第185話 彼女にクサいと言われた

 ハーフタイムの咲麗しょうれいベンチには甘い雰囲気が流れていたが、その甘さはサッカーとは無縁だ。

 大差のついている後半も誰一人として手を緩めることはなかった。


 しかし同時に、三点差があれば無理をする必要もない。

 たくみは落ち着いたゲーム展開を意識してパスをさばいていた。前半ではリスクを冒して前線の選手に出していたところも、後半は無難に後方の選手に戻した。


 前線からのプレッシャーを控えめにしていたことにより、相手チームがボールを保持する時間帯も増えていた。

 基本的には相手にボールを持たせているという状況だったが、一度だけピンチの場面を迎えた。


 キーパーの弾き出したボールが巧の足元に転がってきた。

 無理して攻めずに落ち着いてマイボールにすることも可能だったが、彼の目には相手が前がかりになったことにより生まれたスペースに走り込む水田みずたの姿が見えていた。


「水田先輩!」


 カウンターを発動させるという明確なメッセージ性を持ったパスが水田に渡った。前線の選手のみが一気にギアを上げた。

 チャンスだからと全員で仲良く攻め上がるようなことはしない。勝っている以上、リスクも考えるとカウンターは少人数で素早く完結させるべきだ。


「まずい!」

「戻れっ」


 三対四の状況で、水田は自分で仕掛けるそぶりを見せてから誠治せいじにパスを出した。


かがりだ!」

「これ以上、自由にさせるな!」


 誠治には二人がかりでマークがついていた。

 彼の伸ばした足の下をボールが通過する。


「よし、抑え——なっ⁉︎」


 誠治のマークについていた選手が驚きの声を上げた。

 咲麗の二年生エースストライカーはボールに触れなかったわけではない。あえてスルーをしたのだ——反対側に走り込んでいた巧のために。


 カウンターの起点になっていたはずの巧がその場所まで来ているというのは、敵からすれば想定外だった。

 彼のスピードでは状況を見つつではなく、パスを出した瞬間から全力疾走していなければそこに到達できない。


 巧は信じていた。

 自分よりもはるかに技術の高いチームメイトなら、何より今の誠治なら、必ず自分までボールを届けてくれるはずだと。


「巧先輩!」

「いけー!」


 完全に巧とキーパーの一対一。

 そう思われたとき、後方から足が伸びてきた。


「言っただろっ、調子乗んなってよぉ!」


 巧のマークについていた少年だった。

 対抗心から、必死に前を走る巧を追いかけてシュートコースにスライディングをしたのだ。


「あぁ⁉︎」

「巧っ」


 味方の選手でさえ、巧のシュートがブロックされるものと思った。

 すでにシュートモーションに入っていた彼の口元が弧を描いた。


「——きっと追いついてくると思ってたよ」

「なっ……!」


 地面を滑りながら、相手チームの少年は驚愕の表情を浮かべた。

 それも仕方のないことだろう。巧がシュートを打つふりをして、かかとで後方にボールを落としたのだから。


「ナイスパス!」


 そこにはただ一人、誠治が走り込んでいた。

 相手の守備陣もキーパーも、味方すらも裏をかかれたヒールパスが絶好調の彼に渡ったのだ。ゴールネットが揺れるのはもはや必然だった。


 一瞬の静寂の後、会場に割れんばかりの歓声が響いた。


「お、おいっ、なんだ今のヒールは!」

「あいつ、縢のほうなんて全く見てなかっただろ⁉︎」

「なんておしゃれなアシストだ!」

「パス出してからあそこまで走ってたのもすげえっ」

「縢もよく反応したなぁ!」


 そのほとんどが巧に対する称賛の声だった。


「巧っ、ナイスアシスト!」

「誠治もナイスゴールっ」


 巧は満面の笑みで近寄ってきた誠治とハイタッチを交わし、抱擁ほうようした。

 直後に交代が告げられた。

 巧には彼のファン——香奈との交際発表でガチ恋勢が消えたとはいえゼロになったわけではない——や咲麗を応援している者たちのみならず、相手チームの応援からも惜しみない拍手が贈られた。直前のプレーがそれだけ印象的だったということだろう。


 代わりに投入されたのはまことだ。

 巧のハイタッチに応じなかったときは、ベンチにいたほとんどの者が嫌な予感を覚えた。


 そのファーストプレーを見て、心配は呆れを含んだ安堵に変わった。


「なんつーか……西宮にしみやは西宮だな」

「あぁ……」


 真は良くも悪くもいつも通りだった。

 チームではなく自分の気持ちよさのためにプレーをしていたが、何か特別なこと——試合放棄や不必要なラフプレーなど——をするわけではなかった。


「お疲れ様です!」


 香奈が巧にタオルとドリンクを差し出した。


「ありがとう。香奈」

「大活躍でしたねっ、格好良かったです!」


 香奈がはしゃいだ声を出した。

 交際を公表したとはいえ、昨日や一昨日はここまで素を見せていなかった。興奮しているのだろう。


「ありがと。今日はなんだかいつも以上に冷静にプレーできたんだ」

「いやもう、最後のアシストとか普通にちびりましたよ! 見えてなかったですよね? 縢先輩が走り込んでくるの」

「うん。でも誠治なら絶対そこにいるって思ったんだ」

「むぅ、絶大な信頼関係ですねぇ」


 香奈がむくれてみせた。


「なんでちょっと不満そうなの」

「いーえ、別に。こんなに巧先輩に信頼されて阿吽あうんの呼吸で通じ合っててピッチ上でも熱い時間を共有できて抱き合える縢先輩羨ましいなんて思ってませんもーん」

「うん、心の声ダダ漏れだね」


 巧は苦笑した。真面目な表情に戻って「香奈」と呼びかけた。


「確かに一緒のピッチには立てないかもしれないけど、僕は共にプレーしている仲間と同じくらいには香奈やマネージャーのみなさんを信頼しているし、頼りにしてるよ。役割の違いはあるけど、仲間外れとか感じる必要はないからね。選手もマネージャーも等しく大切なチームメイトだから」

「……もう、本当にしょうがない人ですねぇ、巧先輩は」


 香奈がわざとらしくため息を吐いた。その顔は朱色に染まっていた。


「えっ、何が?」

「周りを見てください」


 呆れたように言われて周囲を見回し、巧は狼狽ろうばいした。

 マネージャー陣、そして一部の選手が頬を赤らめていた。


「えっ、な、なんで?」

「クサいんですよ、巧先輩は」

「えっ——」

「「「そっちじゃねえ!」」」


 露骨にショックの色を浮かべて自分のユニフォームの匂いを嗅ごうとした巧に、その場にいた者たちほぼ全員から総ツッコミが入った。


「匂いじゃありません。セリフがクサいって言ってるんです」

「あぁ、そっちね。よかったー……でも、僕そんな変なこと言った?」

「言ってましたね。まあ、そういう恥ずかしいことをサラッと口に出せちゃうのが巧先輩ですし、言ってくれたこと自体はすごい嬉しかったですけど」

「それならよかった」


 巧は香奈の頭をさらりと撫でた。

 彼女は途端にへにゃりと頬を緩めた。自然な動きで巧の手が香奈の肩に、香奈の手が巧の腰に伸ばされたとき、


「ホントに隙あらばイチャつくねぇ、君たちは」

「っ……!」


 マネージャー長の愛美まなみに呆れたように笑われ、彼らは揃って赤面した。危うく公衆の面前で無意識にいつも通りのスキンシップをとってしまうところだった。

 微妙な空気を断ち切るように、三年生の選手がパンパンと手を叩いた。


「ほら、試合に意識戻すぞ」

「はい、すみません」


 巧は謝罪をしてベンチに腰を下ろした。

 そうだ。自分が出ていないからと言って気を抜いてはいけない。


「このままで問題なさそうですね」

「ハッハッハ、そうだな!」


 コーチの言葉に、監督の京極きょうごくが満足げに同意した。

 彼らの言う通り、咲麗は危なげなく試合を進めていた。

 相手チームは大差をつけられていた中での真投入で、完全に心が折れているようだった。


 終盤には初めてベンチ入りを果たした晴弘はるひろをデビューさせることもできた咲麗高校は、真の二ゴールの活躍もあり八対一で快勝した。

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