第27話 新海桜③


 僅かに時が進んで数か月。新しいクラスにも慣れ始め、受験する高校を考え始める頃合い。


 普通なら新しく入学してきた後輩などと関り、先輩と最後の部活動を時間を一緒にする限られた時期なのだろう。部活動に所属していない私にはそんなイベントはもちろんなく、何なら同級生の知り合いを作ることで手一杯だった。


 けれど、彼方の教え子として誇らしく生きていかねばと必死だった私にとっては輝かしい時間だった。


 そして


(ありえない……絶対にありえない!)


 それは、私が二年生に進級してしばらくしてからの出来事だった。


 この騒動についての予兆は何もなかったし、あまりにも突然の出来事で寝耳に水だった。


『ま、まって新海さん!』


『そうだよ、きっと何かの間違い……』


 新しくできた友達が、私のことを引き留めようとしてくる。だが、落ち着いていることなどできるはずがなかった。


『私が直接、彼方に聞かないと……これはきっと、何かの間違いに違いありません!』


 自分にそう言い聞かせ、必死に彼方の姿を探す。彼方がいるはずの隣のクラスは荒れており、ずっと彼方の話題で持ちきりだった。


 きっと少し前に彼方はここから去ったのだろう。彼方の机に荷物があることから、まだ学校の中にいるという可能性が高い。


(もしかして……のせい?)


 今から数か月前、つまり一年生の間にあった出来事。私と彼方はこの学校が抱える闇を思いがけず暴いてしまった。一連の騒動の張本人である理事長の弱みを握った彼方は、今からでも事態を改善することを要求したのだ。傍から見ていたらその要求は至極当然のものだったし、事実を公表しなかっただけこちらもだいぶ手心を加えたと思う。

 弱みを握られた理事長は渋々それを受け入れ、事態はすべて解決したかのように思えたのだ。


 もしかして、あの騒動がまだ?


(いや……それはあり得ない)


 あの理事長が彼方に手を出せるとは到底思えない。それに今回の騒ぎは生徒と教師の問題ではなく、生徒間に起きたことが問題になった騒ぎだ。とにかく、彼方を探して見つけなければ何もわからない。


(彼方なら、こんな時どこに?)


 そんな場所は決まっている。


 私は学校の屋上を目指して必死に廊下を走った。学年が変わったことで教室も変わってしまったためもう寄り付くことがなくなってしまったが、今でもあの場所への道のりは忘れることなく覚えている。


 そして見慣れた扉を勢いよく開け屋上を見渡すと……いた。


『……彼方』


『……』


 居てくれてよかったという安心感と共に、噂に聞いた話が本当なのかという不安に襲われる。


 彼方は屋上にある柵に腕を預け遠くの空を見つめていた。とても儚げな雰囲気を周囲に纏い、とても弱っているように見えた。


『彼方、今あなたに関していろいろな憶測が飛び交っているけど、どういうこと?』


『……』


 彼方は私と目を合わせようとしてくれない。話は聞いてくれているのだろうが、答える気がないのだろうか。

 それでもいいと思った私は一方的に彼方に話しかける。


『いろんな噂を聞いた。どれもこれも酷いものだったけど』


『……』


 彼方の肩が少しだけ震えた。きっと私が噂を聞いたことに反応を示したのだろう。けれど、すぐに無反応になる。


『あなたの親が犯罪者で服役中とか、暴力団と友達で舎弟にしてるとか、先生を暴力で脅しているとか、クラスメイトを……その、精神崩壊に追い込んだとか』


 後半二つに関しては心当たりがあるが、私が声を大にして否定できる。理事長を追い込んだのは暴力ではなく証拠の提示と心理的な読み合い。そしてクラスメイトを精神崩壊に追い込んだというのは間違いなく私のイジメの件で裁きを受けた人たちのことだろう。この二つに関しては自業自得だし、彼方が責任を負う必要性は全くない。


『あと、その、女の子の下着を盗んだとか、いつも裏で誰か女の子を侍らせているとか言われていたけど……それもきっと噓でしょ?』


『……』


『自分に嘘をつかず主張することが大事だって、私にそう言ったのは彼方だよ?』


 今から一年前。私にそう言ったのは誰であろう彼方だ。それならば、こんな風に逃げることなんて……


『彼方?』


 様子がおかしいということに気づいてはいたが、明らかに何かがおかしい。いや、いつもの彼方と何かが違う。けれど、そんな違和感を見つけ出せないまま













『……全部、事実だ』


『……え?』


 彼方は、今……なんて言った?


『全部、僕がやった』


 ここで彼方はようやく私の方を振り向いた。その顔は……


『……』


 今までの笑顔が溢れる顔とは比べ物にならないほど、無表情で冷たい顔をしていた。これでは、まるで別人だ。


『僕がやったって、え……えっ?』


 状況の変化と彼方が言ったことを飲み込めず、私はすっかり混乱してしまった。いや、言っていることがわかるのだ。だが、理解できない。したくもない。


(彼方が……そんなこと!)


 だが、私は知っている。彼が、常に自分の信念を曲げないことを。彼方は自分を縛るためにいくつかルールを定めている。自分を自重するためか、欲を持たないようにするためかはわからない。だがどれもこれも立派と言える信念だった。


(彼方は、嘘をつかないって言っていた)


 その中の一つに嘘をつかないというものがあったはずだ。そしてそれは、自分自身さえも……


『……なん、で?』


『……?』


『なんで、そんなことを?』


 私がこんなに焦っているのにも訳がある。実はつい最近うちのクラスでちょっとした騒ぎが起こった。

 私のクラスの女子が持っているはずの着替えの下着が紛失したのだ。体育の時間に何者かが侵入し、持ち出したとしか思えない。そしてうちのクラスの男子と女子は全員体育館にいたことが証明されている。つまり犯人は他クラスの人間か教員の誰かということになる。


 全クラスのホームルームで話題に持ち出されたらしく、今現在も犯人は不明だ。そして嘘を決してつかない男が、それを自白したと隣のクラスで騒ぎになった。いったい、どうして……


『何か、理由があるの?』


『……』


『ねぇ、答えてよ彼方!』


『……事実は話した。もう、ほっといて』


 ほっといて? そんな、ふざけたこと……


『そんなこと、できるわけないでしょ!? あなたが、そんなことをするはずがない。絶対に、絶対におかしい! そんな見え見えな嘘、私に通用するとでも……』


『……ねぇ、今思ったんだけどさ』


『……え?』


 私の目の前にいる彼方は目を細め、冷たい表情で私に言い放った。


『どうして、僕と並び立てると思ってるの?』


『な、何を言って』


『……足、隙だらけだ』


『……ぁ』


 グルリと回転するような浮遊感と、背中に伝わる優しくも鋭い衝撃。


 気が付いたら、私は目を見開いて空を眺めていた。遅れて、背中に鈍い痛みが走り息苦しさを覚える。


『あっ、うっ……』


 一秒にも満たないコンマ数秒の時間。私は彼方に一瞬で詰め寄られ思いっきり体を倒されていた。おまけに、背中にほとんど衝撃がないせいでそれに気づくのが遅れた。


 そして彼方は私に覆いかぶさるでもなく、私の頭側に直立していた。まるで、私の事なんか眼中にないように帰り道の扉を見つめている。


『やっぱり、ダメだ。僕に勝てる人なんて、僕しかいない』


『ど、どうし……』


『ヒーローなんて、くだらない』


 彼は吐き捨てるようにそう言った。その言葉は彼方が信条としていたはずのもので、私が追い求めた彼の背中を砕くような一撃だった。わずかに見えた彼方の顔は、全てに興味を失った囚人のそれだ。


『私の、ことをっ……騙していたの!?』


 私は徐々に怒りに染まりつつあった。今さらこんな身勝手な言い分と行動が、許されるわけがない。なにより、女に手を上げることを嫌っていた彼方が私に攻撃をした。


 いったい、どれだけ私が信じた彼方ヒーローを裏切れば気が済むの!?


『騙す? これだけはハッキリ言っておくよ』


 今になって背中が痛んできた私に告げるように、彼方は落ち着いた口調で、言った。


『どんな不条理も、不運と準備不足が原因なんだ。君と僕は、それに負けただけ』


『なに……言って……』


『悔しいなら、僕を止められなかった自分の弱さを憎んだら?』


『っ……』


 彼方に、こんなことを言われたのは初めてだ。今の言葉は私の心をえぐり、立ち上がる気力を奪う。いや、奪われたのは勇気だったのかもしれない。私は、再び彼の顔を見る勇気がなかった。


『いつまでもイジメられていたトラウマをこすって、次は僕を依存先にしようとしてる。それは別にいいけど、いい加減誰かに頼るのはやめたら?』


『……』


『だから君は、いつまで経っても変われないんだよ』


 ばたりと、重く締まる扉の音だけを残して彼方はどこかへ消えた。


『う……ううっ』


 私は静かに涙を流した。屋上で涙を流すのはこれで二度目だ。あの時は彼に頭を撫でてもらったが、今は彼に投げ飛ばされた後だ。もう、私たちの繋がりは本当に消えてしまった。


 そうしてその後、彼方は学校を去った。あれ以来、彼方が学校に訪れることは一度もなく、私はそのまま卒業を迎えることになった。


『……』


 その後の二年間。彼方が去ったクラスはぎこちなさだけが残り、そのまま卒業。私のクラスは特に変わりはなかったものの、彼方に下着泥棒の被害を受けたという女子が怒り泣いていた。その時のあの子の顔が、かつての私のようでほっとけなかった。


 その子と仲良くなればなるほど、私は彼方のことが許せなくなっていった。


『……彼方』


 今思えば、私は彼のことをすべて知った気になっていたのかもしれない。彼の電話番号や家の場所すら知らないし、最初から仲間だなんて思われていなかったのかもしれない。もしかしたら、私のことをずっと笑って……


『許せない』


 私が憧れたヒーローは、そのヒーローによって打ち砕かれた。なにより、私が誰より信頼していたあの人も、もういない。


『絶対に、私が……』


 彼が悪に染まったのなら、それを正すヒーローはどこにいる? そんなの、私しかいない。再開できるかはわからないし、今後の人生で二度と会えないかもしれない。但し、もう一度相まみえることがあったのなら……


『私が、彼方に罰を与える』


 あの女の子は泣いていた。卒業間近になるころには事件のことは薄れていたが、それでも心に傷を負ったことは間違いない。それならば、ヒーローが罰を与えるべきだ。


『……』


 私は無言で自身の掌を見つめる。そして、自分にできることを一つ一つ確かめるように思い出していく。


 私は彼方じゃない。あんな風に強くはなれないし、決して頭もよくはない。それでも、人間には無限の成長の可能性があると彼方は言っていた。それならば、それを見せつけたうえで彼を上回って見せようではないか。


『……さようなら』


 私の彼方ヒーローはもういらない










——あとがき——

今回で桜の過去編は終了で、次回から時間軸を現在に戻します。

この3話でいろいろな事実が明らかになったと思いますが、新たに浮上した謎や伏線回収を先延ばしにしている部分もあるので、考察班の方は頑張ってみてください!


さて、たくさんの応援数やコメントを頂きありがとうございます。調べてみたのですが、今まで投稿した全話にコメントがされているようでとても嬉しかったです。これからも頑張って投稿していくので、暇なときにふらっと訪れていただけるような場所を目指していきます!

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