第92話 乗り込む
「わりと気さくな奴だったな」
俺は帰宅して間もなく入手した翡翠の電話番号を入力してコールボタンを押した。そしてたった今翡翠との会話が終わったところだ。最初は思い切り不信がっていたが、俺と雪花の名前を出すとすんなりと話を聞いてくれた。
だがもちろんそれだけでは彼の信頼を得ることはできない。だから、もう一人の人物に協力してもらった。
『あいつ、意外と聞き上手なんスよね。こう、言葉遊びを楽しむタイプというか』
「とりあえず、礼は言っておく」
『いえ、自分は仲介をしただけっス』
そう、今回の通話において俺はもう一人、七瀬ナツメに協力を依頼した。もちろんすべては明かさず俺が雪花翡翠とコンタクトを取りたがっているということだけ伝え、最初だけ一緒に通話をしてもらった。
離れているのにどうやって一緒に通話をするのか。その答えは至極簡単で姉さんのスマホをお願いして借りた。そして姉さんのスマホで七瀬と通話を繋ぎ、俺のスマホで翡翠に通話を繋げて向かい合わせるような形で話をしてもらった。
『それにしてもセンパイ、肝心なところで自分をのけ者にするなんてひどいっス!』
「協力すると言ったのはお前だろ? なら、重要な話に迂闊に踏み込まないのも協力だ」
『そうかもしれないっスけど、妙に気になるというかなんというか……だって、話を聞かせたくないがためにスマホを引き離したはずなのに、翡翠の怒鳴り声ががっつり聞こえてきましたもん』
俺が翡翠にわざわざ連絡を入れたのはとある提案をするためだった。説得の末に受け入れてもらえたが、あいつはいろいろと半信半疑だった。本当にそんなことができるのか、と。だからこそ提案した直後にとてつもない声量でブチギレられたのだが。
そんなことを話していたら、二階の俺の部屋に向かって足音が近づいてきた。恐らく姉さんだろう。俺は七瀬との通話を一度切り、何事もなかったかのように机にスマホを置いて座る。もちろん通話履歴などはすべてを削除する。
コンコンッ
そうして扉がノックされた瞬間にドアが開け放たれる。すると少し不機嫌そうな顔をした姉さんが顔をのぞかせた。さすがに身内だからと言って、ノックとほぼ同時に扉を開けて入ってくるのはどうかと思うのだが。
「ねぇ、そろそろスマホ返してくれない?」
「はい」
「まったく、いきなり貸せとかデリカシーの欠片もないわね」
そう言いながらスマホを開いてスワイプさせる姉さん。どうやら俺に変なことをされていないか確認しているらしい。まぁ残る証拠はすべて削除しているので何も出てこないだろうが。
「そういえば、なんであんたが私のスマホのパスワード知ってるのよ?」
「ああ、誕生日と出席番号を組み合わせたやつ?」
「だから、なんでそれを知ってるのよ!」
「パスワードが8ケタだし、姉さんはそういうわかりやすい番号を組み込むタイプかなって」
というのは建前で、向かい合って食事をするときにスマホを弄る姉さんの指の動きから大まかな番号を知っただけである。ソーシャルエンジニアリングの進化系とでも言ったところだろうか? どちらにしろ、不器用な割にわかりやすい人なのだ。
「……パスワード、変える」
「頑張って。どうせ次は時間を入力するタイプのやつにするだろうけど」
「いちいち思考を先読みするな!」
そう言って姉さんは部屋を出ていった。どうやら怒らせてしまったようだ。もしかしたら夕飯の時に何か影響が出るかもしれないが、これも信也に復讐するためだと甘んじて受け入れよう。
「そして、あとは『これ』を教えるタイミングを間違えないようにしないとな」
俺が三浦から入手したとある情報。これを雪花に渡すだけで事態は大きく動いてくれるだろう。だからこそ、渡すタイミングは慎重に選ばなければならない。できれば、雪花がもう少し精神的に追い詰められてからだ。俺もあいつの精神を削るために何か嫌がらせ紛いのことを検討するべきかもしれない。そうして追い詰めれば追い詰めるほど、雪花が『これ』に頼る可能性がぐんと高まる。
「さて、明日は休日だし状況を動かすにはちょうどいいだろ」
そうして俺はクローゼットの中を漁る。これから行動を起こすにあたり、俺が椎名彼方だとバレてはいけない。すなわち、完璧な変装をこなす必要性がある。それが翡翠と交わした条件でもあるのだ。
「まさか、惰性で持ってきてたこれを着る機会が来るなんてな」
俺が引っ張り出したのは父さんが昔着ていたスーツ。本人はすぐに着なくなってしまったためほとんど皺も汚れもなく保存されているが、あの父親と同じ服を着ることになるとは思ってもいなかった。だが、ここにきて捨てなくて正解だったと胸をなでおろす。
「あいつと同じ服を着るのは癪だが、背に腹は代えられないか」
本当はこんな過去の遺産を所持していたくないのだ。持ってきた理由だってネットオークションや古着屋に売れば多少の小遣いになるかもしれないと思ってのこと。だが引っ越しをしてからそんなことをする気力が湧かず、俺自身も忘れかけていた。
「あの親が塀の中から出てくる前に、決着をつけたいところだな」
今更干渉してくることはないと思うが、あらゆる想定はしておくべきだろう。どちらにしろ前の家族とは、本当の意味でもう関わり合いたくない。
「ネクタイの結び方も、覚えないとな」
俺は頭を切り替えて明日やるべきことに意識を向ける。いまするべきことは過去にとらわれることではなく事実を明らかにすること。そのために、どんな汚い手でも法律やモラルに反するような手段でも使ってやる。
そうして迎えた次の日。俺は慣れないスーツを着こなして徒歩でとある場所へと向かっていた。もちろんこの外出は姉さんにバレないように行っているし、出来るだけ人通りの少ないところを選んで歩くようにしている。
「サングラスをかけたのは初めてだな」
ポケットに手を突っ込みながら俺は珍しく手を加えた髪の毛を撫でる。いつもはぼさぼさで無造作にしている髪だが、この日はワックスをつけてオールバックにして後ろに流すように整えていた。顔も少し化粧をしているので、まず俺だとバレることはないだろう。変装のスキルは今も健在のようだ。
「あとは約束を守るだけ。まっ、その前の時点で違えられたらおしまいなんだけどな」
その場合の想定とその先の展開を考えつつ、俺は目的地へと向かう。その途中で俺のスマホが震えて通話のコールを知らせる。相手は……雪花翡翠だ。
「もしもし」
『よぉ。てめぇ、ほんとに来るんだよな?』
「そういう話だったはずだ。現に、もう数分で着く」
『ちっ……横路地を進んだところに勝手口がある。普段は人も寄り付かねぇ。そこから入れ』
「わかった」
そうして俺は通話を繋げたままにしてしばらく歩き続ける。すると、目的の建物が視界に映り始めた。ここに来るのは二度目だが前とは違った印象を俺に与える。
「雪花家。朝が早いこの時間はさすがに見張りもいないか」
そう、俺が今回向かっていたのは雪花の実家である雪花家だ。この中に紛れ込んでしまえば雪花組に関するあらゆる情報が嫌でも集まってくるだろう。先日翡翠にすべての事情を尋ねようとしたのだがそれは断られてしまった。恐らく姉の情報を提供するのに抵抗があるのだろう。だから、直接乗り込むことにしたのだ。説得の末、雪花組に紛れ込むことには許可をもらうことができたのだ。
「っと、ここか」
俺は先ほど言われた横路地に入りしばらく進んだところで話に合った勝手口を発見する。その扉は立て付けが悪く汚れているためあまり頻繁に使われていないことを俺に示す。この先に入ればもう後には引けないだろう。だが、向こうが情報を差し出さないのであればこちらから行動するまで。
その先に、俺が求める答えがあると信じている。絶対に、あの男たちを追い詰めてやるのだ。
「さて、乗り込むか」
そうして俺は勝手口に手を掛けた。
——あとがき——
本当にすみません! 夏期集中講座が予想以上の負担になってしまい全く更新ができていませんでした。一日中組み込みプログラムを実戦形式で構築したり数学の使途になっていました。それも一日ごとに『中学生の夏休みの宿題並みのボリューム』×『大学の専門的な内容』な課題をしなければならなかったので執筆そのものをお休みして活動をストップしていました。
お盆休みの期間はさすがに落ち着くので、ここでできる限り執筆&更新をできればなと思っています。毎日更新したいとか呟いてたくせに実現できず申し訳ありません。
ちなみに勉強時間を確保できたことと努力の甲斐あって成績はかなりいい感じです。もともと他学部どころか理転した編入生なのに、おそらく学部の中でも上位層に食い込むことができているかと。奨学金などの事情もあるので頑張ります!!!(気が向いたらTwitterか近況ノートに成績を開示しちゃいますね)
追伸:夏休みに入る前に図書館にこもりながら、めちゃくちゃ頑張ってストックを溜めた作品の隔日更新を始めました。少なくとも夏休み期間は隔日更新を維持できる予定ですのでよければご覧ください。人物やストーリーの設定にこだわったので感想とか期待しちゃいます。(割と闇が深く拗れる予定です)
『彼女なんて欲しくないと呟いたら大学一の美少女に迫られた件 ~でも彼女は俺のことが好きではないようです~』
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