第184話 王子様を差し置いてスタメン出場した

 午後から会議ということだったため、大樹たいきとはスポーツ用品店の最寄りの駅で別れた。

 試合を見たかったと残念がっていた。忙しい時期は抜けたと言っていたため、また機会はあるだろう。


「ごめんね。お父さんの茶番に付き合わせちゃって」


 たくみが謝罪をすると、香奈かなはにっこりと笑って首を振った。


「いえいえ、私も楽しかったですもん。それに、試合前にいい感じでリラックスできたんじゃないですか?」

「それはそうだね」


 気疲れはしたが、やはり久しぶりに父と過ごす時間は楽しかった。

 彼女と仲良くなってくれたならなおさらだ。


 しかし、今日の試合に巧の今後がかかっていると言っても過言ではない。駅が近づいてくるにつれ、緊張感はやはり高まった。

 改札を出たところで香奈がポンポンと背中を叩いてくる。安心させるように笑って、


「大丈夫です。巧先輩はいつも通り楽しめば絶対活躍できますから」

「……うん。ありがと」


 香奈の手を取る。感謝の意を込めて、力強く握った。香奈もしっかりと握り返してきた。

 二人は顔を見合わせて微笑みあった。


「……緊張とは無縁の光景ね」


 呆れたような声が背後から聞こえた。冬美ふゆみだった。

 その隣には誠治せいじもいた。呆れたように笑っていた。


「ふゆみん先輩! ついでにかがり先輩も」

「おい、ついでってなんだよ」


 香奈が挨拶代わりに誠治をイジった。荷物を抱えているため、いつものように冬美に飛びつきはしなかった。


「やぁ誠治。久東くとうさんもこんにちは」

「えぇ。あなたたちはイチャつかないと死ぬ呪いにでもかかっているのかしら?」

「まさか。この上なく自然体だよ」

「……先が思いやられるわね」


 冬美がわざとらしくため息を吐いた。

 巧は違和感を覚えた。いつもより、言い方にも言葉自体にも鋭さがなかったからだ。


 冬美がチラッと誠治に視線を送った。


(なるほど。誠治に告白されている中であんまり他の男子と絡まないようにしているってことか)


 巧の推測は当たっているようで当たっていなかった。




 ミーティングでも確認していた相手チームの情報をもう一度おさらいしつつ、四人は会場に到着した。

 京極により今日のスタメンが発表されると、その場はざわついた。まことではなく巧が先発に名を連ねていたからだ。


 昨日の時点で知っていた香奈を除き、ほとんど全員が驚いたように巧を見てから、観察をするように——もしくは機嫌を伺うように——真に目を向けた。暴れるのではないかと警戒する者もいた。

 しかし、サッカー部の王子様は何も反応しなかった。


 微妙な雰囲気の中、スタメン組とサブ組に分かれてアップが行われた。

 さすがは強豪校というべきか、選手たちはすぐに意識を切り替えた。


「巧先輩っ、頑張ってください!」

「うん。サポートよろしくね」

「お任せあれ〜」


 巧と香奈は拳を交わした。

 最愛の彼女の頭を撫でてから、巧はピッチに足を踏み入れた。


 交際を発表して以降、ひた隠しにしていたことがどれだけ精神的にストレスになっていたのかを実感していた。

 公にイチャイチャできないことではない。公衆の面前という場において守るべきライン以上に彼女との何気ない関係を制限していたことが、知らずのうちに大きなストレスになっていたのだ。


 自然体で香奈と接することができる環境は、巧にはとても居心地の良いものだった。

 真たちに何かされるかもしれないという不安は消えていないが、押しつぶされることもなかった。


 ましてや、ピッチ内ではそんなことを気にする必要もない。

 巧の意識は、目の前の試合のみに向けられていた。


「なんかスッキリした顔してんじゃねーか」

「まあね。でも、それでいうなら誠治もだよ」

「……まぁな」


 誠治は照れくさそうに答えた。

 冬美に告白できたこと。それが心が晴れやかな理由だと自覚していたからだ。

 返事はまだもらえていないが、抱えていたものを吐き出して拒否されなかったということが重要だった。


 ——元々抜群のコンビネーションを見せていた二人がこのような精神状態なのだ。

 破壊力がさらに増すのはある意味当然のことだった。


 前半終了時点で、スコアは四対一となっていた。誠治はハットトリックを達成していた。

 その全てに巧が絡んでいたが、アシストはなかった。

 連携が悪かったからではない。それまで二人だけで完結することの多かったコンビネーションが、咲麗しょうれいというチームの戦術として機能し始めているのだ。


「くそっ……!」

西宮にしみやもいねえっつーのに……!」


 真抜きで大差をつけられ、相手チームは苛立っていた。咲麗は自分たちのことを舐めて真を温存しているのではないかとすら勘繰っていた。

 ——そんな彼らの怒りは、真の代役である——少なくとも多くの者はそう見ている——巧に向かった。


「おい、紫髪のチビっ」


 ベンチに戻ろうとしていた巧は荒々しく声をかけられた。彼をマークしていて、相手チームで唯一得点を挙げている選手だった。

 巧は足を止めて振り返った。


「僕のこと?」

「そうだ。お前、西宮の代わりで選ばれたんだろうが、調子乗んなよ。確かに俺らが負けているが、咲麗の唯一の失点はお前のミスからだ。一人だけ実力が見合ってねえんだよ。お前はただの穴に過ぎねえ。チームが強いからって勘違いすんじゃねえぞ」

「はぁ」


 巧は気のない返事をした。

 自分が連携ミスで失点に絡んでしまったことも、周囲に比べて実力が劣っていることも理解していた。


 しかし同時に、自分が貢献できていることもわかっていた。

 類まれなる戦術眼と空間把握能力でコート上の監督などというあだ名までつけられている彼は、おごることも必要以上に卑屈になることもなく、正しく現状を認識していた。


 だから、相手選手に何を言われようと特に何も思わなかった。

 質問をされたわけでもない。相手の言葉が止まったタイミングで、巧は踵を返した。


 ——負けている腹いせに相手に絡むような少年が、無関心を体現したような態度を取られて黙っていられるはずもなかった。


「てめえっ、何スカしてんだ——グエッ⁉︎」


 額に青筋を浮かべて巧に詰め寄ろうとした少年が、潰れたカエルのような声を出した。

 相手チームのキャプテンが襟首を掴んで引っ張ったからだ。


「やめろ。見苦しい」

「キャ、キャプテンっ。でも——」

「でもじゃねえ。負けてる腹いせに絡んでんじゃねえよ。如月きさらぎはこっちを挑発したわけでもラフプレーしたわけでもねえっつーのに」

「ぐっ……!」


 少年は唇を噛んだ。正論を前にぐうの音も出ないのだろう。

 それでもまだ巧に恨みがましい視線を向けている。


(ある意味すごいなぁ)


 巧は思わず口元を緩めてしまった。


「ウチの選手が悪いな」

「いえ、お気になさらず」


 キャプテン直々の謝罪を受け、ベンチに戻った。


「お疲れ様です!」


 香奈が笑みを浮かべて出迎えてくれる。

 わずかに募っていた苛立ちなど、彼女の笑顔を見れば風に煽られたチリのように彼方に飛んでいった。


「ありがとう、香奈」

「いえいえ。にしても実際にピッチにいて、その上巧先輩をマークしてたのにそのすごさがわからないってやばいですね」

「まあ、どうしても誠治とかに目がいっちゃうからね」

「そうですけど……」


 香奈は不満げに唇を尖らせている。

 サラサラの髪を毛流れに沿って撫でてやれば、徐々にその相好は崩れていった。


「ありがとね、怒ってくれて」

「……まったくもう」


 お礼を言う巧に対して、香奈はわざとらしく肩をすくめてみせた。


(((イチャイチャしやがって……!)))


 周囲は自然体で砂糖をばら撒く二人に辟易していたが、ハグやキスをしているわけでもないので文句は言えなかった。

 それに、巧と香奈に好印象を抱いている者は多い。二人が付き合っていたと聞いて安堵したくらいだ。


 そんな者たちにとっては、二人のイチャイチャはゲンナリこそすれ嫌悪の対象にはならなかった。

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