第197話 布石

(冷静さを失っているのか)


 星南せいなん高校のキャプテンであるたいらは、自暴自棄になっている様子のたくみに失望していた。

 彼の凄さは映像を見るだけでわかった。どんな攻撃を見せてくれるのかと楽しみにしていたほどだ。


 巧の特攻とも言える攻撃はチームとして意図したものではなかったのだろう。

 咲麗しょうれいの他の面々は慌てたようにポジションを上げているが、その動きはバラバラだ。


 この攻撃を止めてカウンターでもう一点取れるな——。


(……いや、待てよ?)


 平はふと違和感を覚えた。先程の攻撃よりも、咲麗は明らかに人数をかけていた。

 今回が多いわけではない。前回が少なすぎたのだ。


(おかしい。なんでさっきは人数をかけて攻めてこなかった? 負けているチームにとって、後半一発目の攻撃は大事だ。なのにあいつらは少人数で完結させようとしていた。まるで、


「まさかっ……さっきの攻撃は布石……⁉︎」


 その意図を推し量るには時間が足りなかった。

 しかし、最大限まで警戒レベルを引き上げた平は気づいた。チームメイトが巧の周囲に集まりすぎていることに。


 ここを止めてカウンターが決まれば勝利を大きく手繰り寄せられる——!

 そう考えて、彼らは確実にボールを奪い切ろうとしていた。


 それは決して間違った判断ではなかった。

 ——巧が、もし本当に自暴自棄になっていたなら。


「囲め!」


 巧にボールが入った瞬間、星南の選手たちは一斉にプレッシャーをかけた。

 その瞬間、巧はくるりと反転した。大きくボールを蹴り出した。パスの受け手はセンターバックの飛鳥あすかだった。


「ナイスパスだ、巧!」


 咲麗のキャプテンはトラップをしてすぐ逆サイドにロングボールを送った。

 そこでは、ドリブルが特徴の水田みずたが敵選手と一対一の状況になっていた。


「しまった、水田だ!」

「まずい!」

「遅らせろっ」

「ヘルプいけ!」


 星南の選手たちから余裕が一気に失われた。


(水田は特に警戒していたはずなのにっ、如月きさらぎ……!)


 平はほぞを噛んだ。

 後半最初の少人数での攻撃も巧の無茶なプレーも、やはりチームとしての作戦だったのだ。

 あえて隙を見せることで星南の選手を集めたのだろう。個人技のある水田に一対一で勝負させるために。


 星南は水田に対してずっと二人がかりで対応していたが、この瞬間だけは全員が巧に意識を取られていた。

 ここで叩けば波に乗れると思っていたからだ。


 それもこれも、咲麗の攻撃の核とも言える巧が自暴自棄になったように見せかけていたからこそ生まれた隙だった。

 彼の苛立ったような表情も、その無茶のように思えたプレーに他のチームメイトが慌てていたのも、全て演技だったのだ。


「やられたっ……!」


 平が全貌を理解して戦慄せんりつするころには、飛鳥の正確無比のパスは水田の足元に収まっていた。


(やっぱりあいつはすげえな……)


 水田は感嘆の息を吐いた。

 飛鳥のパス精度も見事だが、それ以上に彼が感心し、畏怖の念すら覚えていたのは後輩である巧に対してだった。

 

 星南だって人数がかたよりすぎないように警戒していたはずなのに、気がついたら一対一の構図が出来上がっていた。バスケならまだしも、サッカーでは珍しい光景だ。

 水田は逆サイドから見ていた。起きている現象はわかっても、カラクリはわからなかった。


(……本当にすげえやつだよ、巧は)


 水田は初めて一軍で一緒にプレーをしたときから気づいていた。

 巧は自分だけではない、誠治せいじまこととも次元が違うと。


 水田はドリブルが得意だ。どんな相手であろうと一対一なら負ける気がしないし、シュートにも自信がある。

 誠治はシュート力とフィジカル、ゴールへの嗅覚というストライカーとして必要な全てを備えており、真はドリブル、パス、シュート。どれをとっても一級品だ。


 それでも、彼らは十一人の中の一人にすぎない。

 巧のように自チームや相手チームすらも意のままに操ることなどできないのだ。


 羨ましくないと言えば、それは嘘になる。

 それでも、巧のようになろうとは思わなかった。

 ないものねだりなど時間の無駄だ。与えられた手札で勝負をするしかないのだから。


 幸い、水田には今の局面で切れる手札がある。


(人は人だ。俺は俺の役割を果たせばいい)


 細かくボールを触りながら体重移動を繰り返した。

 見るべきは相手の足元。重心が片方に寄った瞬間、逆方向に加速した。


「くっ……!」


 ファール覚悟で伸ばされたディフェンダーの手は空を切った。

 逆サイドに集まっていたディフェンス陣のヘルプは間に合わない。キーパーとの一対一になる。

 水田は味方の状況を確認もしなかった。


 ——このキーパーは一対一のとき、ニアを意識してファーを空けることが多いです。


 ミーティングでの香奈かなの言葉を思い出しつつ、水田は視線だけはニアに向けつつファーにシュートを放った。

 キーパーの指先をかすめたボールは、綺麗な弧を描いてゴールネットに突き刺さった。


「とんでもないわね、彼は。本当に言った通りになるなんて……」

「いやぁ、さすがですね」


 ベンチで呆れたようにため息を吐く冬美ふゆみに対して、隣に座る香奈はニコニコしていた。


「ずいぶん嬉しそうね」

「そりゃあもう。みなさんが巧先輩のことを信頼して、先輩がそれに全力で応えたからこそ成功したわけですから。まあ、その意味で言えばこのゴールはかがり先輩のものと言えるかもしれませんけど」


 香奈がイタズラっぽく笑った。


「立案は巧先輩でも、縢先輩がいなければ今の作戦は実行できていなかったのかもしれないんですしね」

「……そうね」


 冬美は少し遠い目をしてうなずいた。


 視線の先では、巧が誠治に飛びついて喜びを表現していた。二人とも無邪気な笑顔だ。

 思わず相好を崩してしまった。


「んんっ」


 冬美は誤魔化すように咳払いをした。


「冬美先輩、まだ同点なのに喘がないでください」


 今日のハーフタイムの一幕は、この試合のみならず今後の咲麗高校の、そして如月君の将来のターニングポイントにすらなったかもしれないわね——。

 冬美は本気でそんなことを考えつつ、馬鹿なことを言ってる香奈の頭を容赦なく叩いた。

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