第54話 本当の自分


 パンチングマシーン。文字通りパンチの威力をキログラムに変換し、その威力の大きさを競うゲームだ。少なくとも女子が率先してやりたがるゲームではないだろうに。


 それにしても、随分と物理的なゲームを提案してきたものだ。というか、イマドキこんなものがショッピングモールの中に残っているということに驚きだ。



「お前、パンチ強いのか?」


「ふふふっ、自分は腕の筋力はあまりありませんが、それでも秘策くらいはあります。というか、自分からセンパイをゲーセンに連れてきて、無様に連敗して帰れないっス!」


 確かに七瀬はすべてのゲームにおいて俺に惨敗している。そもそも七瀬という人間がゲームに適性がないのだ。リズムゲームはおろか気まぐれにやっていたクレーンゲームでも見当違いの方向にアームを動かしていた。その結果景品は一つも取れずに終わった。

 

 七瀬は秘策と豪語しているが、その言葉に信頼を置けるレベルはなくなっている。秘策といっても、恐らく子供だましのようなものだろう。


「少なくとも、絶対センパイには勝てるっス! さあセンパイ、先攻どうぞ。センパイがこれだと思う手段で、最大限の力をぶつけてください!」



 そう言って七瀬は俺に備え付けのグローブを渡してきた。これをつけてパンチをするのだろうが、ずいぶんとぶかぶかしたグローブだ。これではマックスの力を出せない。それでも、そこそこの力を出すことができるだろうが。



(ま、はなからこんなゲームに全力を出すつもりはないけど)



 リズムゲームなどで脳を酷使して、実は地味に疲労している。幸い七瀬はそれに気が付いていないようだが、それがバレるとさらに訳の分からないゲームに付き合わされそうなのでこれで終わりにしたい。


 あえて負けるのも手段の一つだが、せっかくなら全勝で終わってやろう。そうして俺は腕を振りかぶる。目標はこのゲームに登録されているランキングの二位くらい。



(角度、距離はよし。そして……これくらい!)



 俺はマシーンのパッド部分に向けて思い切り拳を振りかぶった。衝撃と共に俺の肩に鈍い痛みが伝わってくる。久しぶりに強い力を使う動作をしたため反動が思ったよりきつい。だが、相応の記録が出たはずだ。俺は顔を上げ画面の方を見る。



『記録:220kg』



 このパンチングマシーンに登録されている一位の記録は252kg。どこの誰がこんな記録を樹立したのかはわからないが、ちょうどその下に俺の記録が加わった。名前を登録できるようだったが俺はそれをスキップし、そのままグローブを脱いだ。



「す、凄いっスねセンパイ」



 七瀬は目を大きく見開いて俺の記録を見ていた。第一線で戦うプロレスラーや格闘家には及ばないが、一般人が出すのは難しい記録。とはいえ俺がまともに体を維持していなかったため、本来出せる威力が出せなかったのはどこか残念だ。



「それで、七瀬は秘策とやらでこれを上回れるのか?」



 俺は動揺している七瀬に問いかける。俺は充分ゲームができたし、別に勝敗が着かずに終わっても問題ない。七瀬の秘策がどのようなものかはわからないが、今の七瀬に俺以上の威力を出すことなどできるわけもなく……



「やります!」



 と思っていたが、どうやら七瀬は全く諦めていないどころかニヤリと笑みを浮かべていた。どうやらよほどの自信があるらしい。いったいどのような秘策を用意したというのだろうか。



「それじゃセンパイ、少し離れていてください。ああ、あと人が来ないように周りを見張っていてくれません?」



 何か人に見られてはまずいことでもするのだろうか。不安になってきた俺は七瀬の言う通り周りを見ておくことにする。それと同時に七瀬が動き出した。


なぜかグローブを外し、助走をつけた七瀬が勢いよくジャンプし……ジャンプ?



「そおりゃあ!!!」



 パンチングマシーンのパッドに、思いっきりを入れた。いわゆる、空中回し蹴りだ。



 そのまま七瀬は華麗に着地し、慌てて回りを確認する。幸いなことに人に見られておらず、監視カメラなども見る限り発見できなかった。だが、とんでもないことをしたのには変わらない。七瀬も着地してから自分がやりすぎたと悟ったのか、俺に苦笑いを浮かべていた。



「あっと、記録記録」



 だが俺への言葉よりも先に、記録の方が気になったようだ。画面にはすでに結果となる数字が映し出されている。俺の記録は220kg、一位の記録は252kg。そして、七瀬の記録は



『記録:247kg』



 一位の記録と5kg差で負けたものの、俺と27kg差で七瀬が勝利していた。結果だけ見れば、初めて七瀬が俺に勝利した瞬間だろう。かなり卑怯な手……いや、この場合は足を使ったが。



「わ、私の、勝ちっス」



 色々あったが、素直に喜ぶことに下らしい七瀬。俺もどういう顔をすればいいのかわからないが、とりあえず息をついて感情を整えることにする。



(まあとりあえず、このパンチングマシーンでの勝負は俺の負……あれ?)



 そういえば、俺は今までの人生において敗北したことはあっただろうか。中学の時のことは勝敗とかそういう問題ではなかったが、基本的に勝負事や賭けでは負けたことがない気がする。今のはいろいろと疑惑の勝負ではあったが、七瀬は間違いなく俺のことを数字で負かした。つまり



(初めて、負けた……こんな奴に?)



 そういうことになるのだろうか。この女に、椎名彼方……いや、橘彼方も含めて初めて誰かに敗北した。


 なぜかは分からないが、言葉にするとどこか胸に響くような感じがする。ゲームや勝負事で、感情が揺れ動くことなど今までなかったというのに。あの新海にだって、一緒にいるときは何事においても負けなかったのだ。


 俺が自分自身の気持ちに戸惑っていると、七瀬に腕を掴まれ現実に戻る。七瀬は、俺のことを引っ張って出口の方へと向かった。



「センパイ、今のうちに逃げるっスよ。見られてないとは思いますが、万が一もありますので」


「仮に怒られるとしたらお前のせいだ」


「そこはまあ、その……ごめんなさいっス」



 一応先輩として、いや風紀委員としても言うべきことを七瀬に言っておく。さすがにあれは高校生としてあるまじき行動であった。下手をすれば、俺が厄介ごとに巻き込まれてしまいかねない行為。今までの俺なら七瀬を無視して帰っていただろうが。



 ゲームセンターから離れた俺たちは近くにあるフードコートに来ていた。七瀬から先程のお詫びということでクレープを御馳走してもらうことになった。俺としては財布の中身が空だったし、こうなった原因も元をたどれば七瀬になるので奢ってもらうこと自体は特に悪いとは思わない。



「いや、本当にごめんなさいっス」


「わかったのならもういい」


「それでも、マジで申し訳ねーっス」



 クレープに舌鼓する中、七瀬が何度も謝ってきた。俺も風紀委員の活動をまじめにやっているわけでもないし、恐らく先ほどの行為はバレてないので実害はない。つまり、このまま謝り続けられても迷惑極まりないのだ。


 それにそんなに謝られるとせっかくのクレープの味がまずくなる。ちなみに俺はいちごの安いものを選択した。ゲーセンで何度も奢ってくれた相手に高いクレープを頼むのはさすがに気が引けた。



 なぜ俺がと思いつつも七瀬のことを宥め、何とか謝罪地獄を終わらせる。そしてそのまま七瀬は自分が注文したクレープを一心不乱に食べ始めた。口に生クリームが付いており、見る人が見たら可愛らしいと思う光景が目の前で繰り広げられている。


ちなみに七瀬が頼んだのはイチゴとバナナとブルーベリーの上にチョコレートソースが乗っているという豪華なクレープだった。食べる前に写真を撮るところは義姉さんに似ているなと思ってしまう。


 そしてクレープを半分ほど食べ進めたところで、改めて七瀬に話しかける。俺なりにいろいろ考えたのだが、どうしても答えを出すことができなかった。



「七瀬、もう一度聞かせてくれ。今回の目的は何だったんだ? どうしてわざわざ俺なんかを連れまわした?」



 オフを満喫したいのであればどうしてわざわざ相方に俺をチョイスした? こいつがクラスに友達を作っているのかはわからないが、居るのであればそいつらでいいはず。わざわざ異性の先輩をこんな風に連れまわす必要性はない。


 裏があるのかと何度も勘ぐったが、俺には到底わからなかった。こんなこと、初めてかもしれない。多少なりとも心理学の知識や感情の機微の察知には自信がある。しかし俺には最後まで、七瀬ナツメという人間のことを理解することができなかった。


 俺が疑問を問いかけると七瀬はキョトンとした顔をして苦笑した。そして、ゆっくりと俺の疑問に答え始める。



「自分は純粋に、センパイがどんな人なのかを知りたかったんス。そしたらセンパイ、どこか自分を抑え込んでるじゃないっスか」


「意味が分からないな」


「いえいえ、センパイは自分を抑え込んでるっスよ。自分も昔そうして自分に嘘をついて過ごしてたんで、なんとなくだけどわかるんス。あ、この人自分と同じだなって」



 俺は七瀬ナツメの過去を知らない。というか、会ったこともないはずだ。それなのに七瀬は旧知の知り合いとあったかのような顔で、どこか安心させるような笑みを浮かべてくる。



「だから自分がセンパイに高校生のセーシュンってやつを教えてみようかなって。なんというか、今のセンパイは違和感バリバリなんで」


「青春って。俺はそんなガラじゃないって言って……」


「自分はそうは思わないっスけどね。だってセンパイ、ゲームで勝った時少しだけ楽しそうに笑ってたじゃないっスか」


「……俺が、笑ってた?」


「今さっきだって、クレープ食べながら口の端っこを吊り上げてましたよ。センパイは甘党なのかなって思ったんでクレープを奢ったっスけど、お姉さんそっくりで安心したっス」


「……」



 俺は七瀬の言葉に、返答することができなかった。自分でもよくわからないくらいに、心の中がグチャグチャだからだ。というか、なぜか少しだけ呼吸が苦しい。


 俺が楽しそうだった? 義姉さんそっくり? そんなことあり得ない。だって俺はそういうことを楽しめない人間なのだ。だからこそ、自分の事が分からない。



『だろうね。だって、らしくない』


(!?)


『仮面というものは、無理やりくっつけるもの。ほら、息苦しくもなるし目の前の光景が狭まるだろう?』



 その声が聞こえた途端、何とか意識を現実に戻して心を落ち着ける。目の前の七瀬が不思議そうな顔で俺のことを見ていたが、動揺を悟らせないため平穏を装いクレープを再び食べ進める。



 だが俺にはもう、このクレープの味が分からなかった。










——あとがき——

第3章もいよいよ大詰めです。

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