第124話 友達


 どれだけの間こうしていただろうか。夕日が照らしていた屋上は既に暗闇に包まれかけており、部活動に精を出していた生徒の声もほとんど聞こえなくなった。俺はすっかりいつも通りの調子を取り戻しており、桜も目を腫らしつつも流れる涙は止まっていた。


 さて、桜と何とか和解することができた俺だがまだやるべきことが一つ残っている。



「……っと」



 俺は桜を押しのけるように起き上がり、それに反応して体を震わせた桜も自分がどんな体勢で泣いていたのか気が付いたようで顔を赤らめつつも俺のすぐ横に立つ。



「……なあ」


「え、あっ、はい!」



 俺が声を掛けるも桜は若干しどろもどろに答える。多少は昔のしがらみが解消できたといっても、ずっとまともに喋っていなかったから正直とんでもなく気まずい。だが俺はそれを誤魔化すように無視して、ずっと気になっていたことを桜に尋ねる。



「これを仕組んだのはお前と、どっちだ?」


「……」


「ああ、あっちか」



 俺はゆっくりと、あえて足音を立てながら屋上の出入り口へと近づいた。俺の予想が正しければあの扉の向こうには俺に桜をけしかけた張本人がいるはずだ。別に怒っているわけではないが、無理やりこんな風に和解を促されたのは釈然としない。



「……彼方」


「なんだ?」


「その……彼女のことを責めないでくださいね」



 顔を俯けつつも、桜は俺にそう言って釘を刺す。まあ意地悪的なことをしたい気分ではあるが、俺もすっかり疲れ果ててしまったためできる限りやり取りは最低限に留めたい。



 ——ガチャ



 先ほどまで鍵がかけられていたであろう扉はいつの間にかその鍵が解錠されていた。きっと目的を果たしたと同時に誰かが開けておいたのだろう。そしてその誰かさんは、階段の段差に姿勢を正して一人寂しく座っていた。その背中は、なぜか不思議といつもより小さく見える。



「最後と言いつつ、とんでもない奴を俺にけしかけて来たな……雪花」


「……」


「おい、返事くらいしろよ」



 そう言って人形のように座る雪花の横に立って彼女を見下ろす俺。傍から見れば女の子を恐喝しているように見えなくもないが、どうせ校内の人間はほとんど帰ってしまったのだ。そこまで見てくれにこだわる必要はないだろう。


 対する雪花は俺が隣に立っているにも関わらず我関せずといった態度で顔をずっと下に伏せていた。そして膝の上で拳をギュッと握り締めている。まるで怒られることが分かった子供みたいだ。


 俺はあえて彼女が自ら喋りだすのを待った。桜に責めるなと言われたこともそうだが、ここで俺から言葉を促すと彼女の本心が聞けない気がした。だが彼女が喋りだすまでにそう時間はかからなかった。



「……私は」


「ん?」


「……私は、自分の事がよくわからなくなった」



 いきなり啓発本の冒頭みたいな語りだしを始めた雪花だが、その言葉には不思議と重みのようなものがのしかかっていた。こいつがずっとここにいて鍵を閉めた人物なのだとすれば、きっと俺と桜のやり取りも聞き取っていただろうしな。俺と桜の一幕を見て、彼女は何を思ったのだろうか。



「すいません彼方、実はあなたのことを少し話してしまって」



 背後から俺が知らない情報を補足してくれる桜。どうやら雪花は桜視点から見た俺の話を聞いたらしい。そして先日話した俺の過去を照らし合わせて一体俺に何があったのかを大方理解したようだ。まあ、俺が話した過去は桜に関する部分を伏せていたため彼女も違和感を感じてはいただろう。


 まあ俺としては別に不快とは思わない。何せ俺も雪花の過去を根掘り葉掘り調べまわってしまったのだ。これでようやくおあいこになったところか。



「で、結局何が言いたいんだ?」



 俺はエスパーではない。なんとなく人がどのような感情を抱いているかを読み取ることができるが、その本質までは真の意味で理解することができないのだ。桜はギョッとした目で「今それを聞く?」みたいな表情になっているみたいだが、先ほどとは違いここは踏み込むべき場面だと判断した。



「私があの男を何とかしたいと思ったのは、無理やり婚約相手にさせられて嫌だったからっていうだけ。でも、二人は違う……」



 あの男というのはきっと信也のことだろう。雪花が信也を遠ざけたいと思ったのはただ単にあいつのことが嫌いだったからというシンプルな理由だった。きっといきなり婚約相手にされて戸惑っただろうが所詮はそれだけだ。その気になれば婚姻届けに名前を書かなければいいだけだろうし、他にも役所に手回しするなど様々な対策が浮かんでくる。


 対する俺は過去に対する復讐心。そして桜は生徒会の仲間が停学処分になったことによる真相解明、と言ったところだろうか。雪花と違って明確な対策がない以上、その重みが違ってくる。俺自身、そのせいで学校生活が縛られているのだから。



「俺たちにあてられた、とでも言いたいのか?」


「違うけど、そう」



 認めたくはないが、俺たちを見ていて自分のことをそう思ってしまったのだろう。雪花は幼少期から今に至るまで本心を話すことができる人間が家族以外にいなかった。対する俺は本心を話せる家族も友達もいない。そう言うところでも価値観の違いがあったりするのだろう。だが、今の雪花を見ていて思ったことがある。



(そうか、ようやくわかった。どうして俺が初めて会った時、雪花という存在が異質に映ったのか)



 今の雪花はまるで先ほどまで自分の殻に閉じこもりただひたすらに後悔に打ちひしがれる自分自身の投影のようだった。友達というものがどういうものなのかもわからず、自分がどう生きたいのかもわからない人生の迷子。そして何より心の底ではそんな人生に救いを求めていたからこそ、俺が今まで助けてきた人たちと似たような気配を感じたのだ。いや、きっと救いを求めていたのは俺も同じなのだろう。


 ようやく、雪花瑠璃という人間の本質が見え始めてきたような気がした。



「つまり、ただの寂しがり屋ってことか」


「……何か考えたかと思えば、なにそれ。ぶちのめすぞ」


「さっきの俺と桜のやり取りを見たうえで言うのなら、どうぞお好きに」


「……チッ」



 わざとらしく大きな舌打ちを打つ雪花。雪花も俺と桜の衝突をドアの隙間から見てようやく力量の差が垣間見えてきたのだろう。雪花だって周りに物騒な奴らがいる環境で育ってきたのだ。きっと俺たちの異様さを肌で感じたはず。いや、よくよく考えれば俺が桜のことを適当にあしらっていたようにも思えてしまうが。



「おい、雪花」


「なに……って、きゃっ!?」



 俺は未だに俯いている雪花の手を掴み引っ張るように上にあげて無理やり立たせた。呆気にとられる雪花と後ろで見ていた桜。まあついさっきまでの俺ならこんな行動は絶対に取らなかっただろう。だが桜と衝突したことによって弱さと後悔を受け入れた俺だからこそこんな思い切ったことができるのだ。



「な、なに!?」


「お前は馬鹿か?」


「なっ!?」



 俺は雪花に対し今思ったことを素直に言った。



「言いたいことがあるならもっとはっきり言えよ。お前の弟は少なくともそれができていたぞ」


「な、何を急に……」


「いつまでもそうやって自分の世界に引きこもって自分だけですべての事柄を完結させようとするから勝手に打ちひしがれるんだ……俺みたいにな」



 こいつはいつも教室で本を読んでいるかイヤホンで音楽を聴いておりずっと自分の世界に引きこもっていた。クラス内で副委員長という役職があるはずなのに、最低限の会話でやり取りを済ませてそれ以上の対話を取り付けない。



「社会人だってそうだ。ただ仕事を覚えれば一人前だと思っている奴が多いがそれは違う。理不尽なことや分からないことに対して、素直に周りへ助けを求められるようになってようやく成長し、周りから認められて一人前になるんだ。少なくとも社会っていうのはそういう風に出来てる。俺はともかく、後ろの桜は特にな」



 親指で後ろの桜を指してそう言い切る俺。そして、雪花は……



「お前は一度でも、誰かに助けを求めたことがあったか?」


「それは……」



 歯を食いしばるようにしつつも俺に対し何も言い返せないでいる雪花。きっと俺の今の言葉に思うことがあったのだろう。そもそもこいつ、今まで生きてきたうえで弟以外に本心から助けを求めたことがあるのだろうか。下手をしたら、弟にすら格好つけて助けを求めていないかもしれない。



「少なくとも、俺はお前が今抱えている悩みを何とか出来そうな奴を知ってるぞ。例えば俺の後ろにいる奴とかな。で、お前はこいつに電話して助けを求めたんだろ?」



 そう言って俺は雪花がこれからどうするべきかを抽象的ながら示してみる。俺は桜なら多少は雪花の力になれると踏んでこいつの部屋に桜の電話番号が書いた紙を置いてきたのだ。まさか二人がこんな風につるむとは思っていなかったが、それでも電話を掛けたのは大きな進歩だろう。



「ま、仲間を作れた時点で多少は進歩してんだろ」


「……お前、誰?」


「蹴るぞ?」



 多少は慰める意味合いで優しめな言葉を掛けたつもりだったが、雪花がこちらを睨むようにそう言って来た。まあ俺としても自分で話して少し気持ち悪いと思ってしまった。こんな会話はもう二度としないだろう。



 だがここで俺たちの会話を黙っていた桜が口を開いた。



「その、前々から聞きたいと思っていたのですが、お二人は結構仲がよろしいですよね?」


「「違う」」


「息ぴったりだったじゃないですか」



 呆れたように俺たちのことを見つめる桜。対する俺たちは一瞬だけ目を合わせるもお互い直ぐに目を逸らす。



「まさか雪花さんが彼方とお友達になっていただなんて。世の中って意外と狭いんですね」



 訂正してもどうせすぐに捲し立てるように言葉を重ねられる気がしたため俺はその言葉を無視した。だが、雪花はそうでもなかったらしい。



「友達じゃ、ない」


「え、そうなんですか?」


「他人以上……友達、



 その言葉は雪花にとって最大限の譲歩だったのかもしれない。以下ということは、イコールというニュアンスも含まれている。もし俺のことを本気で認めないというのであればそんな回りくどい言い方をしないし、以下ではなく未満と言い換えているはずなのだから。



「……そうですか」



 そう言って会話を終わらせた雪花と桜だったが、不思議と桜は満足そうな表情をしていた。どちらかと言えば二人の方が友達という関係性がしっくりくる気がする。俺は雪花の件を桜に丸投げしようと思い電話番号を雪花に渡したのだが、思わぬ形で功を奏したのかもしれない。



「それなら雪花さん、一つお願いがあるのですが」


「えっと、なに?」



 それはそれと割り切ったのか、桜は違う話を切り出した……かと思ったのだが



「さすがに『お前』っていうのは少々乱雑すぎる気がするので、よければ彼方のことを名前で呼んであげてください」


「「……は?」」



 雪花はもちろんのこと、俺まで思わず声を出してしまった。確かに今までこいつに名前を呼んでもらったことはない。だが、なぜ今そんなことを言い出したのか。



「他人以上と言っているのなら、それ相応の呼称をしてしかるべきだと思います。雪花さんは、私のことをちゃんと名前で呼んでくれているでしょう?」



 なるほど、どうやら俺が思っていた以上にこの二人は意外と仲が良かったらしい。こいつが家族以外を名前で呼んでいることが聞いたことがないので猶更そう思う。もしかしたら俺が電話番号を渡す以前から知り合いだったのかもな。



「……あ~」


「ちなみに俺の名前、わかるか?」


「……私、三次元の人間には興味ない」



 顔を逸らし、遠回しに覚えていないということを伝えてくる雪花。まあ教室で俺の名前が呼ばれるなんてことはほとんどないので仕方ないという気がしなくもないが普通にイラっときた。



「そんなに二次元が好きなら、これからお前のことをオタクと呼び続けてやろうか?」


「……マジでコロス」


「やれるものならやってみろ」


「……言ったな?」



「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! ただ名前で呼べばいいだけでしょう!?」



 バチバチと視線で応戦し合う俺たちを見て慌てる桜。少し緊張感が張っていたせいか俺と雪花の発言に少し真剣味が混ざっている。



「というか彼方もどうしたんです? あなたがこういう風に人のことをからかって楽しむのって、何気に初めて見た気が……」


「それはお前の観察眼が鈍りきってるからだ」


「あれ、私も攻撃受けてます?」



 先ほどまでの緊張感は何処へやら、なんだかおかしな空気になってしまった。というかそろそろ学校が締まりそうなので早く帰りたいのだが。



「とりあえず、雪花さん!」


「はっ、はい……」


「呼んであげてください」



 そう言って雪花相手に凄んで物申す桜。先ほどまで泣いていたため彼女の瞳が赤く腫れているせいで少し怖い。現に周りに強面の奴らがいて慣れているはずの雪花も若干のけぞっている。



「……か、かにゃた」


「あ?」


「う、うるさい!……カナタ」



 人の名前を呼び慣れていないせいか一回噛んでしまったが、まるでそれをなかったことにするように改めて名前を呼ぶ雪花。というか、苗字じゃなくて名前で呼ぶのかよ。いや、もしかしてこいつが『椎名』という苗字を覚えていないのかもしれない。そして桜が俺のことを彼方と呼んでいたからそれに乗じたと……十分あり得るな。



「そういえば、今更野暮かもしれないんですけど……」


「「?」」


「お二人はいつまで、手を繋いでいらっしゃるんですか?」


「「……あ」」



 そういえばこいつを立ち上がらせるために手を取ってそのまま手を握りっぱなしだった。しかもその直後に割と頭を回して喋っていたのですっかり自分の体に意識を向けるのを忘れていた。

 それに気が付いた俺はすかさず手を離す。雪花は顔を赤らめるなど特に女の子らしい反応をすることもなく露骨に目を細め若干不快そうにしていた。



「ま、まあ、それがお二人の友情の証としての握手ということに……」


「「違う」」


「ハハハ……はぁ」



 そうして俺と雪花のハモった声が、すっかり暗くなった屋上といつの間にか顔を覗かせた月に染み入って消えていく。屋上に残っているのはどこかぎこちない俺と雪花に、心の底から感情を絞り出して疲れ切った桜のみ。


 果たして今の手繋ぎが、友情の握手と呼べるものにまで昇華できるのか、それはこれからの俺たち次第だろう。そしてその果てに、俺たちはどんな関係性になっているのだろうか。


 心の端っこで俺は無意識に良い方向へ転べばいいとそう思うのだった。










——あとがき——


本当はこのエピソードで5章を完結させる予定でしたが思ったより長くなりそうだったので分けます。という訳で改めまして、次回第5章エピローグです。

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