第56話 いつかの情景


「あら、あんたが私より遅く帰ってくるなんて珍しいわね?」



 珍しく遅く帰った俺に声をかけたのはリビングでくつろいでいた義姉さんだ。正確にはくつろいでいるというよりスマートフォンを弄っている。きっと友人と連絡でもしているのだろう。



「ようやく友達ができたの?」


「いや、本屋によって立ち読みしてきただけ」


「そう……迷惑かけてないでしょうね?」


「多分?」


「なんで疑問形なのよ」



 そんなやり取りに呆れる義姉さんだが、俺はそんな話が入ってこない程度には動揺した。というか今会話をしているのだって特に考えることなく適当に合わせているだけだった。


 それほどまでに、七瀬ナツメの言葉が俺の胸に刻み込まれていた。



(あれは間違いなく、今の俺を否定する言葉)



 もしかしたら俺は、七瀬ナツメにどこか気を許していたのかもしれない。風紀委員会での出来事から始まり義姉さんを含めた邂逅。そして先日の追跡と雪花宅訪問。高校に入ってから義姉さん以外とここまで関りを持ったことはない。かつて関りを持っていたものたちでさえ今はもうほとんど会話していないのだ。



(結局、俺もいつかは消え……)



 なぜ七瀬の言葉がこんなに俺の胸に刻み込まれたのか。その理由は簡単だ。俺が自分という存在を歪なものだと認識しているからだ。つまり、今の俺は間違っている。そして、いつでも消えることができると。


 きっとみんなが望んでいるのだ。俺という存在を消して、僕という存在に戻るように。



「……ふざけるな」



 誰もいない自分の部屋の壁に向かって俺はそう呟く。あの七瀬の言葉は俺への気遣いが含まれていたのだろうが、遠回しに俺という存在そのものを否定していていることになる。としてはあの言葉を認めるわけにはいかないのだ。



「だいたい、俺と義姉さんがそっくりって……」



 確かにクレープは美味しかったが、俺は義姉さんほど甘味物に憑りつかれてはいない。それどころか、義姉さんのスイーツバイキングでの姿を見て引いてたくらいだ。それに第一、俺と義姉さんは血が繋がってすらいない。大袈裟に言ってしまえば赤の他人だ。


 それどころか、この家の家族は俺以外全員……



—ズキリ


「うっ」



 思い出したくもないことを思い出してしまい頭痛が走る。あの出来事に関しては、俺が小学校に入る前の出来事でどうにもできなかったことだ。それにあんなこと、今更思い出しても仕方がない。


 俺は制服を脱いで部屋着に着替え、そのままベッドへとダイブする。考えることにはもう飽きたし、七瀬と多くのゲームで対決したため純粋に脳が疲れていた。可能ならば、このまま何も考えずゆっくり泥のように眠ってしまいたい。



「ああ、そういえば」



 先ほどの頭痛で嫌なことを思い出してしまったが、同時にあることを思い出した。今の俺にとっては別にどうでもいいが、世間にとっては悲劇的な出来事。二度と関わることはないであろう人物についての曖昧な記憶。



「もうそろそろだな、父さんの出所」




 ※




 七瀬は帰宅した後すぐにシャワーを浴びていた。彼方は涼しい顔で数々のゲームをこなしていたが、夏が近づくこの時期にあそこまで真剣にアーケードゲームをすれば汗だってかいてしまう。一応匂い対策はしていたが、変な匂いはしていなかったかと今になって不安になる。



「センパイ、最後の方なんだかおかしかったような……」



 翡翠と同じくらい表情の変化が読み取りにくかったので定かではないが、七瀬には彼が何か葛藤を抱えているように見えた。それこそ、まるで小学校の頃の翡翠や自分を見ているようだ。



 そんなことを考えながらシャワーのお湯を止め、白い入浴剤が入った湯舟へと浸かる。そして、今日の放課後のことを振り返った。



「にしてもセンパイ、どのゲームでも凄かったなぁ。パンチングマシーンなんて、私がズルをしなきゃ確実に負けてただろうし」



 七瀬は彼方の力に素直に感服するが、それと同時に彼が本気を出していないことも見抜いていた。実際にあの硬いパッドに蹴りを入れた七瀬だからわかる。あのセンパイの力はこんなものではないと。



「もしセンパイが翡翠と喧嘩したら、どっちが勝つんだろうな?」



 七瀬は贔屓なしで二人の身体能力を比較する。彼方の方は未知数だが、翡翠に関して言うのであれば七瀬はよく知っていた。なぜなら、一度二人でガチの喧嘩をしたことがあるからだ。


 その時の喧嘩の原因は翡翠が七瀬のゲームの腕前を馬鹿にしまくったことだ。ちなみに二人のゲームの腕前は五十歩百歩である。



「少なくとも翡翠は私より強いし、センパイも多分そう。うーん……まあ翡翠かな」



 しばらく考え込んだ後に七瀬はそのように結論付ける。センパイも武術の心得があったりするのかもしれないが、総合的に見ると多分翡翠の方がやや勝っていると信じる。というより、七瀬としては翡翠に上回っていてほしかった。


 七瀬は翡翠が姉を守るために血が滲むほどの努力をしていたのを知っている。しかも勉強なども手を抜くことなく、自分自身を貫き通していた。そんな翡翠は報われてしかるべきだと七瀬は思っているし、彼の努力を応援してやりたいと思っている。



 それに



「あの人、やっぱりあの時のお兄さんだ」



 今日のやり取りで七瀬はそう確信していた。あの顔、声、背中。かつて見た夕焼けの光景は今もなお七瀬の中で生き続けている。あの情景に魅せられ、翡翠の熱意に影響されて自分もここまで頑張れたのだから。



「でもお兄さん、だいぶ雰囲気変わっちゃったな」



 自分や翡翠が知らない間にきっと何かあったのだろう。今の彼方の瞳にはあの時の情熱は宿っていなかった。きっと自分では、あの瞳を再び輝かせることはできないだろうと思ってしまう七瀬。だが、もしできるのであれば……



「ふぅ、のぼせちゃう」



 少し胸が熱くなってしまった七瀬は頭がくらくらし始めていることに気が付く。そしてそのままお風呂を上がり用意していた部屋着へと着替えた。下着に大きめのTシャツ被るというラフすぎる格好のせいでよく母に叱られるが、それを改める気はない七瀬。そしてそのまま自分の部屋へと行き、スマートフォンを取り出した。



「そういえば、センパイの連絡先とか聞いておけばよかったなぁ」



 彼方は七瀬にとって自分の考え方を変えてくれた恩人のような存在だ。もしかしたらこれからも壁にぶつかることがあるかもしれない。そんなときに、是非また話をしてみたいのだ。



「あ、満月だ」



 ふと外を見ると、暗い闇夜に大きな月が浮かんでいた。七瀬が一番好きな景色はあの日の夕焼けだが、それと同じくらい満月も好きだ。世界で自分の事だけを照らしてくれるようで、あの光を浴びれば自分が主人公になれるような気がする。


助けられるお姫様ではなく、助け出せるヒーローに。きっとそれが、あの人や翡翠の助けになると思うから。七瀬はそう願い、静かに目を瞑り祈る。



「もうすぐ体育祭かぁ」



 目を開けた七瀬は満月を見ながらそう呟く。もしかしたら、あのセンパイの本気を見れるかもしれない。学年ごとに対抗する種目もあるので、自分や翡翠と戦うことも?



「何が待ち受けているにしても、自分はこれからが楽しみっス!」




 かつてヒーローだった少年が道を見失った少年にかけた言葉。そしてそれを、ただただ傍観していた少女。彼らの思惑や願いは交差し、巡り巡って全てを失った青年に新たなる選択肢を与える。


 だが、それが叶うのはもう少し先のお話。これから体育祭という、嵐のようなイベントが巻き起こるのだから。



 七瀬は一人、笑顔でいつか訪れる景色を夢見るのだった。願わくばそれがあの日見た情景より輝かしいものであることを。




第3章 情景に魅せられた少女 完










——あとがき——

これにて第3章は終了です。ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。

七瀬にフォーカスを当て翡翠を登場させた3章でしたが、ここまで時間がかかってしまい申し訳ありません。いったん幕間を挟みますが、できるだけ早めに第4章に移りたいと思っていますのでお楽しみに!

先に予告すると、第4章では彼方の『今』の家庭事情について踏み込んでいきます。ということは次にスポットライトが当たるキャラクターは当然……?

というわけで次章、乞うご期待!


余談ですが、新たにラブコメを連載し始めたのでよければ是非。この物語とは正反対で、真っ当で、甘いラブコメをご提供しましょう、、、


『クラスで一番かわいい女子と友達の関係でいられなくなるまで』

https://kakuyomu.jp/works/16816927860651265323

朝7時更新!(早朝ラブコメという新たなジャンルです)


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