第198話 待望の

 ハーフタイムに入ったとき、たくみは本当に落ち込んでいた。

 タオルを頭から被り、下を向いていた。試合展開の責任を感じているようだった。


 香奈かなや他の者が慰めてもその表情は晴れなかった。

 そんな彼をすくい上げたのは、親友である誠治せいじだった。


「何一人で抱え込んでんだこのアホ」


 そう言って、うつむいていた巧の頭を叩いた。


「誠治……」

「手柄はみんなに分散させようとするくせに失敗の責任は一人で背負おうとする。お前の悪いクセだぜ。今負けてんのはチーム全員の責任だ。誰か一人のせいじゃねー」

「でも——」

「でもじゃねーよ」


 何かを言おうとする巧の頭を、誠治はもう一度叩いた。


「反省なんて後でいいから、今はこの試合に勝つためにどうすっか考えるぞ。顔を上げろよ、巧。そんな丸まった背中じゃ何も預けらんねーだろうが。安心しろ。前半ちょっと上手くいかなかった程度でこのチームのお前への信頼は揺らがねーからよ」


 誠治の言葉に巧はハッとなった。

 彼は気づいたのだ。自分はチームメイトからの信頼を失うことを恐れていたのだと。


「よく言ったぞ誠治。けどな」


 飛鳥あすかが誠治の肩にポンっと手を置いた。口元を震わせながら、咲麗しょうれいのキャプテンはどこか気恥ずかしげに続けた。


「——クサい、セリフが」

「えっ」


 誠治がカエルが潰れたような声を出した。

 チームメイトたちは次々と飛鳥に同意した。


「間違いないです」

「うん、クサかった」

「ちょっと今のはすごかったですね」

「普通に鳥肌立ったぜ」

「よく真顔で言えましたね」

「なっ……!」


 マネージャーや後輩からも集中砲火を浴びせられ、誠治は羞恥で火が出そうなほど顔を赤らめた。


「けどまあ、言いたいことはわかるし、俺たちも気持ちは同じだ」


 飛鳥は優しい瞳で巧を見た。表情に見合う穏やかな声色で「巧」と後輩の名を呼んだ。


「俺たちはみんなお前を信じてる。お前はエースって柄じゃないかもしれないが、間違いなく咲麗を影から支える縁の下の力持ちだ。というか裏ボスだ。これまでの活躍を考えればちょっと止められたくらいがなんだって話だし、お前のことだ。打開策は浮かんでんだろ?」

「えぇ、まあ……」

「ハッハッハ、さすがはコート上の監督だ! いや、裏ボスにちなんで裏監督というべきか!」


 それまで静観していた監督の京極きょうごくが、楽しそうに肩を揺らした。

 マネージャー長の愛美まなみが呆れたようにツッコミを入れた。


「監督、そんなこと言ってると本当に如月きさらぎ君に監督の座を取られますよ」

「ふむ、それもアリだな。巧の元で働くのは楽しそうだ、ハッハッハ!」

「懐が深いんだかプライドがないんだか……」


 愛美が半眼になって深々とため息を吐いた。どっと笑いが起こった。

 各々が笑いを収めるころには、前半終了時点の重苦しい空気は綺麗さっぱりなくなっていた。


「つーわけだ。ハーフタイムは無限じゃねえし、話せ」

「わかりました」


 そうして巧から提案された作戦が、自棄を起こしていると思わせて相手の隙を作るというものだった。

 下手をすれば失点をするだけのリスクも背負ったその作戦は見事に功を奏し、咲麗は試合を振り出しに戻したのだ。




かがり先輩って結構アホだなぁって思うときもありますけど、その分いいことも言いますよね」


 香奈がのほほんとした口調で言った。

 冬美ふゆみはピッチに目を向けたまま、「そうね」と同意した。


「彼は驚くほど単純だけれど、単純だからこそ刺さる言葉もあると思うわ」

「えっ——」


 香奈が口をぽかんと開けて固まった。信じられないという表情で先輩マネージャーを凝視ぎょうしした。

 冬美は怪訝そうに眉をひそめた。


「……何かしら」

「冬美先輩が縢先輩にデレた⁉︎」

「で、デレてないわよっ!」


 冬美は思わず大声を出してしまった。頬を染めた彼女は、小声になって続けた。


「わ、私はただ事実を言っただけで、決して変な意図があったわけではないわ」

「ふーん? ……まあ、そういうことにしておきましょうか」


 香奈が意味ありげに笑った。


「あなたね——」

「ほら、試合見ましょう? 多分ここから展開早くなりますよ」


 ピッチを指さして香奈がウインクをした。

 冬美は舌打ちをして視線を前に戻した。


「……あとで覚えておきなさい」


 ボソッと告げられた宣戦布告に、香奈は調子に乗りすぎたか、と頬を引きつらせた。

 しかし、自分で言った通り展開の早くなった試合にのめり込んでしまい、そんなことはすぐに頭から抜け落ちてしまったが。


 前半とは打って変わって、咲麗は本来の自分たちの姿を取り戻していた。

 巧も水を得た魚のように活き活きとプレーをしていた。


 一方の星南せいなんは組織としての規律を失っていた。

 まだ同点なのだが、完全に手のひらで転がされたことで動揺してしまったのだろう。


 今が攻め時だ——。

 ベンチからわざわざそう声掛けをする必要もなく、ピッチの選手たちは攻勢を強めていた。意気消沈していた応援団もここぞとばかりに声を張り上げた。


 そして水田みずたのアシストから誠治が今大会六ゴール目を上げると、会場は最高潮の盛り上がりを見せた。

 星南は完全に雰囲気に呑まれてしまっていた。少し落ち着くべきか、すぐに同点を狙いに行くか、選手たちの中では葛藤かっとうがあったのだろう。


 迷いは中途半端なプレーを生む。その隙を咲麗イレブンが逃すはずもなかった。

 高い位置からボールを奪い、絶好調の水田にボールが渡った。


 水田はドリブルを仕掛けるそぶりだけ見せて、早いタイミングでクロスを入れた。

 ボールの先に待っていたのは誠治だ。


「縢だっ」

「止めろ!」


 星南の選手たちは必死に誠治のシュートをブロックしようとした。

 しかし、彼はくるりとゴールに背中を向けた。勢いを殺すように優しくボールの進行方向を変えた。

 ——そこには巧が走り込んでいた。


「ナイスパス!」


 いわゆる最高の『落とし』を受けた巧は、ダイレクトでシュートを放った。

 まるでパスをするかのように丁寧なキックだった。ボールの勢いはなかったが、それで構わなかった。


 誠治のシュートを警戒していたキーパーに、ゴール右隅に吸い込まれていくボールを止める手立てはなかった。


「やったあああああ!」


 恋人の待望の今大会初ゴールに、香奈は両手をあげて喜んだ。

 巧も珍しく大きくガッツポーズをして感情を露わにした。チームメイトが次々と彼に駆け寄り、そのゴールを祝福した。


「巧、ナイスゴール!」

「さすがの精度だぜっ」

「やったな!」

「裏ボスどころか主役じゃねーかっ」


 我先にと巧の頭を叩き、まるで自分のことのように喜んでいた。


「よしよしよしっ」

「この一点はでかい!」


(巧先輩っ、おめでとうございます……!)


 ベンチでハイタッチをし合う仲間を横目に、香奈はそっと目元の涙を拭った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る