第90話 変わりゆく日常②


 隣のクラスにやってきた転校生の噂は、当初俺が想定していたよりも大きく広がっていた。この学校で転校生という存在が珍しいというのはもちろんだが、その『訳あり』そうな恰好のせいで良くも悪くも様々な憶測が飛び立っている。



—曰く、この学校でも上位に食い込むほどのイケメンである

—曰く、元不良上がりで理事長が親なのをいいことに我儘三昧だった

—曰く、喧嘩で潰された人が数知れず



 今のところは悪い面が強く押し出されているが、あの男はすぐにそれを良い方向へと持っていくだろう。信也の話術は俺とは違う方向性に伸びており、騙すという点に長けている。いや、騙すというより真実を搔き乱すと称した方がいいかもしれない。



(歯がゆいけど、今は待つ時期だ)



 信也の悪い噂をさらに広め、悪印象を与えるということも考えた。だが今それをすれば目をすれば噂を広めた犯人探しが始まる可能性が高い。俺が細工を施せばバレる可能性は限りなく低い所まで持って行けるが、確実ではないため今回は自重する。



「……」



 俺の隣の雪花は、まだ動かない。いや、おそらく葛藤しているのだろう。信也が学校にやって来てから明らかに様子がおかしい。



(予想していたとはいえ、こいつと信也に繋がりがあったとはな)



 目を瞑る雪花を見て改めてそれを再認識する。まさかこんな身近にあいつと近しい(まだ確定していないが)人間がいるとは思っていなかった。だが今のところ完全に敵というわけではない。少なくとも、まだこちらに引き込むだけの余地はある。だが、もし信也と何かしらで結託した場合には……



 こいつのことも、潰さなければならない。




「ねぇねぇ、瑠璃ちゃんは見てきた? 噂の転校生くん」


「……別に。興味ない」


「なんでもすごく優しい王子様みたいな人なんだって。なんか面白そうじゃない?」


「……勝手に見に行け」



 信也転校を楽しそうに語っている如月を雪花は一蹴する。その言葉は今まで以上に冷たく、どこか突き放すような物言いだ。もしかしたら、誰とも関わりたくないのかもしれない。



「もう、冷たいんだから」



 如月もそれを肌で感じ取ったのかそれ以上雪花に突っかかることはなかった。ただでさえギクシャクした関係なのに、それを悪化させることを望まないのだろう。如月にしては賢い選択だ。



「……」



 俺は雪花のことをじっと見つめていると、途端に雪花と目が合う。だがあいつは俺のことを睨みながらプイと目を逸らした。どうやら俺とも話したくないらしい。色々とお膳立てはしてやったのに、まだ足りなかったようだ。



 そうして微妙な雪花をどうにもできないまま放課後を迎えてしまう。この日は終始転校生の話題で教室が持ちきりになり、どこか浮ついた雰囲気のまま終わってしまった。これが今後の計画に支障を及ぼすとしたら少し厄介だ。



(あいつに直接会うことはないが、それでもやれることはやっておかないとな)



俺はとある人物に連絡を入れ、そのまま雪花から距離を置くように教室を去るのだった。



















時は遡り再び隣のクラスにて


私は授業を受けながら信也くんのことについて考察をしていました。なぜ彼はいきなり去ったのか。なぜ今になって私の関係者がたちどころに現れ始めたのか。

おそらく、私が知らないところで何かが動いているのだろう。それとも、ただの偶然か。少なくとも現段階では考えてもわからない。



(休み時間、彼に話してみましょう)



 もしかしたら事情を知っているかもしれない信也くんと話すことを決意します。しかし休み時間になると彼の周りには男女を問わず様々な人が交流に勤しんでいる。少なくとも秘密の話をできるような環境ではない。それに、放課後は生徒会の仕事があるのだ。私だって暇ではない。


 ただ、こんな八方塞がりな状況でも彼のことを観察していたいくつか分かったことがあります。



 まず、以前と比べて性格が嫌に明るくなっている事。中学の頃は根暗な雰囲気があったのに、今はむしろ自分から他人に話しかけに行く姿勢を見せている。さらに彼の話し方が上手いのだ。聞き手を惹きつけるような話し方に、相手に喋らせたりする技術。話術という点においては、おそらく私より彼の方が上手だろう。



 女子生徒たちは既に彼のことを値踏みするような目で見ている。理事長の息子ということは別にしても、将来有望そうで優しそうな人が来たらそれは注目される。すでに何人かは彼のことが気になっているらしい。



(イメチェンというやつなのか、それとも転校先でなにか影響を受けたのか……)



 やはり以前の彼とは似ても似つかない。顔がほとんど変わっていないので私はすぐに気づくことができたが、もし街中で偶然すれ違ったとしたら私は彼のことに気づけないだろう。それくらい彼の雰囲気はガラっと変わっていた。



「「……」」



 そしてたまに彼と目が合うも、なぜか彼は私から目を逸らす。まるで、後ろめたいことがあるとでも言わんばかりに。しかし彼に限ってそんなことはないと思うのできっと私の気のせいだろう。



 そして結局彼と一度も話せないまま生徒会室へと向かうことになった。



「はぁ、なんだか最近何もかもが上手くいきませんねぇ」



 すっかり馴染むようになった生徒会長の椅子。膨大な業務をハイスピード且つハイクオリティでこなすことができる自分だが、やはり生徒会長という立場にはまだ若干不慣れだ。

 だがそれもそうだと納得する。何せ自分は誰かに付き従う方が性分に合っている。少なくとも誰かを導いたりするような器ではないのだ。



「会長、お疲れですか?」


「いえ、少し自問自答をしていました。あっ、お茶ありがとうございます」


「自問自答? 何というか、エッセイ本の書き出しみたいですね」



 私に話しかける彼女は一年生の橋本道子さん。生徒会役員として今期から生徒会に入り、現在では新人ながらに書記に任命されている。書類をまとめるのも私の次くらいにうまいし、気配りもできる子なので私は彼女のことを気に入っている。まぁ、深く物事を考えないのが玉に瑕なところがあるが許容範囲だ。


 他にも多くの人材が生徒会に入ってきてくれた。何人か見どころがある人はいるし彼女より能力値が上の人もゴロゴロいるが、人のことを気遣うという点においては彼女が一番上だ。だからこそ私が目をかけて面倒を見ている。



「そういえば会長、今朝先生方が騒がしかったんですけど何かあったんですか?」


「騒がしかった?」


「ええ。ちょうど日直で職員室に行くことになっていたのですが、なにやら先生方がみんな騒がしかったので」


「心当たりはありますけど……」



 おそらく信也くんが転校してきたことが影響しているのだろう。彼が理事長の息子であるということは既に教職員には周知されたはず。そして彼女の言う『騒がしかった』というのがどのような理由によるものか、決して想像に難しくない。



「きっと気を遣うように言われたんでしょうねぇ」


「気を遣う、とは?」


「いえ、橋本さんは気にしなくて大丈夫ですよ。あっ、おせんべいまで」


「この前コンビニで買ったのが美味しかったのでおすそ分けです」


「ふふっ、経費で買い足したら怒られますかねぇ」



 そんな冗談も交えながらテキパキと業務をこなしていく私たち。その後他の生徒会メンバーも合流し新生徒会は順調な滑り出しを見せていた。この調子なら前生徒会を上回る布陣も夢じゃないかもしれない。



(ひとまず、遥先輩を超えることを目標にしましょうか)



 能力値では私の方が上だが、生徒会長としての器という意味では彼女の方が圧倒的に上。その理由は今でもわからないが、とにかく生徒会長としての遥先輩は輝いていたのだ。こんな私が見とれてしまうくらいには。



「橋本さん、これをバレー部の顧問まで持っていってくれますか?」


「はい、お任せを」


「近藤くんは教頭先生にこちらの書類を。ついでに以前の体育祭の決算について修正箇所がなかったか確認をしてきてください」


「はい」



 そう言って新人である二人を職員室にパシらせたりもする。生徒会の仕事を覚えてもらっていると同時にコミュニケーション能力の向上を図っている。この仕事は学校の流れに直接かかわるので、必然的に大人と話す機会も多い。だからこそ二人にはその場を幾度も経験していてほしいのだ。



「私も、昔はそんな感じでしたね」



 昔、というのは私が生徒会に入るよりももっと前。すなわち、中学一年生の時。まだ無知だった私はに連れられて様々なところを巡った。公民館に将棋会館にボランティアに……

 悔しいけど、あの時の経験がなければ今も私は他人に対して奥手になっていただろう。それどころか自分の殻も破れていなかったかもしれない。思い出したら、少しだけ懐かしくなってきた。



——ピロン♪



「おや?」



 その時、私のスマホが通知音と共に震えた。画面を確認すると、つい先ほど頭の中に目標として思い浮かべていた遥先輩からのメッセージだった。



『生徒会長には慣れましたか? これからも応援しています』



「……これは、照れちゃいますね」



 そうして私は滅多に使わないスタンプを使いながら遥先輩に返信した。こういう風に誰かを尊敬するのは以来だ。だからこそ、懐かしいと思うとともに安心してしまうのかもしれない。あまりよろしくないとはわかっているが、とりあえず自分にできることを最大限やってみよう。まずは机の上にある書類の読み込みからだ。



「ふぅ、頑張りましょう」



 そうしてこの日はの私は自分を鼓舞しただけで終わってしまい、信也くんのことがすっかり頭から抜けてしまうのでした。

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