第7話 脅威


 授業は進み、昼休みを経てあっさり放課後になった。偏差値の高い進学校二年生の授業と聞いて身構えていた俺だったが正直拍子抜けだった。


 今日がオリエンテーションだったということもあるが、配布されたシラバスの全体的な難易度が予想をはるかに下回るレベルだった。もともと高校範囲の勉強は入学前にすべて終わらせていたため新たに学ぶこともほとんどなさそうだ。


 ちなみに昼休みだが……もちろん教室でボッチ飯だ。一年生の時は途中にあるコンビニで毎日パンを買っていた。母さんは料理が得意じゃないし、唯一料理が得意な義姉さんも生徒会での業務があるため朝は時間が取れない。だから毎日五百円を渡されてコンビニで昼食を買うようにしていたのだ。そしてそれは二年生となった今も続いている。


 ちなみに俺の隣人である雪花も同じくボッチだった。どうやら俺と同じでコンビニで済ませているらしく、音楽を聴きながら一人の世界に閉じこもって昼食をとっていた。


 一方の如月は友人に囲まれて大人数で楽しそうに昼食をしていた。さすがに食事の時間を邪魔するつもりはないのか、それとも抜け出せなかったからか昼休みは俺たちの方に来ることはなかった。


 俺と雪花はほぼ同時に帰る準備をしていたのだが、そこに笑顔で近づいてくる人物がいた。もちろん誰あろう如月だ。


「雪花さん、朝の話だけど考えてくれた?」


「……だから私は」


 呆れるように、されど戸惑うように雪花は困り果てていた。知り合って間もないとはいえさすがに相手をするのが疲れてきたのだろう。だがそれを口に出すと新たな火種を生んでしまう。


 しかも何を思ったのか如月は俺の方へも向き直ってきた。


「そうだ、椎名くんもどうかな?今日駅前に新しくできたクレープ屋に行こうと思うんだけど、男子も何人か来てくれるみたいなの。この前はダメだったし、今日はどう?」


(……なるほど、そう来たか)


 隣の席である俺を誘うことで雪花が参加しやすい環境を作ろうという魂胆だろう。

 作戦としてみればかなり効果的なものだ。集団心理を誘発できるし、雪花だけでなく俺と関わる機会も作り出せる。俺たちにとっては鬱陶しい事この上ないが、如月にとっては一石二鳥となる提案だっだ。


(こいつもずる賢くなってやがんな)


 もしここで俺が提案に乗ってしまえば雪花も渋々承諾してしまうかもしれない。それはそれで面白そうだが、まだ関りもしていない隣人である雪花との関係性を悪化させるの悪手だ。


 まあ雪花の存在に関係なく、どんな答えを出すかは決まっている。


「悪いが、俺は……」


 俺が答えを出そうとしたとき、それを遮って声を出すものがいた。誰であろう、ずっと無表情で如月のことを伺っていた雪花だ。


「悪いけど、私たちは行けない」



(私……たち?)


 俺は雪花の言い回しに疑問を感じる。そしてそれは如月も同じだったようで、すぐにその部分を追及してくる。


「もしかして、二人でもう用事を入れてた?」


「……そう受け取ってもらって構わない」


(……へぇ)


 当然だが、俺は何も知らない。混乱こそするが俺はそれを顔に出さないように静かに努める。このまま如月に主導権を渡してはいけないからだ。


「そう……約束があったなら仕方ないわね。それじゃ、また今度!」


「……」


 雪花は答えることをしない。恐らく今後も誘いに乗るつもりは一切ないのだろう。そして雪花が俺の方へと向き直ってきたので俺の方からようやく話しかけることにした。ちなみにこれが初会話だ。


「約束なんてしたつもりはないが?」

「……少し付き合ってほしい。ベランダに来て」


 俺の問いかけを完全に無視し、事務的な会話で一方的に返されてしまった。そして俺に一切目を向けずベランダの方へ一人歩いて行ってしまう。


(なんだ、あいつ)


 如月と会話をしているときから思っていたが、俺が今までに出会ったことのないタイプだ。かろうじて感情を読むことはできるが、それだけでは何を考えているのかさっぱりわからない。


「……」


 俺は黙りながら雪花の後を追いベランダへと出る。本来なら自由に出入りが許されており人で賑わう空間だが、クラス替えから間もないだけあって全員が使用を遠慮しているのだ。数日経てばベランダを使う生徒も現れるだろうが、この時期限定で秘密の話をするにはもってこいの場所になっていた。


「……言っておくけど、私から特に謝るつもりはない」


「それは、ずいぶんなご挨拶だな」


「……あなたのことを助けてあげたのは私」


 いきなりのケンカ腰で思わず買ってしまいそうになるが、話の腰を折らないためにもできる限り余計な発言を控える。ため息をつく俺を無表情で見つめ、雪花は俺に尋問のようなことを始める。


「……質問だけど、あなたは如月遊の関係者?」


「それは、どういう意味だ?」


「……あなたが如月遊を見る目を見た。普通なら表に出ているはずの感情が、あなたから読み取れなかった」


「……」


 俺は常にポーカーフェイスをしている。常に素を出さないようにしていたが、どうやら心理学をかじっている第三者から見ると俺の振る舞いは違和感を感じるものだったらしい。

 そして、さらに追及は続く。


「……如月遊だけではない。どんな時でも、あなたから感情や思考を読み取ることができない。まるで、人形を相手にしているみたい」


「気のせいだろ」


「……今だって、あなたが何を考えているのかわからない」


 だから雪花は俺に何度も視線を向けていたのだと納得する。授業中も時折俺の顔を見ていたのだ。だが、あえて呼び出したりして俺に伝える意味はなんだ?


「……二つ、この教室で過ごして思ったことがある」

「厨二的な何かか?」


「……からかうな」


 おっと、余計なことをしゃべらないようにしていたがついつい口が滑ってしまった。むすっとした顔を俺に向け怒りをあらわにしてくる雪花。こいつも無表情を貫いている類だが俺にしてみれば随分とわかりやすい性格だ。

 落ち着きを取り戻した雪花は話を元に戻す。


「……まず、如月遊がこのクラスの支配者になることについて」


「確かにそうなるのも時間の問題だが、何か問題があるのか?」


「……あんなのにクラスのリーダーを任せていたら、さして時間をかけずにクラスを崩壊させる」



(……こいつ、意外とよく見てるな)


 もちろん顔には出さないが、俺は雪花瑠璃という女の評価を数段上げる。俺が出した結論と全く同じ結論を出していたからだ。


 如月は友情とか正義などの見えないものを掲げみんなで楽しむことを目標にしているが、そんなものがまかり通るほど高校という場所は甘くない。あれが通るのはせいぜい小学校までだ。

 いつかどこかで無茶をして、クラスに抱えきれないほどの迷惑をかけることは目に見えている。そしてそれで損をするのは同じクラスの俺たち。


 つまり如月という存在は爆弾そのものでしかない。今はみんな浮かれて新しい環境を楽しんでいるが、すぐに人間関係の問題に発展する。


 如月がクラスの中心人物となった場合、多くのクラスメイトから相談を受けるだろう。そしてそれは、恋愛などをもちろん含んでいる。

 それに加え如月自身も可愛い部類だ。自分が知らず知らずのうちに当事者となっているなんてことも十分にあり得るだろう。恐らく今日如月と遊びに行く男子は如月とさらに親密な関係になることを求めているはず。


 そしてそれを正しく処理できるほどの能力は、残念ながら如月にはない。多くの相談事でパンクし、爆発してしまうだろう。


 つまり、クラスの連中が如月というアホに自由を許し、クラスの問題を任せた時点で学級崩壊までのカウントダウンがスタートしているのだ。恐らく一年生の時には友人の中に優秀なストッパーがいたのだろう。

 まあ、人間関係を築く予定がない俺には一切関係ないから放置しているが。


 そして俺は雪花の顔を伺い、さらに会話を続けてみようと試みる。どうやらこの女、俺が思っている以上に優秀そうだ。


「一つ目は正直に言って同意見だが、お前が分かった二つ目のことって?」


「……うん、正直私にとってこっちのほうが厄介」


 雪花は常にポーカーフェイスを貫いているが、深刻そうな顔になっているのを俺は見逃さなかった。そしてその感情が俺に向けられていることから、なんとなく雪花の言うことを予想する。


「……あなたという地雷が、私と同じ教室で過ごしているということ」


(……やはりか)


 なんとなくわかっていたことだが、雪花が俺という存在に戸惑っているとは感じていた。そして今の会話を通して、雪花は俺のことを自身の脅威になり得ると判断したのだろう。


「……あなたを呼んだのは、約束を交わしてほしいから」


「約束、ね」


 その言葉を頭の中で復唱してみるが、どんな約束を提案されるのかは予想できる。恐らく協力関係を持ちかけられるはずだ。


「……私に最低限の協力をして。あなたという存在は、不穏分子でしかない」


(やはりな)


 間違いなくそう来ると思っていた。最初にそう言って約束を交わしていれば、自分に被害が及ぶことを未然に防げるからだ。きっと彼女は、自分なりにこのクラスの厄介ごとに巻き込まれないようにどうにかしようと考えているのだろう。そしてそこに、俺という不穏分子は邪魔でしかなくなる。


「そんな条約みたいなもの、交わす必要はないぞ」


「……はっ? 何を言って……」


 俺がきっぱり断ったことで雪花が初めて動揺した。きっと、聞き入れてくれると思っていたのだろう。おそらく如月の執拗な誘いから俺を連れ出し助けたことを恩に着せるつもりだったのだろうか。

 だから会話の主導権を渡さないために俺は雪花が喋る前に自身の言葉を重ねる。


「俺がこのクラスで何かをしようというつもりはない。もちろんお前に必要以上に干渉はしないし、迷惑をかけるつもりはない」


「……信用しろと?」


「用意しているのなら、書面にサインしてもいい」


 雪花が自分を貫こうとしているように俺も俺を貫き通す。きっと雪花にはそういう風に見えていることだろう。

 しばらくすると雪花は諦めるように溜息を吐く。


「……わかった。とりあえず今日のところはこれで終わりでいい」


 そう言って雪花はベランダから教室に戻るドアの方へ向かう。どうやら俺の説得は諦めたようだ。俺が敵にならないことを確約できただけで上出来だと踏んだのか。

だが雪花は一度こちらを振り返り、きっぱりと言い放つ。


「……あなたのこと、信用したわけじゃない」


 そう言って雪花は自身の机に戻り教室を出ていった。これで俺が雪花と関わる機会は失われた。優秀な人材との交流を築いていくチャンスを捨てたのと同義だろう。


(……フッ)


 だが俺はニヤリと笑いそうになるのを堪え、快晴に恵まれている空を見上げる。まさか雪花は思っていないだろう。


 この展開が俺にとって理想通りであり、この後の計画を有利に進める後押しになったということを。

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