第66話 椎名遥③


『……』



 私の突飛な提案に彼方はこれでもかというほどの嫌そうな顔で私のことを見つめ返していた。さすがに色々な手順を飛ばしすぎてしまったか。



『やっぱり学校に行くのは嫌?』


『……行く意味を見出せない』



 その言葉にはあらゆる意味が込められているのだろう。特に学ぶことがないほど頭脳明晰なのにどうして学びに行かねばならないのか。精神が完治していないのになぜわざわざ傷を抉るような提案をするのだろうかと。きっと今の発言で、彼方の私への好感度は一気に失墜しただろう。


 しかし、それでも今の彼方を見て伝えたいことは伝えておくべきだと思った。



『彼方がそういう道を選ぶのならそれでもいいし、今どきは通信制や夜間の学校もあるしそれも一つの手でしょうね。ただ一つだけ、声を大にして言うとすると……』


『?』


『負けっぱなしでいいのかってこと』


『負け、っぱなし?』



 この意味については特に言及しない。きっと彼方も思い当たることはあるだろうし、私も全てを知っているわけではないからだ。私の発言をどうとらえるかは完全に彼方次第だ。不快に思って今度こそ本当に部屋に閉じこもるのなら別にそれでもいい。



『それに、私たちの時間は常に有限なの。それならば、今のうちにできることはしておきたいじゃない。もしくは、今まで出来なかったことをやってみるとか』


『いや、出来ないことなんてほとんどないけど……』


『そう……なら、こういうのはどう?』



 私の考え。それは、私という中途半端な人間には絶対にできない手段。周りに助けられたり、足を引っ張ってしまう私には絶対に無理な方法。



『自分の才能を、全て自分のために使うの』


『?』


『彼方が凄いっていうのはここ数日の間でもよく分かった。きっと彼方は、今まで誰かを気遣うような生き方をしてきたんでしょう?』


『……』


『ならその力や時間、リソースを今日からすべて自分のために使いなさい。さすがに全部は私もわからないけど、彼方はきっと他人の助けなんていらないくらいに優れた子なのよ。その気になれば、本当に一人で生きていける』


『……』


『無理に誰かを助けようとしなくていい。そういうのは、年上の大人や専門の人に任せればいい。誰かとの協力も必要最低限で、自分の事を一番に考えるの。あ、私のことを介抱してくれたのは助かったしあれは別よ?』


『……っ』



 命に関わる問題はさすがに別だが、自分を削って無理に他人を救おうとしなくていい。関係もない他人の問題に口を挟まなくていい。目的意識さえしっかりしていればそんなのは容易いことだ。だが、それを実践できる環境であるかどうかは別問題。そのような環境を誰かが作らなければならないのだ。



(私が頑張るしかないわね……けど、まずは先の問題より目先の問題から)



 見たところ、彼方は少しだけ動揺していた。もしかしたら私のそれっぽい演説で何か考えることがあったのかもしれない。それが自分の今までなのか、これからの事なのか。どちらにしろ私が今すべきことは彼方を全力で応援してあげること。ただ、それだけだ。



『ま、私が今言ったことは別に忘れてもいいわ。デリカシーを取っ払った発言だったし、私が逆の立場でもちょっとどうかと思うしね。今はとりあえずゆっくり休みなさい』



 私はそう言って勉強に戻る。どうせ私ももうすぐ冬休みに入るし彼方と一緒にいてあげられる時間はおのずと増える。弓道部も頻繁には練習が予定されていないし、自分の事を見つめ直すいい期間だ。


 何かを変えるには自分から動かなければ何も変わらない。動くには相応の力を備えていなければならない。力を備えるには毎日コツコツと自身を磨かなければならない。

 それがどれだけ大変なことかというのは誰もが知っている。だからこそ、彼方に自分の考えを無理強いすることはできない。



『……』



 案の定、彼方は椅子の上で三角座りをしながらボーっとスマホを見つめていた。スマホを弄っているわけでもなく、何も映っていない画面をただ見つめている。もしかしたら、自分の心に何かを問いかけているのかもしれない。もしそうなら、勇気をもって話しかけた甲斐があるのだが……



『……高校』


『ん?』


『面白いの?』



 先ほどの嫌な顔とは打って変わり、その顔には少しだけ興味が浮かんでいた。その瞳は、まるで私のことを問いただしているようにも見えたし、見定めているようにも見える。どちらにしろ、私の次の発言できっと彼方の人生は大きく変わるだろう。



『……正直に言うと、私が学校を面白いと思ったことはかなり少ないわ』


『……』


『進学校だからずっと勉強しなきゃいけないし、そのせいで満足に交友関係を築けなかった。弓道部だって中途半端だし、もしあなたが入学してきたら私のことが滑稽な姉に見えるでしょうね』


『……へぇ』


『でも!』


『……?』



『……つまらないと思ったこともないわ』



 これは私の正直な気持ちだ。クラスの人とはあまり話さないけど、みんなが仲睦まじく何かに挑戦しているのを眺めている。その光景が、私は好きだ。そういうのを見て私ももっと頑張ろうと思える。嫌なことでも辛いことでも、挫折せずに今まで頑張ってこれた。



『……つまり、義姉さんはボ……のことを、面白いのかつまらないのかもわからない学校に入学させようとしてるってこと?』


『……それを選ぶのは私じゃないわ。選ぶのは、いつだって自分自身。物語や小説と同じで、自分の人生の主人公は常に自分自身。何かを変える選択をするのも、人生の主人公である自分自身でしかない。だから、私が彼方の何かを決めることなんてできないわ』


『うん……知ってる』



 そうして訪れる静寂。私は今までこれほど気まずい空気感に包まれたことがなかった。今にも息を荒げてしまいそうな緊張感。そしてそれを破ったのは意外にも、目の前で立ち上がった彼方だった。彼方が……



『ふ、ふふふっ……』



 笑っていた。面白そうなことを見つけたように、あるいは新たな目標を見つけたように。私はエスパーではないのでその胸中を知ることはできないが、今彼方の中で確実に何かが変わった。そうして彼方はそのまま階段の方へと向かう。



『彼方?』


『人生なんて所詮どうなるかわからない』


『……ええ。その通りね』


『ま、受けるだけ受けてみるかも』


『……マジで?』


『行くか行かないかは、その後にでも決める』



 そこからの彼方の行動は早かった。中学校に連絡を入れ受験をする旨を伝えるとそのまま願書を取り寄せた。さらに模試を受けるためにわざわざ外出をするなど、かなり前向きな姿勢を見せる。模試の結果は私も知らないが、その結果を見て受験をやめようとしないあたり合格圏内に入っていたのだと思う。そしてそれは、本番の試験に証明された。スマートフォンで学校のホームページにアクセスし、彼方は自身の結果を確認する。



『……合格』


『いや、行動力凄すぎるわよ。というか私、彼方が勉強してたこと見てない』


『やれって言ったのは義姉さんじゃない?』


『それでも普通、ここまで凄いとは思わないでしょう?』


『相当手を抜いたけど』


『それ、私に対する当てつけ?』



 私だって一之瀬高校に入学するのに丸一年塾に通って必死に勉強したのだ。あまりのプレッシャーに吐きそうになったことだって実際ある。しかし彼方は涼しい顔で特別喜ぶこともなくあっさり合格を勝ち取ったのだ。まあ、自分と比較しても空しくなるししょうがないのだろうが。



『そうだ、彼方。私の決意表明をあなたに聞いてほしいの』


『決意表明?』



 彼方は合格したが、ここで合格を蹴ることだってできる。もしこのまま彼方が学校に行く意味を見出せなければそれも十分にあり得るだろう。だからこそ私は彼方に宣言しておく。これは、私の想いに応えてくれた彼方への答え。そして、せめてもの恩返し。



『私、生徒会長になる!』


『……は?』


『学校が面白くない場所だって言ったけど、少しは見ものになるんじゃない?』


『いや、意味不明だけど』


『ま、私は本気。私が生徒会長になれたら、その時は精一杯祝福してね。約束よ?』


『まあ……どうぞご勝手に』


『まるっきり興味がないわね……フン、今に見てなさい!』



 そうして私は奮起する。この頃から、私は少しだけ変わり始めていたのかもしれない。そうでなければ、私は一生つまらない一人の少女だった。しかし今は……




   ※




 私が二年生に進級すると同時に、彼方は私の後輩になった。そうして私はすぐに生徒会に入り、スカウト制度を使って推薦してもらうべく必死に働いた。弓道部は退部していないが、この時期の私はまさに幽霊部員だった。


 周りからの反応も様々だった。私のことを興味深そうに見る者、鼻で笑い馬鹿にする者、そしてありがたいことに応援してくれる人。特に弓道部の人たちは私のことを全力で応援してくれていた。普段私から話しかけることはなかったし、怪奇な目で見られることを覚悟していたのだが、思わぬ暖かさに私は泣きそうになった。




 しかし、物事はそう簡単には進まない。あの事件が起きたのは私が生徒会に入って一か月ほどが経過したころ。私は用具室で備品の整理を任されていた。



『ここの備品が一個足りないわね。もっと奥にあるのかしら?』



 そうして私は棚の奥に手を伸ばした。今思えばきちんと備品をどかしたりライトを使えばよかったのだ。しかし、そんな脳もなかった私は幸か不幸か不足していた備品を見つけ出してしまう。



『よかった! これで全部……って、キャアアアッ!?』



 備品が大量に入った棚の奥から無理に備品を引っ張り出そうとしたせいで、そのまま棚が私に向かって倒れて来た。荷物はもちろん、棚そのものの下敷きになってしまい身動きは取れない。



『痛ったた……骨とかは、大丈夫っ、かしら?』



 私はすぐに自分の体の状態を確認するが、どうやら床に敷かれていた器械体操のマッドのおかげで衝撃を軽減できたようだ。しかし、身動きが取れないことには変わりない。しかも、備品が散乱してめちゃくちゃだ。



『だ、誰か助けをっ……』



 そうして私はかろうじて動かせた右手でスマホに手を伸ばす。幸いスマホは壊れておらず、そのまま電源が入った。



『って……誰に連絡すればいいの?』



 私は今まで積極的に誰かと仲良くしようと思ったことがない。だからクラスメイトのほとんどの連絡先を知らないし、連絡帳は真っ白。弓道部の部員たちに連絡をしようかとも思ったが、ちょうど今は練習している時間帯だしわざわざ呼び出すのも申し訳ない。



『仕方ないから学校の電話番号……いえ、待って』



 一人だけ、私が連絡先を交換している人物がいる。ダメもとでその人物に連絡をしてみることにした。もう帰っているかもしれないし、私のことを助けてくれるかもわからない。けど、この土壇場でその可能性にすがってみたいと思ったのだ。



 そうして私が連絡をして数分後、意外と早く彼は来た。用具室の扉を開けた彼は一瞬だけ驚くも、すぐにいつもの調子を取り戻す。



『義姉さん、何遊んでるの?』


『これが遊んでいるように見えるのなら今すぐ病院に行きなさい。棚の下敷きになったの。助けて』


『なんで俺?』


『なんとなく』


『義姉さんが友達少ないだけじゃなくて?』


『あんたラインを超えたわね』



 彼方と出会ってから時間が経ち、私たちは必要以上に言葉のキャッチボールが成り立つようになっていた。最近では彼方が生意気なことを言い始めるので、思わず口が厳しくなってしまう。打ち解けている証拠なのかもしれないが、なんかお互い悪い方向に進んでいる気がしてならない。



『よいしょっと』



 彼方は相変わらず涼しい顔をして私の上に覆いかぶさっていた棚を押し上げた。そしてそのまま棚をもとの位置に戻す。思わぬ怪力を見せた彼方に私は目を見開いてしまう。



『彼方、力強いのね』


『まあ、ね』


『運動部には入らないの? 優遇されるかもよ』


『いい、つまらなそうだし』


『……そう』



 彼方は目立つことなどを極端に嫌う。多分、私が自分自身のために生きろと言ったのが影響しているのだろう。だからこそ私も学校では気を遣ってあまり彼方に喋りかけないようにしているのだ。


 しかし、最近は別の考えが生まれている。本当は目立つのが嫌いなんじゃなくてつまらないのが嫌いなのではないかと。彼方は自分の存在を全力でぶつけられる相手に、出会ったことがないのではないだろうか? もしくは今まで出会って来た人たちが卑劣極まりない人たちだったとか。まあ、私にはわからないのだが。



『ほら、立って義姉さん』


『ええ。ありがと』


『義姉さんが俺にお礼を? 明日は霰?』


『あんた、本当に生意気言うようになったわね』


『え、それが助けた人に対する態度と?』


『はいはい、ありがとありがと助かった命の恩人です』



 ものすごく適当にお礼を言ってしまったが、命の恩人であるというのは本心だ。最近は照れてしまうのでまともにお礼や感謝を伝えられていないが、頑張って行動で示そうと躍起になっている。


 私は彼方にお礼を言って作業を再開した。帰ってしまうかと思ったが、彼方は用具室に置いてあった跳び箱の上で私のことを見ていた。この子は私のことを観察することが多い。あるいは私という存在を見定めているのだろうか。だとしたら上等だ。



(私は絶対に生徒会長になる。そして、少しでもこの子が……)



 彼方が過ごしやすい学校にしてみせる。そうすれば、もしかしたら彼方も昔のトラウマとやらを乗り越えるきっかけになるかもしれない。あるいは、忘れてくれるかもしれない。どちらに転ぶかはわからないが、それが今私がやりたいこと。私の成すべきこと。




 そうして私は二年生の選挙で、本当に生徒会長に選ばれる。努力が実を結んだ瞬間だった。


 そしてたった一人の弟のために様々な努力をした。もちろん学校全体が利益を得られるように考慮したし、彼方だけでなく他の生徒の見本になれるよう努力した。弓道部の活動が疎かになってしまったのは申し訳ないが、勉学の方の努力が実を結び始めたので許してほしい。今や私の成績は学年でもトップ3に入るくらいには良くなったのだ。


 途中で後輩の育成として新海さんをはじめとする多くの人たちと交流を深めた。最初は私も手探りだったが、案外すぐに打ち解けることができた。人との関わりが重要だと気づいたのもこの頃だ。そうして私自身も大きな成長を遂げた。



——これなら、きっと……














 しかし、肝心の目的はいまだ果たせてなかった。それどころか、果たせずに生徒会長を引退してしまうかもしれない。私は、体育祭を前日に控えた彼方が階段を上って自室に行くのを静かに眺める。



「……ごめんね」



 私は虚空にそう呟いた。彼方はあの時と変わらず未だに生きづらそうだ。私では、何も変えることができなかった。生徒会長になっても結局肝心の目的を何も果たせなかった。



「……私も寝よ」



 このまま起きていても仕方がない。私は明日も早朝に起きるためにすぐに眠ることにした。明日が生徒会長としての最後の仕事。ならば、私情は一度忘れてその本分を全うする。せめて、最後にカッコいいところを見せて終わろう。



願わくば、この体育祭で何かが変わりますように。私は藁にも縋る思いでそう祈るのだった。










——あとがき——

これで遥の回想は終了です。次回から本格的に体育祭を開始したいのですが、隔日更新から再び不定期更新に戻ることをお許しください。

理由として

・引っ越し十日前

・文系の学校から編入して理転するので数学などの総復習に時間を割きたい

・新作の構想を練りたい

などなど、数多くの理由があります。暇を作ってギリギリまで投稿をしますが、安定した環境を手に入れることができたら再び更新を再開しますのでどうかお待ちを!


追伸:たくさんのレビューや応援をいただきありがとうございます。返信などが満足にできておりませんが頂いたコメントには全てに目を通しており、リワード以上に私の「励み・原動力」となっています。時間を見つけてコメントに返信しておきますのでどうかお待ちを、、、

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