第199話 祝勝会

 後半終了間際にさらに一点を追加した咲麗しょうれい高校は、最後まで星南せいなん高校の反撃を許さなかった。

 前半終了時はどうなるかと思われた決勝戦は、終わってみれば四対一で咲麗の快勝だった。


 そのまま一軍メンバー総出で祝勝会に繰り出した。

 店はすでに抑えてあった。焼肉屋だ。


「いやぁ、引退式にならなくてよかったぜ」

「それなー」


 勝ったからこそ言える軽口を叩き合いつつ、選手たちは歩いてお店に向かった。

 まこと広川ひろかわを除いた選手とマネージャーの全員が参加した。監督の京極きょうごくもだ。引率者として着いていくのではなく、軍隊を率いる将軍さながらに率先してお店に向かっていた。


 真と広川、それに今は二軍に落ちたが内村うちむらも含めたいわゆる真一派は、たくみの登場でそれぞれ序列を下げる前からこういう行事には参加していなかったため、特に変な空気になることはなかった。

 席は自由だ。店に入る前に話していた流れそのままに巧と誠治せいじ香奈かな冬美ふゆみが四人がけの席に腰を下ろした。


 飛鳥あすか、そして京極から短い話があった後、すぐに祝勝会はスタートした。

 肉を焼く係は自炊している巧と香奈が担当することになった。


 席について早々、誠治がトイレに立った。

 続くように冬美も席を立った。


「ドリンクバー取ってくるわ」

「あっ、私行きますよ」


 タブレットで巧とメニューを睨めっこしていた香奈が立ち上がったが、冬美は肉を焼いてもらうのだからこれくらいはすると譲らなかった。


「さすがふゆみん先輩ですねぇ」

「だね」


 感心したようにうなずき合った香奈と巧は、席を立った冬美がニヤリとイタズラっぽい笑みを浮かべたことに気づかなかった。


 誠治がトイレから帰ってくるのと同時に、肉が運ばれてきた。

 焼き始めたタイミングで冬美が両手に二つのコップを持って戻ってきた。


「こっちが香奈のコーラ、こっちが如月きさらぎ君のミルクティーよ」

「ありがとう」

「ありがとうございます!」


 巧と香奈は協力して肉を鉄板に乗せながら何気なくストローを口につけ——、


「「何これっ⁉︎」」


 同時に目を見開いた。

 冬美がぷっと吹き出した。誠治が呆れたような視線を向けて、


「冬美、何入れたんだ?」

「如月君にはブラックにカルピスを、香奈にはコーラにオレンジジュースを混ぜたわ。香奈への仕返しとしてね」

「香奈、何したの?」


 巧が香奈に恨めしげな視線を向けた。


「えっとですね——」

「香奈?」


 冬美がニッコリと微笑んだ。瞳は全く笑っていなかった。

 香奈は間髪入れずに「ごめんなさい」と頭を下げた。


「全く何やらかしたの……って、あれ? 僕関係なくない?」

「連帯責任よ。先輩で恋人なのだから」


 冬美は事もなげに言った。


「えぇ〜……まあいいけど」


 巧は苦笑いを浮かべるに留めた。

 ドリンクバーにイタズラをされる程度で怒りはしない。


「巧先輩の、ちょっと飲んでみてもいいですか?」

「いいよ。香奈のも飲ませて」

「どーぞどーぞ」


 巧と香奈はお互いのストローに口をつけた。


「なんとまあ微妙な……」

「香奈のも飲めなくはないね」


 苦笑を交わしあう彼らは、自分たちが間接キスをしていることに気づいていなかった。

 普段からしすぎていて当たり前になっていたのだ。


 冬美がスッと立ち上がった。


「悪ふざけをしてごめんなさい。新しいのを取ってくるわ」

「あっ、じゃあ俺は自分のとお前の取りに行くわ」


 誠治は若干慌てたように冬美の後に続いた。

 ドリンクバーへの道すがら、耳打ちするように尋ねた。


「大丈夫か?」

「何がかしら?」

「……いや、なんでもねえ」


 誠治はそっと安堵の息を吐いた。巧と香奈の自然なイチャイチャを見せられて、冬美が精神的にダメージを負ったのではないかと危惧していたのだ。

 彼女の怪訝そうな表情を見る限り、その心配はなさそうだった。

 

「ごめんなさい。高校生にもなってくだらないことをしたわ」


 代わりの飲み物を巧と香奈の前に置きつつ、冬美はもう一度謝罪の言葉を口にした。


「全然いいよ。飲めない味じゃないし、仕返しとはいえ久東くとうさんがこういうことをやるっていうのも新鮮味があって面白かったし。ね、香奈」

「はい! びっくりはしましたけどこんなことでは怒りませんよ。ふゆみん先輩も可愛いとこあるなーとは思いましたけどっ」


 香奈がウインクをした。

 冬美は気恥ずかしげに頬を染めた。テンションが上がってしまい、らしくもなく子供っぽいことをしてしまった自覚はあった。


「っ……!」


 その横顔に見惚れている誠治を微笑ましげに一瞥してから、巧は「肉できたよー」と明るい声で告げて各自の皿に配り始めた。




「巧先輩」

「はい」

「ありがとうございます」


 巧からタレのお皿を受け取り、香奈が嬉しそうに笑った。さながら熟練夫婦のやり取りだった。

 普段から食卓を共にしているからこそ、そしてその間も常に相手のことを考えて観察しているからこそ、名前を呼ばれただけで何を求められているのかわかるのだ。


 彼らとて、二人きりではない場所で大っぴらにイチャつくつもりはなかった。完全に無意識だった。

 しかし、だからこそ本当の仲のむつまじさがうかがえるというものだ。


「冬美」


 香奈がトイレに立ち、巧がサラダを取りにいったときに、誠治は隣に座る幼馴染に声をかけた。真剣な表情だった。

 冬美は眉を寄せた。


「何?」

「あー、なんつーかその……無理してねーか?」


 誠治はチラリと視線を自分たちの前方の席に向けた。

 冬美は合点がいったようにあぁ、と言った。


「大丈夫よ。特に何も気にしていないわ」


 言い方こそ素っ気なかったが、冬美の顔には微笑が浮かんでいた。


(だからその顔は反則だっつーの……!)


 誠治が赤面しているところに巧が戻ってきた。

 彼は何となく恋愛的な意味で揶揄からかう場面ではないなと察した。


「誠治、どうしたの? 欠伸してるところにキムチでも突っ込まれた?」

「さすがにそこまで性悪ではないわ」

「そこまでってことはちょっとは自覚あんのか」


 誠治が何の気なしにつぶやいた。

 冬美は黙ってキムチに箸を伸ばした。


「ま、待て!」

「……さすがにそこまで性悪ではないと言ったでしょ」


 冬美は誠治の口にキムチを突っ込むそぶりだけを見せて、彼の茶碗に乗せた。


「……へっ?」

「私、辛いのは食べないもの」

「お、おう、そうだよなっ」


 間接キスになる——。

 そう思って誠治は動揺したが、冬美は気づいてすらいないようだった。


 ニヤニヤと誠治を見つめていた巧は、睨まれた瞬間サッと視線を逸らした。

 自分の卓の肉をひっくり返しつつ、


「あっ、蒼太そうた。今乗ってるやつもう食べたほうがいいと思うよ」

「えっ? あっ、本当だ」


 肉をお皿に盛り分けつつ、巧たちの隣の机に座っていた蒼太は苦笑した。


「相変わらず視野どうなってんすか」

「先輩には後輩のことを見守る義務があるからね」

「なら、目の前の後輩から目を逸らしてていいんすか?」


 蒼太の隣に座る晴弘はるひろが、トイレから戻ってきた香奈に目を向けてニヤリと笑った。

 巧は同じように笑いながら、


「蒼太。今日って晴弘がいい感じになってる女の子応援に来てた?」

「ちょっ、ちょっと⁉︎」

「来てましたよ。試合前にも——」

「おい蒼太っ、余計なこと言うんじゃねえ!」


 晴弘が慌てて蒼太の口をふさぎにかかった。


「火を扱ってるしじゃれ合いはほどほどにね」


 一応先輩らしく注意を残して巧は引っ込んだ。その顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。

 晴弘とも蒼太ともすんなり仲良くなれたわけではないが、それでも後輩とこうして信頼関係が築けているのは嬉しいことだった。




 一時間が経過したころ、京極が真面目な表情で全員の注目を促した。

 三年生の木村きむら佐藤さとうが今日を持って引退すると告げた。


 木村は特に最近はベンチ外であることがほとんどだったものの、後輩にも分けへだてなく接してチームの雰囲気を盛り上げていた。彼の彼女である佐藤もマネージャーとしてチームを支えていた。

 そんな彼らに対する部員たちの反応は温かかった。


 主な要因は受験だと二人は語った。


「最後までお前らとやりたかったけど、このまま受かるのはちょっとキツイし、頼れる後輩も上がってきたからな」


 木村は優しい瞳を巧に向けた。

 ポジションを奪われた後輩に対する皮肉でないことは明白だった。


「頼れる後輩から何か言うことはあるか?」


 飛鳥に水を向けられ、巧は立ち上がった。


「お二人ともこれまでお疲れ様でした」


 まずは深々と頭を下げた。


「佐藤先輩はいつも元気が出るような声かけと柔らかいながらも素早いサポートで支えてくれていましたし、木村先輩も最初からフランクに接してくれて嬉しかったです。僕が比較的すぐに馴染めたのも先輩の存在が大きかったと思います。本当にありがとうございました」

「ばっ、みんなの前でそんなこと言うんじゃねえよっ」


 木村が慌てたように言った。その耳は赤くなっていた。

 彼女の佐藤が揶揄うように、


「あれ、照れてる?」

「て、照れてねえよっ」

「如月君は香奈ちゃんのみならず男の先輩まで照れさせちゃうなんて悪い男ねぇ」

「おい樋口ひぐちっ、やめろその変な言い方!」


 頬に手を当てて呆れたようにため息を吐いてみせるマネージャー長の愛美まなみに木村が噛みつき、どっと笑いが起こった。

 それからも食べ放題コースの時間が終了を告げるまで、楽しげな笑い声が各テーブルから響いていた。


 全員分を払うと豪語した京極が、現金が足りずに頬を引きつらせながらカードで支払ったのは余談だろう。

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