第200話 受験勉強の合間の息抜き

 咲麗しょうれい高校サッカー部の一軍メンバーが祝勝会で盛り上がっているころ、元サッカー部の男女は勉強会を行うために家に集まっていた。三葉みわ玲子れいこである。

 選手権県予選の決勝だけ観戦に訪れた二人は、そのままの足で三葉の家に向かった。


「前半はどうなるかと思ったけど、さすがだったな」

「あぁ。たくみの戦術眼は相変わらずだし、他のやつらもさらに上手くなってた。俺らが勉強してる間も必死に練習していたんだろう」

「負けていられないな、私たちも」

「そうだな」


 顔を見合わせてうなずき合った。

 三葉の部屋にあるちゃぶ台を囲んで勉強を始めた。




「はぁ……」


 一時間が経過したころ、玲子が思わずといった様子でため息を吐いた。


「どうした?」


 三葉は参考書から顔をあげて尋ねた。心配そうに眉を寄せていた。


「いや……やっぱり、なかなか厳しい道のりだと思ってな」


 玲子は三葉に励まされたことで、志望校を一番行きたかった偏差値の高い大学に設定し直した。夢である栄養管理士に近づくためにはそこが一番学べる環境だからだ。

 それからはより一層勉強をしているが、現状では厳しいと言わざるを得なかった。


「そうだな。決して簡単ではないだろう。だが、玲子なら絶対にできるさ。これだけずっと頑張っているんだからな」


 玲子は瞳を丸くさせた後、ふっと頬を緩めた。わずかに赤く色づいていた。


「真っ直ぐすぎて困るな……でも、ありがとう。秀人しゅうとのおかげでまたやる気が湧いてきたよ」

「それならよかった。一緒に頑張ろう」

「あぁ」


 玲子は力強くうなずいた。真剣な表情になり、ペンを握って問題集と睨めっこを始めた。

 集中力とやる気を取り戻した様子の彼女を見て安心し、三葉も再び勉強に取り掛かった。




 ふと集中が途切れ、三葉は伸びをした。

 まるで見計らったように玲子が顔を上げた。


「秀人、少し休憩しないか?」

「……そうだな」


 三葉も自分の集中力が途切れかけているのは感じていた。

 玲子は嬉しそうに笑い、ちゃぶ台を回って三葉の元へやってきた。


「どうしっ——!」


 三葉は息を呑んで固まった。

 玲子が彼の肩にそっと頭を乗せたからだ。


「れ、玲子⁉︎」

「こうしているとリフレッシュできるんだ……いいか?」


 玲子は上目遣いで甘えるように言った。


「あ、あぁ、もちろん」


 三葉はやっとのことでそれだけを口にした。

 メガネをカチャカチャさせる手以上に、彼の心臓は忙しなく鼓動を脈打っていた。


 ——その動揺は当然玲子にも伝わっていたが、揶揄からかう気分にはなれなかった。

 モゾモゾと動いてさらに体を寄せる。ひたすらに甘えたい気分だった。


 三葉の手が躊躇ためらいがちに肩に回される。


れ物でも扱うような手つきだな……)


 玲子は苦笑した。

 大切に扱われているのが伝わってきて、くすぐったい気持ちを覚えた。そしてそれ以上に彼のことが愛おしくなった。


 三葉に接触させている右半身を軸に回転した。正面から抱きついた。

 彼の体がギシっと固まった。おずおずと背中に腕を回してきた。


「秀人は可愛いな」


 玲子はくすくす笑った。

 元々赤かった三葉の顔はさらに真っ赤になった。視線を逸らすようにしながら、


「……甘えてくる玲子のほうがよほど可愛いだろう」

「っ……!」


 玲子は息を詰まらせた。体中の熱が一気に頬に集まった。

 お互いに頬を紅潮させた状態で、二人は見つめ合った。


「れ、玲子……いいか?」


 玲子は小さく顎を引いた。

 三葉の手が頬に添えられる。少しひんやりとした。それだけ頬が熱くなっているということなのだろう。


 三葉の緊張し切った顔が徐々に接近してくる。

 お互いの吐息がかかるほどの距離になったところで、玲子は瞳を閉じた。


 ——触れ合ったのはほんの一瞬だった。

 正直に言って、キスの味などわからなかった。それでも玲子の胸は幸せで満たされた。


 嬉しくなって、再び三葉に抱きついた。

 お尻に硬いものを感じた。ハグをしているときにも当たっていたが、これまでで一番主張が激しかった。


(キスでこうなってくれたのだなっ……)


 玲子は嬉しくなったが、そこに言及しようとは思わなかった。

 代わりに、三葉の胸に頬を当ててニヤリと笑ってみせた。


「ふふ、秀人。鼓動が早いぞ?」

「し、仕方ないだろう。それに玲子だってそうなんじゃないか?」

「ふふ、どうだろうな。確かめてみるか?」

「……はっ?」


 三葉が再びフリーズした。


「冗談だよ。秀人は本当に揶揄い甲斐があるな」

「っ……!」

「じゃあ、そろそろ休憩は終わりにして続きをやろうか」


 玲子は真っ赤になっている三葉の膝から降りて、自分の定位置に戻った。


「……いい性格をしているな、玲子は」

「ふふ、褒め言葉として受け取っておこう」


 三葉はため息を吐いた後、仕方ないなというふうに笑った。


(そ、そんな顔で笑うな……!)


 慈愛のこもった笑みで見つめられ、玲子は動揺した。

 三葉は不思議そうな表情を浮かべて、


「玲子、どうした?」

「な、なんでもないっ」


 玲子は勢いよく首を振った。


「そうか?」

「あぁ。だから安心して勉強してくれ」

「……わかった」


 心配の色を残しつつも、三葉は言われた通りに参考書に意識を向けた。

 玲子は彼に気づかれないようにそっと息を吐いた。


(全く、天然というのは恐ろしいものだな……)


 笑いでも恋愛でも、人工的に作られたものは天然のそれには勝てない。

 普段は玲子が主導権を握っていても、三葉の意図していない些細な発言や行動で一気に盤面をひっくり返されてしまうのだ。


(ま、そういうところも含めて好きになったのだが)


 玲子は真剣な表情の三葉を見て笑みをこぼし、自身も勉強に意識を戻した。

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