第8話 動き出す歯車


 俺が家に帰宅したのはすっかり日が暮れた時間帯。あの後、とある仕掛けをするために夕方近くまで学校に残る羽目になった。

 いらない無駄を嫌う俺だが、必要に迫られればどんなにくだらないことだとしても耐久するのは計画の内。


 しかし、まさか教室に誰も残らないとは思わなかった。俺が一年生の頃は放課後に教室で話し込む生徒が何人もいたのだが、如月に遊びに誘われて大多数の生徒がついていったみたいだ。あと他は純粋に部活動に精を出す真面目な生徒なのだろう。


 だがおかげで、誰にも見られずに計画の山場を乗り越えられた。きっと如月は明日にでも俺の想像通りに動いてくれることだろう。


 夕飯はどうするかと考えていた俺だが、しばらくすると義姉さんが帰宅し大きな紙袋を抱えてリビングへとやってきた。


「義姉さん、どうしたのそれ?」


「生徒会への意見書。アンタも知ってるでしょ」


「……もちろん」


 一之瀬高校の生徒会は生徒と近い距離を保つことをモットーにしており、義姉さんや優秀な役員たちの目に見える働きで全校生からの支持が高い。

 活動の一環として自由に意見を書き込めるボックスを生徒会室前や各学年の廊下に設置している。どんな些細な意見でも生徒会に届くようになっており、時折教員からの意見も混ざっているようだ。だがここまで紙袋をいっぱいにするほどの意見が提出されているとは思っていなかった。


「それって、いつもそんなに多いの?」


「いつもはもっと少ないわよ。けど、一年生を中心に風紀が乱れてるみたいで……これは早いところ対策をしないとマズイわね」


 一年生という単語を聞いて真っ先に思い浮かぶのは今朝見かけた金髪ハーフの子だ。モデルをしている勝ち組らしいが、一年生の問題はその生徒を中心に問題が起きている可能性が高い。俺の偏見かもしれないが我の強そうな生徒だった。


 きっと、ガラの悪い生徒が彼女のことを狙って執拗なアプローチを繰り返しているのだろう。そしてそれを断り続けた故に問題発生……といったところか?


「あと二年生も地味に目立つわね。放課後に大勢で騒いで飲食店に迷惑をかけてるって職員室に通報があったのよ。意見書でも似たようなことが書かれてるし」


「それは迷惑だね」


「あんたも二年生でしょうが!」


 義姉さんから渾身のツッコミが入る。どうやらまた怒らせてしまったようだ。今も一年生気分でしゃべっていたし、そろそろ進級したことを意識した方がいいな。


 それはそうと、通報があった二年生というのは間違いなく如月を中心とした集団のことだろう。放課後楽しそうに教室を出ていく姿を見た。クレープ屋に行くといっていたし、その周囲にたむろして騒ぎすぎてしまったのだろう。つくづく行かなくてよかったと思う。


「それよりあんた、今日どうしたの?」


「え、何が?」


「いつもより雰囲気が明るいじゃない」


「……そんなつもりはないけど」


 そういえばいつもより口数が多かったかもしれない。義姉さんとの会話がもともと少ないというのもあるが、妙にふわふわする。きっといつもと違うことをやってきたせいだ。


「そういえば義姉さん」


「……」


 義姉さんは俺の言葉を無視して意見書に目を通していた。義姉さんは本当に何も話してほしくない時ははっきりと言葉に出して拒絶する。何も言われないということはそのまま続けろということだろう。


「なんか、うちのクラスがやばそうなんだよね」


「……あんたがいるからじゃない? はあ、七宮先生が可哀そうだわ」


 おっと、思わぬデッドボールを食らってしまった。言葉のキャッチボールにはきちんとした投球で返してきてほしい。あと七宮先生を持ち出すのは卑怯だ。


「通報があった飲食店で騒いでいる生徒って、たぶん俺のクラスの人だと思う」


「……続けなさい」


 義姉さんの声のトーンが若干下がり、意見書を読むペースも少しだけ下がる。この問題は学校の外部に迷惑をかけてしまっているので、義姉さんとしても真剣に聞かざるを得ないのだろう。


「委員長を中心に騒いでいるから、誰も何も言えないんだよね。というか、楽しむことこそ正義って感じだから、誰も間違ってるって気づけないのかもね」


「……二日目で普通そうなる?」


「すごいよねー」


「他人事じゃないでしょ! もう、あんたは私に厄介ごとばっかり持ってくるわね……」


 そう言えば俺が義姉さんと積極的に喋るのは基本的に義姉さんに何かを任せるときだ。任せるというより投げるといった方が正しいか。

 俺がもし学校で一番信頼できる人間は誰かと聞かれたら間違いなく義姉さんの名前を挙げるだろう。身内というだけあって、何かあってもすぐに干渉しやすい。ようするに、俺に不利益が被りそうになっても自分で収拾をつけやすいのだ。


「あんたが何とかしなさいよ。自分のクラスの問題なんだし、いい加減やる気を見せなさい」


「……できると思う?」


「あんたはっ……」


 今にも噴火しそうな義姉さんはここ最近で一番大きなため息を吐いた。あれはイライラメーターがカンストして行き場を失ってしまった時の溜息だ。人間そういう時は一周回って冷静になってしまう。

 呆れるように俺の方を向いた義姉さんはもう何度目かわからない説教を始めようとしていた。


「……その件については私の方で考えておくから、あんたももっと友達とか作りなさいよ」


「……」


「返事!!!」


「……まあ、考えとく」


 そうして俺は義姉から逃げるように自室の方へと歩き出した。これ以上は長引きそうだしついでに余計な約束をさせられそうだ。身内との約束ほど厄介なものはない。


 その日の夕飯はカップ麺で済ませ、俺は適当にスマホをいじりながら明日を待った。



   ※



 そうしてあっけなくやってきた次の日。俺はいつもより早い時間に家を出る。

 義姉さんはとっくに家を出ているが、それでも俺としては過去最高くらいに早い登校時間だ。


(この時間はさすがに静かだな)


 いつもは登校する生徒の話声にぎわっている通学路だが、いつもより人通りは圧倒的に少ない。この前の一年生たちもほとんど見かけなかった。


 だが、俺の前に異様に目立つ生徒が歩いていた。金髪ハーフの一年生、七瀬ナツメだ。


(あいつも登校時間をずらしたのか)


 昨日あれだけ注目されていたし仕方がない。彼女としては無難な選択だ。きっと今日にでも俺のクラスまで金髪のかわいい子が入学してきたという噂が入ってくることだろう。

 七瀬はキョロキョロと、時折ビクビクしながら警戒心全開で道の端を歩いていた。きっと昨日嫌というほど声をかけられたのだろう。見た目に反してその姿は怯える子猫のように見えた。


(俺には、関係ないがな)


 彼女の周りで問題が起きようと俺には関係のないこと。せいぜい俺の周辺を巻き込まないでくれと祈りつつ、七瀬に遅れて学校に入る。


(如月は……よし、もう来ているか)


 彼女の登校時間が不明だったのが唯一の不安材料だったが、下駄箱を覗き見る限りすでに学校の中にいるようだ。きっと朝一で登校し他の生徒が来るのを待っているのだろう。そして俺の勘が正しければ、あいつも来ているはず。


(さて、俺の期待通りになっていてくれよ)


 すこしだけ緊張しながら、わずかな確信を胸に俺は自分の教室へ歩く。もし俺の仕掛けが正しく発動していたら朝から如月は……


 そんなことを願っているとあっという間に自分のクラスの前に立っていた。俺は音を立てないよう静かに教室の扉を開けた。そして


「ねえ雪花さん、私の友達になってよ!」


「……にゃ?」


 悲しげで憐れむような笑みを浮かべている如月と、何を言われているのか理解できず猫みたいな鳴声を出す雪花が二人きりの教室で向かい合っていた。

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