上げて俺のことを見る。
「……私も、協力するから」
「なに?」
雪花のその提案は正直予想外だった。俺の残っている復讐相手、すなわち理事長の息子である信也とは確かに雪花も直接的な因縁がある。だが、俺に任せて自分から行動することは自重すると思い込んでいたためにその発言は予想外だった。
「俺一人で事足りるが?」
「確証はあるの?」
「限りなくな」
「それでも、百パーセントではないでしょう?」
まるで揚げ足を取るかのように、いやお互いが揚げ足を取ることを狙っているかのような会話を繰り広げる俺たち。だが、雪花の決意は固いようで一歩も譲る気はないように見えた。
「……私だって、やられっぱなしは嫌だから」
「けど……」
「それに、彼方にばっかり負担をかけたくない」
もしかしたら、雪花は既に気付いているのかもしれない。ここに至るまで、俺の心が酷く擦り切れていることに。これ以上俺に一人で復讐劇を続けさせようものなら、精神的にいつか限界が来てしまうということに。
「……あと、お前に言っておくことがある」
すると雪花はどこか緊張するように、今度は俺から顔を背ける。まるで何か照れくさいことを考えているような顔をしている。そして十数秒ほどの空白の時間の後、雪花が言葉を紡ぐ。
「私は……」
だが、雪花の言葉がそのまま続くことはなかった。雪花の声よりを大きく上回るドアのノックがそれを遮ったからだ。雪花はギョッとしたように身をすくめ、扉の方へと歩いていく。彼女の顔がどこか赤いのは気のせいだろうか。
そして雪花がどこか不機嫌そうにドアを開けると、慌てた表情の翡翠が顔をのぞかせた。
「おいっ、姉貴! ついでにてめぇも!」
扉が開いたことで、雪花家の慌ただしさが改めて喧騒となって部屋の中に響いて来る。そしてそれ以上に大きな翡翠の声が、何か緊急事態が発生したということを物語っている。
「なに、翡翠?」
「姉貴? なんでそんなに機嫌悪そ……って、今はそれどころじゃねぇ!」
そして翡翠が自分の話をちゃんと聞くようにと再び声を荒げる。そんなことをしなくても別に話を聞かないなどの意地悪はしない(聞かなかったら暴力を振るってきそう)のだが。
「理事長の野郎、隙を見せた途端に消えやがった。今、家ん中を総当たりで探してる。念のために外もな。姉貴も警戒しておけ」
そう言い残すと、翡翠は走り出すように家のどこかへと消えていく。確かに、雪花家は他の家に比べてかなり広い。もしかくれんぼでもしたら隠れ場所によっては一日中見つからないことだって難しくはないと思う。だからこそ、総員でリスクを排除するために捜索しているのだろう。
「……家の中に、隠れてるってこと?」
「いや、恐らくだがもう外に出たな。俺ならこんなリスクだらけの場所に留まろうとは思わない」
「いや、でもどうやって……」
「協力者がまだ潜んでいるってことだ。雪花は翡翠の代わりにそっちを探してみろ」
「う、うん……」
そういって俺はずっと座っていたベッドから立ち上がり、部屋の外へと出た。理事長のこの家から出たということであれば、俺もこの家の中に留まる理由はないだろう。組長への説明も面倒だと思っていたし、ここらでお暇させてもらう。
「それじゃ、俺は一度帰る。気を付けろよ」
「うん……あっ、彼方」
「なんだ?」
「……なんでもない」
そう言って俺を横切るように部屋の外へと出て雪花もどこかへと消えていった。そういえば、雪花はさっき俺に何を伝えようとしていたのだろうか。改めて伝えなかった当たりきっと大したことではないと思うのだが、俺はなんとなくそれが気になるのだった。
男は一人、夜の街の中を走っていた。いつもはタクシーを使うのだが、あいにくスマホが壊れておりタクシーを呼び出すことができない。それに支払いを電子決済で済ませているため運よくタクシーを拾えたとしても料金の支払いができなかった。
「くそっ、なんでこんな目にっ」
鈍い痛みを発する頬をさすりながら、理事長である獅子山は自宅へと急いで走っていた。この時間なら、ちょうど信也も帰ってきているはずだ。一度信也と話し合いを……いや、それよりもまずは安全な場所へと避難するところからだ。あの家の場所はすでに雪花組も把握している。
「それにしてもあのガキ、一体なんなんだ!?」
理事長は自分の事を思いっきり殴ってきた少年に憤っていた。どこかで会ったことがあるような気がするが、どうにもそれが思い出せない。自分に恨みを持っているような言い回しに、あの説教臭い言い回しに無性に腹が立つ。彼が何者か思い出したら、真っ先に陥れてやろう。
いや、むしろそんなことより……
「信也め。火遊びは大概にしろと口を酸っぱくして言っていたのにっ、あのバカ息子がっ!」
自分の息子へと怒りがこみ上げてくる。あのファミレスの映像は完全に予想外だった。いや、こちらが先に入手出来ていればいくらでも改ざんの余地はあった。だが、先に警察へと資料が渡っていたのであれば話は別だ。まず間違いなく、家宅捜索が入るだろう。
「データの類は問題ない。バレないところに移動し完全に削除している。だが、信也のことまでは揉み消せない……」
理事長はもし自分に法の裁きが下ることになった場合に備えて証拠となるようなものを外部のソフトウェアを使ってPC上から完全に削除していた。だが、信也がこのような不祥事を言い訳のしようもない証拠付きで引き起こしてしまうことは完全に想定外だったため、そちらまで手が回らない。
「……残念だがお前はここまでのようだな、信也」
彼は、自分の息子に対して完全に見切りをつけた。時が経つにつれ自分に似て心に狂暴性を宿すようになった信也を見て、いずれ取り返しのつかない火遊びをしてしまうだろうとは思っていた。そしてそれが起こるべくして起こってしまった。
これからは自分の身の振り方を考えなければならないため、信也に構っている余裕はない。自らの首を絞めるような証拠を今から帰って全て削除した後に、これから降りかかるであろう火の粉を全て払いのける。
きっともうじき信也は警察の世話になるだろうが、自分も息子の豹変に驚いている被害者だと吹聴すれば済む話だ。良くも悪くも、信也の評判は前の学校でもすこぶる悪い。マスコミを雇いあえてその辺の噂をながすことで保護者である自分も脅されていたという事実を作り上げることができる。
信頼は多少失ってしまうが、そんなものは後でいくらでも取り返せる。今は未来のことだけを考えて動かなければ。今まで以上に忙しくなりそうだ。
「さて、まずは手始めに……」
「ちょーっといいかな、そこの人」
すでに暗くなった静かな住宅街で声を掛けられて、思わずびくりと肩を震わせた。心臓の鼓動が早くなるのを感じながら振り返ると、そこには不気味な男が立っていた。小奇麗なスーツを纏っている割にはどこかみすぼらしく弱弱しい男だった。
(警察では、なさそうだな)
もう警察が事情聴取に乗り出したのかと警戒したが、男の外見からひとまずそれはなさそうだと安心する。だが、理事長が警戒を解くことはなかった。なにせこんな人気のない時間帯の住宅街に声を掛けてくる人物なんて怪しさ満点。一指導者としては間違いなく教え子にすぐに逃げろと言っているだろう。
「少し聞きたいことがあってね。申し訳ないがいいだろうか?」
「は、はぁ?」
見た目とは裏腹な明るい口調に思わず同意してしまった。だがこの雰囲気からして、恐らく迷子になってしまったから道を教えてほしいとかそんな質問だろう。とりあえず土地勘はある方だし、さっさと答えてすぐに自宅へ……
「悪を裁くべきは善か、それとも同じ悪か。どちらが良いと思う?」
「……は?」
「悪いが、僕は根っからの悪党でね。合理的な方法しかとることができない」
そうして真っ白な手袋を嵌め、男はゆっくりと近づいて来る。ようやく自身が恐怖しているのだと脳が自覚した時には、もう手遅れだった。いや、そもそも既に手負いの理事長にはどうすることもできなかった。
「君にはここでご退場いただこう。これから始まるだろう子供同士の喧嘩に大人が首を突っ込むのは野暮だしね。大人の不祥事は、大人が解決するのが望ましい」
夜中の住宅街に、鈍い音が何度も響き渡る。理事長のか細い悲鳴は家族で団欒を楽しむ家庭には届くことはなかった。
数時間後、住宅街をけたたましいサイレンの音が支配する。さらにその数時間後には、住宅街で全身を激しく殴打され意識不明の重体になった理事長が通行人によって発見されたというニュース速報がお茶の間の話題を支配するのだった。
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