第183話 父親がしりとりを挑んできた

 三葉みわ玲子れいこの帰宅から、時は少しさかのぼる。

 生徒たちが余韻に浸りつつも文化祭の後片付けをしている間、咲麗しょうれい高校サッカー部の監督である京極きょうごくは理事長以下の上層部と対面していた。


「次のリーグ戦、まことをベンチ外にします」

「何? そんなこと許されるはずがないだろう。第一、彼はただ意中の女子生徒を誘っただけだ。多少強引なところはあれど、処分されるようなものではない」


 理事長は馬鹿にするように鼻を鳴らした。


「普通ならばそうでしょう。だが、彼には以前に忠告をした。それを破ったのならば相応の処分はしかるべきです。たくみ白雪しらゆきにも示しがつきません」

「くっ……」


 京極の言い分に、理事長以下は悔しげに唇を噛んだ。

 サッカー部を学校の顔に据えている彼らは、巧と香奈かながサッカー部において重要な立ち位置にいることを理解していた。


 そして、停学者を出したばかりで周囲からも懐疑の目を向けられている今、京極の解任が得策ではないことも。


「……なるほど。確かにお前の言い分は一理ある。だが、ベンチ外はいささか度が過ぎている。ベンチスタートで途中から出場させること。これが最低条件だ」

「わかりました」


 京極は食い下がらなかった。元々その予定だったからだ。


 本来の要求よりも高い条件をふっかけて、狙い通りの条件で譲歩させる。交渉術の基本だ。

 上層部が何よりもブランドを気にしていることは明らかだ。停学者を出した直後に不当に自分を解雇することはないと見抜いていた。

 だからこそ強気で臨めたのだ。


 真の代わりに先発をさせるのは巧と決めていた。

 しかし、彼は強度を保ったままフル出場するだけの体力は有していない。巧のスタミナが切れた時点で真を交代で投入する予定だ。


 明日は佳境に差し掛かっている県リーグの第二十節であり、選手権県予選前最後の公式戦だ。

 リーグ戦の優勝、そしていい流れで県予選に臨むためにも負けるわけにはいかない一戦である。


 その中で真を途中出場させるというのはリスキーだったが、試合を放棄したりすることはないだろうと京極は考えていた。

 お世辞にも品行方正な選手とはいえない。しかし、これまでピッチ上で問題を起こしたことはなかった。


「……とはいえ、油断は禁物ではあるがな」


 誰にともなくつぶやき、京極はグラウンドへと足を向けた。




◇ ◇ ◇




「真はスタメンでは出さない。明日、何かない限りはお前が先発だ」


 練習後、巧は京極にそう告げられた。


「わかりました」

「真がやらかしたからというのももちろんあるが、これまでの、特にここ二日間の調子を維持できれば本格的にスタメン定着もあり得るぞ。がんばれ」

「はい。ありがとうございます」


 いつも通りの返事を心がけたが、巧はどうしても頬が緩むのを抑え切れなかった。

 スタメン定着という単語は彼のテンションを上げるには十分なものだった。たとえ、発破をかけるためのお世辞であったとしてもだ。


 京極も微笑ましげな表情を浮かべていたが、一転して真剣な表情で巧の耳に口を寄せた。


「何かあったらすぐに報告するんだぞ」

「わかりました。ありがとうございます」


 昨日の時点で真に絡まれたことは報告していた。

 彼やベンチ外になった広川ひろかわ、そして二軍で日々ストレスを溜めているであろう内村うちむらに絡まれることを心配してくれているのだとわかった。


 昨日の今日だ。香奈と公にイチャイチャできる悦びに浸ってはいたが、同時に真一派への警戒は怠っていなかった。

 ベンチ外と告げられたときに広川が憎悪の表情を浮かべていたが、今のところ目についたのはそれだけだ。


「香奈。明日、何かない限りは僕スタメンなんだって」

「本当ですか⁉︎」


 いつものように一緒に下校しつつ報告をすれば、香奈はまるで我が事のように喜んでくれた。

 バシバシと背中を叩いてくる。


「やりましたねっ、巧先輩!」

西宮にしみや先輩がやらかしたからだけどね」

「それだって実力のうちですよ。それに、これを機に正式にスタメン奪っちゃえばいいんですっ」

「そうだね。そのつもりで頑張るよ」


 巧は表情を引きしめた。

 共存という形もなくはないが、少なくとも今のままでは京極は試しもしないだろう。

 つまり、スタメンで出たければ真を蹴落とすしかないのだ。


「でも、また何か面倒なことしてこないか心配ではありますね。嘘もそうだし、二つのフンも」


 香奈が吐き捨てるように言った。


「嘘? ……あぁ、真ってことね。内村先輩は二軍でどうしてるかわからないから不安だけど、広川先輩は今のところは大丈夫な気がするな」

「さっきすごい形相してましたけど」

「これまではほとんど途中出場とはいえ試合に出ていた人だし、晴弘はるひろが選ばれた中でのベンチ外だから、むしろあれくらいは当然なんじゃないかな」


 この時期に一年生がベンチ入りするというのはそうあることではない。

 しかし、不満の声は漏れ聞こえてこなかった。最近の晴弘は周囲を納得させるだけのパフォーマンスを見せていた。


 いい雰囲気の女の子がいて、その子が練習を見に来てくれているのもモチベーションになっているようだ。

 同時期に昇格してきたもう一人の一年生である蒼太そうたは惜しくもベンチ外だった。


「広川先輩の性格を考えても、逆に無反応のほうが不気味だと思う」

「確かにそうですね」

「西宮先輩に関しては特に表情も変えてなかったけど……沸点は低いけど激昂してないときはわりとポーカーフェイスの人だから、ちょっとまだわからないね」

「意外とビビってたりするんじゃないですか? 今度やらかしたら後がない可能性だってあるわけですし」

「油断はするべきじゃないけど、あるかもしれないね」


 もしかしたら真は——、


(……いや、今それを考えても無意味か)


 巧は頭に浮かびかけた——というより以前から浮かんでいた——考えの続きを放棄した。

 答えが出るものではない。もしもしかるべき瞬間がやってきたなら、そのときに真にぶつければいいのだ。




◇ ◇ ◇




 ——翌朝。

 巧、巧の父親である大樹たいき、香奈は、巧のスパイクを買うために三人で出掛けていた。


「これから行くスポーツ用品店はサッカーにめっぽーつよーひんだぞ」

「わぁ、大樹さんうまいっ。これは次のギャグも全裸不可避ですね!」

「おっ、香奈ちゃんもやるなぁ」


 大樹と香奈は二人で「ハッハッハ」と笑い合った。


(朝から元気だなぁ……)


 家から出て数分——まだ駅にも到着していない——で、巧は早くもげんなりしていた。

 場が凍りかねない親父ギャグは好きだが、午前中からやってほしくはない。胃もたれしてしまう。


 幸い、電車やスポーツ用品店では控えめにしてくれたため、胃はもたれはしてもキリキリ痛むことはなかった。


「まだ時間はあるか?」

「うん、大丈夫」


 巧は腕時計にチラリと視線を落としてうなずいた。

 試合はお昼の十二時キックオフだ。フィットするスパイクがすぐに見つかったため、時間は余っていた。


「なら、俺にしりとりで勝てたらこれをプレゼントしてやろう」


 大樹がニヤリと笑って、スパイクの入った袋を掲げた。


「何それ」


 巧は苦笑した。会計後すぐにくれなかったのはそういうことか。


「あっ、巧はサッカー選手縛りだ」

「僕不利じゃない? いいけど」


 どのみちもらえるのはわかっている。

 大樹には何か狙いがあるようだし、付き合ってあげるのが親孝行というものだろう。


「そうこなくっちゃな。香奈ちゃんは審判を頼めるか?」

「せ、責任重大ですねっ……!」

「そんなことないと思う。むしろまたとないほど雑でいいよ」


 巧が冷静にツッコミを入れると、香奈が「あはっ」と楽しそうに笑った。


「よし、俺からいくぞ。ホラリラロ」

「なんでそれからなの……まあいいや。ロナウド」

「ど……泥」

「ロベルトカルロス」

「スシロー」

「ロ攻めか」


 如月きさらぎ家では——と言っても総勢二名だが——、伸ばす棒は基本無視するルールだ。


「ロナウジーニョ」

「にょ、にょ……ニョロニョロ」

「ぷっ」


 大樹が芋虫のように体をくねくねさせた。香奈が吹き出した。

 巧の父親は顔を赤くさせながら、


「ほ、ほら巧っ、ロだ!」

「えっ、今のありなの?」

「あ、ありですっ……!」


 香奈がお腹を抱えながら息も絶え絶えにうなずいた。

 どうやら変なツボに入ってしまったらしい。


「嘘でしょ」

「し、審判が絶対だぞ巧」

「えー、まあいいけど……じゃあロベルトバッジョ」

「ジョ⁉︎ ジョ、ジョ……」

「大樹さん。おしっこ〜?」

「じょろじょろ!」


 大樹が香奈からのアシストを受けて見事にゴールを決めた。

 巧は苦笑いを浮かべざるを得なかった。


「お父さん、いろいろな意味で恥ずかしくない?」

「背に腹は代えられぬ」

「何も格好良くないから」

「巧選手、早く再開しないと警告だよ」


 香奈が「ピピ」と口で言いながら指を突きつけてくる。審判の真似事だろう。


「なんで香奈はそんなに入り込めてるの。えっと……ロマーリオ」


 ブラジルのレジェンドの名前を出せば、大樹が我が意を得たりとばかりにニヤリと笑った。

 嬉しそうな表情で袋を巧に差し出して、


「おめでとさん」

「……そういうことね」


(悔しいけど、ちょっとうまいな)


 一瞬脳裏に「ンジャメナ」が浮かんだが、素直に受け取った。


「ありがとう、お父さん」

「うむ。本当に頑張ったな」


 肩を叩かれた。香奈の前だから頭は遠慮してくれたのだろうか。


(意外とそういうところは気を遣えるんだな)


 実の父親に対して少々失礼なこと考えてしまい、巧はクスッと笑いを漏らした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る