第6話 美少女後輩マネージャーを泣かせてしまった

「メニューは何にするんですか?」

「トマトスープとブロッコリーとかを入れたサラダ、冷奴ひややっこ、あとは冷しゃぶにナスでもつけようかな」

「おー、いいですね」


 香奈が拍手をした。


「スープには何を入れるんですか?」

「キャベツとか、玉ねぎとか、人参とかいろいろ。結局、簡単に栄養取りたいならスープとか鍋が最強なんだよね」

「わかります。冬とか自炊するならほぼ毎回鍋ですもん、私」

「僕も」

「仲間ですね!」


 香奈がにっこり笑った。


「えっ、先輩は何鍋が好きなんですか?」

「うーん、特に味付けせずにポン酢で食べるのも好きだし、キムチ鍋とか豆乳鍋とかも好きだね」

「私もキムチ鍋が一番好きです。今度、闇鍋しましょう?」

「……待って待って。意味がわからない」


 急展開に、巧の反応が一歩遅れた。

 今の会話のどこに、闇鍋にたどり着くルートがあったというのだ。


「何で家にあげてすぐに、暗闇で材料もわからない鍋をつつかなきゃいけないの。もっと食を共にしてからでしょ」

「えっ、これからも一緒に食べてくれるんですかぁ?」


 香奈がニヤニヤ笑いながら尋ねてくる。


「白雪さんがいいなら、いつでも食べにおいでよ」

「……お、おす」

「おす?」


 巧は間髪入れずにツッコんだ。

 香奈の頬は桜色に染まっていた。変な反応してしまったのが恥ずかしいのだろう。


「な、何でもないですっ」

「……うん」


 香奈の頬がどんどん色味を増して、手元にあるトマトみたくなっていたので、巧もそれ以上は追求せず、大人しく料理に取り掛かった。




 たまに自炊をしているので大丈夫だろうと巧は思っていたが、予想以上に香奈の手際は良かった。

 たまに、というのは謙遜なのかもしれない。


「先輩。全然嫌だったらいいんですけど……その、何でサッカーを辞めようと思ったのか……とか、聞いてもいいですか?」


 香奈が遠慮がちに尋ねてきた。

 包丁を使い終わったタイミングなのは、偶然ではないだろう。


「いいけど……楽しくないよ?」

「構いません」


 香奈が真面目な表情で頷いた。

 少し迷ったが、巧は打ち明けることにした。誰かに聞いてもらいたかったのだ。


「最近、楽しくないんだ。まったく思い通りにプレーできないし、それでミスしてチームメイトには迷惑をかけてばっかだから。練習すればいつかうまくなると思ってたけど、そんなことはなかった。いくら頑張っても全然上達できない。多分、今が僕の限界なんだよ。これ以上続けても苦しくなるだけだ」


 思ったよりもスラスラと話せた。

 お互い料理をしていて、面と向かって話していないのも心理的に影響しているだろう。


 意図的かはわからないが、また白雪さんに対する借りが増えちゃったな、と巧は心のうちで苦笑した。


「だから……辞めようと思ったんですか?」

「うん」


 香奈が料理の手を止め、じっと見つめてくる。


「……本当に、それだけですか?」

「えっ?」

「いえ、それだけっていう言い方は良くないんでしょうけど……これまでの積み重ねだけじゃなくて、コップの水が溢れるようなきっかけがあったんじゃないですか? 今日の練習試合で」

「……白雪さんってエスパー?」


 香奈の鋭い指摘に、巧は舌を巻いた。


「だって、さすがにそうじゃなきゃ、あの雨の中でも公園に居続けるとは思えなくて」

「あぁ……まあそっか」

「先輩が話したくないのであれば構いませんが……よければ話してくれませんか?」


 巧はまた少し迷ってから、武岡に退部を迫られたことを正直に告白した。


「はあ……? 何調子乗ってんだあのクソゴリラ……!」


 香奈が眉を吊り上げて悪態を吐いた。

 頬は紅潮し、瞳には怒りの炎を燃え上がらせている。


「白雪さん、落ち着いて」

「これでも抑えてます。本人がいたらぶち殺すくらいは言ってます。というかぶち殺してます」

「それは白雪さんが危ないからやめてね」

「いやっ、だっておかしいじゃないですか!」


 耐えかねたように、香奈が叫んだ。


「先輩は何も悪いことしてないっ! 人一倍練習も頑張ってるのに、そんな人に辞めろなんて……!」


 赤色の瞳にみるみる透明な雫が溜まっていく。


 巧は無意識のうちに、その頭に手を伸ばしていた。

 毛流れに沿って、瞳と同色の光沢のある髪を撫でる。


「ありがとう、白雪さん。僕のために怒ってくれて」

「……えっ?」


 ズズッと鼻をすすっていた香奈が、キョトンとした表情になって目線を上に向けた。

 巧の顔と、自身の頭に伸びている腕を見比べる。その頬がどんどん赤色に染まっていき、耳まで色づいた。


「あ、あの、先輩っ……⁉︎」

「えっ? ……あっ」


 香奈のその反応を見て、巧も自分が何をしているのか気づいた。


(な、何やってんの僕⁉︎)


「ご、ごめんっ! ついっ……!」


 慌てて手を引っ込め、頭を下げる。


「頭触られるとか嫌だよねっ、本当ごめん!」

「あっ、いえ、べ、別に嫌とかそういうわけじゃないんです! か、顔をあげてください!」


 巧以上に香奈があわあわしている。

 驚きで涙は止まってしまったようだ。


「……本当に? 怒ってない?」

「怒るわけないじゃないですかっ。ちょっとびっくりはしましたけど、でも気持ちよかったですし……あぁっ、やっぱり今のなしで!」

「……ぷっ」


 勝手に自爆して羞恥で真っ赤になっている香奈がおかしくて、巧はたまらず吹き出してしまった。


「あっ、今バカにしましたね⁉︎」

「し、してないしてない」

「声震えてるじゃないですかっ、騙されませんよ!」

「いやっ……本当にバカにはしてないよ。ただ、ちょっと面白かっただけで」

「それをバカにしてるって言うんです!」


 香奈が拳を振り上げてプンプン怒っている。

 それはそれで面白かったが、さらに機嫌を損ねさせないよう、巧は必死に笑うのを我慢した。


「ごめんごめん」

「まったくもう……」


 香奈が腕を組んで頬を膨らませる。

 その耳はまだ赤い。怒っているというよりは、恥ずかしさを誤魔化しているのだろう。


「でも、だいぶ気持ちが楽になったよ。聞いてくれてありがとう、白雪さん」

「いえいえ。こちらこそ、話してくれてありがとうございます。頼りにされている感じがして嬉しかったです!」

「三軍にいたころからずっと頼りにしているよ、白雪さんのことは」

「……そ、そうすか」


 香奈が視線を逸らした。


「白雪さん?」

「いえ、何でもないです。取りあえず、もう少しですし作り終えちゃいませんか? お腹減ってきました」

「そうだね」


 思いを吐き出せたからなのか、笑ったからなのか。

 香奈にも言った通り、巧の心はずいぶんと軽くなっていた。


 しかし同時に、まだ霧が晴れきっていないのも事実だった。

 このモヤモヤは、一体何なのだろう——。

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