第122話 弱さと後悔


 俺の目の前に現れた少し年下の自分。さっきまで誰かと戦っていたはずの俺は、気が付けば妙な幻覚を見ているという不可思議な状況に陥っていた。俺が困惑していると、顔を覗き込んでくる不安そうな少年が口を開いた。



『どうして、自分自身を誤魔化すの? もう僕たちは、あの女の子が誰なのかわかってるでしょ?』


「……」



 俺はその言葉に目をしかめる。俺があの少女の正体に気がついていないフリをしていた。頭の片隅ではわかっているのに、その真実を正面から理解するのを拒んでいる。全てを見透かしたように少年はギュッと俺の胸元を掴んでくる。その言葉は弱弱しいものだったがどこか無視できないほどの覇気を含んでいた。



『こんな自分があの子とまた向き合う資格はないとか、そう思って目を背けてる』


「わかったような口を利くな」


『わかってるよ。だって自分の事なんだもん』



 俺のことはすべてお見通し。目の前の少年はそう言いたいのだろう。少年は俺のことを追い詰めるように、その握力を強めて俺との距離をさらに縮める。



『発端は、副会長にあの子の連絡先を聞いたことだった』


「っ!」


『あの子に雪花の件を丸投げしておけば問題ないだろう。そう思って雪花の部屋に連絡先を書いた紙を忍ばせたけど、本当はきっかけになればいいと思ってたでしょ? これを機に、何か話せないかって』



 俺はあの日、あいつの連絡先を三浦から聞き出した。雪花の件が面倒だったから、あいつに丸投げしてしまおうと考えたのだ。きっとあいつなら、信也絡みのことも俺とは違いそつなく解決できるだろうと。そして、その果てに……



「だが、俺にそんな資格はない」


『本当に?』



 彼女と向き合う資格はないと言った俺の言葉を正面から否定する少年。その言葉にはどこか人生を達観したような重みがのしかかっていた。



『もう、わかってるでしょ? あの子がどうして僕たちに憎しみを向けているのか。どうしてここまでして、僕たちに執念を向けているのか』


「……俺が、裏切ったから」


『わかってるじゃん』



 そう、俺はあの日裏切ったのだ。それは他人に対してではない。今まで自分が信じてきた正義の味方という自分自身に対してだ。きっとあいつは、俺が自分の事を否定し裏切ったことが許せないのだと思う。だってあいつにとって俺は、それこそ理想のヒーローだっただろうから。



『どうしてあの日、あの子に何も言わないで縁を切るような真似をしたんだっけ』


「……これ以上、俺に関わるとあいつまで破滅に誘い込んでしまいそうだったから」



 あの日深夜に追い詰められたのは完全に俺の失態だ。これ以上あいつの人生を俺の都合で振り回したくない。きっと彼女は俺と違って輝かしい未来が待っているはず。俺なんかが傍にいたら、きっとロクなことにはならない。だって俺は犯罪者の息子だし、どうしようもないほどクズだからだ。



「だから俺は、自分の心を閉ざした」


『そしてその時、僕という弱さと後悔が生まれてしまった』



 俺はようやく理解する。あの頭痛は、俺が後悔しそうな出来事に直面するたびに起こっていたのだと。もしこのまま目を背けてしまえば、後になって拭いきれないほどの罪悪感に苛まれてしまうことになると。



「……皮肉だな」



 全てを切り捨てたはずだったのに、まだ失いたくないと思う自分がこんな形で表れてしまうなんて。だが、もう今の俺には失うものなんてなくて、全てを失ってしまった後。そんな男がもつプライドなんて、欠片の価値もないだろう。



『失ったなら、取り戻せばいいだけ』


「その資格がないと言っている」



 わかっていたが、結局俺たちは平行線をたどる。もう何者にも関わらず最低限の復讐さえ果たせればいいと思っている俺。そしてそれではダメだと叫んでくる弱い僕。ここに来てまで、昔のことを引きずる必要性はない。だからこそ、全てを切り捨てたはずなんだ。



『思い出して。どうして僕は、正義の味方みたいに誰かのことを助けてたの?』


「……理由なんて、ない」



 なんとなく、義務感という名の強迫観念からそうしなければいけないと思い込んでいただけ。これこそが自分の生き方であり生き様であると決めつけていただけ。やらされていたわけではないが、やりたいと思ったこともない。大義や使命感なんて、何一つ持ち合わせていなかった。


 唯一気がかりがあるとすれば、祖母や父にたくさんのことを叩きこまれたくらいだろうか。祖母には心を、父には体を鍛えられた。だが結局そんなもの、大事なところで何一つ役に立たないのだから意味がない。


 実の母に見捨てられ、愛というものを知らずに育ってしまった。そうしていつの間にか俺は男女問わず『人から向けられる好意』に恐怖のような感情を抱いていたのだ。きっと俺は他人と関わってはいけないのだと、成長するにつれて気づかされた。そうして俺は中学時代、様々な人から一線引いた距離を保っていたのだ。



『じゃあ、意味は?』


「意味?」


『僕たちは今までたくさんの人を助けて来た。そしてそのたびに眩しいほどの笑顔で感謝された。その想いは……意味は、いったいどこへ消えるの?』


「どこへ……」



 だとしたら、あいにくだがその想いはそのまま虚空へと消えている。感謝をされても自分が当然のことをしたと思って軽く流していたし、記憶に焼き付けるほどの価値もないと思っていた。むしろ俺に助けられる前に自分で何とかしろと思ったこともある。


 でも……最初に感謝されたのはいつだっけ?



『覚えてないの? まだ僕たちが小さい頃だよ』


「……」



 まだ俺が3歳くらいで、祖母の実家で暮らしていた頃のこと。夜の仕事に手を出す前の母さんはいわゆるブラック企業に勤めており、まともに俺と話す時間もあまりなかった。彼女が仕事で疲れてテーブルに肘を持たれながら眠っていた時、俺はそっと毛布を掛けてあげた。すると母さんは目を覚まし、俺の頭を撫でてお礼を言ってくれた。そう、あの頃はまだ普通の家族みたいだった。



『理由……あったね』



 あの時俺の頭を撫でてくれた母の手の温もり。それが今になって鮮明に蘇ってくる。まるで俺がその行為を求めていたかのように。



「俺……母さんに頭を撫でてほしかったんだ」



 俺が成長するにつれ、俺が好きだった母さんは変わっていった。そして次第に俺の心も早期に成熟してしまった。だから俺はあの時の感情を見ず知らずの誰かに心のどこかで求めていたのかもしれない。疲れるんだよな、あんなに走り回るの。



『僕たちはもう、「愛」というものを知っている。忘れていただけで、昔は僕たちも……』


「そう、だったな」



 少しだけ、思い出した。



『そして、今は』



 もう一度思い返す、裏切られた以降の俺の人生。


 家族ができた


 不器用で、家族思いの姉ができた


 寂しげな、オタクみたいな奴が隣の席になった


 他にも、騒がしい委員長や運動ができる人気者に明るすぎる後輩やシスコンな後輩



 ——あんな風になれたらって、心のどこかで羨んでいた



『意味も、あったみたい』


「……だな」


『うん』



 やっと、自分の事が分かった気がする。人間性がないクズだと思ってたけど、幼児並みの人間性くらいは持ち合わせていたようだ。



『よかった、気づいてくれて』



 そうして真っ暗な空間に少しずつ亀裂が入る。それと同時に俺の胸倉をつかむ少年の姿も徐々に透けて消えていく。自身の『弱さと後悔』と向き合い乗り越えたからこそ、目の前の少年の存在が不要になったのだろう。



『最後に、一つ』


「なんだ?」



 崩壊する世界で、最後に少年が俺の胸倉を離しまっすぐ目を見据えて来た。恐らく、これが最後のメッセージだ。そして少年は簡潔に……



『頑張って』


「……努力はする」


『ん!』



 そうして悲壮感に満ちていたはずのかつての僕は、眩しい笑顔と共に闇の彼方へと消え失せた。





















 現実に戻ると、屋上は黄金色に包まれ綺麗な夕日が俺のことを照らしていた。



「はぁ……はぁ……」



 目の前には地面に手を付き方で呼吸をする少女の姿が映る。俺も無意識で気が付かなかったが、どうやら自分の弱さに向き合っているとき、自然と体が動いて彼女の相手をしていたらしい。格闘術を勉強し常に対人を見据えていたからこそできたことなのだろう。なんとなくだが、俺も体が怠い。



(でも、すげースッキリしてる)



 俺の頭に鳴り響く誰かの声ももう聞こえない。それどころか、自分がどうするべきなのか……じゃないや、どうしたいのかも明確にわかっている。ここからが、本当に向き合うべきものなのだから。


 俺は彼女の方に歩み寄り、気づかれないほどの深呼吸をして口を開く。



「……桜」



 そうして俺は、今も仮面をつけた少女の名前を口にした。










——あとがき——


ラストじゃないけど、ここまで結構長かったぁ。うん、5章のタイトルは……

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