第121話 幻聴の誘い


 乾いた音が学校の屋上で幾度となく鳴り響いていた。


 もしかしたら階下に声や音が響いているかもしれないと懸念したが、そう気にしていられるのも最初の方だけだった。俺の目の前にいる少女は俺が攻撃をいなすにつれどんどん自分の動きを修正し、より鋭い動きをするようになっていた。それこそ、俺でも危ういと思ってしまうほどだった。


 ——それなら一撃で沈めてしまえばいいのでは?



 俺がそう思うたびに……



『ダメ』


 ズキッ!!


(く……っそ)



 俺がカウンターを決め少女を制そうとするたびに、幾度となく頭が軋むような悲鳴を上げる。結果的に俺は自ら隙を作ってしまい、スレスレの攻防が長引いてしまっているのだ。閉じ込められてから既に30分ほどが過ぎているというのに状況は何も変わらない。



「くっ……うっ!」



 だが少女の方にも息切れのような現象が見受けられ始めた。動きが良くなったかと思えばしばらくすると鈍り、そしてそれを誤魔化すように最適な動きをできるよう修正するの繰り返し。何故かはわからないが、その姿はどこか悲しい様相に見えてしまう。



(こいつ、一体何なん『まだ自分を誤魔化すの?』……っ!?)



 ノイズのような幻聴が、ここに来て嫌にはっきりと聞こえ始めていた。その声はどこか昔に聞いたことがあるような声で、明るさと悲しさが入り混じった不思議な声だった。


 それにより、硬直。



「そこっ!」


「……しまっ」



 気が付けば俺は体が硬直しており体を後ろにそらした隙だらけの姿勢。対する少女は好機と思ったのか一気に飛びかかって来る。


 俺は自ら招いてしまった窮地に思わず焦ってしまった。だが、どうすればこの状況を覆せるのか。どのように動くのが正しいのか。頭で考えずとも体が自然に覚えていた。否、普段の俺にとってはこれくらいどうとでも覆せるのだ。



「なっ!?」



 俺は左足に最大限の力を込めて片足でバク宙し少女の猛攻を振り切る。そして着地の際にしっかりと左手で地面に触れ体勢を整えつつすぐに姿勢を正した。アクロバット技の応用のようなものだが、即興でやったため少し体を痛めてしまった。


 一方、少女は俺の回避を見て動きが停まる。仮面の奥には困惑の感情が垣間見えた。きっと少女にとって今の動きは完全に想定外だったのだろう。俺たちの間に、一瞬だけ空白の時間が生まれる。



(一体、どうすればいい?)



 俺はもう一度この状況を最初から考える。屋上の扉には鍵が掛けられており、飛び降りれる場所もない。そして目の前には俺に謎の執着を見せる仮面の少女。

 このまま訳の分からない遊戯に付き合うのも馬鹿らしい。そろそろ会話でのコミュニケーションを図って……



『うん、そうしよ』



 ……やっぱ辞めた。



 俺は先ほどから響くこの声が不快で不快で仕方がない。今までは靄がかかったような声で気が付かなかったが、聞くだけで虫唾が走るような声だ。聞いているだけで具合が悪くなりそうだ。そんな声の意見なんて聞きたくもない。



「な……んでっ」



 そして少女は再び俺に近づこうと前屈姿勢になって狙いを定める。また先程の繰り返しかと思っていたが、目の前の少女の様子が先ほど変わる。その姿は、何か得難い感情に苦しんでいるように見えた。



「どうして……あなたはっ!」



 少女は跳ぶようにこちらへと一直線に向かって来た。俺の顔面を狙いすました拳の一撃。一瞬耳を傾けてしまったが、別に聞く必要はない。俺はその手を横に弾き、このまま終わらせてしまおうと少女の顔面に向かって飛び膝蹴りを……



『また、やるの?』



「……っ!」



 俺はそのまま体をよじり地面を一回転して少女の背後へと回った。だが頭痛のせいで奇襲をかけることもできず、そのまま距離を置くに終わってしまう。状況はまたもや振出しに戻ってしまった。



 再び少女が振り向き、またもや攻撃を仕掛けてくるかと思いきや……



「どうして、あなたは……」


「?」


「どうして、自分を世界から切り捨てるんですか?」



 ようやくまともに口を開いたかと思えば、彼女が何を言っているかわからない。俺が俺のことを世界から切り捨てた? いったいどのような経緯からそのような言葉を発するに至ったのだろうか。突拍子もない言葉に俺は思わず困惑する。だが少女はその間もすかさず、俺に向かって走り寄る。



「なんで、大事なことは何も話さないんですか」


「……」


「思い出を、悪いことばかりに塗りつぶすんですか」


「……」


「どうして……裏切るんですか!」


「っ!」



 嵐のような体術の最中、彼女は俺にそう問いかける。だが、彼女の言葉は俺には何も響かない。俺はただ無機質な機械のように彼女の攻撃に最適な入射角から手を出し、そのままいなすだけ。そしてこのまま、彼女の意識を刈り取って……



『もう、自分に嘘をつくのをやめてよ。さすがに見てられないから』


「なっ!?」



 怒涛の攻撃を繰り出す彼女。その背後に、靄のようなものが見えた。間違いない、これは幻覚だ。幻聴に続いて幻覚が見えるなんて、自分がどこか知らないところで怪しげな薬を盛られたと疑ってしまう。


だが、次第に輪郭のようなものが浮き出てきて霧のようなものが晴れてくる。そして少しずつ姿を現すナニカは、ゆっくりとこちらに歩き出してきた。



(なんだよ、これ)



 あれを理解したくない。拒絶してしまいたい。そんな不安定な感情にかられた俺は思わず大きく後方へ飛びのいてしまう。予想外の動きに少女も仮面の下で目を見開いたのが見える。そして落ち着いてよく見ると、少女の後ろにいたナニカは消えていた。


 しかしそう思った瞬間、先程の何倍もの痛みを伴う頭痛がして……


















『どうして、自分から逃げるの?』


「えっ……」



 また幻覚というものなのだろうか。俺は黒くて暗い空間に立ち尽くしていた。だがよく見ると、そのさなかに一人少年が佇んでいた。その少年は何度も聞いて来た幻聴と同じ声をしており、嫌なほど見覚えのある少年だった。


 少年は俺に近づき、胸倉を縋るように片手でギュッと掴んできた。いきなりの動作だったはずなのに何故か自然と受け入れてしまった。そして先ほどの時とは違い、なぜかその声に不快感がない。



『もう気づいているはずだよ。あの女の子が誰で、何を言おうとしているのか』


「……お前は」



 なんとなくだが、わかる。かつての俺に似ている姿をしているが、これは二重人格でもう一人の自分が現れたとかそういうものではない。心が、信条が、生き方が違う。これは、俺がかつて生み出してしまった自分自身の負い目。そして罪そのものでもある。



「お前は……椎名彼方弱さと後悔


『……うん、そうだね』



 そして俺は気が付いた。少年の頬に、静かに雫が伝っているのを。










——あとがき——

第5章もついに佳境です!


あと今月中は時間があるときにできるだけコメントに返信するようにします。よろしければレビューやコメントをよろしくお願いします。

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