第26話 新海桜②
あの事件から週が明け二日が経過した。
多くの生徒が指導され、そこから三分の一を超える生徒が入学早々に転校を決めたそうだ。学校としても異例の事態ということで教育委員会など第三者委員会が設立され、事件の究明を図った。イジメの主犯格である宮本亜紀はネットに名前が載ってしまったらしい。加えて彼女がSNSで使っていたアカウントも他人の陰口などが多く、それもあってネットではちょっとした炎上が起きているそうだ。
今回の件は未成年間の出来事ということでニュースなどで報道されるということはなかったが、近隣の地域にはすでに知れ渡っていたらしくクレームの電話が鳴り止まないとか。事態が発覚した中学校にはもちろん、イジメを放任していたと思われる小学校にはそれ以上のコールが押し寄せたらしい。私の担任だった先生は謹慎処分を受けているらしく解雇処分が検討されているようだ。まあそこは自業自得なので私はスカッとしたが。
そして平和が訪れた昼休みの屋上。そこで奇妙な光景が展開されていた。
『ええっと、今なんて?』
屋上は本日も快晴。本来ならあまり立ち寄ってはいけない場所なのだがそんな場所に姿をさらしている二人の生徒。
一人は英雄的な活躍を見せながらも表舞台にあまり立とうとしない橘彼方。どうやら屋上は彼のお気に入りの場所になったらしく、入学当初から風にあたるためにここに訪れているのだとか。そして現在珍しく戸惑いを見せている。
彼方の目の前にいるもう一人の少女はは
『お願いします! 私を弟子にしてください!』
屋上の硬いコンクリートに膝をつき、頭をこすり合わせている新海桜。いわゆる……
『その……なんでDOGEZA?』
『私、生まれ変わりたいんです。もう、今まで見たいに下を向いて生きていくのは嫌なんです!』
『じゃあ、とりあえず土下座はやめ……』
『慣れてますから!』
私は一切引くつもりはなかった。ここで逃げてしまえば今までと何も変わらない。何より、私を導いてくれるであろう人が彼しか思いつかなかったからだ。今まで下を向いてきた私には、これからどうやって歩いていけばいいのかわからなかった。だが、彼なら私の太陽になってくれるかもしれない。
『僕を参考にしても、毒になる気がするんだけど……』
『それでも、私はあなたについて行きたいんです!』
家族にすらここまで強い姿勢を見せたことはないし、こんなに大きく声を張り上げたこともない。この時点ですでに喉が枯れそうだったが、それでも私は必死に頭を下げ声を上げ続けた。
『これを逃したら、私は……』
『……』
そして黙りながら空を見上げる橘君。永遠に感じるほどの無言の時間が過ぎ、ようやく橘君が口を開けてくれた。
『頭と体が、ボロボロになるかもしれないよ?』
『それでも、あなたに教えを乞えるのなら……』
『……はぁ~』
そして橘君は頭を下げる私の下へ膝をつき手を差し伸べた。
『いいよ。君を助けたのは僕だ。最後まで責任は持つさ』
『!……あ、ありがとうございます、橘君!』
そして私は彼に弟子入りすることが決定した。すると橘君は一瞬だけ目を閉じて、何かを考えるようにうんうんと唸っていた。
『じゃあ、まずはその口調から矯正していこうか』
『く、口調ですか?』
『ずっと敬語っていうのもねー』
私はイジメのせいで日常会話がすっかり敬語になってしまった。ただ私自身使っていて違和感はないし嫌だとも思わないのだが……
『それと、僕のことも呼捨てでいいよ。いっそのこと下の名前で呼んでほしいな』
『な!? そ、それはさすがに恐れ多いというか……』
『僕たちはもう仲間なんだし、ちょっとくらい雑な方がいいと思うんだけどな』
そして、彼は言った。
『君には、僕が持っているいろいろな知識や技を教えるよ。そして、いつか僕の隣に立てるくらい強い人になってね』
『……はい!』
私はこの日決意した。私の人生全てを使って彼の隣に並び立てる自分になるのだと。どれだけ時間がかかるかわからないが、私も彼のように誇らしく生きたい。
相棒……にはなれないかもしれないが、片翼ぐらいにはなれるかもしれない。いや、絶対になるんだ!
そして、私の新たな人生が始まった。
※
あの決意から半年後。それだけの短い間で彼にどれだけ驚かされたかわからない。なんたって、彼方は何でもできてしまうのだ。
定期テストもすべて満点だし、スポーツテストでも学内の歴代記録をやすやす更新してしまう。私の一件のせいで最初はみんな距離を置いていたが、彼方の明るい性格も相まって彼方は人気者となっていった。
そして放課後になると私は彼方と一緒に学校の屋上へと向かう。そして……
『あうっ……』
『足元、まだまだ隙だらけだよ』
私が最初に教わったのは護身術だった。何でも最近町の治安が悪いらしく、本来は違うことを教える予定だったそうだが急遽予定を変更し半年間ずっと一緒に組み手をしていた。
組み手といっても中学生が行う柔道の範囲を大幅に超えており、おかげですっかり体力がついてしまった。スポーツテストで上位の成績を収めることができたのは泣きそうになるくらいうれしかったし、それを機にクラスの女の子と短い時間だが話すこともできた。トラウマを乗り越えつつ、ちょっとずつ前進している。
『そこら辺の大人には負けないけど、プロには負けるってレベルかな?』
『それは、もうかなり十分やってるんじゃ……』
『……柔道の授業では手加減しなさい』
そんなこんなで数か月で護身術を履修し、様々な事へと挑戦をした。本当に、大変で目まぐるしい日々だった。
『じゃあこのフラフープを回しながらあやとりの技を十個ほど……』
『……それは、人間の技ですか?』
『この知恵の輪を左手だけで解きながら右手でこの前のテストの復習を……』
『可能なんですか!?』
『ふふふっ、思いついてしまったよ。いいかい? 足だけでトランプタワーを作りながら右手で空をスケッチしながら左手でペン回し三百回を……』
『できるかぁぁ!』
後半は絶対に人間がすることじゃなかった。それでも自分が言ったことを本当に実行しまう彼方と、そんな彼にアドバイスをもらい時間をかければできてしまう自分が怖くなってきた。もしや自分まで人間離れしてきたんじゃ……
『ふふっ、なんか……』
『? どうしたんです、彼方。彼方がそんな風に笑うのは珍しいですね』
そんなある日、急に彼方が笑う日があった。彼方はいつもニコニコしているが、つい口から笑い声を漏らすなんて今までなかったので私は少しだけ驚いてしまった。
『いや、最初は無理だと思ってたけど、桜は意外とセンスがあるなって。僕もまさか人に何かを教えるのがこんなに面白いなんて思わなかったよ』
『だとしたら、次何かを教える相手にはもう少し手心を加えてあげてください』
『そっか、だいぶ手心を加えていたけど……もっと必要なのか』
『……え?』
そんなことを言い合う日々が続いた。一緒に(半ば無理やり)街を駆けずり回ったり、学校の不祥事を暴いたりと明らかに普通とは異なる非日常を過ごしていた。今までの私には無理だと思えていたことも次第にできるようになっていき、この頃には女の子の友達も次第にでき始めていた。もちろん小学校の時の同級生ではなく中学校を受験し外部から実力で入学してきた生徒だ。
少しずつだが、彼方に対する私の想いも……
そんな時間が続くかと思われたある日。ちょっとした……いや、私にとってかなり驚くべき事件が起きる。
『ちょ、どうしたの彼方! あなたがそんなにボロボロになるなんて……』
彼方の弟子になってからもうすぐ一年を迎えようとしていた。私も最初は完全に敬語だった口調もところどころ紐解けてきて、彼方限定だがタメ口のような口調で喋ることができるようになっていた。そんな時に、とてつもない衝撃が走った。
彼方が、大怪我を負いながら学校に登校してきたのだ。頭に包帯が巻いてあり、頭部に怪我をして出血したのだということが伺える。さらにうまく隠してはいるが体のあちこちから湿布の匂いがした。服で隠れて見えないがあちこち打撲しているに違いない。幸い骨は折れていないようだが、彼方の強さを知る私にとっては異常な光景だ。
『いや~ちょっと、さすがに深入りしすぎた、かな?』
『何をどうしたらこんな……事故? 交通事故!?』
『その……ちょっと頭に「ヤ」のつく人たちとお話し合いを……』
『いや、本当に何をしてるの!?』
どうやら彼方は私が知らないところでまた誰かを救っていたらしい。まったく、追いついたかと思えばすぐに差を開かれる。やはり彼方の潜在能力はまだまだ底知れない。
『つくづく実感しますよ。やっぱりあなたは誰かのヒーローなんですね』
『そんな大したものじゃないよ。いつも必死なだけさ』
そう言って彼方はいつもニヒルに笑う。たとえ、それは大怪我をしていたって変わりはしないし一切の曇りはなかった。本当に、この人はすごい。
ちなみにこの時の怪我は一週間も経たず回復した。どうやら彼方は回復能力まで化け物じみているらしい。そしてその後は彼方の体調に合わせて私の特訓を行っていき……気が付けば一年が終わっていた。
『ふーん、二年生からは違うクラスなのか』
『まあ、こればかりは運だよ』
本当に濃密な一年間を過ごしたものだ。気づけば私は見違えるように成長していた。もともと小柄だった身体も少しだけ大きくなり、彼の肩くらいには身長が追い付いた。
『それじゃ、僕の弟子は卒業ということで』
『うん……ありがとね』
私は彼方と話し合い学年が変わるのを機にこの関係性をやめようと話していた。ずっと彼方に依存するのも悪くはないが、それでは私の成長につながらない。彼方をステップアップの土台にし、新たな交友関係を作ることが私のゴールだ。
『しっかり頑張れよ、相棒』
『彼方こそ、周りを振り回して迷惑かけないようにね』
私は涙を堪えて必死に作った笑顔で新たな一歩を踏み出した。
本当は、もっと彼方と一緒にいたかった。彼方の隣で、一緒に笑い合っていたかった。けれどそれは私には出過ぎた望み。
この一年の間で私は彼方に淡い恋心を抱くようになっていた。あんな救い方をされて、あそこまで騒がしい日々を一緒に過ごしたのだから当然だと思う。
(けど……)
彼方は最後まで私を女として見てはくれなかった。私に魅力がないというのもあるだろうけど、誰に対してもそのような素振りを一切見せないのだ。
きっと彼方にとって私は大切な仲間であり、それ以上もそれ以下もないのだろう。少し寂しいが、それが彼方の本音なら私はそれを尊重する。
(ありがとう、私の大好きな人。あなたのおかげで、私は……)
もしかしたらこれから関わることはないかもしれない。クラスが違うということは、それだけ関わる機会が減るということだ。屋上での訓練がなくなったのだから、彼方と私の接点なんてほとんど残ってない。だから、私は彼の後姿を焼き付けて自分らしく生きようと誓う。
そんな覚悟をしていた私だが、それは悪い意味で裏切られる。
そう……悪い意味でだ。
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