幕間 橘彼方⑤


 大会までの一週間、僕と桜は毎日バドミントンの練習をした。もちろん学校があるので長い時間はできなかったが、最低限のことは教えられたと思う。体育などでルールをざっくりと教わっていたことで教えるのもだいぶ楽だった。



「それで、今までやってきたことの中で質問はある?」


「そうですね。どうして彼方がそこまでバドミントンが上手いのか知りたいですね。それと舐めプか何なのか知りませんが、こちらへシャトルを投げ返すたびにガットを宙に一回転させて反対の手でキャッチするという動きを繰り返している件について」


「えっと……なんとなく?」


「私、何回も心が折れかけたんですからね!?」



 かっこいいと思ってやってみたのだが桜には不評だったようだ。それどころか途中から歩数も制限していたのだが、これは言わない方が無難だろう。


 それはそうと、今の桜なら並の相手には負けないはずだ。小手先のテクニックや狙うべき場所、さらにはサーブのコツなど短い時間でかなり詰め込んだ。あとは、完全に彼女に任せるしかない。



「それじゃ、今日はしっかり休むんだよ。ただでさえ最近は忙しいんだから」


「わかりまし……ん、忙しい?」


「ちょっと調べてることがあってね。嫌な予感が当たらなければいいんだけど」



 とにかくその日は途中まで桜と一緒に帰り別れた。だが、僕はまだこれからやらなければいけないことがある。いわゆる、調査というやつだ。



「大丈夫。僕は信じてるから……」



 そうして僕が帰るころにはすっかり真夜中になってしまうのだった。




   ※




 大会当日。僕は桜と合流して市民体育館へと向かった。信也くんとは現地で合流する予定だ。だが、もしかしたら遅れてしまうかもしれない。



「うぅ、緊張してきました」


「だから、大丈夫だって。桜はこの一週間で頑張ったし、別に負けたとしてもそれは相手が桜より強かったってだけで……」


「あなた絶対勝負事で負けたことないでしょ!? いや、この際勝ち負けとか関係なく緊張するんですけどね」



 桜は今まで誰かと競うようなことをしたことがない。だからこそ余計に緊張してしまっているのだろう。まあ、ここは師匠の出番かな?


 僕は一度足を止める。するとそれにつられて桜も足を止めた。何で止まるんだという桜の視線を受け止め、僕は思っていたことを喋りだす。



「ねえ桜、一つ言っておくけど、そもそもこの挑戦自体が無謀なんだよ?」


「え、無謀って……」


「だって桜はバドミントン部でもないしプロってわけでもない。それが一週間の練習で挑もうとしてるんだから無謀にもほどがあるでしょ」


「うう、なんでそんなこと言うんですか」



 きっと桜もわかっていたと思う。あの時はノリと雰囲気で信也くんの提案を受けてしまっていたが、自分の実力が伴っていないことには当日のうちに気づいていた。桜では、半端な結果しか残せない。



「けど、それでも今日まで逃げなかった。僕に弟子にしてくれって頭を下げた時からそうだったけど、桜は一度も逃げていない。その時点で本来は誇っていいんだよ?」


「……」


「だからこそ、自分の限界に挑戦してきな。ここで自分がどこまでできるのかを知ることが、次に進みたいという情熱を燃やす薪になる。少なくとも僕が知っている桜は、誰にも負けない情熱を持ってるはずだよ」


「……彼方」


「ま、せっかくならそれに加えて楽しんでおいで。こんな経験そうはできないだろうしね」



 僕がそう言うと、桜は一瞬だけ頬を赤くし苦笑する。どうやら桜の心に届いたようだ。次の一歩を踏み出そうとする頃には、体の震えは収まっていた。


 そうして僕たちは信也くんが待っているであろう体育館の入り口を目指す。すると、桜がボソッと呟いてくる。



「彼方、ありがとうございます」


「そう思うなら、頑張っておいで」


「ふふふっ、どうせなら、優勝してきますね!」



 闘争心に火が付いたであろう桜にその意気だと僕は彼女の背中を押す。そうしていると、体育館の入り口に信也君の姿が見えた。そして彼も僕たちを見つけて手を振ってくる。



「おーい、こっちだよ! 受付が終わっちゃうから急いで!」



 その声を聞いて僕と桜は一斉に走り出した。どうやら思っていた以上に長く話し込んでいたようだ。そして何とか滑り込みセーフで桜は受付を完了するが、この時点でなんか疲れてしまった。



「それじゃ彼方、私たちはこっちですので!」


「二人とも頑張って」


「「うん」」



 僕は二人と別れ観客席へと移動する。やはり地元の大会だけあって見に来ている人は少なかった。参加者の方を見ていると、意外に年代が広い。下は小学生くらいの子から、上はシニア世代の方。どうやらこの大会では年代別に勝負を分けたりはせず、くじ引きで対戦相手を決めるらしい。平等なような、理不尽なような……



「おっと、二人は別のところだね」



 どうやらあの二人が初戦で戦ったりするようなことはないようだ。遠目でトーナメント表を見てみると、あの二人が戦うことになるのは一番上。すなわち決勝戦だ。それまであの二人が残っているかはわからないが、是非とも彼らの勝負を見てみたい。



「うーん、決勝戦になったらどっちを応援するべきかな?」



 立場的には桜なのだろうが、信也くんだってれっきとした友達だ。そこに差などつけられないし、差別するつもりもない。まあともかく、それは二人の決勝戦が実現してから考えることにしよう。


 僕は改めてこの大会のパンフレットをもとにルールを確認する。



「通常のルールと同じ21点先取。但し、ゲームは1ゲームしか行わずデュースはなし、か」



 ようするに、正面からのガチンコ勝負というわけだ。本来は3ゲーム中2ゲームを取った方が勝ちだが、1ゲームかつデュースをなしにすることでそれぞれが全力で戦いやすいようにしているのだろう。人によっては後がないとかで緊張してしまうだろう。



「まあ、桜にとってはそっちの方が」



 桜は運動において短期戦に強い。今までの経験やつい先日の出来事がそれを証明している。


バドミントン練習の帰り道に酔っぱらいに絡まれたことがあったのだが、その時桜は瞬時に足を掬ってねじ伏せていた。あの人は不幸なことこの上なかっただろうが、桜にとってはいいサンドバッグとなってくれた。



「おお、早速桜が先制点を取った」



 あっという間に一回戦が始まり、桜が相手に鋭いショットを決めていく。しかし相手も経験者のようで桜の動きについていくばかりか徐々に桜を押し始める。だが、そんなことで負ける桜ではない。



「おお、あの姉ちゃん今スマッシュ決めたぞ」


「小柄なのにやるな」


「あ、次はネットインした!」



 小手先の技や勝負を決めに行く判断力。桜は今までの体験からそういう力を蓄えていた。だからこそ、並の相手には負けない。



「Aブロック一回戦、勝者は新海桜!」


「やった、やりましたよ彼方―!」



 そして嬉しそうにこちらへ手を振ってくる桜。思えば彼女が勝負で勝つことはこれが初めてなのかもしれない。それなら、きっと彼女にとって大事な瞬間になったことだろう。



「ほんと、凄いよ桜は」



 そう思いながら俺も桜に手を振り返す。すると桜は早く移動するように審判の人から怒られていた。なにやってんだよ桜。



 そしてお昼休憩を挟みつつどんどん勝負は進んでいった。桜と信也くんはそれぞれ順調に勝ち進み、本当に決勝戦へと進んでしまう。


 これが「決勝戦で会おうぜ」ってやつなのかと僕は内心盛り上がっていた。そして、どちらを応援するかも決めている。



(一応口では二人を応援するけど、心の中ではやっぱり桜を応援しようかな)



 僕がそう決めたと同時に、とうとう勝負の時間になってしまった。審判のもとに二人が歩いてやってくる。



「それでは決勝戦! Aブロック代表、新海桜! そしてDブロック代表、獅子山信也! 両者、位置についてください」



 審判の指示のもとコートで向かい合う二人。そして互いに笑顔で強くガットのグリップを握る。



「信也くん、手加減はしないからね!」


「こっちこそ、全力で相手をするよ!」



 そうして勝負は始まった。サーブは桜からだ。大きく深呼吸をした桜は勢いよくラインぎりぎりを狙ったサーブを繰り出す。だが、それをいとも簡単に信也くんは打ち返してくる。油断した桜はそのまま先制点を許してしまった。



(やっぱり、バドミントン上手いな信也くん)



 一つ一つの挙動に無駄がなく洗練された動きだ。きっと何年もバドミントンをやってきたのだろう。あの実力なら全国レベルでもいい成績を残せるはずだ。



「うぅ、やっぱり上手いな本物は」



 今回桜は一回戦で行ったようなネットインを使わない。どうやら二回戦を勝ち進んだ時に少し卑怯な戦法だと本人が使うのを嫌がり始めたからだ。僕としてはそれも立派な戦法の一つだと思うのだが。



「それじゃ、どんどん行くよ!」



 そうして信也くんの無双が始まった。絶対に打ち返せない位置に狙ってシャトルを落としたり、フェイクをしてからのカットショット。少なくとも初心者に向けたプレイではない。それだけ信也くんは桜のことを警戒しているのだろう。



「私は、絶対に、負けたくない!」



 信也くんの警戒は正しかった。信也くんが五連続で点を取った時に桜はあえてシャトルを高く上にあげる。不規則な動きながらも、部活で何度もプレイしてきた信也君にとっては見慣れた光景だろう。



「よし、もらった!」



 そうして信也くんは高く跳躍しスマッシュを繰り出す。だが、その間に桜はネットの近くまで移動しガットを構えていた。



「そ、れぇ!」



 あれはたしか、プッシュというやつだろうか。一見無謀にも見える行為だったが、その構えは見事信也くんが放ったシャトルを捕らえた。



「なっ!?」



 信也くんも驚き対処しようとするが、すでにシャトルは勢いよく地面に落ちてしまった。桜が信也くんの猛攻を止めたことで、ギャラリーもどんどん盛り上がっている。僕も、少しだけ胸が熱くなってきた。



「言ったでしょ、絶対に負けないから!」


「こっちだって、勝つ!」



 とうとう二人は本気になった。技術を生かして攻めて来る信也くんに対し、桜は根性で追いすがった。そして、お互いに何度も得点を決めていく。その光景は、まるで戦場で銃撃戦が行われているかのような圧迫感を周囲に与えていた。



 そしてとうとう、二人は同点になった。それも両者20点。つまり、このマッチを取った方が勝者となる。サーブは桜だ。



「はぁ、はぁ、いくよ!」


「っ……来い!」



 息を切らしながらも鋭い眼光で相手を睨む桜。信也くんも落ち着いた印象だったが、すっかり熱血漢になっていた。



「い、っけぇ!」



 そして桜は力を振り絞ってサーブを繰り出す。だが当然、信也くんはそれ以上の力でシャトルを打ち返してくる。そしてそのようなやり取りが数十秒ほど続いた。


 そしてとうとう、信也くんが勝負を決めに来た!



「ここで、こう!」


「なっ!?」



 それは桜が最初の試合でやっていたネットインだった。ネットにぶつかった瞬間シャトルはそのまま垂直に落ちていく。



「まだ、諦めない!」



 桜は飛ぶように滑り込んでネットの方へとガットを伸ばした。絶対に負けたくないという意思が、離れた位置であるここまでひしひしと伝わってくる。そして……



「勝者、獅子山信也!」



 桜の情熱は、届かなかった。しかし負けたはずの桜の表情はどこか清々しく、涙を流すのを堪えているようにも見えない。ただただ、笑顔だった。



「エヘヘ、負けちゃいましたね。でも、次は絶対負けませんから!」



 桜は、次を見据えていた。バドミントンにハマったのかはわからないが、それでも勝負へのこだわりが生まれたようだ。



「ありがとう新海さん。すごく強かったよ!」


「また機会があれば、戦いましょう」


「はい」



 そうして二人は握手を交わした。そうして表彰式で勝者のメダルは信也くんの首にかけられ、桜と僕はそれを拍手で祝うのだった。




   ※




 帰り道。僕たち三人は体育館の裏にある休憩所に来ていた。今回は僕の奢りということで二人にジュースをプレゼントした。ささやかだが、僕にできるのはこれくらいだ。



「二人ともよく頑張ったね。信也くんは凄かったし、桜も一週間でよくここまで出来たよ」


「ふふっ、ありがとうございます。優勝はできなかったけど、そう言ってもらえると嬉しいですね」


「いや、一週間で経験者に追いつけることがものすごい脅威なんだけど。やっぱ凄いやこの二人」



 そうして僕たちは今日の話で盛り上がった。苦戦した時の話や、勝利して気持ちよかったときの話。そのどちらもが今日でしか体験できないことだっただろう。そして暗くなってきたタイミングで、僕たちは解散することになった。



「それじゃまた明後日、学校でね!」



 そう言って信也くんは帰っていった。メダルは首にかけたままで、すごく嬉しそうだった。きっと彼にとっては忘れられない思い出になったはず。



「桜、泣きたければ泣いていいんだよ?」


「いや、確かに悔しくて泣きそうですけど、最初に彼方も言っていたじゃないですか。一週間で挑むというのが無謀だって」


「まあね」



 正直このような結末になるとは思っていたが、あそこまで桜が粘るというのは予想外だった。桜の成長には毎回驚かされる。もしかしたら僕もうかうかしていられないかもしれないな。



「今回のことはいい経験になりました。彼方も、応援してくれてありがとうございますね」


「あれ、僕は二人のことを応援していたんだけどな?」


「いや、私がやられているたびに悔しそうな顔をしていたでしょう。ギャラリーって意外に目立ちますからね?」


「気のせいだよ気のせい」



 全く彼方は。そう言って相変わらず憤慨する桜。きっと彼女にとってこの出来事は一つの挫折になるだろう。だが、ここまで清々しい挫折もそうはない。バドミントンにしろこれから挑戦する何かにしろ、桜は良い結果を残せることだろう。



(そうなったら、僕の役目も終わりかな)



 そう心の中で言葉にすると悲しくなるのは、それほどまでに彼女が自分にとって大事な存在になっているからだろう。まあ、弟子をかわいいと思わない師匠なんていないかと納得してしまう彼方。



(あのことも、しばらくは放置していいや)



 彼方は少しだけ肩の重荷を下ろすことにした。昨日までは心配だったけど、今日の彼の様子を見て大丈夫だと思ったからだ。今は、弟子の成長を見守ることに使用。


 そうして彼らはこれからも一緒に歩いていく。誇らしく、悔いることなく。















 しかし彼らは知らない。このバドミントンの大会が、に繋がるターニングポイントだったということに……











——あとがき——

バドミントンのルールや技については作者もにわかなため、おかしいと思うところがあっても大海原のように広い心で許してくれたら……と。

ちなみに作者のバドミントン経験は球技大会でバドミントン部の部長とペアを組んで出場したくらいです。(見事に初戦敗退)


というわけで、次回第4章『姉弟の絆』お楽しみに!

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