第20話 怒り狂う三軍キャプテン

「クソ野郎どもがっ……!」


 武岡たけおかは周囲もはばからずに舌打ちをした。

 通行人がギョッとした表情になり、彼を避けるように足早に通り過ぎていく。


 そんなものは目にも入っていなかった。


(何でだ⁉︎ 何で香奈かなは俺になびかねえ⁉︎ 如月きさらぎなんぞ、ちょっと小細工ができるだけのナヨナヨしたガキじゃねえか! あんな雑魚に俺が劣っているはずがねえ! キャプテンである俺のほうが断然男らしいし、サッカーだってよっぽど上手いだろうが! 明らかに俺のほうが女の好みに合ってるはずだ!)


 武岡は心の中で巧に対する罵倒を繰り返した。

 自分が勝っている部分を必死に思い浮かべようとした。


 しかし、脳裏に浮かぶのはそれとは真逆の光景だった。


 股を抜かれた後の巧の背中と冷静に決め切る姿、手首をつかんで迫ったときの香奈の嫌悪感むき出しの表情。


 それだけではない。


 巧が駆けつけたときの香奈の嬉しそうな顔、「生理的に無理」と武岡を拒絶したときの汚いものでも見るような瞳。

 そして、巧のほうが武岡よりも上だと言い切ったときの、彼女の哀れみとあざけりの混じった視線。


 思い出したくもないそれらばかりが、武岡の脳内をぐるぐる回っていた。


(くそっ、たまたま最近上手くいってねえだけだろうが! 俺は本来なら二軍、いや、一軍でやっててもおかしくねえ人材だぞ! 女だって何人もオトしてきてる! あんなサッカーの才能も度胸もねえ童貞に負けているはずが——)


 不意に、武岡の思考が途切れた。

 携帯がけたたましく鳴り響いたからだ。


 うるせえ——。

 一言怒鳴って電話を切ってやろうと考えたが、すんでのところで思いとどまった。

 川畑かわばた慎吾しんご、という名前が見えたからだ。


 仮にも監督からの電話だ。

 いくら武岡といえど、無碍むげに扱っていいものではないことくらいはわかっていた。


「……なんすか、監督」

『武岡。少し時間あるか』


 川畑は普段から静かに話すが、普段よりもさらに口調が重いように感じられた。


「あるっすけど」

たくみ白雪しらゆき三葉みわから話を聞いた。お前が白雪の手首をつかんで強引に迫ったというのは本当か?』

「別に、ちょっとアプローチをかけただけっすよ。全然問題ないっす」


 虚勢でも、ましてや印象操作でもなかった。

 武岡は本気で、自分の香奈に対する行動は大きな問題にはなり得ないと考えていた。


(どうせキャプテンとして模範的な行動とかなんとか言われるくらいだろう。はいはいテキトーに聞き流しときゃいいな)


 そうタカを括っていた。


『お前……女の子の自由を拘束して言い寄ることが問題じゃないと、本気で考えているのか?』

「自由を拘束なんて、まるで人がレイプしたような言い方じゃないっすか。ちょっと手首つかんだ程度っすよ。こんなの問題にしてたら、誰も女なんて口説けなくなるんじゃないすか?」


(ったく、こいつまで最近の女至上主義に染まってんのか?)


 武岡は心のうちで川畑をあざけった。


『武岡。お前は問題の本質を理解していないようだな』

「はっ、本質? そんなのちょっとした男女のすれ違いでしょ」

『違う。今回の一件で問題なのは、白雪が恐怖を感じたという点だ。もしも互いが好意を寄せ合っている状態でそれを行い、相手もそれを受け入れていたなら、たしかに手首をつかむ程度など何も問題にはならない。だが、白雪が嫌がっていたのなら、それは暴行であり脅迫だ。到底見過ごすことなどできない』

「なっ……⁉︎」


 武岡は絶句した。


『お前のしたことは立派な犯罪行為だ。反省の色も見られない。よって、キャプテン資格の剥奪はくだつ謹慎きんしん処分を課す。謹慎の期間については、追って連絡する。その間は練習に参加することはおろか、部活に顔を出すことも禁止だ』

「はっ? ちょ、ちょっと待てよ! そんなのおかしいだろ!」


 すっかり余裕をなくしていた武岡は、自身が敬語を使っていないことすら自覚せずに抗議を続けた。


「言ってるだろ、手首をつかんだだけだって! そんなのが問題になるはずねえだろうがっ!」

『言っているだろう、白雪がどう感じたのかが問題だと。彼女は嫌悪感と恐怖を覚えたと言っていた。そしてお前も、手首をつかんだことを認めた。これ以上は必要ない』

「っ……お、俺はキャプテンでチームの中心だぞ⁉︎ 謹慎なんてしていいはずねえだろうが!」

『キャプテンは三葉にやってもらう。たしかにお前はこれまでチームに大きな貢献をしてくれたが、だからと言って特別扱いをするつもりはない。少し頭を冷やせ。自分の中で整理がついたら俺のところに来い。あぁ、もう白雪や巧に手を出すなよ。この程度の処分では済まなくなるからな』


 それと、口の聞き方には気をつけろ——。

 その忠告を最後に、電話はぷつりと切れた。


「……っざけんな!」


 武岡は携帯を壁に向かって投げつけた。




◇ ◇ ◇




 三軍副キャプテンである三葉は、意味もなく自室を歩き回っていた。

 先程、巧と香奈とともに武岡の愚行について報告をした。彼は事実確認をした後、電話を折り返すと言った。


 携帯が電話の着信音を奏でる。川畑からだった。

 三葉はすぐに通話ボタンを押した。


 そして、武岡がまったく反省の色を見せなかったこと。

 それゆえにキャプテン資格の剥奪、そして謹慎処分を課したことを聞いた。


「そうですか……あの、この件はどのように対処すべきでしょうか」

『……他の部員には詳細は知らせないほうがいいだろうな。巧と白雪のためにも』

「そうですね」


 三葉もまったくの同意見だった。


『だが、どのみち隠し通せるものじゃない。他の部員たちには、明日の試合前に俺からうまく伝えよう。お前は知らないふりをしろ。事情を知っていると悟られてもいいことなど一つもないからな』

「はい、わかりました」


(やはり優秀な人だな)


 三葉は、川畑の素早く的確な判断に舌を巻いた。


『二人は大丈夫か?』

「だと思います。白雪は少し不安定そうでしたが、巧がついていましたから」

『そうか。それなら大丈夫そうだな』


 川畑がかすかに笑った。

 それから真剣な声色で、


『三葉』

「はい」

『今この時点から、三軍のキャプテンはお前だ。大変なことも多いだろうが、よろしく頼む』

「わかりました。武岡がご迷惑をおかけします」

『お前の責任じゃない。俺が対応を誤った。選手の過ちは監督の過ちだ』

「監督……」

『何か進展があったらその都度知らせてくれ』

「わかりました」

『あぁ。じゃあ、また明日』

「はい」

『明日は練習試合だ。早く寝ろよ』


 最後に優しい口調でそう言って、電話は切れた。


「……はあ……」


 三葉は携帯を持ったまま、ベッドに身を投げ出した。

 ふと思い立ち、電話をかけてみる。コール音が空しく鳴り続けるだけだった。


 三葉は携帯を手放し、ぼんやりと天井を見上げた。


「本当に馬鹿だな……」




◇ ◇ ◇




 川畑からの電話があった後、武岡はあてもなく外をぶらついていた。

 その胸中には、行き場のない怒りが渦巻いていた。


(この俺がキャプテン剥奪と謹慎処分だと⁉︎ 舐めてんのかクソ野郎がっ!)


 武岡は腹立ちまぎれに近くの公園にあった遊具を蹴り飛ばした。


「っ……!」


 なかなか頑丈だったようで、ダメージを受けたのは足のほうだった。


「クソがっ……!」


 怒りの倍増した彼は、もう一発蹴りを入れようとして足を止めた。

 倫理観が働いたわけではない。木々の向こう側から、子供たちの甲高い声が聞こえてきたからだ。


「ほら、ほらよ!」

「おい、やめろっ」

「あっ? やめるわけねえだろ!」

「やっちゃえやっちゃえ!」

「「「ギャハハハハ!」」」


 どうやら、複数人が寄ってたかって一人をいじめているようだった。

 武岡はフラフラとそちらに向かった。

 なぜ関わろうと思ったのかは、彼自身にもわからなかった。


 状況は、武岡が漠然ばくぜんと想像していたものとは少し違った。

 どうやら、複数人の少年が少女をイジメていて、一人の少年が少女を庇っているようだ。


 少女のそばにある砂で作られたトンネルには、いくつかの靴の跡があった。


「やめろって言ってるだろっ、これはひーちゃんが一生懸命作ったんだ!」

「はあ? そんなヘタクソなもん、さっさと壊しちまったほうがいいだろ!」

「ははは、間違いねえ!」

「壊せ壊せ!」


 おそらくはリーダー格だろうぶくぶく太った少年の言葉に、周囲の取り巻きが一斉に笑った。

 ひーちゃんと呼ばれた少女は、泣きそうな表情で唇を噛んでいる。


 それを見て、「おい、あいつ泣きそうじゃね?」「本当だ、だせー!」といじめっ子たちはさらにはやし立てた。


 力の差は歴然。

 圧倒的に有利な状況で勝ち誇ったような笑みを浮かべているいじめっ子たちを見て、武岡の中で激情が込み上げた。


 それを、溜まりに溜まったフラストレーションとともに躊躇なく彼らにぶつけた。


「てめえら、何してんだ? ああっ⁉︎」


 大股で近寄り、太った少年の胸ぐらを持ち上げる。


「ひっ……!」


 少年の喉が鳴る。瞳には早くも涙が浮かび上がり始めていた。

 武岡は少年を砂浜に投げ落とした。


「ひ、ひぃ!」


 少年は情けない悲鳴とともに、一目散に逃げ出した他の仲間の後を追っていった。

 恐竜に襲われた小鳥のように散っていく彼らの背中は、とても惨めで醜かった。


「はっ、群れないとイキれねえ雑魚どもが」


 武岡は嘲笑を浮かべた。


「あ、あのっ」

「あっ?」

「っ……!」


 武岡は高圧的な態度に、背後から声をかけた少年は息を呑んだ。

 しかし、周囲に流されずに少女を守っていただけのことはあるというべきか、彼は逃げ出すことなく頭を下げた。


「た、助けていただいてありがとうございましたっ!」

「ほ、本当にありがとうございます!」


 少年に続くように、標的になっていた少女——ひーちゃんと呼ばれていた——も頭を下げた。

 そのサラサラの黒髪には、砂がいくつも絡まっていた。


「……失せろ」

「えっ?」

「失せろって言ってんだよ。さっさと消えろ。目障りだ」

「あっ、は、はい!」


 少年はガクガクとうなずくと、少女を連れてそそくさと公園を後にした。

 出口のところでもう一度「ありがとうございました!」と頭を下げてから、二人は公園を出て行った。


「……くそがっ!」


 武岡は近くのベンチに腰を下ろし、貧乏ゆすりをしながら頭を掻きむしった。

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