幕間 橘彼方③
「あの……」
「ん、どうしたのかな?」
放課後になった僕たちは一度帰宅し、私服に着替えて待ち合わせをした。ちなみに桜は白いワンピースという可愛らしい服で妙に気合が入っていたのだが、僕は適当に黒を基調とした目立たない服をチョイスした。そして僕たちが入ったお店は……
「どうして、お茶するって言って来た場所が将棋会館なんですか!?」
「あれ、やっぱり八枚落ちじゃなくて十枚落ちの方がよかった?」
「いや、これ以上手加減されても……それより、なぜ、ここなのか、聞いてるんです!!」
着いて中に入り二人で一局勝負していたが、徐々に緊張がほぐれてきた桜は彼方にそんな言葉を吐きつつ憤る。確かにお茶はもらえたが、こんな服を着て来る場所じゃないし、何ならデートですらない。
(あれ、デートって……)
彼方はそう言っていたが、よく考えてみると桜もデートがどのようなものかよく知らない。それどころか、今まで友達と遊びに行く機会もほとんどなかったのだ。もしかしたら自分の感覚がおかしいのかと錯覚してしまう。彼方と一緒にいてどんどん感覚がずれてくるのは今に始まったことじゃないが、今日ばかりは不安になる桜だった。
「うーん、桜……弱くない?」
「そ、それはその、いきなりでしたし、ルールもうろ覚えで……」
「というかこの指し方、もしかしてチェス派?」
「……はい」
ボードゲームにおいて、将棋とチェスはトップシェアを誇る競技といっても過言ではない。そんな桜もネットでチェスを嗜んでおり、その癖が将棋に現れて気が付けば彼方に追い詰められていた。ちなみに桜は決して弱くはない。シンプルに彼方が強すぎるのだ。
桜のネットチェスの勝率、おおよそ70パーセント!!
「チェスと将棋は少し似てるからねぇー」
「そ、そうですよね」
「ま、僕もチェスはたまにやるから、今度やってみようか」
「あ、はい。是非!」
ちなみに二人は後日学校にチェス盤を持ち込んでチェスをすることになった。そして案の定彼方に無双され桜は心に雨を降らせるのだが、そんなこと桜はまだ知る由もなかった。
「それで、どうしてこんな所まで?」
「ああ、そういえばそうだったね」
先ほどはお茶とかデートとかいう方便で誤魔化されていたが、彼方が桜をどこかへ誘う機会など今までなかった。つまり、何か意味があるのだろうと桜は予感していた。
「この前の件、覚えてるかな?」
「えっと、駅前で泣いていた小学生の男の子を助けたって話ですか?」
「そんなこともあったけど、今は違うかなー」
つい先日小学生の男の子を駅前で見かけ、思わず話しかけてしまった。たしか、お姉ちゃんとケンカしちゃったとかなんとか……
僕が話しかけたら周りの人はなぜか少しざわついていたものの、多少の相談には乗れたと思う。とりあえず、お菓子とか手紙でも送って機嫌を取っておけとか言ったような気がする。うん、やっぱりコミュニケーションは大切だ。
……おっと、話が逸れてしまった。
「ほら、学校が不正をしてるって話」
「ああ、あの信憑性の欠片もない話ですよね。全く、あんなこと現実にあるわけ……」
「……証拠掴んじゃったんだよねー」
「……え」
彼方がそう話し出すと、飲んでいたお茶を吹き出しそうになる桜。彼女が落ち着きを取り戻したのを見計らい、彼方はここ一週間のことを桜に話し始める。将棋会館を選んだのは学校関係者がいないと踏んでのチョイスだった。
「それじゃ、本当に偽装を?」
「調べたデータが改ざんされたものじゃなければね」
「そう、なんですか」
通っていた学校が不祥事を起こしていたことを知り、思わず俯いてしまう桜。彼方は転入してきたからダメージが少ないだろうが、同じ系列の小学校に通っていた桜には少なからずショックだったようだ。
「成績の偽造って、それじゃ本当の成績とかは」
「……テストの順位は、大きく変動するだろうね」
「それじゃ、私の成績ももっと上に!?」
「あーえっと、うん、そうかも、知れない……よ?」
「彼方の歯切れが悪い点について詳しく聞きたいですけど、そんなの不公平ですよ。許せません!」
ちなみに二人のテストの成績は対極と言える。彼方は200人中堂々の1位。それもすべての教科で満点を取っての成果だ。対する桜は200人中179位。まあ、現在彼方の教育により急成長中だ。
成績が劣っているにもかかわらず、メッキを貼るように自身の成績を上塗りしている。全員ではないだろうが、彼方が調べた限り十人近くの生徒が校長などに取り入って成績を偽装してもらっているようだ。そんな人がいると知り、真面目に勉強を始めた桜に悔しさを与える。
桜はもう、イジメや理不尽に屈するだけの少女ではなくなっていた。
「だから、これからのことに協力してほしいなーって思ってるんだけど」
「絶対します! というか、しなければいけないですよ!」
「今までで一番のやる気だね」
テストの順位が伸びることを期待してか、今までで一番のやる気を見せる桜。握られた歩兵の駒がミシミシしてて可哀そうだ。
「それじゃ、まずは……」
そうして彼方と桜は行動を開始した。彼方にとって、誰かと協力して動くのは初めてだったので、いつもとは違う新鮮な気分になっていた。かくいう桜も、彼方の役に立つために必死に情報収集に回った。師匠に認められたい。そんな気持ちが彼女の行動力を後押ししたのかもしれない。
そして、さらに一週間が経過した。
「じゃ、準備はいいね桜?」
「はい、いつでも行けます」
有力な証拠を集めた僕たちは、まず教育委員会の方へ連絡した。調査により、委員会内部の人間が情報を揉み消していると彼方たちは突き止めた。そしてその人物の名前を書いたレポートを、彼とは違う部署へ送付した。こうすれば、その人物にはまず揉み消されないだろうと踏んでのことだ。
そしてそれを送り付けると同時に、二人は校長室へ乗り込んだ。もちろん、校長先生に直接問い詰めるためだ。最初は追い返されそうになったが、無理やり部屋に入り込んだ。
そして桜を含む、三人が話し合うこと一時間。最初は嫌煙していたが証拠を突き出された校長は彼方たちの話を聞かざるを得なかった。そして、最終的には……
「し、仕方ないだろう。理事長がそういう風にしろと……」
二人のしつこい追及に耐えかねたのか、とうとう校長はすべてを指示していたと思われる理事長の名前を出した。
その名前が出た瞬間、二人は校長室を後にした。二人は理事長がすべてを指示したと事前に知っていた。だが直接的な証拠がなかったので校長から直接名前を聞きたかったのだ。そして、その賭けには勝った。
「それで、この後はどうするんですか?」
校長室への凸を終えた二人。桜はこれからどうするのかと、前を歩く彼方に問いかける。そして、彼方がニヤリと笑った。
「そんなの、理事長のところに行ってみるに決まってるじゃん」
「……ですよねー」
有言実行。それが彼方の心情で常に心掛けている事だった。いや、おばあちゃんが、と言った方が正しいのかもしれない。とにかく、彼方たちはそのまま理事長の家へと向かった。意外と学校の近所に住んでいるらしく、学校から十分もかからなかった。そして二人は家に辿り着くなり、遠目に窓を覗いてみる。
「ここ、ですよね?」
家から人の気配は感じられないものの、インターホンの隣には
「うん。じゃあ、行くよ」
そしてインターホンを押し、人の応答を待つ。すると、案外時間を置かずに誰かが応答した。ガチャ、という音にインターホンのスピーカーから声が聞こえた。
『はい、獅子山です』
「あの、獅子山理事長は御在宅でしょうか?」
「……少々お待ちください」
プツリと切れたインターホンを見つめ、桜がふと声を溢す。その瞳には疑問がこもっており、きっと正解を求めて彼方に話しかけたのだろう。
「声がかなり若いというか……聞き覚えがありません?」
「桜もそう思う? えっと、確か同じクラスの……」
彼方たちがそう言っていると、すぐに玄関の扉が開いた。そして中から出てきたのは、二人の見知った人物。
「あ、やっぱり。橘くんと新海さんだ」
「キミは……
中から出てきたのは二人と同じクラスの少年、獅子山信也だった。彼は口数が少なく、彼方もあまり話したことがない。それでも、きちんと最低限の意思疎通は取れていたので、如月遊の時ほど積極的にコミュニケーションを取ろうとはしていなかった。
(信也くん、理事長の息子だったんだ……)
さすがにそこまでのデータは彼方もつかんでいなかった。だが、クラスメイトの友達が理事長というのは、都合がいいのと同時に少し厄介だ。
(信也君のことも巻き込んじゃうかも。そしたら、ちょっと厄介だよね)
もし彼が今回の成績偽造と無関係であった場合、彼の学校生活に余計な影響を与えてしまうかもしれない。ただ、確かめないといけないことには変わりない。
「えっと、理事長さんに会いに来たんだけど、いるかな?」
「ああ、父さんね。それならもうすぐ帰ってきても……ああ、噂をすれば」
信也君が指さした方向を二人してみると、若い男性がこちらへ歩いてきているのが見えた。間違いない、ホームページに紹介されていた理事長その人だ。これから、あの人と話をしなければならない。
彼方たちの来訪に気が付いたのか、理事長は笑顔で二人に話しかけ始める。
「おや、信也の友達かな? ふふ、邪魔しちゃったね」
「どうも。僕たちは……」
「ああ、大丈夫。校長から既に話は通っているよ。私と話をしたい、だろ?」
「……ええ」
あの校長、どうやらすでに手を回していたようだ。彼方がそう言う風に心の中で舌打ちをすると、信也君に鞄を預けた理事長は、二人のことを家の中へ手招きする。
「外じゃなんだから、家の中に入りなさい。たしか、冷蔵庫の中にマカロンがあったはずだから」
ここは、素直に従って家の中に入るべきだろう。信也くんに余計な勘繰りを与えないためにもそうだが、ここまで来て引き返すのも愚策だ。彼方は桜にアイコンタクトでその意を伝え、二人して一緒に家の中に入っていく。
「好きなところに腰を下ろしていいからね」
豪邸とまではいかないが、清潔感もあり広いリビングだ。ここだけで彼方の部屋の三倍ぐらいの面積がある。信也君の家はお金持ちだったらしい。
「信也、お前は自分の部屋で勉強でもしておきなさい。私は彼らと進路相談をする約束をしていたから」
「え、あ、うん。わかった」
そう言って彼は二階へと上がっていった。彼方たちは緊張した面持ちで理事長が正面に座るのを待つ。そして、カラフルなマカロンとアイスティーを差し出された。彼方はすぐにその双方がかなり値が張るものだと察する。
「ごめんね、アイスティーしかなかったんだ」
「いえいえ、お構いなく」
そうして理事長は広いテーブルに彼方たちの正面を向かって着いた。それだけで、この場の緊張感は一気に跳ね上がる。カラフルなマカロンが、今となっては違和感バリバリだ。
「それで、校長は色々余計なことを君たちに喋ったようだね。いや、それとも君たちが独自に余計なことを知っちゃったのかな?」
「さて、どうでしょうね?」
「フフ、若いのに肝が据わっているようだ。大人としてはあれだが、理事長としては嬉しく思うよ」
彼方と理事長の間に見えない火花が散る。最初はマカロンに浮かれていた桜も、テーブルの下の足がブルブル震え緊張していた。この二人の間から漂うプレッシャーは、それほどまでに異常な空気を生み出していた。
「まあいい。知ってしまったならしょうがない。それで、君たちは私に何を要求するつもりかな?」
「もちろん、あのふざけた偽造をやめていただきたいです。そうすれば、多少は学校の風通りがよくなるでしょう?」
「……いいよ」
「……え?」
彼方が、思わずそういう風に聞き返してしまった。てっきり彼方はここで理事長がごねるものだと思っていた。だが、意外とすんなりこちらの要求を聞き入れてくれたので、拍子抜けしてしまう。
「このことは既に教育委員会に知れているんだろう? なら、続ける意味はないさ」
「……」
「あれ、どうしたのかな?」
彼方は自分の中で様々な思考を巡らせる。そう、今の会話の間におかしなところがあった。何故この男が、教育委員会に話が回っていることを知っている?
(つまり、揉み消された?)
想像以上に、この男の手は深いところに及んでいるのかもしれない。きっと手紙として出した証拠の手紙は何者かの手によって無かったことにされているのだろうと彼方は予想する。
「話はもういいかな? 私はやらなくてはいけない作業が沢山あるんだ。大人というのは君たちが思っている以上に忙しいんだよ」
「最後に、一ついいですか?」
「おや、なんだい?」
このまま話を終わらせてしまうのはマズイ。だから彼方は、一番気になっていることを理事長に尋ねる。
「信也君は、この件に関わっているんですか?」
「ああ、それに関してはノーと言っておこう。あいつはそんな小細工をしなくても純粋に頭がいいからね。まったく、他の子たちも見習ってほしいものだよ」
「……そうですか」
それを聞いて彼方は安心する。つまり、証拠や事実さえ示すことができれば彼を巻き込まなくて済むからだ。とりあえず、今日は大人しく引くべきだろう。
「お邪魔しました。行こう、桜」
「あ、はい」
結局俺たちは出されたマカロンとアイスティーに口をつけることなく理事長の家を後にしてしまう。その時ふと、階段の上にいた信也君と目が合った気がしたが、この時はあまり気にしなかった。
※
「よかったんですか?」
「なにが?」
「彼方ならもっと、徹底的に追い詰めることができたはずです。それが、こんな中途半端な結果に終わるなんて」
確かに今回の件はまだ根本的な部分が解決していない。教育委員会や学校内に理事長の息がかかった人間が多くいること。そして、彼方の読みが正しければ……
(まだ、続いていくんだろうなぁ)
一応釘を刺すことはできたものの、あくまで子供の警告だ。これ以上のことに踏み入るには、彼方たちがもう少し大人にならなければいけない。子供なんて、結局できることは限られているのだ。
「今回のことは、確かに意味はなかったかもしれない」
「……」
「けど、そんなもんだよ。だから、あんまり気にしないで」
「は、はぁ?」
そういう風に無理やり桜を納得させる。巻き込んだのにこんな消化不良になるなんて、正直彼女に申し訳がないと思う彼方。だが、これで今後の方針は決まった。
(もう少し、教育委員会の方を調べてみるか)
どうやら思っていたより、今回の件は深い所まで真っ黒な根が蔓延っているようだ。だからこそ、ここから先の一件は彼方一人で時間をかけて調査しようと決意する。時期が来たら、桜を自分の元から卒業させるべきかもしれない。そうしなければ、彼女の身も危なくなる可能性があるからだ。
「日が暮れるまでまだ時間があるし、将棋会館でも戻ろうか」
「えぇ、彼方手加減してくれないじゃないですか」
「まぁまぁ、ちょうどいいマカロンもあるし」
「ってそれ、さっきのやつじゃないですか!?」
ちゃっかりマカロンをくすねていた彼方。ミスディレクションの練習で桜の皿の分も奪っていたことは内緒だ。
「ほら、今度は『王』以外全部落としてあげるから」
「それは、さすがに舐めすぎでは!?」
そしてこの後、彼方にコテンパンにやられる桜。思えば、二人が対戦ゲームのようなものを笑顔でするのはこれが最初で最後だったのかもしれない。
刻一刻と、破滅の足音が二人に迫っていたのだから。
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