第186話 ご褒美じゃなくても

 一軍の試合が終わったころ、別の会場では咲麗しょうれい高校サッカー部の二軍——咲麗Bの試合が始まっていた。

 リーグ戦は中断されているため、先週に引き続き練習試合だ。


 しかし、シード校として準々決勝から参戦する選手権県予選が間近に迫っている今、二軍の選手にとってはリーグ戦以上に大事な試合といっても良かった。


金剛こんごう、もっと寄せろ!」

「おう!」


 武岡たけおかの指示を受け、大介だいすけがボール保持者ホルダーに対するプレッシャーを強めた。


「くそっ……!」


 激しいプレスを受けた相手選手は、焦りの表情を浮かべて味方にパスをした。

 それを予測していた武岡は途中でボールを奪取インターセプトして、間髪入れずに前線の選手にロングボールを蹴った。


「まずい、戻れ!」

「遅らせろ!」


 チャンスから一転してピンチになり、相手は浮き足立った。

 咲麗のカウンター攻撃が刺さる……かと思われたが、武岡からパスを受けた選手がボールの処理にもたついているうちに相手チームは守備陣形を整えてしまった。

 咲麗を応援している父兄からは落胆のため息が漏れた。


「惜しい、もったいねえ……!」

「それにしても武岡先輩は潰すの上手いですし、守から攻への切り替えも早いですね」

「な、遠藤えんどうわたるみたいだ」


 あかりの言葉に、まさるは日本代表キャプテンの名前を引き合いに出しつつうなずいた。

 武岡はかつてたくみ香奈かなに絡んでいたため、優もあかりもいい印象を持っていない。

 そんな二人でも誉めざるを得ないほど、彼はチームに欠かせない存在になっていた。


 彼が中盤の底、いわゆるアンカーのポジションに抜擢されてから二軍は無敗だった。

 大介が二軍キャプテンの二瓶にへいとセンターバックを組むようになってからは無失点だ。

 これまで守備に課題があると言われてきた咲麗Bは、二瓶と大介と武岡の三人が揃ったことで鉄壁の防御力を誇っていた。


 反対に、得点力は大きく下がっていた。

 一軍に昇格したたくみ晴弘はるひろ、現在停学中の小太郎こたろうといった攻撃を牽引していた存在がいなくなったことで、チームとして明確な攻め方を見つけられなくなっているのだ。


 単純に、個人の能力にも問題はあった。先程のカウンター攻撃でもたついてしまって自ら攻撃の芽を潰したのがいい例だ。

 一軍から降格してきた内村うちむらは技術こそ高いが不貞腐れて真面目に練習に取り組まないため、スタメンから外されている。


 結局、ここ数試合同様スコアレスドローで試合を折り返した。

 後半に入っても、両チーム得点の匂いがしないまま時間だけが過ぎていった。


 後半二十分。咲麗ベンチが動いた。

 最初の交代選手は前回の試合と同じで内村——ではなく優だった。


「優。いけるか」

「はい!」


 大きな声で返事をしたものの、優はガチガチに緊張していた。

 最近の練習では良いプレーをできているが、先週の試合は散々な結果だった。もしまたダメだったらと思うと、平常心ではいられなかった。


「——百瀬ももせ先輩」


 声をかけられた。あかりだった。

 彼女は柔らかい笑みを浮かべていた。


「練習でもスタメンのみなさんと張り合えていたんですから大丈夫ですよ。いつも通りのプレーをすれば絶対に活躍できますから」

「……そうだな」


 優は落ち着きを取り戻した。

 そうだ。ここ一週間ほどは今試合に出ている人たちと互角に渡り合えていた。


(みんなが戦えてるなら俺だってできるはずだし、そうでなければ膠着こうちゃく状態で監督が起用してくれるはずねえよな)


 自信が戻ってきた。

 あかりは安心したように笑った。


(なんか微笑ましい目線向けられてる気がする……!)


 優は恥ずかしくなって視線を逸らした。


「……サンキュー、七瀬ななせ

「いえいえ、頑張ってくださいね」

「おう——あっ」


 優は相変わらず視線を逸らしたまま、手のひらをあかりに差し出した。

 あかりはキョトンとした表情になった後、合点がいったように笑みを浮かべてハイタッチをした。


 優はあかりと合わせた手を力強く握りしめ、コートに足を踏み入れた。ポジションは左サイドハーフ——中盤の左サイドだ。

 攻撃にも守備にも奔走する必要のあるポジションだが、監督である間宮まみやからは特に攻撃面の指示を受けた。


「仕掛けろ!」


 そんな声とともにパスが回ってきた。

 優は迷わず対面する相手にドリブルを仕掛けた。中に切り込むそぶりを見せてから縦に運ぶ。

 一度ドリブルをやめ、再びすぐにギアを上げた。緩急に相手選手はついてこれなかった。


 ヘルプが来る前に素早くクロスを上げた。

 味方のヘディングは惜しくも枠外だったが、優は手応えを感じていた。観衆の拍手も自信になった。


 最初のワンプレーをいい形で終えられるかどうかは、サッカーに限らずあらゆるスポーツにおいて選手のその後の調子を左右する。

 優はその後も果敢にドリブルを仕掛けた。ボールを奪われることもあったが、落ち込むことはなかった。


 相手チームが優のドリブルを警戒すると、今度は中央や逆のサイドが手薄になる。

 彼の投入以降、咲麗は攻撃のリズムをつかみ出した。そして後半残り十分、とうとう均衡が破れた。

 優のあげたクロスのこぼれ球にフォワードの選手が反応して、待望の先制点をあげた。


 そして後半アディショナルタイム、


「大介!」


 優は大介がボールを持ったときに足元でボールを要求した。

 ドリブルを嫌がった相手が間合いを詰めてきた瞬間、その背後のスペースに走り出した。


「ガッハッハ! 素晴らしい動き出しだ!」


 大介からのロングボールは、時代劇のような豪快な笑い方にそぐわない精密なものだった。走っている優の足元にぴたりと収まった。

 そのままキーパーに向かってドリブルをした。体の向きでフェイクを入れてから、キーパーが倒れるのと逆方向に冷静に流し込んだ。


「おおっ、ナイスゴール!」

「相手の守備を完璧に釣り出したぞっ」

「パスもトラップもお見事だ!」


 シンプルだが技術の詰まった得点に、観衆は沸いた。

 試合はそのまま二対〇で、咲麗Bが完封勝利を収めた。




 優は自身の最寄り駅よりも手前で電車を降りた。あかりを家まで送っていくためだ。

 咲麗高校からだとあかりの最寄りまでの途中に優の最寄りがあるのだが、今回は会場の場所的に逆になっていた。


「お疲れさまです。すごかったですよ、百瀬先輩」


 優はあかりを見て微笑んだ。


「サンキュー。七瀬のおかげだよ」

「そうですか? 私、大したことしてないと思うんですけど」

「いや、試合前にも緊張ほぐしてくれたし……な、七瀬が見てくれてると思うと頑張れるっつーか」


 あかりは驚いたように優を見上げた。

 彼から視線を逸らし、はにかむように笑った。


「ありがとうございます。そう言ってくれると嬉しいです」


 あかりの頬は薄っすら赤らんでいたが、勇気を出して恥ずかしいセリフを口走った優はそれ以上に真っ赤になっていた。


(やっぱり、可愛いとこあるなぁ)


 あかりはクスッと笑いを漏らした。


「な、なぁ七瀬」

「はい」

「俺、今日結構頑張ったじゃん?」

「そうですね。百瀬先輩のおかげで勝てたと言っても過言ではないと思います」

「だからさ、その……手とか、繋いでもいいか?」


 優はおそるおそる切り出した。

 あかりはパチパチと瞬きをした後、ふっと表情を緩めた。


「そんなの、別に頑張ったご褒美じゃなくてもいつでもいいですよ。私たち、恋人なんですから」

「っ……!」


 気恥ずかしそうに微笑みかけられ、優は息を詰めた。


「百瀬先輩?」

「あっ、いや、なんでもない! じゃ、じゃあ……」


 優はおずおずと手を差し出した。あかりも手を伸ばす。

 指先が触れた瞬間、優は思い切って自分より一回り小さい手のひらを握り込んだ。


「悪い。緊張で手汗かいてんだけど、気持ち悪くねえか?」

「大丈夫ですよ。私も似たようなものですから」

「えっ……七瀬も緊張してんの?」

「それはそうですよ」


 あかりが照れたように笑った。


「私、男の人とお付き合いするの初めてなんですから」

「えっ、そうなの⁉︎」


 優は驚愕の声を上げた。


「そ、そんなに意外でした?」

「そりゃそうだろ。七瀬くらい可愛かったら」

「っ……百瀬先輩も意外とそういうのサラッと言いますよね」

「い、嫌か?」

「いえ、嬉しいです」


 あかりは頬を染めつつ笑った。

 優は安堵の息を吐いた。脈絡なく褒め言葉や愛の言葉を口にするのは難しい。会話の流れの中でサラリと言うしかないのだ。


 あかりの手にわずかに力がこもる。


「百瀬先輩も活躍してる姿、格好良かったですよ」

「ぐはぁ!」


 はにかみながらそう告げられ、優の心臓は容易く撃ち抜かれた。

 かつてないほど頬が熱くなっていた彼は、しばらくあかりのほうへ視線を向けられなかった。


 ——だから気づかなかった。

 あかりが優を見ながら一瞬だけ寂しそうな、それでいて自分を責めるような笑みを浮かべていたことに。

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