第9話 自己投影


 私はいつもよりずっと早く家を出る。本当ならいつもはもう少し遅い時間に家を出るのだが、最近は毎日が楽しくて仕方がない。私は自転車を漕ぎながらここ最近のことを見つめ返す。


「やっぱり、これが正解なんだよね!」


 昨日も新しくできた友達とみんなで駅前のクレープ屋に行った。少し騒ぎすぎて注意を受けてしまったが、それでも楽しい時間を過ごせたので後悔はない。


 まさかここまで多くの友達ができるとは思っていなかったが、それもこれも全部のおかげだ。


 ウキウキしていた私は自転車を飛ばしに飛ばし、一瞬で学校についてしまう。楽しい時間はあっという間に過ぎるというが、通学すらも楽しんでしまえるなんて昔の私に言っても信じてもらえないだろう。


(さすがにちょっと早く来すぎたかな……)


 私は自転車で通学しているが、ここに来るまで一人も生徒を見かけなかった。唯一野球部が朝練をしてたが、声に覇気がないことからまだ始まったばかりらしい。


「はーぁ、学校がもっと早く始まればいいのに……」


 きっと他の人が聞いたらギョッとするだろうが、私は本気でそう思っていた。そうすればみんなと過ごせる時間が増えるし、自分を磨ける時間が増える。

 小学校はともかく、中学校の私は勉強ばかりしていたので、そのころの反動というのもあるのかもしれない。

 勉強するときも遊ぶ時も常に全力。たまに人助けなんかしたりして。そんなどうしようもない日常が私の宝物だ。


 そうして私が下駄箱のロッカーを開けた時、はらりと私の足元に何かが落ちた。


「……」


 いきなりのことで私は少し固まってしまったが、すぐに落ちたものを拾いささっと使われていない用具室に入り物陰に隠れてしまう。そこまでの時間、およそ2秒!


(こ、こここ、これってまさか……ラブレター!?)


 私の手元にあったのは無地の真っ白な封筒。どこからどう見ても自分に宛てた手紙だった。

当然だが私は今までそんなものをもらったことがない。むしろ自分に魅力なんかないと自覚していた。


(もしかして、嘘告……それとも不幸の手紙?)


 もしくは入れる下駄箱を間違えたか。だが下駄箱のロッカーには大きく学籍番号と名前が書いてあり、間違えたとは思いにくい。

 つまりこれが自分に宛てられた手紙だということは疑いようがなかった。そう結論付けるがそれはそれでドキドキしてしまう。


(うっ……ええい、勇気を出せ私! これくらいのことで怯んでたら、に追いつけないじゃない!)


 たとえこれがラブレターであろうがなかろうが、受け取ってしまった以上中身を確かめなければいけない。それに万が一本当にラブレターならきちんと返事を返さなければ。


(手紙を出すなんて相当な勇気を出したはず)


 勇気を出すのがどれだけ大変で大切なことか、私はよく知っている。だからこそ、この手紙の差出人の思いを踏みにじることができなかった。


「よ、よし!」


 さっさと人が来ないうちに開けてしまおう。そして私は慎重に手紙の封を開け謎の手紙を読み始めた。


「……」


 私は手紙をどんどん読み進めていく。場所が用具室というのも微妙だが、集中できる場所に変わりはなかった。

手紙を読み始めてどれだけの時間が過ぎただろうか。最後まで読み終えて……固まった。


「なによ……これ」


 封筒に入っていたのはラブレターでもなければ、不幸や呪いを呼ぶ手紙でもなかった。


「どういう、ことなの?……雪花さん」


 ここには、雪花瑠璃という人間が今までどのように生きてきたのかという記録が記されていた。本人というより、第三者の目線で記された日記という表現が正確かもしれない。


誰がこの手紙を送ったのかはわからないし、本当なのかもわからない。それを判断できる精神状態ではなかったというのもあるが、私が感動して震えていたのが主たる原因だろう。


「私だけじゃ、なかったんだっ……」


 涙を流れそうになるのを堪え、私は咄嗟に教室へ駆けていた。まだ朝の早い時間だが、もしかしたら彼女は来ているかもしれない。私はとにかく彼女と話したくて仕方がなかった。


 そうしてあっという間についた自分のクラス。扉を開けて中に入ると……いた。


「雪花さん!」


「っ!」


 いきなり大声で呼びかけられたからか彼女は驚いてビクッとしていた。どうやら彼女も登校してきたばかりのようで授業で使う教科書の整理をしていたようだ。

やばいと思いながらもまずは距離を縮めるため挨拶から始めることにした。


「えっと、その……おはよう」


「……朝から、うるさい」


「ご……ごめんなしゃい」


(うわー、さすがにやばっ)


 私がいきなり大声を出したせいで完全に彼女をイラつかせてしまった。雪花さんは目を細め、不機嫌そうに私の挨拶を返さず蛇のような睨みだけを返してきた。今のは私が悪いと反省しつつ、頑張って彼女のパーソナルスペースに入り込もうとする。


「えっと、その……」


(あ、ヤバ。いざ面と向かってはっきり言うの緊張してきた)


 少しだけモジモジしてしまい第一声が出ないが、それを見た彼女の方からもはや隠そうとしない不機嫌そうな顔とトーンで切り出してくる。


「……なに? 用がないなら、さっさと向こうに行け」


「あ、うん、その……ね」


 どんどん彼女の言葉使いが荒くなってくるが、頑張って自分のペースでしゃべりだす。言葉にすることが、お近づきになる第一歩だ。


「雪花さんに、お願いがあるの」


「……聞くだけ聞くから、言ってみろ」


「う、うん」


 そうして私は、大きく深呼吸して……


「ねえ雪花さん……私の友達になってよ!」


「……にゃ?」


 私の言葉が予想外だったのか、猫のような独特の声を出す雪花さん。ちょっとかわいいと思いつつ、私なりに言葉を重ねていく。


「その、私と雪花さんって仲良くなれると思うの!」


「……い、意味が分からない」


 先ほどの不機嫌そうな顔から一転、困惑したような顔をする雪花さん。さすがに言葉が足りなかったと内心焦り、しっかりと具体的に喋ろうと思う。


「私なら……私だからこそ、雪花さんの力になれる。私だって変われたんだもん! だから、あなたのことを助けさせて?」


「……あ?」


 あ、だめだ。全然具体的に言えてないや。

 そして雪花さんもアホっぽい私を見て落ち着きが戻ってきたのかいつもの調子を取り戻す。気が付けばいつも以上に無表情だ。


「……あなたに助けてもらうことなんて、何一つないけど?」


「嘘だよ! だって雪花さんも……」


 私はハッと気づく。これ以上言ってしまえば雪花さんを傷つけてしまうのではないか? それどころか、今まで以上の拒絶をされてしまうかもしれない。


 だから……


「私が、雪花さんを救ってみせるね」


 そう宣言し、私は雪花さんに振り絞った笑みを向ける。きっと一番苦しいのは彼女なんだと思いながら。


「……?」


 雪花さんは完全に混乱していたが、それ以上の言葉はいらない。これは私自身との戦いでもあるから。


「……あ」


 ふと廊下の方を見ると誰かが教室に入ろうとしていた。あれは……椎名くんだ。これ以上騒いでいたらこれから登校してくる生徒に迷惑をかけてしまう。なので、ここでの説得は諦めることにした。


「じゃあ、またあとでね」


「……いや、は?」


 これ以上雪花さんと一緒にいても何も変わりそうにない。それなら少しだけ時間を空けた方がいいと判断し、私は雪花さんに手を振って席へと離れていく。


 が……そういえば何かを忘れ……


(……ハッ! 私の荷物、全部用具室のところに置いてきちゃった!?)


 やっぱり私はアホだと思いながら急いで用具室へと戻る。途中ですれ違った椎名くんにもきちんと挨拶を交わし廊下を爆走した。

 陸上部なだけあり、朝からいきなり走っても息が切れないくらいに体力はついている。もう昔の自分とは大違いだ。


(……でも)


 まさか雪花さんが私と同じような経験をしているなんて思わなかった。きっと彼女も苦しんだだろうし、今も苦しんでいるのかもしれない。なら彼女を助けることができるのは私だけだ。


 そういえば……


「私が、私が変われたのは……」


 用具室に着いて無事荷物を回収した私はふと、昔のことを思い出す。どうして私が、あそこまでどうしようもなかった私が、こんなにも明るくなれたのか。それは……


「……彼方くん」


 一番の恩人の名前を思い出し、少しだけ感傷に浸ってしまう。彼が、あの人こそが、私にとってのすべて。


「……」



 彼がいたから、私の人生が変わった

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