第40話 厄日
脊髄反射というものがある。特定の物事に対して考える前に体が勝手に動くというものだ。俺がボールを避けずにわざわざ目立つような行動をとってしまったのはそれが根本的な原因だった。
(……くそっ)
人間はなかなか癖や習慣が抜けないというが、俺はてっきりそのようなものを克服したつもりになっていた。本気で体を動かすことが最近はめっきりなくなっていたので、忘れていたということもぶっちゃけある。
(……めちゃくちゃ見られてる)
その視線は主に同じクラスの男子からだ。この学校にはスポーツに真剣に打ち込んでいる生徒が多い。そういう生徒から見て、俺が体育で手を抜いているのではないかと疑惑がもたれているらしい。その証拠に、俺が授業の片づけを手伝っていた時(しないとしないで目立つから)サッカー部の生徒に話しかけられた。
『なあ椎名、お前ってサッカー部だったのか?』
その質問にはもちろんノーと答えた。というか実際にクラブや部活に所属したことはなく、中学校の時から今の今までずっと帰宅部だ。
サッカー部の生徒には勧誘こそされなかったが、めちゃくちゃ怪しまれていた。実は全国大会の経験者で才能を隠している……とか。この調子ではあらぬ噂が立ってしまうと思い、他の生徒に聞こえるくらいの声量で強く否定しておいたがどこまで効果があることやら。
実際グラウンドから教室への帰り道でひそひそと話すクラスメイト達の声を拾った。
「あれ、めちゃくちゃすごかったよなぁ」
「あいつ、絶対運動神経良いだろ」
「ま、気にしても仕方ないか」
そんなこんなですごい人扱いをされかけていた俺だが、もとより地味な見た目を貫いていたおかげで騒ぎはゆっくりと落ち着いた。テニスコートで授業をしていた女子たちにも噂として広がったかもしれないが、女子と話す機会がほぼないので大丈夫そうだ。
ちなみに……
「いやー、惜しかったよね雪花さん」
「そうそう。というか、陸上部相手にあそこまで張り合えるのがすごいんだって!」
「絶対に運動部に入った方がいいのに……」
雪花と如月のテニス対決は如月の勝利で幕を下ろしたようだ。なんでも授業時間終了ギリギリまで両者粘っていたらしく、何度もデュースに持ち込んだとか。雪花の敗因は、体力が先に尽きたこと。
「……ちっ」
休み時間中に雪花がマジトーンで舌打ちをするのが少し怖かった。しかも笑顔で勝ち誇っている如月を見て台パンしそうになっているのを必死に堪えているのか、完全に腕が震えていた。うん、確かにあれはムカつくな。
「はーい、それじゃあ席についてー」
雪花の心理読みで戯れていると、七宮先生が教室の前の扉から入ってきた。そう、彼女の担当科目は数学だ。
これは中学時代からの疑問なのだが、体育の直後に数学をするというのはある意味拷問ではないだろうか。疲れて頭が働かないのをわかりきったうえで授業中に指名してくる数学教師が中学時代にいて、ほぼ全校生から嫌われていたのを思い出す。あの人は今どうしているだろうか。
「それじゃ今日は指数関数で、もうすぐ微分に入るからねー。もうわかってると思うけど、この学校の授業ペースは速いからみんな気を付けてね」
(高二の一学期で微分か……)
他の学校がどれくらいのレベルだか知らないが、少し早い気がする。中高一貫ということもあるのかもしれないが、ついてこれない生徒がいても仕方がないのかもしれない。特に……
「……マジか~」
如月なんかは静かに天を仰いでいた。本当に、よくこの学校に入ることができたな。だがまあ、如月は人望などもあるので人脈を使って何とかするのだろうと容易く想像できる。巻き込まれた方は気の毒としか言えないが。
「それじゃ、まずは……」
そう言って七宮先生が黒板に数式を書き始めた。クラスの連中たちは慌ててノートを取り始める。七宮先生は面倒くさがってか黒板にあまり多くのことは書かず口頭で重要なことを連発する。だからしっかりメモを取る必要があるのだ。
そして放課後を迎えるころにはすっかり俺の騒ぎは落ち着いているのだった。
※
帰り道。それは学校からの解放を意味しており帰宅部の生徒にとっては本領を発揮する時間でもある。だが……
(なんで俺が駅の方に……)
普段は絶対に寄り付かない場所。だが義姉さんからの命令で俺はこの場所に来ざるを得なかった。義姉さんからの命令はこうだ。
『あんた、駅前に行って限定マカロンを買ってきてくれない? 期間限定のチェリー味が食べてみたいの。ああ、後ついでに駅に行くなら買い物もよろしくね。駅中のモールで生鮮食品が安くなってきたから、あんたの目利きで適当にいいやつ買ってきて。あ、もしサボったら夕飯抜きだから。二人そろってね』
電話でこれを言われたのだが、忙しいのか了承する間も与えられず電話が切られた。しかも割と大きな声で言うので耳がいまだにキーンとしている。
というか、義姉さんは俺を召使か何かと勘違いしていると思う。しかも、そのための料金を某決済アプリで俺のスマホのアプリに振り込んでくるという荒業。義姉さんには姉弟愛という感情が欠如しているのではないだろうか。
(あーあ、面倒くさい)
そんなことを言いつつも俺はダラダラ徒歩で駅前に向かう。幸い学校から駅はそこまで遠くないのでスマホをいじりながらゆっくりと歩いていく。
(……)
つもりだったのだが、俺は少しだけ進む速度を速める。そして、スマホを内カメラモードに変えた。
サッカーの件に関して言えば確実に俺が悪いが、現在進行形で誰かにつけられているのは絶対に違う。というか、後ろからずっと背中を吟味するように見つめてきて気味が悪い。
俺は路地裏に入ろうとするが、色々とリスクがあると思ったのでそれをやめる。とりあえず危害はないと信じてそのまま隠れるわけでもなく駅前を目指すことにした。
(……はぁ)
いったいどんなモノ好きが俺のことをつけているのか知らないが、正直に言ってそろそろ気持ち悪くなって憂鬱になってきた。しかも向こうも手馴れているのか、何度か振り返ってもうまいこと姿を現さない。きっと姿を隠すことに慣れているのだろう。
(……やっぱ路地裏に入るか)
この路地裏は一度通ったことがある上に入り組んでいるので向こうの正体を確かめるにはもってこいだ。俺はずかずかと路地裏に入ってすかさず物陰に隠れる。
(……)
コツ、コツ……
姿を隠してしばらくすると、俺を尾行していた何者かが路地裏に入ってきた。俺はスマホのカメラをゆっくりとその方向へ向けその人物を確かめる。
(……やっぱ、今日は面倒ごとが多いや)
その人物は制服にフードをかぶっており、地味な眼鏡をかけていた。
だがそのフードからは金髪の髪が僅かにはみ出ており、眼鏡の中で輝く碧眼が薄っすらと揺らいでいる。本人は変装のつもりだろうが、見る人が見れば正体が丸わかりだ。
「おかしいっスね。絶対こっちに……」
そして特徴的な下っ端みたいな口調とその声。とりあえずつけてきた人物の特定は完了する……が、やはり意味が分からない。
(何やってんだよ、七瀬)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます