第95話 組長


 声の方向へ向かうべきか、それとも隠れるように距離を置くか。俺は考えるまでもなく後者の選択を取り組長とやらとの遭遇を回避することに努める。そして先ほど翡翠から飛んできたメッセージの意味について考えた。



(今は家を出るな……つまり、見張りか何かがいるってことか?)



 あんな裏口に人がいるとは思えない。つまり人の目とは別のことで俺のことを引き留めていると見ていい。それなら、どういうつもりでこんなメッセージを送ってきたのか。



(引き合わせたいのか……俺と組長を)



 安直な考えだが、そう考えるのがしっくりきてしまう。もしくは組長とやらを俺の目で見定めてほしいと言ったところだろうか。聞けば雪花の婚約話を本人に言わずに進めてしまったのは組長らしいし、いろいろ問題のある人物であることには違いない。



(さて、どうするかね)



 もしこの仮定が真実だとして、素直に従う意味があるかは別問題だ。つまりこの家を出ようと思えば出れるわけだし、組長を目に入れる必要もない。そう、不義理と言われようが翡翠の指示に従う理由はないのだ。



 だが、気になるのも事実だ。



(ま、脱出経路と家の間取りは把握したし、乗ってみるのも一興か)



 この家に潜入してから既に大方の間取りを把握している。もし雪花組の者でないとバレても最短経路で逃げることができるだろう。最悪の場合は実力行使で無理やり逃げてしまえばいい。もしくは雪花のことを人質にするのも手だ。



(まるで犯罪者の思考だな)



 俺は自分の考えたことを振り返って改めてそう思う。昔はこんな手段を選ばないような真似はしなかった。どうやら人格だけでなく心まで黒く変貌してしまったのかもしれない。だが、この一件が解決すればそれにも変化が生じるかもしれない。



「……ここか」



 そうして俺は人の気配が多く集まっている場所に足音と気配を消して近づいた。中を覗いてみると、そこにはこの家にいた多くの組員たちの姿があった。そしてその奥には二人の姉弟、雪花翡翠と雪花瑠璃の姿も見える。そして、その奥に……



(あれが雪花組の組長……雪花琥志郎ゆきはなこうしろう



 最初に目が行くのは肩まで伸びた黒い髪。だがそれに似合わない殺気のこもった顔つき。体は細く弱そうなのに、俺が今まであってきたどの悪人よりも迫力のようなものが感じられた。率直に言って……ヤバい。



(けど、殺伐とした雰囲気ではないな)



 定例会のようなものが始まるのかと思ったが、普通に組員や家族と食事をしているように見える。昼から酒を飲んでいるし、完全にオフのような振る舞いだ。少なくともヤクザ集団のボスには見えない。



「それで翡翠、どうだ? 学校には慣れたか? 友達は何人ほどできた、ええ?」


「うっさいクソ親父」


「ガハッ……ううっ、瑠璃ぃ、翡翠がオレを虐めるぞぉ!」


「酒臭い」


「瑠璃ぃ、お前もかぁ!?」



 酔っているのか、雪花たちに駄々のようなことをこねる組長。なんというか、イメージとはかけ離れている。見た目とは違い気さくそうな人で、なによりそんなやり取りを組員たちは笑って騒ぎながら酒の肴にしていた。



「組長、ご無沙汰してます!」


「おお、お前は田島か! 久しぶりだな。そっちは清水に、石黒か!」


「「おっ、覚えていただいて光栄です!」」


「ははっ、俺の部下になったら家族も同然だ! 家族の名前を覚えるのは当然だろ。ガハハハッ」



(あいつら、俺とさっきまで一緒にいた奴らだ)



 先程慌てていたのは組長に挨拶がしたくて仕方がなかったからか。ああいう性格なら、部下から慕われていても不思議ではない。そしてにわかには信じがたいが、組長はすべての組員の名前と顔を覚えているらしい。あの時別行動を取っていてよかった。もしあいつらについて行っていたら面倒なことになっていただろう。



「それより親父、お袋は?」


「ああ、珠希たまきか? それなら心配するな。もうすぐ退院できるくらいには回復しているらしい」


「そうか」


「……ん」



(珠希……やり取りから察するに、雪花たちの母親か。入院中ってことか?)



 ほっとしている姉弟の様子を見るに、少なくとも父親よりは丁寧に扱われているらしい。それにしても、あんなに安心した雪花の表情は初めて見た。いつも無表情を貫くか不機嫌そうな顔しかしないので新たな一面を見ることになった。



「それより親父、姉貴の婚約の件だ。いい加減撤回しろよ」



 しばらく宴のようなやり取りが過ぎたあと、翡翠がここ最近屋敷で来たことについて言及を始める。やはり姉弟と父親との間でこの件についてなにか溝のようなものがあるらしい。

 翡翠の言葉を聞いた途端、組長の笑顔は消え真面目な表情に変わる。まるで酔いが一気に醒めたようだ。



「その件についてはもう終わった話だ。今更もう変えられん」


「なんでだよ! 何度も説明してるだろ、相手がロクでもないクズ男だってことは。そんな男と姉貴を婚約させる理由は何だよ!」


「オレも何度も説明したはずだぞ。これはいきなり決まった婚約ではなく昔から決められていたもの。珠希の意向でお前たちには教えていなかったのだ。それについてはすまないと思っている」


「ならっ!……」


「だが、何年も前に交わした約束を今更違えてしまえば雪花家の面子に関わる。それに、翡翠も知っているだろう。奴らに雪花組が決して下に見られてはならないことが」



 俺が思っていたより、事態は深刻なものだったらしい。翡翠が懸命に姉を守るよう訴えているが、それを渋々跳ねのけている父親。そして自分の意見を言わず、そのやり取りを苦しそうに見つめる雪花瑠璃。



(この家族間の決裂も、雪花が最近落ち込んでいた原因の一つだろうな)



 このやり取りを見る限り、この話をしたのは一度や二度ではないのだろう。だが常に平行線をたどっているらしく、何の進展もないようだ。それに怒りが募ったのか、新たな方向へ翡翠は口を開いた。



「なら、なんであの野郎がうちの高校に転校してきやがったんだよ!?」


「あれに関しては、オレも驚いている。なにせその話を聞いたのは事が済んだ後だったからな」


「そんなことはどうでもいい。あいつは、いや、そもそも何のためにそんな婚約を結んだんだよ!」



 そう言ってそもそも何のために婚約を結んだのかを聞き出し始める翡翠。いや、それよりもどうしてわざわざ過去のことを掘り返す。こいつ、もしかして……



(俺に情報を与えているのか? 何とかしてもらうために)



 一瞬あり得ないと切り捨てるも、少なくとも俺という異分子がいる状態でする会話ではない。しかも、俺のことを引き留めてまでこの話を人目につくところで始めた。まるで頼むから聞いていてくれと言わんばかりの振る舞いだ。



「数年ほど前、雪花組は彼らの家に支援してもらったことがある。根本的な原因はそれだな。その引き換え条件として、瑠璃を婚約者にしろと迫ってきたのだ」


「なんでわざわざそんな……」


「おそらく彼らは我々とのつながりが欲しかったのだろう。そして雪花組としてもあの時はピンチだったのだ。彼らの要望を飲んででも雪花家を存続させる必要があったのだ」



 無情にも思えるが、どうやら家のことを優先したようだ。父親としては失格かもしれないが、組長としては理想的な人物なのかもしれない。少なくとも、自分たちの家を存続させるためなら身内を切り捨てる覚悟があるということだろう。それだけでも、十分手ごわい。



「だが、ここまで侵食されるとは思っていなかった。どうやら組の中にも、彼らと親交を築いてしまった者が紛れているらしいからな」



 ぎろりと、組員の方を見渡す組長。多分、彼の中では裏切者の選定が済んでいるのだろう。それでも深く追求しないのは彼なりの慈悲か。それともカウンターを狙っているのか。それは今の情報だけでは判断できない。



「文句はあるだろう。だが、この件についてはきちんと遂行する。雪花組の威信をかけて」



 そうして組長は立ち上がり広間を出る。俺は見つからないように距離を置きその様子を眺めていた。先ほどまで組長がいた広間は少しずつ人が少なくなり食事の後片付けが始まっていた。


 あとに残されたのは座りながら拳を強く握る翡翠と、そんな彼を見て苦しそうな顔を浮かべる姉だけだった。










——あとがき——


更新遅れてごめんなさい。

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