第61話 義父
体育祭の練習が解禁されてから初めての週末。俺が参加する棒倒しはあと一回練習ができるが、俺は積極的に参加するつもりはないためさして関係ない。それよりも俺の中の一大イベントがこの日の夜に迫っていた。
「ほら、さっさと支度しなさい。せっかくお母さんが仕事を切り上げて車を出してくれるのよ」
「いや、それは分かってるけどいきなり過ぎ……」
「まあ、今回に関しては仕方ないわね。私だって聞かされたのはついさっきだったし」
今日は久しぶりに家族で集まって食事会をするということになっていた。俺は久しぶりに義父を交えて家族団欒の時間を過ごすのだと思っていたのだが、せっかくだからどこかで食事をしようと義父が言い出したのだ。そして母さんがそれを俺と義姉さんに伝え忘れたと。
(二人とも忙しいのに無理するから)
そのとばっちりを受けるのは俺たちだというのに。せめてもう少しスケジュールをしっかりと詰めてほしかった。聞けば食事会をすると決めたのも昨日らしいし。それにしても義父と会うのは本当に久しぶりだ。最後に会ったのは市役所……いや、半年くらい前にも一回だけ顔を見に来たな。
準備を整えた俺たちは母が待つ車へと乗りこむ。義父とは現地で合流する予定だ。母さんは俺たちが乗り込んだことを確認するとそのまま車を発進させる。
これから行くお店はそこまでマナーや服装を重視する場所ではないそうなので俺と義姉さんは普段着で行くことにした。どうやらその辺は義父が気を遣ってくれたらしい。おかげで俺も髪を切らなくて済んだ。
「そうだ、二人とも来週体育祭だっけ?」
車を走らせて数分、母さんと義姉さんが様々な話題に花を咲かせていたのだが急に体育祭の話をし始める。応援には来れないらしいが、どのような種目に出るのかは興味があるようだ。
「私がリレーで、彼方が棒倒しよ」
「そう。見に行けないのが残念だけど、頑張って一位になってね」
母さんは運転しながら俺たちに激励を送る。義姉さんはしっかりと返事をして気合を入れていたが、俺は生憎まともに参加しようとは今のところ思っていない。棒倒しも葉山は運動神経の良さそうな生徒たちに任せてみるさ。
そうしてしばらく義姉さんと母さんの会話が続き、俺たちはようやく目的地の駐車場へと辿り着く。そのまま車を降りてしばらく進むと、目的地である店に辿り着く。
(へぇ、フランス料理か)
食べたことはないが、最低限のマナーはしっかり覚えている。昔世界の食事とそのマナーを勉強したことがこんなところで生きるかもしれないとはな。
しかも店の中を覗いてみると服装も疎ら。母さん達が言っていたように、そこまでマナーを重視する店でもないらしい。そんな店内は様々な客層で賑わっていた。
「お父さんはこの中で待ってるらしいから、行くわよ」
「「うん」」
俺と義姉さんはほとんど同じタイミングで返事を返して母さんと共に店内に入る。すると素早くホールの担当者が俺たちのところへと来てくれた。母さんが名前と予約していた旨を伝えるとすぐに席に案内してくれる。
そして、俺たちの姿を見て椅子から立ち上がる男の姿が見えた。
「やぁ二人とも、なんか久しぶりだね。ちょっとだけ背が伸びたかな?」
俺たちを笑顔で迎えてくれたこの男こそが俺の義父であり義姉さんと血の繋がった父親、
「久しぶりって、もう半年も顔を合わせてなかったじゃない! いい加減にしてよね」
「ハハハッ、すまなかったね遥。どうも時間を忘れることが多くてさ」
「んもうっ! 気を付けてよね!」
親しげに話をする義父と義姉さん。やはり俺が知らない絆があの二人にはあるのだろう。久しぶりに会うはずだというのにどこか波長も合っている。これが親子というやつか。
「ほら、もうすぐ料理が届くからみんな席に座って。奮発してちょっと高いコース料理を頼んでおいたよ」
そう言って義父は俺たちを席に座るように促す。俺と義姉さんが向かい合い、義父と母さんが向かい合うような形だ。俺の隣には母さんが座っている。
俺たちが座ったタイミングで最初の料理が届いた。最初は前菜、オードブルというものだ。
「特製フレンチサラダでございます」
そう言ってホールのスタッフがサラダを運んできた。レタスやトマト、カリフラワーなどが謎のソースと一緒になっている。見るからに高そうだ。
そうして俺たちは軽く談笑しながらフォークでサラダを食べ始めた。
(これって、オリーブオイルに少しだけニンニクを効かせたソースだな。あ、たぶんお酢も混ざってる)
こういったものはなかなか食べないのでものすごく新鮮な気分だ。家で作ろうと思ってもここまで本格的な味を出すのは難しい。素材の一つ一つがかなり高価なものだ。
「おや、彼方くんはフランス料理のマナーを知っていたのかな? 食べるときの所作がとても綺麗だ」
「え、ええ、まあ」
「フフフ、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。君ともいっぱい話をしたかったからね」
そうしてそのまま俺を交えた会話が弾んだ。途中から俺に話題を向けられる機会が数多くあり、そのすべての無難に答えていく。大学教授ということだけあってとても会話が上手い。コミュニケーション能力一つでここまで場を暖かくすることができる人物もそうはいないだろう。
「そういえば、もうすぐ体育祭があるそうだね。遥から聞いたよ」
そして直近のイベントである体育祭の話題になった。俺たちが出る競技を義父に伝えると、義父は面白そうに頷いていた。
「リレーはともかく、棒倒しか。なかなか珍しい競技をやることになったんだね。フフ、とても楽しそうだ。私が代わりに出たいくらいだよ」
「まあ、難しそうな競技ですね」
「だからこそ燃えるというものじゃないか。ああ、応援に行けないのが心苦しいくらいだよ」
なるほど、この人がどうして学生たちに人気があるのかよくわかる。少年のような情熱を失っていないからだ。その情熱があるからこそ、様々な研究に夢中で没頭することができる。そして、その熱意にあてられた学生たちが彼のもとに集うと。まるでヒーローの後日談のような生活を送っているみたいだ。
「おっと、そうこうしている内にメインが来たみたいだね」
このフレンチもようやく終盤へと差し掛かってくる。メインとして本日選ばれたのは上質なヒレステーキだった。付け合わせでナスのようなものもついており、グレイビーソースのようなものがかかっていた。
これだけでもかなりの値段がするだろうに、どれだけお金を出したのだろうか。既に注文されていたので値段がわからないが、聞くのが怖くなってくるな。
「へぇ、こいつはおいしそうだ。ほら、遥も写真ばっかり撮っていないでどんどん食べて」
「そんなに急いで食べるものじゃないでしょこれは!」
「まったく、お前は少し落ち着きすぎだ」
「……どこかの誰かさんが反面教師になってくれたおかげね」
さすが義姉さん、実に父親相手でもその皮肉に容赦はない。それどころか俺に言うよりも毒が込められていた気がする。まあ、半年以上もほっとかれて少しだけ気が立っているんだろうな。
そしてメインを食べ終えた後はデザートだ。本日のデザートはいちごを乗せたクリームブリュレ。なるほど、確かにおいしそうだ。
ふと目の前を見ると義姉さんの雰囲気が変わった。どうやらスイーツ女王としての人格が目覚め始めたらしい。今までとは比べ物にならないほどに写真撮影に熱が入っている。
「そういえば遥はこういうのが好きだったね。私の分も食べるかい?」
「え、いいの! それじゃあ遠慮なくいただくわね」
そうして義姉さんは父親からクリームブリュレを巻き上げ自分の分を静かに食べ始める。その顔は普段は絶対に見せないような笑みがこぼれていた。
「フフフ」
そんな義姉さんを見て義父も嬉しそうにしている。娘の笑顔を見るのが好きなようで、すっかりご機嫌だった。たしかに、今の義姉さんはいつもとは比べ物にならないくらい可愛いな。スマホを持っていたら俺も写真に収めたいくらいだ。
(というかさっきは義父さんが子供っぽいって思ったけど、義姉さんにもその血はしっかり受け継がれてるみたいだな)
自分の好きなものに没頭する姿がこの親子を重ねる。これが親子というものなのだとしみじみ理解させられた。
「あれ、あんたも食べないなら私がもら……」
「いや食べるが?」
危うく自分の分のデザートまで奪われそうになったので死守するべく俺も口をつけ始める。うん、この表面のほろ苦さと下の甘さ、そしてイチゴのフレッシュ感がマッチしている。
「……」
(ん?)
一瞬だけ義姉さんから視線を感じたのでそちらの方向を見てみるが、義姉さんはスイーツの方向を見ていた。
(……気のせい、か?)
人から向けられる視線には敏感なので今回も反応してしまったが、もしかしたら本当に気のせいなのかもしれない。だって義姉さんが大好物のデザートを目の前に俺のことを見つめるはずがないし。
そうして俺もデザートを完食する。そうしてコース料理は終了するのだった。
「みんな、今日は本当にありがとうね!」
そうして義父はタクシーを呼んで一人帰っていった。どうやら俺たちと一緒に帰るのではなくどこかでまた研究に没頭するらしい。本当に自分の趣味が好きな人なのだと思わされた。
「それじゃ、私たちも帰るわよ」
そう言って母さんが車の方へと歩いてゆく。義姉さんも寂しそうにそちらの方向へと歩いて行った。やはり父親と別れるのは寂しいみたいだ。
(それに関しては全力で理解できないけど)
俺は父親と別れて清々した人間だ。その時点でやはり義姉さんとは家族に関する価値観や考え方が違うのだろう。まあ少なくとも、あの義父が悪い人ではないと分かってはいるつもりなのだが。なんというか、祖母とは違う安心感を与えてくれる。
(ま、俺には過ぎたこと。そして関係ないこと)
俺は義姉の後を追って母の車へと向かう。途中で義姉がスマホを何度もタップしていたので、おそらく移動中に写真の整理を済ませているのだろうと予想する。本当に時間を無駄にしない義姉だ。
「……ふふっ」
ふと、義姉さんが笑みを零した。彼女がああいう風に笑うのは珍しいので思わず目を見開いて驚いてしまったが、当の義姉さんは気がついていないようだった。なにかいいことでもあったのだろうか。
そうして俺たちはフランス料理を食べ終えてそのまままっすぐ家に帰るのだった。
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