第10話 如月遊
あの日のことはいつまで経っても忘れられない。
私にとって人生最悪であり、それと同時に希望の光を植え付けられた始まりの日。
自分で言うのもなんだが、私はとんでもなくバカな子供だった。
みんながすぐにできる計算に倍以上の時間がかかるし、運動だっていつもドベ。
頭が悪いせいでクラスメイトからもバカにされ変な目で見られていたこともあった。私が話し出すとみんなが黙ってしまうし、同じ女子からも避けられる。
たまに話す機会を作り出すことができたが、うまく言葉が続けることができない。
いじめにまではならなかったが、担任の先生にはとっくに見捨てられ、友達を作ろうにも誰も私と話してくれない。
時間が経つにつれそういうのも減ってきたが、私のコンプレックスが変わることはない。気が付けば私は他人と関わるのを避けるようになっていた。
そんなある日、私はふらりと訪れた公園のブランコに座って涙を流す。確かこの日は先生にみんなの前で指名され、出された問題を間違えてしまったのだ。
間違えてそれを笑ってくれるのならまだいい。だが先生には失笑され、クラスメイト達は反応もしてくれない。
(なんで、なんでこうなるの、かなっ?)
公園のブランコで夕日を浴びながらもう死んでしまおうかとすら思った。
(私なんて……生きてる価値ないし)
どれだけ努力して勉強しても結果が実ることはないし、話ができる友達もおらず家でも学校でも孤独。もう自分の存在意義が分からなくなってしまった。
どれだけの時間泣いていたのかわからない。気が付けば夕日も落ち、あたりもすっかり真っ暗になってしまった。
(あ、さすがに帰らないと……)
周囲が暗くなっているのに気づき、ブランコから立とうとしたその時だった。急に誰かに背後から掴まれ口元を覆われてしまう。
「じっとしてろ」
「っ!?」
私は見知らぬ男に腕を掴まれる。ものすごい力と恐怖心で私は動くことはおろか声を上げることもできなかった。そのまま知らない車に無理やり乗せられて、目隠しをされ腕を拘束される。
(なん……でっ!?)
男の拘束が激しかったせいでほとんど身動きが取れず車の椅子から転げ落ちてしまう。激しく揺れる車の中、そのまま意識を失った。
そう、私は小学生の時に誘拐されたのだ。気づいた時には見たこともない家のソファーに縛られて寝かされ、むさ苦しい男と同じ小屋の中にいた。
どれだけの時間が経ったのかはわからないが、攫われた場所からは遠いところに運ばれてしまったのかもしれない。私は帰ることができるか不安だった。
「……だからっ……を……まで」
私は眠っているふりを続けながらまばらに聞こえる男の言葉を聞き続けた。きっと身代金の要求を家にしているのだろう。だが男がイラついている様子からして交渉はうまく進んでいないのだと悟る。
(あの人たちが、私の事なんて助けるわけないでしょ)
私の家庭は冷え切っていた。お父さんは滅多に家に帰ってこず他の女の気配を匂わせている。それに気づかないお母さんも私に簡単なご飯を作り置きした後に大切な生活費を使って夜の町に入り浸っていた。
どれだけ嫌な環境でも私は黙って可愛く過ごしていた。そうすればお小遣いももらえるし、最低限のお世話はしてくれるからだ。とはいっても基本的に彼らは放任主義だ。
授業参観には一度も来てくれたことはないし、クリスマスプレゼントだってもらったことがない。みんなが家族と過ごすのが当たり前の時、私は常に孤独だった
「っつたく! どうなってんだこいつの家庭は!?」
そう言いながら男が電話を切って戻ってきた。イライラしている様子を見るに、お金の振り込みを断られたのだろう。それはつまり、私が見捨てられたということを意味していた。
(ああ……やっぱり私は一人だ)
このことに関して私は傷つく心を持ち合わせていなかった。家族のことをどうでもいいと思っているのはあの二人だけではない。私自身、家族に対する情などとっくに無くなっている。
きっと私がいなくなったことに対しあの二人は世間に悲劇の両親を演じるのだろう。そうすれば自分たちの罪を逃れることができるし、やりようによってはお金も入ってくるかもしれない。
それに、私のことを心配してくれる友達なんて一人も……
そんな未来を考えていると、急に男の人に顔を蹴られた。私が起きていることに気が付いたのだろう。それともお金にならないことがわかってストレスが溜まっているのだろうか。
「ぐっ……」
「やっと起きやがったか。悪いがてめぇを家に帰すつもりはないぞ。お前には、せいぜい役に立ってもらう」
そう言って男たちは私にゲスのような笑みを浮かべてきた。きっと私から奪えるものをすべて奪い、最後まで利用しつくすつもりだろう。
「安心しろ、俺はガキの青臭い体に興味はねぇ。ま、もうすぐ楽しい旅行が始まるから楽しみにしとけや」
きっとそれは私にとって最悪で最後の旅行になるに違いない。男はそのまま縄に縛られた私を放置して奥の部屋へと引っ込んでしまう。
「……」
こうなってはもうどうすることもできない。足搔いても、私なんかには何も変えることができないと知っている。そして私は、自らの人生を諦めるようにそっと目を閉じた。
※
「……あれ?」
諦めて眠った私の顔を気持ちのいい風が撫でる。あの密室の空間に風が吹くはずなどないと気づき、私はそっと目を開けた。
「はぁ……はぁ……」
微妙に揺れる体とすぐそこから聞こえる荒い息遣い。私は自分がおぶられていることに気がついた。よく見れば、私と歳がそう変わらない少年だ。
私は夕方の森の中にいた。私は夜中に攫われたので、丸一日くらいの時間が過ぎていたらしい。
きっとあの男たちの拠点は森の中にあったのだろう。他人の小屋などを勝手に使っていたのだと思う。
「ふぅ……あれ、気が付いた?」
「……き、みは?」
私が起きたことに気が付いた少年は一度足を止め私に話しかけてきた。私が尋ねると少年は苦笑いしながら私に笑いかけてくる。
「君はって……小学校が始まってから僕と遊ちゃんはずっと同じクラスだったんだけどなー」
「……え?」
一瞬私は耳を疑った。私と同じ学校の、年端も変わらない少年が自分を助けてくれた?
いや、そんなことより……
(遊って、下の名前で初めて呼ばれた)
小学校に入ってから自分の事を名前で呼んでくれる人は誰もいなかった。唯一両親が私の名前を呼んでくれるがそれは当たり前。だがこの少年は容易にその壁を越えてきた。それに対して不思議なことに不快感はなかった。
「さっきの、男の人は?」
「酔っぱらって眠ってるよ。眠り薬とか警棒も持ってきたけど、必要なかったみたいでよかったよ」
「ね、眠り薬って……」
いったいどうやってそんなものを手に入れたのだろう。警棒だってそう簡単に手に入るものではない。それに場所の特定だって……
私はこの少年にちょっとした恐怖感すら感じた。
「た、助けてくれたの?」
「うん、危なそうだったから隙を見てね」
「あ……う」
私はつい言葉を詰まらせてしまう。こういう時なんて言えばいいのか、私にはわからなかったのだ。
何とか会話を続けてみようと、私は言葉を振り絞る。
「どうして、私の場所、わかったの?」
「職員室の前を通ったら遊ちゃんの家から欠席の連絡が来ていないって騒ぎになっててさ。君の家庭に問題があるのは先生たちも知ってたみたい。だからちょっと心配になって、君の行方を自分なりに調べてみたんだよね。目撃情報で公園の方に行ったっていうのは分かったから、あとは近くの監視カメラにハッキン……あ、やっぱなんでもない!」
最後の方で聞き捨てならない言葉が出てきたような気がしたが、そこを追求できるほど私の語彙力は高くなかった。それどころかこれ以上何を話せばいいのかわからない。こういう時に限ってコミュ障な自分に腹が立つ。
だが少年はそんなことを気にせず私を背負ってどんどん進んでいく。気が付けば真っ暗な森を抜け、一番近い交番の前まで来ていた。
「あそこに行って保護してもらってね。あ、それと僕のことは内緒でお願いね。それじゃ、僕は……」
「ま……待って!」
「ん? どうしたの?」
少年は終始笑顔で私に笑いかけてくれていた。その笑顔に見惚れてしまいそうになるが、私は勇気を振り絞ってずっと言おうとしていた言葉を出す。
「あ、ありがとう……ございました」
い、言えた……
もしかしたら生まれて初めてお礼を言ったかもしれない。そしてその言葉を受け取った少年は
「これくらい、当然だよ!」
そう言い残して私の前から去っていった。その姿はさながらヒーローのようで私の胸にずっと刻まれることになる。
その後交番に駆け込んだ私の証言で誘拐犯は逮捕された。さらに私のことを放置して遊んでいた両親たちも児童虐待の容疑が掛けられ警察の御用となる。最終的に私は祖母の家で暮らすことになった。
こんなことがあったが転校などはせず、またあの少年と同じ教室で過ごすことになる。そしてそこで彼の名前をようやく知ることができた。
(橘……彼方くん)
私は初めてクラスメイトの名前を覚えた。どうせ相手にされないからと、全くクラスメイトの名前を憶えていなかったのだ。私は同時に今まで無関心だったクラスメイト達にも興味を向け始め、少しずつだが前を向いて歩きだした。
そして六年生となった時には、人並みに他人と話すことができるようになった。勉強に関しては今までと同じくかなり苦労してしまった。それでもあの少年の近づきたいという一心で今まで以上に勉強を重ね何とか周りに追いつけるようになってきた。
「あ、あの、彼方くん!」
あの男の子、彼方くんとはあまり話せていない。共通の話題などあまりないし、彼の周りには常に友達が溢れていたからだ。
だがそれでも時折隙を見て、勇気振り絞り何度か話してみようとトライした。
「あれ? どうしたの?」
そのたびに彼方くんは私に暖かく笑いかけてくれ、どんなつまらない話をしても彼は優しく笑顔で接してくれる。そんな彼方くんに私はどんどん惹かれていった。
けれど私と彼方くんは大違いだ。彼の周りは常に笑顔で満ち溢れており、対する私は仲のいい友達もまだかなり少ない。友達というより、たまに話す仲というのが正確だが。それでも昔より良くなっているのは確かだった。
(もっと、頑張らないと!)
そんな決意を胸に私はがむしゃらに突っ走った。
たまに空回って先生に怒られてしまうこともあった。それに彼方くんを巻き込んでしまった時には罪悪感で死にたいと思ってしまった。それほどまでに、私にとって彼方くんは大切な存在になっていた。
そして私も、少しずつだが明るく笑うことができるようになってきた。笑顔の私を彼方くんに褒められた時には嬉しさと恥ずかしくて死にそうになってしまったが。
そして小学校卒業も近くなってきたある日、誰かが教室で叫ぶように言っていた。
「えー! 彼方くん一之瀬中学校に行っちゃうの!?」
一之瀬中学校と言えば名門の私立中学校で厳しい面接と小学校レベルとは思えない受験があることで有名だった。この学校のほとんどの生徒は彼方君とは違う公立の中学校に行く予定になっているはず。
その声を聞きつけた多くのクラスメイト達が彼のもとに押し寄せた。もちろん私もその中にいた。
「なんでだよ? 俺たちと一緒じゃなかったのかよ!?」
「そうだよ! どうしてそっちに行っちゃうの?」
多くの生徒が悲痛な声を上げる中、彼は微笑みながらこう答える。
「みんなごめん! でも、困っている人を助けるには頭が良くないといけないかなって。それにみんなは僕がいなくても大丈夫だよ! みんなは、とっても強いじゃないか!」
そうして彼は名門私立の一之瀬中学校へと進学した。小学生の勉強についていくのがやっとな私には当然そこに行ける頭脳がなかった。この時、どれほど自分がバカなことを恨んだだろうか。
(彼方くんと、もっと仲良くなりたかったなぁ)
そして私は流れるように新たな舞台である中学校へと進学する。新しい環境、新しいクラスメイト達。すべてが新しい場所で私は変わろうと決意する。
(私も、彼方くんみたいになれるかな?)
彼方くんは何でもできてしまう凄い人で、私は人より努力しなければ周りについていくこともできないおバカ。きっと彼には、並大抵の努力をでは届かない。
だから私は、中学校でひたすら勉強に専念した。
部活にも所属せず、ただひたすらに苦手分野を潰し予習と復習を繰り返す毎日。何冊も参考書を読み昼休みは図書室に入り浸った。
放課後や休日は祖母父に土下座して塾にも通わせてもらった。学校の授業と自習だけでは彼方君どころか周りの子たちも追いつけない。人より勉強しているのになぜか成績が上がらないのだ。多分私は勉強の仕方を知らなかったのだろう。
そして三年間が過ぎ、人に引かれるほどの努力を重ねた私は学校でも成績上位に入ることができるようになった。しかもこの辺で一番頭のいい高校にも合格することができたのだ。
私はこの時の感動を一生忘れないだろう。初めて、自分の努力が報われたのだ。
(そういえば……)
自身の中学校生活を振り返ってみて、ふと気づく。友人関係が、あまりにもお粗末ではないかと。
(勉強ばかりに専念していて、全然仲のいい友達とかできなかったなぁ)
一応最低限の付き合いを保っていた生徒もいたが、一緒に遊びに行ったりおしゃべりするほどの友達は小学校から一度もできていない。修学旅行だって、余った人たちと一緒に組む結果になった。
「友達……欲しいなー」
記憶の中にある彼方くんの周りにはいつも仲のいい友達がいた。彼が行動すればみんなが動くし、誰よりも信頼されている凄い人。まるで、物語の主人公のようだった。
ヒーローとは、彼のような人のことを言うのだろう。
「私も高校に入ったら、頑張ってみよっかな?」
でもさすがに陽キャにイメチェンするのは恥ずかしい。いまさら人の目を見て話せる自信も私にはないし、そもそも今まで友達なんてできた試しがない。
頭から煙が出そうなほど考えた私は天才的な発想をしてしまう。
「そうだ、私が彼方くんみたいに振舞えばいいんだ!」
こうして私は記憶の中にある彼方くんのすべて模倣して高校に入学した。最初は難しかったが、大好きな彼の真似をすることは苦ではなかったし、誇りにすら思っている自分が居た。
すると今までの苦労が嘘のだったかのように、すべてがうまくいくようになった。勉強だってわかった気になれるし、友達だって簡単にできるようになった。
中学校と違い部活動にも所属した。柄ではないと分かっていたが私は陸上部を選択した。運動ができるようになれば、自分はさらに変わることができると思ったのだ。
勉強は赤点ギリギリで部活では一番最初にダウン。一年生の時はものすごく苦労したが、そのおかげで私は徐々に成長を遂げる。憧れの彼方くんに少しでも近づけると思うとどんな苦行でも辛くはなかった。
そしてなにより、高校で初めての親友ができた。多分これが一番嬉しかったかな。
だが、そんな贅沢な毎日を過ごしていても物足りなく感じてしまう。
「もう一度、彼方くんに会いたいな」
この頃から、私は彼方くんのことを神格化していた。偶像崇拝ともいうべきか、橘彼方は私にとって信仰の対象となっていたのだ。
もしやと思いすべてのクラスを調べてみたが、橘彼方という名前の生徒は在籍していなかった。似たような名前の生徒はいたが、記憶の中にある彼とは声も性格も見た目も違う。だが、そんなことでガッカリしていても仕方がないし、彼に失望されてしまう。
私は私なりに誰かのヒーローになれるような生き方をしていきたい。もし私の記憶から彼方くんがいなくなってしまったら私の心は空っぽになってしまう。だから毎日を全力で楽しみつつ生きるのだ!
彼方くんにもう一度会った時、褒めてもらえると信じて……
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