第七章

第163話 王子様が一軍に戻ってきた

たくみ先輩——」


 人生で最も充実した夜を過ごした翌朝。

 巧が学校の支度をしていると、支度を終えてやってきていた香奈かなに呼ばれた。


「ん?」

「腰痛いんですけど」

「それは本当にごめん」


 巧は素直に頭を下げた。昨晩、無理させた自覚はあった。

 香奈に煽られたのもそうだが、それと同等かそれ以上に気持ち良く、また一回目から比較的上手くできた高揚感もあり、調子に乗りすぎてしまった。


「……巧先輩はどこも痛くないんですか?」


 香奈が恨めしげに見てくる。


「それで言うと、僕もちょっと腰は痛いかも」

「あれだけ元気いっぱい遊んだのに、ムスコさんは筋肉痛じゃないんですか?」


 香奈がニヤニヤと視線を下に向けた。


「あれ、もしかして学校サボらせようとしてる?」

「まさかまさか。マネージャーとして選手の——あっ、これは前にやめろって言われてましたね」

「うん。プレイに引きずり込んじゃうと部活に集中できなくなるから、それだけは本当にやめてね」

「わかりました。へっぴり腰で走る先輩は見たくないのでやめておきます」


 香奈がふふ、と笑った。


(本当にわかってるのかなぁ)


 隙あらば下ネタをぶち込んでくる香奈に、巧は苦笑いを浮かべた。

 歯止めが効くところまでの軽いスキンシップをした後、家を出て朝練に向かった。


 失恋直後の蒼太そうたを心配していたが、杞憂だった。

 むしろ、昇格してから一番の動きをしていた。


 監督の京極きょうごくも、当然動きの違いには気づいていたようだ。


「蒼太。見違えるように良くなったな」

「ですね」

「昨日までのプレーならいずれ降格させようと思っていたが……今日の状態が続くなら残すのもありだな」


 嬉しそうにつぶやいた後、京極は不意に真剣な表情で、


「またお前か? 巧」

「何がですか?」

「蒼太の豹変だ。武岡たけおか晴弘はるひろを復活させたのもお前だと聞いているぞ」

「復活なんて、そんな大層なことはしてません」


 巧は苦笑しつつ首を横に振った。


「それに、蒼太には本当に何もしていませんし」


 京極は疑わしげな目線を向けてきたが、それ以上は追求してこなかった。


「まあ、蒼太はそうだとしても、お前の練習態度とかがいい影響を与えているのは間違いないからな。他校の監督からも『彼は素晴らしい選手ですね』と褒められることもあるし、監督としても鼻が硬いぞ」

「造花ですか」

「よし、巧。M1グランプリ出るか」

「はっ?」


 巧は京極を凝視した。何を言っているんだ、この人は。


「顧問と生徒のコンビは話題性があるだろう。準々決勝までは確定だ」

「話題性だけでは通過させてもらえませんよ。のど自慢じゃないんですから」

「ハッハッハ、さすがのなツッコミだ! まあ、これからも頑張れよっ」


 満足げに巧の肩を叩き、京極は他の選手の元に向かった。


 巧は嬉しく思いつつも、同時に罪悪感も覚えていた。

 ラブホテルの一件を知れば、京極やチームメイト、それに応援してくれている人たちはきっと失望するだろう。


 幸いなことに今回は三葉みわにしか露見しなかったが、次はない。


(これからはああいう愚行はしないようにしないとな)


 巧は気合いを入れ直した。




 練習の最後に紅白戦が行われることになった。

 今日から一軍に戻ってきたまことと、取り巻きの片割れである広川ひろかわが巧の元に歩いてくる。


「——如月きさらぎ

「はい」


 一緒にスタメンになろうぜとか言ってくれないかな、と巧は現実逃避をした。

 もちろんそんなわけがなかった。


 真は嘲笑を浮かべ、


「俺がいない間の束の間のスタメン生活は楽しかったか? それも毎試合でもなかったらしいがな」

「楽しかったですよ。それに、これからも楽しむつもりです」


 巧は、暗に簡単にサブに降格する気はないと宣言した。


「はっ、せいぜい今のうちにイキがってろよ! お前みたいな一人じゃ何もできないやつ、真が戻ってきたら用済みだからな!」


 広川が吠えている。

 その真がいないときですらスタメンでなかった自分はどうなるのだと思ったが、巧は何も言わなかった。


 言っても無駄な争いを引き起こすだけだし、彼だって普通に一軍に居続けることのできる実力を持っている。

 見下してしまえば足元をすくわれかねない。巧のような特殊なプレースタイルの場合は特に。


 巧はキャプテンの飛鳥あすかや個人技に優れる水田みずたと同じチームになった。

 真や広川、そして誠治せいじとは別のチームになった。


 スタメン組の人数や個人の技量的には、相手チームのほうが優勢だろうという見方が強かった。

 大勢の見立て通り、前半を終了したところで巧たちのチームは一対二で負けていた。


「復帰したばかりだってのに、真は相変わらずやべえな」

「それな。あいつが自分勝手じゃなかったらもっと点差ついてたぞ」

「だな。どうする監督?」


 飛鳥が意見を求めてくる。

 京極発案の巧の「コート上の監督」というあだ名はすっかり定着してしまっていた。


「そうですね……ちょっと試してみたいことがあります」

「おっ、なんだ?」

「この紅白戦はもちろん各々のアピール機会ではありますが、結局チーム力の向上がいちばんの目的ですよね」

「そうだな」

「であれば、西宮にしみや先輩を徹底的に抑えてみませんか? 彼は滅多にパスを出さないですけど、咲麗ウチのレベルを一つ上げるためには彼がチームプレーをすることが絶対条件だと思うんです」


 巧の意見に何人かがうなずいた。

 首を横に振る者はいなかった。


「これから先、彼が一対一で苦戦する相手だって現れるかもしれませんし、今のうちに対策しておく必要があると思います。僕たちが抑えたとして西宮先輩がプレースタイルを変えるかはわかりませんが」


 巧が最後に付け足した言葉に、先程よりも多くの者がうなずいた。


「そうだな……」


 飛鳥が腕を組んだ。


「真に関しちゃあんまり期待はできねえが、単純にこの試合に勝つって意味でもアリな作戦だな。真のいるチームは良くも悪くもあいつ中心になるから、あいつを抑えれば向こうのリズムは狂う。そうすれば俺らのアピールチャンスも自ずと増えるし、やってみるか」


 こうして、巧の「他は捨ててでも真を徹底的に抑える」という案は可決された。


 試合は巧たちのチームが後半早々に追いつくと、そこから数分経たずして巧のアシストから晴弘はるひろがゴールを決めて三対二で逆転した。

 スコアはそのまま動かなかった。


「くそっ!」


 試合終了と同時に、真が苛立ちの声を上げた。

 後半、何も活躍することができなかったからだろう。親衛隊もまるでお通夜のように静まり返ってしまっている。


 巧たちはあえて真にボールを持たせ、無理なプレーを選択させて自滅に追い込んだ。

 いくら卓越した技術を持っているとはいえ、「万が一パスを出されたら仕方ない」と腹をくくってドリブルを止めることだけに注力すれば、対応は至難ではなかった。


 巧にメンチを切った手前、真も意固地になっていたのか、後半はいつも以上に自己中心的なプレーが目立った。

 彼もまったくパスを出さないわけではない。普段通りのプレーをされていたら、ここまで狙い通りにはならなかっただろう。


 真のところでことごとく攻撃が停滞したため、相手チームは完全にリズムを崩した。

 彼以外も誠治を筆頭に一流のプレーヤーが揃っているため、徐々に立て直したが、時すでに遅しだった。


「先輩、お疲れ様でした!」


 香奈が満面の笑みでドリンクを渡してくれる。


「ありがとう」

「決勝点のアシスト、おしゃれでしたね! パスコースは見えていたのですか?」

「間接視野でなとなくはね。けど、半分くらいは直感だよ。晴弘ならあそこに走り込んでそうな気がして」

「おー、さすがコート上の監督だ!」

「やめてよ」


 にゃはは、と変な笑い方をした後、香奈は他の部員にもドリンクを配って行った。


(ご機嫌だなぁ)


 巧は自然と頬を緩めていた。

 誠治が近づいてくる。笑みを浮かべていた。


「いやぁ、やっぱりすげーな巧は。後半何もさせてもらえなかったわ」

「キャプテン筆頭に守備陣のみなさんが頑張ってくれたからね」

「確かにマークも良かったけど、そもそもパスが入らなかったからな。相変わらずお前の舵取り能力はすげーよ。時代が違えば船長とかやってたんじゃね? コロンビアみたいに」

「コロンブスね。さすがバかがり

「んだとコラァ」


 誠治が肩に手を回して軽く首を絞めてきた。


「うわぁ、誠治が負けた腹いせに暴力振るってきまーす!」

「何ぃ?」

「おい誠治、それはよくねえなぁ」


 巧が助けを求めると、近くにいた先輩たちが一斉に誠治に詰め寄った。


「ま、負けた腹いせじゃないっすよ! 巧が——」

「言い訳無用っ」


 木村きむらが素早く誠治の背後に回り込み、羽交い締めにした。

 先輩たちの手がわらわらと誠治の体に伸びる。


「ちょ、せんぱっ、やめ……!」


 あらゆるところをくすぐられ、誠治は笑いすぎて涙目になっていた。

 くすぐりに弱いのは巧だけではないのだ。


「仲良いですねぇ」

「だねぇ」


 巧と香奈は並んで高みの見物をした。


「……私も久しぶりに——」

「絶対やめてね」


 察して巧が先回りすると、香奈がふふ、と笑った。

 他の誰にも聞こえないように「お楽しみに〜」とつぶやいて、彼女は離れていった。


 どうやら、帰宅後にくすぐられるのは確定したらしい。

 巧は自分のせいで親友が息も絶え絶えになっていることなど気にもせず、香奈への対抗策を考え始めた。

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